第6話 助手の少年
収拾屋の二階は、居住空間になっていた。エレノアが与えられたのは、端っこの小さな部屋。木造建ての建物は相当古いらしく、あちこちにシミや虫食いの跡があり、廊下も歩く度にギシギシと音を立てていた。
「こんな部屋ですまない」
エレノアをベッドに下ろすなり、ジルフォードが決まり悪そうに言った。
エレノアは、自分に与えられた部屋を見回す。小さな窓からは星が見え、上を見上げれば、天井には蜘蛛の巣が張ってある。ぼんやりと室内を照らすランプの火が揺れて、ジルフォードの影がエレノアに伸びている。
今まで、清潔すぎるほど清潔な部屋で、贅沢な調度品に囲まれていたエレノアは、この庶民的な空間に感動していた。
(あぁ、壁に傷があるわ! それに、埃までっ! このふかふかでもなんでもない固いベッドもたまらないわ!)
エレノアは、目を輝かせてジルフォードを見た。
「ジルフォード様、この部屋とても気に入りましたわ! 蜘蛛の巣なんて初めて見ました。それに、埃って、本当に手で触れられるんですね」
机の上に積もっていた埃に白い指で触れ、エレノアは頬を紅潮させる。
「おい、何してる! 埃なんてむやみに触るな」
ジルフォードに怒られてしまった。そのことにときめきつつも、エレノアは首を傾げる。
「どうしてですか?」
「いや、普通分かるだろ……って、分からないのか。すぐに掃除するから待ってろ」
大きな溜息を吐いて、ジルフォードは部屋を出て行く。彼が行ってしまって、エレノアは指の腹にのせた埃に笑いかける。
(だって、この埃はジルフォード様との記憶を持っているはずだもの。あの蜘蛛だって、私の知らないジルフォード様を知っている)
この建物にあるモノはすべて、ジルフォードの記憶を持っているのだ。普通なら嫌悪感を覚える埃や蜘蛛の巣、汚れさえも、エレノアにとっては輝かしい宝物のように見える。
少しくらい、覗いてもいいだろうか。
エレノアが埃に意識を集中しようとした時、扉の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。
「はあっ? なんだって? 人間の女を拾っただぁ?」
聞こえてきたのは、まだ少し甲高い少年の声。ここにはジルフォードだけしかいないと思っていたのだが、他にも同居人がいたらしい。
「【新月の徒】に襲われていたのを助けたんだ。怪我もしてるし、帰る家もないらしいから、うちで預かることにした」
落ち着いたジルフォードの声が聞こえて、エレノアは安心する。追い出されることはなさそうだ。
ほっと胸をなで下ろした時、おもいきり扉が開き、活発そうな少年が入って来た。茶色の短髪と紫の瞳を持つ少年は、エレノアと目が合った瞬間に固まった。
「なんだ、こいつ。ほんとに人間か……? おいジル、女神様を拾っちまったんじゃないのか!」
扉を開けた時の勢いは消え、後ろに立っていたジルフォードに泣きついている。自分が普通ではない見た目なのだと再認識させられて、エレノアは少し落ち込む。
かなり動揺している少年に、ジルフォードがふっと柔らかな笑みを向ける。その笑みを見て、エレノアの心臓はばくばくと暴れ出す。
(あぁ……ジルフォード様の優しい微笑み! これは絶対目に焼き付けなければ!)
エレノアは、ジルフォードをガン見する。ジルフォードは安心させるように少年の頭を撫で、少年をエレノアに向き合わせた。
「よく見てみろ、人間だ。エレノア、このちっこいのがロイス。一応、俺の助手だ」
「一応ってなんだよ! 俺がいないと何もできないくせにっ!」
見た所まだ十歳くらいの少年が、ジルフォードの助手。そのことに、かなりエレノアは驚いた。
しかしそれ以上に、エレノアの名をジルフォードが口にしたことに胸が高鳴る。愛しい人に名を呼ばれることがこんなにも嬉しいだなんて。
ロイスという名の少年は、ジルフォードにぽこすかと軽いパンチを繰り返している。その様子は、じゃれ合っているようにしか見えない。羨まし過ぎる。エレノアも、ジルフォードの身体に触れてみたい。あの、しっかりとした筋肉を叩いてみたい。そして、骨が軋むほどがっしりと抱きしめられたい。
「まあそう喚くな。ロイス、エレノアに色々と教えてやってくれ」
ロイスの怒りを受け流し、ジルフォードはにっと笑った。そして、ロイスはふんと鼻を鳴らし、エレノアに向き合った。
「おいお前! ジルは許しても俺はお前のこと認めないからな! でも、ジルが拾ってきたものは俺が管理することになってるからな……し・か・た・な・く! 面倒みてやるよ」
両腕を腰に置き、ロイスは精一杯威張っている。ジルフォードはその様子に苦笑しているが、エレノアの心中は穏やかではない。
明らかに、年下のロイスの方が優位に立っている。ジルフォードの助手だというロイスに、エレノアが逆らえるはずがない。
しかし、もちろんはいそうですかと納得できるはずもない。
(ジルフォード様と仲がいいことを自慢して、さらには私の面倒をみてやるだなんてっ!)
せっかくジルフォードに再会できたのに、二人きりの同居生活で仲を深められると思っていたのに、とんだ邪魔者がいたものだ。何もかもジルフォードに手取り足取り教えてもらうつもりだったエレノアは、がっくりと肩を落とす。
「う、うぅ……ジルフォード様に会えただけで奇跡なの。子ども相手にむきになってはいけないわ……そうよ、ここは大人になるのよ、エレノア」
何とか自分を納得させようと、エレノアは小さな声で呟く。
「おい! 聞こえてるぞ! 俺はもう十歳だ! 子どもじゃねぇっ!」
むきぃっと手足をばたつかせて怒っているロイスを視界に入れて、ようやくエレノアは落ち着いた。
(十歳なんて、子どもじゃない)
ロイスはまだまだ子どもだ。だからこそ、ジルフォードも優しくするのだ。
「ロイス、よろしくね」
にっこりと微笑んで手を差し出せば、ロイスはむにゅむにゅと口元を動かしてゆっくり近づいてきた。
「俺はもう立派な大人だからな!」
そう言って、ロイスはエレノアの手を握った。その手は、まだエレノアよりも小さかった。
「さて。早速だがロイス、この部屋の掃除頼めるか?」
「はいはい、仕方ないからやってやるよ」
ジルフォードから雑巾とバケツを受け取りながら、ロイスが頷いた。
「あぁ、やはり掃除してしまうのですね……」
せっかく見つけた埃が、きれいに消えてしまうのだ。ジルフォードの記憶だと思うと、悲しくて堪らない。
「埃まみれの部屋で寝たいのか? 怪我もしてんだったら、清潔にしとかなきゃ駄目だろうが」
そう言うと、ロイスはちゃちゃっと掃除を始めてしまう。
「ロイスに任せておけば大丈夫だ。掃除の邪魔になるから、あっちで軽く夜食でも食べるか」
この部屋の埃や蜘蛛は捨てがたいが、記憶よりも本物のジルフォードの方がよっぽど素敵だ。エレノアは二つ返事で頷いた。
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