第二幕


 第二幕



 とある昼下がりの空の下、舗装もされていない郊外の田舎道を、俺は自慢の愛車でありキャブオーバー型のバンでもある純国産車UAZ《ウァズ》452で走り続ける。世界に数ある乗用車や貨物運搬車の中からこの車を選んだ理由は、単に車を買おうと数年前に立ち寄った中古車屋でたまたま眼に留まり、しかも予算の範囲以内に収まるだけの手頃な価格で売っていたからに過ぎない。しかし買ってみてから分かった事だが、自動車大国の日本にも輸出されているだけあってこいつはなかなか乗り心地も良いし、何よりもロシア製の自動車らしく極めて頑丈だ。この車を買って正解だったと、あの時中古車屋で直感任せの買い物をした自分の勘と運の良さを褒めてやろう。

「♪」

 愛車を運転しながら、俺はダッシュボードの上に置かれた小型ラジオから流れて来る音楽に合わせて適当な鼻歌を歌っていた。それは音痴で調子外れな鼻歌ではあったが、車に乗っているのは俺一人だけで誰にも迷惑は掛けていないのだから、少しぐらい下手糞でも気にする必要は無いだろう。それに今日は天気も良くて比較的暖かく、今が吐く息も凍るような真冬で、ついでにここがロシアの森林地帯である事さえ除けば絶好のドライブ日和だ。こんな日くらいは俺の様な醜い顔のおっさんが陽気に鼻歌を歌っていたとしても、それを責められる謂れは無い。

「ん?」

 やがて俺を乗せたUAZ《ウァズ》452が湖の畔に差し掛かり、そろそろ自宅の屋根が見えて来る頃かなと言うタイミングで、道の脇に停められた一台のトラックが眼に留まる。そのトラックは、鮮やかな青色に塗られた民生用のウラル4320。元軍人である俺にとっては色々な意味でよくよく見知ったトラックで、少しだけ懐かしい。

「あれは……」

 停められたトラックを横目に俺はUAZ《ウァズ》452を走らせ続け、やがて見慣れた自宅の全貌が視界に入ったかと思えば、まるでスキップでもするかのような軽快な足取りでもって玄関先のポーチを歩き回る人影に気付いた。その人影が歩き回っている場所は、数日前のナノの散歩帰りに死神ボーク・スミェールチが立っていた場所でもあったので、俺はその時の事を思い出して少しばかりゾッとする。しかしすぐに、それが忌々しい死神ボーク・スミェールチなどではなく白い革のジャンパーを着た一人の少女である事と、その少女の足元に子犬のナノが楽しそうにじゃれついている事にも気付いてホッと安堵した。

「ナターリヤ!」

 愛車の窓を開けて少女の名前を呼べば、少女もまたこちらに気付いて俺の名を呼ぶ。

「オレグ!」

 そう言った少女は子犬のナノをひょいと抱え上げると、自宅の隣に建てられたガレージに愛車を停めた俺の元へと駆け寄って来た。そして抱え上げたナノを改めて抱き締め直しながら、俺に問う。

「オレグ、あなた犬を飼い始めたのね? すごく可愛い子じゃないの。名前は?」

「ナノだ。小さいとか少ないとか言う意味の、ナノ」

「そう、この子はナノって言うのね。こんにちわ、ナノ。あたしはナターリヤ。改めて、よろしくね」

 自己紹介と共に、その少女ことナターリヤは子犬のナノの湿った鼻にキスをしながら挨拶を交わした。しかしナターリヤは少女とは言っても、去年街の高等学校を卒業した身なので、それなりに背は高く体格も良い。未だその顔立ちに多少の幼さは残るが、もう立派な一人前の女性と言っても差し支えない年齢だろう。

 それにしても、我が愛犬である子犬のナノの醜態と来たら、一体どう言う事なのだろうか。今日が初対面の筈のナターリヤを警戒する素振りも無く、さっきから彼女の足にじゃれついたり抱きかかえられて嬉しそうに尻尾を振ったりと、まるで番犬としての用を為してはいない。確かこの犬の犬種はモスクワン・ガーディアン・マスティフだと聞いていたのだが、少なくともナターリヤに抱きかかえられたナノに、我が家の守護者ガーディアンとしての自覚はこれっぱかしも無いように見受けられる。まあ、未だ生後四ヶ月の子犬に番犬としての用を為せと言う方が、無理な注文なのかもしれないが。

「ところでオレグ、あなた、こんな可愛いナノを家に残したままどこに行ってたの?」

「ああ、街まで買い出しに行ってたんだ。届いている筈のナイフの材料を受け取るのと完成品の発送のついでに、ちょうど食料品の備蓄が無くなったんで、スーパーで纏め買いをしにね」

 ナターリヤの問いに答えた俺はエンジンを切ったUAZ《ウァズ》452から降りると、買い込んだ荷物を助手席から下ろし始める。すると彼女は俺の荷物を強引に奪い取り、その中身を検分し始めた。そして一人暮らしのぐうたら息子のズボラぶりに呆れ返った世話焼きな母親の様に、俺を窘める。

「まあ! また冷凍のペリメニばっかり! それにウォトカもビールもこんなに買って! もっとちゃんと、栄養のある物を食べないと駄目じゃないの!」

 そう言って不満を露にしたナターリヤは、腕組みをしながら幼い子供の様にぷうと頬を膨らませた。ほぼ純白に近いほどの綺麗なプラチナブロンドの頭髪に覆われた可愛らしい顔が、まるで河豚か鮟鱇の様に丸くなる。

「いいじゃないか。好きなんだよ、ペリメニ」

「駄目です。ちゃんと野菜も食べなさい」

「野菜入りのペリメニも買ってるよ」

「そんな冷凍の野菜屑なんかじゃなくて、もっと沢山の新鮮な生の野菜をちゃんと調理して食べなくちゃ! そうでないと歳を取ってから病気になって、やがてはかつての自分の不摂生を、泣きながら後悔する事になるんですからね!」

 どうやらどれだけ弁明しても、俺は彼女に窘められる運命らしい。

「分かったよ。次に買い出しに行く時はキャベツなりトマトなりの生の野菜も買って来るから、今日のところは機嫌を直してくれないかい、ナターリヤ?」

「よろしい。人参と玉葱と胡瓜、それにお米も買って来て、自分でプロフやサラダを作って食べなさい。好き嫌いはしちゃ駄目ですからね? 分かった、オレグ? 返事は?」

「はいはい、ちゃんと自分で野菜も米も調理するって」

 俺が渋々ながらに了承すると、満足したらしいナターリヤは腕組みを解いて微笑み、ようやく機嫌を直したようだ。

 それにしても、ナターリヤは美しい。輝くような純白の肌にプラチナブロンドの頭髪、それに明るい鳶色の瞳と桜色の唇が魅力的で、その浮世離れした美しさに誰もが眼と心を奪われる。事実俺自身も数年前に彼女と初めて出会った時は、そのあまりの美しさと可愛らしさに、てっきり天使か何かの人ならざる存在と出会ってしまったのではないかと思って懺悔しかけたほどだ。

 だが実際に一人の人間として接したナターリヤは、未だ少し子供っぽさが抜けない表情豊かな一人の少女に過ぎないのだが、その事実を知る者は意外と少ない。

「さあ、それじゃあそろそろお家に入りましょ? アキム兄様も、中で待ちくたびれているんだからね? ほらほら、荷物も半分持ってあげるから、急いで急いで」

 急かすようにそう言ったナターリヤは強引に買い物袋の一つを奪い取ると、それを胸に抱えながら俺の自宅の玄関へと足を向けた。彼女の背後を、子犬のナノが嬉しそうに尻尾を振りながらちょこちょことついて歩く。どうやらナノは、俺なんかよりもナターリヤの方が飼い主に相応しい人間だと判断したらしい。

「アキム兄様! オレグが帰って来たよ!」

 玄関扉を潜って俺の自宅の中へと足を踏み入れたナターリヤが、元気良く兄の名を呼んだ。すると玄関から続くリビングの、暖炉の前のソファに座っていた一人の男性が顔を上げる。その男性はナターリヤと同じく純白の肌とプラチナブロンドの頭髪を輝かせた美青年であり、その顔に浮かべた柔和で温和そうな優しい笑顔から、好青年でもある事がうかがい知れた。

「やあ、アキム。久し振りだな。表にお前さんとこのトラックが停まっていたから、来ている事はすぐに分かったよ」

 ナターリヤに続いて玄関扉を潜った俺もまたその男性の名を呼び、抱えていた買い物袋をキッチンのテーブルの上に置いてから、暖炉の前に立って冷えた身体を温める。

「お久し振りです、オレグ。悪いとは思いましたが、鍵が開いていたので勝手に入らせてもらっていました」

「なあに、構わないさ。冬場はどんな人間でも受け入れるのが、雪深い北国の慣習だからな。それに今更、俺とお前さん方とは遠慮し合うような仲でもあるまい」

「それもそうですね。……ああ、ついでに暖炉の火も熾させてもらいましたし、紅茶も頂いています」

「なんだ、お前さんも結構図々しいところがあるじゃないか、アキム」

 そう言って俺と笑い合った美青年であり好青年でもある男性の名は、アキム。フルネームは、アキム・ロトチェンコ。キッチンで俺の買い物袋の中身を勝手に冷蔵庫の中に詰め込んでいるナターリヤ・ロトチェンコの実の兄であり、事実上の保護者だ。

「ねえ、聞いてよアキム兄様! オレグったらまた冷凍のペリメニばっかり買って来て、冷蔵庫の中には野菜なんて一つも入ってないんだから! まったく、このままじゃいつか本当に病気になっちゃうんだからね? ほら、兄様からも言ってやってよ、ちゃんと栄養のある物を食べなさいって!」

 冷蔵庫の整理を終え、キッチンからリビングへと移動して来たナターリヤは兄のアキムに向かって不満げにそう訴えると、勢い良くソファに腰を下ろした。そして外出する際の上着として羽織っていた真っ白な革のジャンパーを脱げば、彼女の身を包んでいる白と赤のサラファン、つまりロシアの女性の伝統的な民族衣装がその全容を現す。ちなみに、今時の若い少女が日常的にサラファンを着て生活する事は滅多に無い。では何故ナターリヤが普段着としてサラファンを着ているのかと言えば、なんでも今は亡き彼女の母親の趣味が自分でデザインしたサラファンを仕立てる事だったらしく、その母親が生前に仕立てた大量のサラファンを袖も通さずに捨てるのが勿体無いからだそうだ。

 それにしても、ナターリヤの怖いもの知らずな性格にはいつも驚かされる。自分の倍以上もの年齢の、しかも顔面の左半分がズタズタに裂けて焼け爛れたこの俺に面と向かって文句を垂れ、まるで物怖じする様子が見られない。それどころかいつの間にか、彼女は俺が街で買って来たばかりのプロンビールのアイスクリームを買い物袋の中から勝手に持ち出し、それを家主に断りも無しにむしゃむしゃと食べ始めている。

「こら、ナターリヤ! 勝手に他人ひと様の物を食べるんじゃありません!」

「いいじゃないの、兄様。あたし達はお客様ゲストの立場なんだし、このくらいはむしろおもてなしの範疇でしょう? それに、兄様だって勝手にサモワールから紅茶を淹れているじゃないの」

 兄の叱責に対して悪びれる様子も無くそう言ってのけたナターリヤは、あっと言う間に乳脂肪分たっぷりのプロンビールのアイスクリームを食べ終えた。そして小さな子供の絵柄が印刷されたアイスクリームの包装紙を部屋の隅に置かれたゴミ箱に向かってぽいと放り捨てると、子犬のナノを膝の上に抱え上げて遊び始める。

「やれやれ、妹の無礼を心からお詫びしますよ、オレグ」

「なあに、気にする事は無いさ、アキム。ナターリヤの自由奔放ぶりにはもう慣れたし、確かに彼女の言う通り、お前さん方はお客様ゲストの立場だ。少しぐらい無礼を働いたって、誰も咎めやしないさ」

 妹の蛮行を詫びるアキムに向かってそう言った俺は、自分もまたナターリヤに倣って冷凍庫からアイスクリームを取り出し、それをむしゃむしゃと食べ始めた。勿論アキムにも同じアイスクリームを手渡してやると、彼は少しばかり申し訳無さそうにそれを食べ始める。暖炉の火で身体を温めながら食べる冷たいアイスクリームはやけに甘くて、とても美味かった。

「さてと、それじゃあそろそろ商談を始めようか、アキム」

 やがて、ロシア人ならば誰しもが子供の頃から食べ慣れたプロンビールのアイスクリームを食べ終えた俺はそう言うと、客であるアキムに向き直る。するとアキムもまたアイスクリームの最後の一口を急いで飲み込み、包装紙をゴミ箱に放り捨ててから俺に向き直った。

「ええ、そうしましょうか、オレグ。まずは、これを見てください」

 そう言ったアキムが、ソファの上に置いてあった彼の鞄の中から三本のナイフを取り出し、それらをテーブルの上に並べる。三本の内二本は動物の皮剥ぎ用のスキニングナイフで、一本は骨や関節を叩き切るためのブッシュナイフだ。そしてそれらは三本とも俺が過去にうちの工房で造ってアキムに売ったナイフだったが、売り渡した時とは違って、今は随分と刃が研ぎ減りしてしまっている。

「これはまた、随分と使い込んだな」

 俺は刀身の幅が三分の二ほどになるまで研ぎ減りしたスキニングナイフの一本を手に取り、感心するような口調でもって言った。

「ええ。とても使い易いナイフだったので、徹底的に使い込みました。しかし、さすがにもう限界です。そこでいつも通り、これらのナイフをもうちょっとだけ使えるように削り直してもらって、ついでに代わりとなる新しいナイフを同じ数だけ注文させてもらってもよろしいですか?」

「ああ、分かった。お前さんはいつも仕事を発注してくれるお得意様だし、顔馴染みのご近所さんでもあるしな。出来得る限り早く、大急ぎで作業に取り掛からせてもらうとしよう」

「ありがとうございます。そうしていただけると助かります」

 そう礼を述べたアキムは会釈をするアジア人の様に、俺に向かって小さく頭を下げた。傍若無人で自由奔放な妹とは違って、まったくこの男は田舎の人間とは思えないほど礼儀作法が出来ている。

「それじゃあ工房で作業に取り掛かる前に、ちょっとだけ休憩させてもらうよ。なにせ街まで行って買い出しを終えるまでに、往復で四時間近くも車を運転してたんだからな。腰が痛くて仕方が無いし、腹も減った。……お前さん方も、何か食べるかい?」

「いえ、僕達はここに来る前に昼食を食べ終えているので、結構ですよ」

「お菓子ぐらいなら、食べるけどね」

 遠慮する兄の言葉を遮るように、妹のナターリヤが言った。要するに、彼女は「お菓子ぐらいは食べさせろ」と言っているのだろう。

「分かったよ、ナターリヤ。確か、以前買ったカブリーシュカが未だ残っていた筈だ」

 少しばかり呆れながらそう言った俺はキッチンへと向かい、ロシアではカブリーシュカと呼ばれる、蜂蜜を練り込んでアーモンドをまぶしたクッキーの様なケーキの様なお菓子を用意した。またついでに、俺の分の食事としてライ麦パンとチーズ、それに脂肪分の少ないドクトルスカヤのソーセージも用意する。そしてスライスしたライ麦パンでチーズとソーセージを挟んだだけの簡素なサンドイッチを拵えてから、それをカブリーシュカと共に皿に乗せ、アキムとナターリヤが待つリビングへと運んだ。

「ついでに紅茶も淹れてよ、オレグ」

「そのくらいは自分で淹れな、ナターリヤ。サモワールから注ぐだけだろう?」

「はーい」

 俺に窘められたナターリヤは、素直にキッチンへと向かうと、サモワールで紅茶を淹れる。そしてリビングへと戻って来た彼女は、やはり家主の俺に何の断りも無く、我先にとカブリーシュカを頬張り始めた。そんな無礼千万極まりないナターリヤだが、自分の分の紅茶を淹れるついでに俺の分の紅茶も淹れてくれたので、少しは可愛いところがあるのかもしれない。

「ところでアキム、最近のお前さん方はどうしている? 仕事の方の景気はどうだい?」

 俺がサンドイッチを食みながら尋ねると、アキムは肩を落として溜息を吐く。

「正直言って、景気は悪いですね。豚肉の卸値も下がっていますし、最近は卵の収穫量も減って来ています。やっぱり大規模経営の食品会社と比べたら、うちみたいな小さな畜産業者がこの先も生き残って行くのは難しいのかもしれません。残念ですが、多分、この仕事を僕の孫子の代まで継がせる事は出来ないでしょう」

「そうか。そいつは残念だが、今はどこも不景気だから仕方無いさ。お前さんのせいじゃない。しかし、そうとなるとロトチェンコ畜産場の豚肉や卵は、今の内にたっぷりと食べておかなきゃならんな」 

 そう言った俺とアキムは、少しばかり寂しそうに笑い合った。それは自嘲気味な冷めた笑いで、ある種の苦笑いと言えなくもない。そして俺が口にした「ロトチェンコ畜産場」と言う固有名詞が指し示す通り、アキム・ロトチェンコは唯一の肉親である妹のナターリヤ・ロトチェンコと共に、ここからもう少し山間に入った土地で小さな畜産場を営んでいる。その畜産場で飼育されているのは主に豚と鶏で、ここの豚の脂身を塩漬けにしたサーラは絶品と言ってよい。

「さてと、それじゃあそろそろ工房で作業を開始するとしようか。新しいナイフが出来上がったらお前さん方の家まで届けるから、数日ほど待っていてくれ。ついでにその時は、肉と卵を購入させてもらうよ」

「ありがとうございます。お待ちしています」

 丁寧な口調でそう言ったアキムは、やはりアジア人の様に小さく頭を下げた。そしてソファから腰を上げると、上着を羽織る。

「それではそろそろ、僕達はおいとまさせていただきます。お茶とお菓子、ごちそうさまでした。……ほら、ナターリヤ。帰る準備をしなさい」

「あ、待ってよ兄様!」

 実の兄であるアキムに急かされた妹のナターリヤは、残っていたカブリーシュカを口の中に詰め込むと、それを紅茶でもって強引に胃の中へと流し込んだ。そして彼女もまた真っ白な革のジャンパーを羽織り、退出の準備をする。

「なんだ、もう少しゆっくりして行けばいいのに。なんなら晩飯も一緒にしようや」

 少し残念そうに、俺は言った。

「いえ、そう言う訳にも行きません。家畜や家禽達の世話もありますし、何よりも時間通りに餌をやらなければ、彼らはすぐに不機嫌になりますからね」

「そうか。畜産業ってのも、大変なんだな」

 アキムの返答に得心する俺の眼前で、ロトチェンコ兄妹の二人は帰り支度を終えると、玄関へと向かう。

「それではお邪魔しました、オレグ。新しいナイフの完成を楽しみにしています」

「じゃあね、オレグ。また会いましょう。それとナノも、次に会う時まであたしの事を忘れないでいてよ? 約束だからね?」

 恭しく頭を下げるアキムと、ざっくばらんな挨拶と共に、どうやら俺よりも子犬のナノに覚えていてもらえるか否かの方が気になるらしいナターリヤ。血を分けた兄妹でありながら、まるで正反対な言動で自己を表現する二人。そんな彼らを見送った俺は、玄関扉を閉めると作業用のエプロンを纏い、工房へと足を向けた。そして自宅の廊下を歩く俺の背後からはロトチェンコ兄妹の二人が乗ったトラックのエンジン音が聞こえ、それが次第に遠ざかって行く。玄関でナターリヤを見送っていた子犬のナノが、寂しそうにくうんと鳴いた。

「帰っちまったか……。久し振りの客だったから、もっと色々とお喋りしたかったんだがな……」

 そう独り言ちながら工房へと向かう俺の後姿もまた、傍から見ればひどく寂しげだったに違いない。

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