23. 揺さぶる刃・後篇



恐らく、昨年のあの火事以前のものだろう。それでも、

明らかに盗撮じみたその写真に礼の心に小さく波が立った。

篠原が指先で画面をスクロールする度、

隠し撮りのようなアングルで私服の川瀬が公道を歩いている姿や、親しい間柄の人物が撮ったであろう川瀬の卑猥な画像が次々と礼の目に飛び込んだ。

あまりの急な衝撃に、礼は思考が停止してしまい、ただただその画像を見るでもなく目に写して呆然となった。


「知ってるだろ一年の川瀬柚稀。こいつね、校内で売りしてたんだよ。ウリってわかる?売春。セックスしてお金貰ってたの。お前の彼氏も客のひとり」

「……」

「しらばっくれても無駄だぜ。俺出所した木下とつながってるからね。お前も殺されかけたから覚えてるだろ。あいつまだ五嶋に恨み持ってるぞ。いつでも隙あらば殺してやるってさ。そりゃそうか、大事な男妾寝とられりゃ逆上もするよな。」

「……それが…何だよ」


混乱する頭で、ただそう言って離れようとする礼を強い力で抱き寄せると、篠原はまた囁いた。


「どんな人間だってたたけばボロがでる。違うのは外見だけで中身はみんな同じサビついたクズ鉄だ。ちょっとの刺激でぼろぼろはがれて簡単に壊れる。五嶋も同じだ」

「そうやって言葉で人おとしめて楽しいかよ」

「真理を説いてやってるだけだ」


篠原は自分の携帯をまた操作して、礼の目前にかざした。


それは、動画の店の写真だった。

正面に湯河原と少年その奥に数組の客とボーイが絡みあっている様子が写っている。

湯河原が学校を退学になったあの動画と同じ時に撮られたものだろう。


その部屋の一角に、さっき盗撮されていた川瀬と国彦の姿がコラージュされていた。


「どうしよっか。遊びで作ったんだけど光の加減とかうまくいきすぎだよね。コレ、警察で問題になるな。あーやべぇ。お前が助けてくれたおかげでさ、いきさつ全部話さなきゃいけなくなったわけ。ねえほんとになんで俺なんか助けたのお前。話してるうちに警察に全部ばれたんだよね。俺とヤバい奴らとのつきあいも、そいつらからくすねた薬使って湯河原ハメたのも全部。携帯のデータもパソコンも没収されたし」

「…誰が信じるんだよ…こんなつくりもの」

「…あーあ……お前のダンナ出世どころじゃないね。木下も調子のって口うら合わせてくるだろうから薬も全部五嶋になすりつけるつもりだよ。犯罪組織だけじゃなくてテロ組織との繋がりなんてマジで一生会えなくなっても不思議じゃない」


嗤いながら篠原は礼の顎をなぞった。


「どうする?お前が一回でも俺の言う事聞くつうんなら、今すぐこの画像、元のデータから全部消去して嘘でしたって言ってやってもいいんだよ?なあ、たった一回だ。よく考えろ楽なもんだろ」


礼は、もう意識しないと膝から崩れそうになりながらも、必死で耐えていた。

身体に力が入らない。

それでもただ、篠原から逃れようと必死に腕に力を込めた。それを容易く引き寄せられて、無理やり篠原と目を合わせるような姿勢になると、身体全体が脆弱に震え始めているのが自覚できた。

そんな礼の様子に篠原はまた軽く笑みながら、弱った礼の心に畳みかけるように囁いた。


「俺みたいなクズに仏心なんかかけてバカだよなお前。でもなんの関係も無いかわいそうなカレシはお前しか助けらんないんだよ?あーあカレシ大事な時なのにどうすんの。簡単だろ大事な五嶋助けるために、俺に体開くくらい。」



篠原の右手が、礼の脇腹から身体の稜線を沿って制服を割って入りこんでくる。

その嫌な感覚に背を泡立てた礼は、思い切り篠原の胸元を両手で跳ねのけると、力なくふらふらとなりながらも、全速力で駆けだした。




その礼の必死の背中をあざ笑うように、篠原が言った。


「お前が言うこと聞かないと、一緒に五嶋も引きずり下ろすからな」





走って、走って、それでもどこに逃げたら良いかわからない。

学校で篠原の気配が微塵も感じられなくなる場所など今の礼にはなかった。

学校を飛び出し走った。そうしていなければいずれ捕えられてしまう。

寮まで戻り、自室に入り鍵をしめてすぐに、握りしめていた自分の携帯で国彦の携帯番号を履歴からさがした。

それだけの動作をするだけなのに手指が自分の物じゃないように強く震えた。

礼は小さく何度も国彦の名を呼びながら、扉に背を預け蹲ってその携帯から国彦の声が聴こえるのを待った。





発信音が途切れた。

「国彦、俺」




『もしもし』




聞き慣れぬ声が、礼の耳を貫いた。

明らかに国彦の声では無い。

聞いた事の無い変声期前のその声は礼の返事が返ってこないのも、気にしないようなただ冷静な声で伝えた。


『先輩、疲れて今眠っているんです。ご用件、僕がお伝えしましょうか』



礼はその声に微かな優越感を感じて呆然とした。

もちろんそんなものは思い違いで、心が弱っていたからそう聴こえただけかもしれない。



「………いい、…いら…ない」

『…そうですか。それでは』


無遠慮に電話は切れた。

礼はもう、通話の終わった電話を耳に翳したまま、しばらく呆然とただその無機質な機械音を聞いていた。





その頃、国彦は合宿所で部隊長である椎野と面会をしていた。

立派な応接机に無作法にも靴のまま足を置き、ソファーにのけぞりながら煙草をふかしている椎野は、目前に対座している国彦に尋ねた。


「明日のオフ寮まで帰りたいんだって?」

「フリーなんですよね?」

「何でまた。めんどいだろいちいち片道一時間」

「許可お願いします」

「何すんの寮帰って」

「いや、急にこっち来たんで。やり残してきたこともあるし」

「しゃらくせえなー会いたい子がいるって素直に言えよ」


豪勢に煙を吐き出しながら、椎野はさらにその場にのけぞった。


「会いたい子がいます」

「かーっ!!また棒読みで…若いっていいなぁオイ。素直で大変よろしい一発ヤってきな。ただ遠慮なく呼び出しするから気い抜くなよ。あと愛欲に溺れて怠惰に逃げんな」

「逃げないですよ」

「うん。まあお前逃げないだろうけどね。言っときたかったの!上司として!!」


そう言って笑う椎野に国彦も笑って応えた。

訓練合宿が始まって2週間。ずいぶん椎野という人間がわかってきたし、

その性質がわかればわかるほどに、愛着のようなものすら感じた。

ロミオと似た性質を持ち合わせながら、チャラチャラと軽い様相とは裏腹に根は熱血漢で、それでいてロミオよりも表面上の上下関係には厳しくない。

そんな椎野と行動を共にすることは国彦にとってもちろん苦痛ではなかったし、仕事の面では特に何より尊敬できる上司に違いなかった。


部屋を出る間際、椎野が思い出したように「あー、トラぁ連絡先きいてなかったわ。俺の方にもおしえといて♡」と言った。

自分の携帯番号すら覚えていない国彦は隊服のありとあらゆるポケットをまさぐったが、それらしいものは手指にひっかからなかった。


「病室に忘れてきました」

「もお、バカかよ。早く取ってこい」



本来なら国彦含め今回の特別訓練生はこの一か月、5人一部屋をあてがわれて共同生活をしているのだが、国彦は体は全快したようでいまだ咬傷の後遺症の治療が続いているため、特別に病室のベッドに居を構えていた。


その国彦が使うベッド近くの小机に置き去りにされていたその携帯をじっと眺めながら、

結城は先ほど衝動的に自分がとった電話の相手の名前が残った着信履歴を見つめ、その名前を小さく何度もぽつりぽつりと反駁していた。


「かしわ…ばら……れ…い……れい…」



あの時、国彦に抱きしめられながら聞いたあの名前だろうか…

その声、言葉ひとつひとつを思い出し、そして

不思議なほどに迷いもなく結城はその着信履歴を消去した。






「ごめんなさい。…だけどお願い、今だけは…ぼくの邪魔をしないで…」









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