26. ーside 礼ー カタロス
「れえ」
現実的に響くシャワーの水音の合間に、
くにの声が俺を呼んだ
曇りガラスで表情は見えないけど、扉一枚挟んだそこにくにがいる。
とたん思い出したように鼓動が早くなってどうしたらいいかわからなくなった。
すぐに出ないと
だめだ見られたくない
会いたい
会っちゃいけない
混乱してるうちに、国彦が扉を開けようとした。
簡易の鍵がかかっていたから、少し無理に引っ張られた扉は脆弱に引きつるような音をあげた。
くに位の力なら、引っ張ったら壊れてしまいそうだったけど
くには鍵がかかっているのがわかると、もう扉には触れずに
もう一度俺の名前を呼んだ。
「れえだよな…出てこい」
怒ってる
いつもの優しい声じゃない
俺はこの期に及んで怖くなった
国彦は知ってるんだ
俺がしたこと全部
「……、くに」
自分でも、驚くほど弱く響いたその声のあとで、国彦が扉に手をついたのが見えた。少し俯いたのか、くにの髪の毛が扉に触れてるのがわかった。
おもわず
扉越しにそれに触れて俺は
感じるはずないくにの体温を想った。
ぼろぼろ熱い涙が頬をつたって、ただ、単純な言葉しかもうでてこなかった。
「ごめん」
「…ん」
「おれ、せんぱい…と」
「ああ、聞いた」
くにの声はつめたくて
まるで 突き放されるように響いた。
覚悟してたはずなのに声がのどでつまって
それでも必死に絞り出すように言った。
「自、分からあいつの部屋いって…」
ガラス越しの国彦の感情がわからなくて、必死に言葉を続けようとした。
沈黙したら、もう、
国彦から『終わり』を告げられる。そんな恐れで無理やり声を振り絞った。
「でも」
"信じて おれ おまえのこと すきすぎて"
のどまででかかった言葉を止めた。
言いわけじみた事を国彦に言ってはいけないんだと思った。
扉の向こうの国彦からは反応や、言葉が聞こえてこなくて
もうきらいになったんだ
軽蔑された
そう思った。
だけど国彦は、俺が想像していた表情とまったく違う声色で、いままで聞いたことないくらい優しく俺の名を呼んだ
それから
「…もうわかったから…ここ開けて」
どこか力が抜けきって疲労したような声でそう言った。
扉をあけたい
ちゃんとあやまって
抱きつきたい いますぐ
扉に手をかけようとしてハッとした
手首のアザがひどい色で
伸ばした腕の切り傷がジリジリ傷んだ
そしたら身体中の傷が一斉に痛みだして
身体の奥の居心地悪い感覚で吐き気がした
「まだ…汚いから」
「……れえ」
ガチャン
鍵が鳴って、くにの吐息が聞こえた
今度は本当に壊れそうなくらい扉が揺れた
「なあ…気が狂いそうだ」
「礼、開けろ」
ビリって背中に電流走ったみたいになって
くにのその強い口調と声に、俺は腰から力が抜けてしまった
その場に膝をついて扉にもたれた
扉越しに、くにの身体も扉にもたれて膝をついた
「愛してるよ」
懇願するみたいに くにが言った
言葉の意味をさぐった
聞き間違い ?
なんで
おれ
こんな
「なあれえ、…愛してる」
「…れも、……愛してるよ…くにひこ」
そっか
俺達もう、ずっと
好きじゃ収まらなくなってたんだ
息がつまりそうな、どっか痛みもいっしょくたになった多幸感の中で
その熱を扉越しに感じながら、
涙でぼやけた視界に真っ赤な血液がはいりこんできた。
曇りガラスに流れるように移った血液は、国彦の黒髪からぽたりと筋を作ってこぼれてくる。
俺は慌てて扉を開けた。
「国彦!!」
はっと国彦と目が合った。
額から、襟元赤く染まるくらい出血してんのに、くには痛そうな顔するどころか座り込んでいた身体をぐっと勢いよく起こして俺を見た。
「血…なんで…」
くにの目線が、俺の身体中を走った。
隠せるわけなくて
でももう今は、国彦の傷からまだ血が流れてる方がつらい
とっさに、濡れたままの自分のシャツの袖をくにの額に押し当てた。
みるみるうちに袖先が血で染まる。
くにが俯いた
瞬間、ぽたぽた血じゃない水滴がほんの二、三だけこぼれた
それでも顔を上げた時はもう悲しそうな表情はなくて
その瞳は俺の傷のひとつひとつを確かめるみたいに動いた
「れえ…身体大丈夫か?」
「お前のほ…が…」
言ってる間に、ぎゅっと
座ったまま国彦に抱き込まれて
完全に俺は身体から力が抜けてしまった。
痛いくらいぎゅっとするから
それだけでもういろんなこと消えてなくなるくらい
そんなことないってわかってるけど
しあわせで
俺も強く国彦に抱きついた
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