第9話 収拾屋の現状

 収拾屋の朝は早い。といっても、店が開くのは午後からだ。

 早朝、ジルフォードは散歩という名の仕入れに出かける。彼が出て行く姿を窓からこっそり見送り、エレノアはうっとりと溜息を吐いた。


「あぁ、かっこいい……」

 朝目覚めて、エレノアは〈鉄の城〉の自室でないことに安堵した。そして、偶然ジルフォードが散歩に行く姿を見つけた。この偶然はきっと運命だ。胸はジルフォードへのときめきでいっぱいだった。いつまでここにいられるのか、という不安はあるものの、せっかく今ジルフォードと共にいられるのだからその幸せを謳歌しないでどうする。

「ジルフォード様、あなたの心に少しでも私の存在を残したい」

 エレノアは、記憶の中でジルフォードに恋をした。

 愛する人の記憶に、少しでも自分という存在を残したい。愛されなくてもいい。ただ、エレノアを忘れないでほしい。そうすれば、悪魔に魂を喰われたとしても、エレノアはジルフォードの記憶の中で幸せに生きられるから。

 そのためにも、この収拾屋の手伝いをして、役に立つ人間だとアピールしなければ。

「うぅん、何から始めればいいのかしら?」

 そもそも、エレノアは収拾屋の仕事についてよく分かっていない。ここは、頼りたくなかったが、ジルフォードの助手だというロイスに頼るしかなさそうだ。まだ痛む右足を庇って、左足でぴょんぴょん跳ねながら、二つ隣のロイスの部屋へ行く。


「ロイス、起きてる?」

 扉をノックして、声をかける。しかし、返事はない。首を傾げて、エレノアはもう一度大きめに扉を叩く。

「……あ~もうっ、うるせぇなぁ! なんだよ!」

 髪の毛のあちこちに寝癖がついたまま、エレノアより頭ひとつ分小さいロイスが怒鳴りながら現れた。相当機嫌が悪そうだ。でも、年相応の幼さを残した寝起きの顔はなんだかかわいくて、エレノアはにっこり笑う。

「おはよう、ロイス」

「……いや、ほんとに早すぎだろ」

 エレノアから目をそらし、ロイスはぼそっと呟いた。その横顔は少し照れているように見えた。

(昨日はむかついたけど、けっこうかわいいのね)

 ジルフォードが可愛がるのも無理はない。

 ちょっぴり、いや、かなり羨ましいが、それはもう仕方がない。いくら記憶の中の彼に恋い焦がれていたとはいえ、ジルフォードにとってエレノアは初対面の相手なのだ。その相手に、ここまで親切にしてくれていることに感謝すべきなのだ。ロイスに嫉妬している場合ではない。

「で、こんな朝早くから何の用だ?」

「あのね、何か私にもできることはないかしら。ロイスはジルフォード様の助手だから、何か仕事を教えてくれないかと思って……」

「ジルの側にいたいだけの馬鹿な女かと思ってたけど、そうでもないんだな。よし、じゃあ俺が先輩として、お前にしっかり仕事を教えてやる!」

 自分が上だと認められたのが嬉しいのか、後輩ができたのが嬉しいのか、ロイスは得意気に人差し指をエレノアに向けて言い放った。

 実際、ジルフォードの側にいたいだけの馬鹿な女ではあるのだが、そこは伏せておくことにしよう。ここでロイスの機嫌を損ねるのは得策ではない。

「先輩、よろしくお願いします!」

 エレノアが頭を下げると、ロイスは嬉しそうに口元を緩めていた。

「まず、この収拾屋についてどこまでジルに聞いてんた?」

 場所は移動して、収拾屋の店内。天井まで届きそうな背が高くて大きな棚がいくつも置かれていて、視界がかなり圧迫される。その棚にはぎっしりと本が詰め込まれていたり、大小様々な物だったり、何かよく分からない物までずらりと陳列されていた。中には何も置かれていない棚や、メモ用紙だけが置かれている棚もある。そんな棚から少し外れたカウンターに、エレノアはロイスと二人座っていた。

「落とし物を拾って保管している、ということしか……」

「ああ。それがこの収拾屋の基本的な役割ではある。でも、落し物に気付いてここまで取りに来る客はなかなかいない。多いのは物探しや人探しの依頼とか、一時的に保管してほしい物を持って来たり……とまあ、仕事らしい仕事はあるけど、ジルは町のみんなが困っていると仕事関係なく手を貸すからなぁ。今も、生活費だってギリギリなのに、お前みたいなのを拾ってきたりする訳だし?」

 最後に、エレノアを見て、ロイスは苦笑した。昨日、ロイスはエレノアを認めないと言っていた。それは、ジルフォードがお人好しすぎることを心配してのことだったのだろう。

(生活費に困っているのに、私を置いてくれているの?)

 収拾屋のことを聞いた時、儲けにはならないだろうとは感じていた。しかし、ジルフォードはエレノアを拾うと言ってくれた。だから、きっと大丈夫なのだろうと思ったのだが。やはり、この商売はジルフォードの優しさで成り立っているだけの、不安定なものらしい。

「ご、ごめんなさい……」

 自分の都合しか考えていなかったことに、また気付かされた。エレノアは肩を落として謝る。

「ま、俺がどれだけ言ったところで、ジルがお前を拾うと決めたんだ。ジルはそういう奴だ。俺も、ジルに拾われた身だしな」

「え、ロイスも拾われたの?」

「あぁ。俺、両親を戦争で亡くしてんだ。混乱の中で姉ちゃんともはぐれて、人買いに売られそうになっていたところをジルに救われた。ボロボロだった俺を、ジルが拾ってくれたんだ。そんで、俺はどこかで生きていてくれればいいって思ってるけど、ジルは姉ちゃんを今も探してくれてる」

 少し悲しそうに、それでも嬉しそうな笑みをロイスは浮かべた。

「そうなの……」

 ロイスは、戦争孤児だったのだ。戦争のせいで、姉とも生き別れになった。皇帝が侵略を進めることで、領土は広がっても、死者は増えるばかりだ。

(私が、“悪魔の花嫁”が生きているから、お父様はまだ力を求めてしまうの?)

 大陸の西は、もうカザーリオ帝国のものだ。帝国の権力は、巨大で、他国からも十分恐れられるまでに成長した。かつて、周辺国に呑まれようとしていた小さな国はもうない。

 それなのに、皇帝は止まらない。悪魔に娘を売ってしまったからなのか。それとも、悪魔と契約したからか。心を持たない冷酷非道な皇帝だと皆が恐れている。

 皇帝に殺された者たちの記憶が、エレノアの脳裏に過ぎる。

 助けを求める者に、容赦なく振り下ろされた刃。血しぶきが飛び、視界が真っ赤に染まる。返り血を浴びてなお、表情を動かさない皇帝カルロス。

 記憶の中でしか、エレノアは父を知らない。

 きらめく白金の髪、冷ややかな紅玉の瞳。どこか自分と似た面影を持ちながらも、カルロスには表情がない。整った容姿も相まって、鋭利な刃物そのものだ。少しでも触れれば傷つけられる。他人に、恐怖しか与えない。

 だから、皇帝がエレノアに会いに来ないことには安堵していた。殺された者たちの記憶のように、実の娘に刃を突きつける父親の姿など見たくはなかったから。

「どうした? 顔色悪いぞ。やっぱり、まだ安静にしてた方がいいんじゃ」

「だ、大丈夫! 少し、痛んだだけだから」

 そう言って、エレノアは慌てて笑顔をつくる。

 痛むのは、斬られた右足ではなく心だ。何もできない自分が、悔しい。

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