27. 弛緩するカノン
やっと抱きしめる事ができた
数週間ぶりに嗅いだ礼の匂いを確かめるみたいに国彦は礼の耳元に顔を寄せた。
昨日電話で礼の震える声を聞いてからずっとそうしたかったように、国彦は全身ずぶぬれの礼をぎゅっと抱きこんで深く息を吐いた。
苛立ちも焦りも疲労も一瞬飽和してただ礼の体温が優しく国彦の体と心を癒していく。
制服、髪の毛、その全身がシャワーの水で濡れたままの礼の身体は、国彦の腕の中でぐったり力の入らない様子で
それでも必死に自分のワイシャツの袖を伸ばして国彦の頬の血を拭ったり、傷口を止血しようとしている。
あんまり健気で、いとおしくて
国彦はその手をとって口を付けた。
礼はそれに驚いたか、素早く手を引っ込めた。
それきりぎゅっと隠すみたいにしてその手首を自分の手のひらで隠してうつむいている。
手首には赤青い痣。見えるだけでも身体中浅く刃物で切りつけられたような傷がいくつもあった。
口元も殴られてうっすらと薄青くなっている。
国彦の中でまた湧き上がってくる暴走しそうな怒りを、他でもない礼のその弱った姿が抑制していた。
どうしようもない衝動を抱えたまま、それでも国彦はできる限り優しく、うつむいた礼の前髪をなでた。
ぬれた前髪が持ち上げられて、隠れていたその表情が露になる。泣きはらして真っ赤になった礼の瞳が不憫でその頬を労わるように撫でると、礼はいつもよりおそるおそる、国彦の手のひらにすりすりとその頬を寄せた。
その純粋さに国彦はまた礼を強く抱き込んだ。
「汚ねえてどこ。大丈夫だよれえ」
「……がう…」
「何違うの」
答えられない礼のその濡れたワイシャツに手をかけて半ば無理やり脱がそうとすると、礼はそれに抵抗するようにぎゅっと前かがみになって体を強張らせた。
「れえ」
「いい、から。俺…より、お前が」
「全部脱げ。ちゃんと見たい」
「見たらきっとヤになるも…」
甘い上ずった声ながらも頑なに身体を強ばらせたままの礼から
一旦身を離した国彦は自らのワイシャツを脱ぐと下に着ていた肌着も脱いでそれを頭に覆ってとりあえず自身の傷を止血し、
ワイシャツだけおざなりに羽織り、今度は備え付けのバスタオルで礼を包んで力の抜けきったその身体を支え起こして歩き出した。
シャワー室を出て寮部屋に向かう道すがら、礼のクラス担任である河野が二人を見つけ血相を変えて走り寄ってくる。
若い好青年の風情を残した新任教師は厳しい表情で勢いよく国彦と礼の腕をとった。
「五嶋、柏原!ここだったのかずいぶん探して…」
普段温厚な河野の声に微かにこもった怒気が、礼の姿を見てふと緩んでしまった。大きなバスタオルにくるまれた礼は全身濡れてところどころ傷がまだ赤く残っている。その姿に言葉をなくして戸惑った表情を見せた。
そして先程より丁寧に、気遣うように
「…とにかく、そのままこっちに。聞きたいことがある」と言うと近くの懇談室に二人を押し込んだ。
部屋に入った二人は促されるまま椅子に座り、それを確かめる間もなく河野は電話で当直の学校医を寮に呼び出す旨の連絡をして、それから二人の前の椅子に腰掛け大きく息をついた。
学校医が到着して、パーテーション越しに礼がその身体の傷を看てもらっている間、国彦は河野に事の顛末の話した。
何より礼の身体が気になり、治療の助けになるならと思い、国彦は暴行の事実も言葉を選び濁しながら伝えた。
礼との関係は言葉で伝えなかったが、普段と明らかに違う国彦の様子から河野は二人の関係に勘づいたようだった。
国彦の心中を察して、二人に同情もしたが、
それでも国彦のした事は言い訳できない暴力でしかなく
河野は上層部に一連の報告をしてから言った。
「篠原のこれまでの素行については、学校側にも責任がある。君がしたことは決して誉められる事じゃないけど、僕が出来る事はするし力になるから、いつでも連絡しなさい。どんな事でもいい。いいね?」
うそのない純粋な配慮に国彦は静かに「はい」と頭を下げた。
礼はどの傷も浅く入っていたらしく、消毒薬と化膿止めを処方してもらった。
ところどころで跡になる傷はあったがどうやら次第に自然と薄まるという話だった。
安堵した国彦はすぐに寮部屋に帰りたがった。それを礼と河野に強く止められ仕方なく医師の前の椅子に座って切れた額を見せるため頭を垂れた。
頭部の傷はすでに血が止まっていた。それでも強くうたれた箇所が箇所だけに精密検査を勧められたが国彦はそれを断って、ガーゼで軽く傷口の保護だけしてもらうと礼の手をとって懇談室を出た。
部屋に戻り扉をしめると
国彦は礼と向き合ってその瞳を覗き見た。
「薬塗ってやる。服脱がすからな」
「…やだ」
「やだじゃねえでしょ。化膿したらどうすんの」
「ぐちゃぐちゃだから」
「なおさらだめじゃん」
「…まだ」
「ん?」
「腹んな、か…気持ち悪…くて」
俯いた礼が恥ずかしさから赤面してるのがわかった。
一瞬ジリリと脳髄を焼かれたような感覚を味わった国彦は、その礼の手首をつかんで、身をかがめ視線をあわせて強い口調で「見せろ…したら、俺が洗うから全部」と言った。
礼は少しだけビクリとおびえた様な目の色になり、必死に強張らせていた体から力を抜くと震えながらまた国彦の瞳を見上げた。
緩んだ抵抗の狭間でその塗れたワイシャツのボタンを外して脱がせると、見えていた範囲より大きな傷が胴体には刻まれていた。
内臓に達するような傷じゃないのはわかるが胸元には執拗に細かい切り傷があり、鳩尾付近は何度も同じところを殴られたか青く内出血している。わき腹や臍の近くは殊更他の傷とは比べ物にならないほど深く刃先が入った形跡がありじくじくと血がにじんでいた。
眉をひそめた国彦のその表情を見て礼の瞳からまた涙がこぼれた。
その流れた涙を国彦の手のひらに力強くぬぐわれて、はっとした礼はうつむきかけていた目線を懸命に上げて国彦を見上げた。
「くに…」
「痛かったな…あとちょっとだけ我慢して。な?」
そう言うと、国彦は礼の手を引き、自室にある浴室に礼と一緒に入りシャワーの水圧を礼の身体の傷口に当てた。
「ッッ!!んン、や」
あまりに鮮烈な痛みに身体を弾ませて、礼は国彦の腕の中でその水圧から逃れようと暴れた。
それでもがっちりと国彦の腕に捕まれていてその場から逃れることが出来ない。
「痛い、…も、やら」
「綺麗にして薬塗ったら全部終わりだからな。頑張れ」
「くに」
助けを求めるみたいに呼ばれて国彦は、掴んでいた礼の腕を自由にしてやり、離したその手で礼の髪の毛を撫でて首元をくすぐるようになぞった。少しでも力みをとってやりたかったが、それでも礼の身体から力は抜けなかった。
「………、…ッ…」
「れーえ…噛むな」
噛み締めた唇に血がにじんでいた。その力の入った唇を指先で撫でて労ると、その意外な感触に礼の唇から微かに力が抜けた。その隙間に、親指を滑り込ませて礼に噛ませると国彦は、力んだ礼の首筋から耳の裏に唇を落とし、軽く触れるだけの愛撫をした。
「ふゃ、…」と、礼から力の抜けるような声がして国彦はたまらなくなった。
愛おしさから、もうほとんど抱きよせながら噛ませた親指で内側から礼を撫でてもっと力が抜けるよう促す。
「口あけて…ホラ、あんてして」
それを聞いて素直に開いた礼の口から、国彦は親指を離すとおびえさせないようできる限りゆっくり近づきキスをした。
礼の身体の緊張が解けるように優しくなぞった。
「ン、……ん」
唇を離して礼の瞳をのぞき見ると、礼は微かに熱を帯び始めた目で国彦を見ていた。
冷たい吐息が国彦の首元にふきあたって、それが不憫で国彦は一度抱き寄せてその背中を強くさすってやった。
それから上半身の傷を全部確認するとスラックスも下着も脱がせた。
「後ろむいて、壁に手えついて」
国彦が言う通り
全裸のまま礼は国彦に背をむけ壁に手をついた。
そのあまりに従順な礼の姿に国彦の背がゾクリとした。
礼の弱さと強さと
今回負った傷
背徳感
国彦自身の後悔と
怒り
思い切り甘やかしたい反面
罰を与えて縛り付けたい
嗜虐心
征服欲
混ざり合って生まれた狂気じみた劣情にすら、礼がもう身を委ねてしまっているのが
国彦には手にとるようにわかったからだった。
篠原が犯した礼の身体の中を指でなぞる。
乱暴にされて腫れた内部を優しくとはいえ確かめられて、恥ずかしそうに俯いていた礼はそれでもしだいに国彦が確認しやすように身体を傾げた。
「腹、痛くねえ?…熱は?」
「…な…い……」
「…全部、出してやる」
耳元で強く響いたその声に礼は身を震わせた。
その痙攣に似た震えが収まってから、また力の抜け切ってしまった礼の耳元で国彦が尋ねた。
「…、イったの、れえ」
「うん、…ごめん。ごめん俺…」
全てがシャワーの水圧で押し流されてから、バスタオルで礼の身体を拭いてやっていると、そのタオルの中でぐったり脱力したままの礼はぼんやりと国彦を見つめた。
国彦はその頬を優しく撫でて言った。
「がんばったなれえ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます