21. 悋気の種・後篇


「あーあ、コネがある奴はいいよなぁ、畜生」


木陰に腰掛けて昼食を取っていた訓練生の一人が水辺の国彦達を眺めながら、ぽつりとつぶやいた。

周りの隊員がそれに同調するのを察した今野が低く辺りを牽制する。

「おい、やめとけ」

その声色に不満げに口をつぐんだ男の隣の隊員が、まるで代弁するように今野に顔を寄せた。

「だってよ」

「僻んで腐ってもしょうがないだろ、俺たちは俺たちの仕事をしよう」


そう冷静に今野が言うので、もう周りの隊員達もそれに従うように静かになった。

ただ、看護要員である鹿ノ倉という隊員だけは、まだ納得できず、うつむいたまま強く拳を握っていた。

上からのお達しに文句を言うつもりも、意見をぶつけるつもりもないが、

ただただ、目標に向かい苦楽を共にしてきた同期たちを、どこの誰かもわからない学生が楽々と飛び越えていくのが純粋に悔しかったのだ。



休憩も早々と終わり、一行は目標地点である汚染区域に入っていた。

任務としては、大量繁殖しやすく毒気の強い害獣、ピールグレゴリーが汚染している区域の正常化。駆除さらに毒汚染の除去作業だった。

リスの変異型で害獣としては比較的簡単な駆除対象だが、大きな猫程の体長に鋭い毒の牙と予測不可能な柔軟で素早い行動、そしてなにより爆発的な繁殖力が特徴の小型害獣だ。

目的地にたどり着いた一行は大量に群生しているピールグレゴリーを専用の銃で一体一体淡々と駆除していく。


作業も問題なく終盤に差し掛かっていた頃、一人の訓練隊員が国彦に言った。

「なぁ五嶋くんあっち、頼んでいい?」

指差した先の木のうろには、大量のピールグレゴリーがたまってうごめいているのがみえた。


「わかりました」

そう返事して向かうと、群れたピールグレゴリーの中に何匹か、他のものとは違う毒々しい紫色の毛色をもつ個体が目に入った。

一瞬それに気をとられているうちに、その中の一匹が国彦めがけて毒の霧を口から吐き出して威嚇してきた。

避けきれず目を閉じた国彦の右腕上腕に嫌な痛みが走った。

目をあけると、紫色の気味の悪い六目のリスの害獣がその鋭い歯で自らの腕にかぶりついていた。

「ッツ!!」



国彦から少し離れたところで駆除作業を監督していた椎野も、騒ぎだした隊員たちの声に耳を傾けていたが、間もなく隊員が走り込み、敬礼したあと軽く焦ったように息をきらせて報告した。

「トラ上腕負傷。影響で2班囲まれてます」

「うっそ。まじか。今野ちょい、ついてこい」

「はい!」

ごつごつした岩と盛り上がった木の根を難なく乗り越えながら、椎野は国彦の元に走り、躊躇なくその上腕にかじりついてる害獣目掛けて一発ドンと銃を放った。

ピールグレゴリーは首もとに大きく風穴をあけられ、ぶらりとそのまま国彦の腕にぶら下がった。

「…わはは、トラだっせェ…」

椎野はそう余裕で笑いながら、後ろに控えていた今野に合図して、残ったピールグレゴリーの大群の駆除にまわらせると、国彦の噛みつかれた腕を無遠慮に持ち上げた。

まだ噛みついているピールグレゴリーをこれもまたなんの遠慮もなくむしりとる。

「ッ!!いギッ」

「はい。うるさい」

腕から獣の牙が抜けた瞬間、出血もあったがそれも見慣れた…というよりもはや見飽きている椎野の声色は変わらない。

「特異種だな、これ毒効くから覚悟しとけ」

というと、嬉しげにニヤリと笑み「らっきーらっきー抗体げっとー♪」と上機嫌になり小躍りすらし始めた。


(このひとマジで、、ロミオさんよりヒドイ)


国彦がうんざりしながらそう思っていると、椎野は近くにいた隊員を手招きして呼びつけた。

駆け寄ってきたのは、看護要員の鹿ノ倉だった。

「鹿ノ倉、わりぃけど、トラについて下山」

「俺、ですか」

「毒きついから、先に処置頼むな」

「…わかりました」



鹿ノ倉は、あからさまに嫌そうな顔で国彦を見ると、それでも椎野が別の所にいってしまってから、おざなりに治療道具を取り出し始めた。

その鹿ノ倉の様子に声をかけるのもためらわれたが、申し訳なくて国彦は口を開いた。

「すみません鹿ノ倉さん」

それを聞き、キッと睨むと鹿ノ倉はごく低く答えた。

「仕事でやってるだけだ。隊長に気に入られてるからってみんなが認めると思うなよ。個人の能力がどうとかじゃない、パーティーのバランスが第一なんだ。調子にのって和を乱して、迷惑をかけるなんて最低だ」

突然のその剣幕に圧倒されながらも、国彦がなんの毒気もない表情ではいと答えると、鹿ノ倉は少しバツが悪そうに国彦に背を向けた。

それから下山する間中一言も言葉を交わすことなく二人は本部宿泊施設へとたどり着いた。


宿泊施設に入ると、連絡を受け数人の救急隊員が待機していた。

国彦と鹿ノ倉の周りに集まり、多くは鹿ノ倉に状況を聞いたり国彦の様子を手早くメモしている。

駆け寄ってきた中の一人に国彦は見覚えがあった。隊員達の中でも頭ひとつほど小さいまだ学生らしい見た目の少年が、国彦の正面に心配げな表情で飛び込んできた。

「大丈夫ですか!?先輩」

「……あれ、確か……」

「あの、研究発表でご一緒させていただいた結城です」

「おー…」

国彦はかすかに朦朧とし始めた頭で記憶を辿った。

春先に会ったころはまだ中学生風情の残ったあどけない少年だったが、この数ヶ月で少し背は伸び、表情を隠すほど長かった前髪も短く切りそろえられていて、きれいな瞳が印象的に並んでいた。

風貌こそ以前よりすこし大人びてはいたが、そのおどおどとしながらも懸命な姿は確かに春の研究発表で一緒になった一年の結城奏だった。


「結城知り合いか?」

隣にいた看護隊員が結城に尋ねた。結城はびくりと体をゆらしてその隊員の方を見るとか細く「はい。学校の行事でご一緒させていただきました」と言った。

「五嶋くん五嶋くん、結城すんごーく優秀だから。治療任せていいよね。これもこいつの経験んなるからさ。じゃ結城、血液とってあと咬傷の対応全部チェックいれといて」

「わかりました」


そう任された結城は、国彦の腕の傷口近くに簡易的に張られたトリアージタッグを確認しながら心配げに眉をひそめた。

「ピールグレゴリー…しかも変異種…この毒はやっかいだ…」

そして傷口に目を向けた結城は、言葉をなくした。

噛みつかれわずかなりとも肉を持っていかれた傷口の保護にしてはあまりにも心もとない処置だった。ただ薄く張られたガーゼから血が滴っている。

素人でさえわかる程のずさんな処置だ。

「…これ、本当に訓練隊員の方が?」

「?…ああ…あれ」

国彦が鹿ノ倉のいた方を振り向くとそこに鹿ノ倉の姿はなかった。

鹿ノ倉から話を聞いていた数人もただ遠巻きに国彦たちの様子を眺めているだけのようだ。



「・・・ひどい。この処置じゃダメだ。先輩こっちへ、僕すぐに処置をし直します」

そう手を引かれるままに玄関すぐ横の処置室に通され、椅子に腰かけると、まもなく結城がいくつかの治療用品を抱えて国彦の目前に戻った。

てきぱきと無駄の無い結城のその動きに、驚きながら国彦はつぶやいた。


「・・・すごいな」


普段の気弱な印象からは考えられないほど真剣な表情で国彦の腕の傷と向き合っていた結城は不意に誉められて驚いたのか、いつものオドオドとした雰囲気にもどり首を懸命に横にふって答えた。

「いえ、こんなの」

あまりに懸命に否定するので、思わず笑いそうになった国彦は、笑う間もなく視界が一瞬グラリと揺れて軽く上体を傾げた。

「…あれ、…やべ」

そして突然のめまいに頭を横にふり、霞みかけた目頭をおさえた。

すぐに結城が傾げた国彦の肩を抱えて言う。

「ウイルスが体内に入り込んでしまったので副反応…、重い風邪のような症状が出てしまうんです。でも安心してください。すぐによくなります。」

そう言い傷口の処置をし終えた結城は、国彦をベッドに横になるよう促した。


血液検査の為の注射も丁寧で無駄がない。処置だけ見れば、まだ学生だと言うことを忘れそうになるほど迷いがなかった。

化膿止めと痛み止めを注射して、手早くすべての処置を完了させた。


「すこしの間辛いかと思いますが、これを越えて熱が引けばすぐに楽になりますし、ピールグレゴリーの毒の免疫はかなりの汎用性があるので、これからの実戦でもし他の害獣から攻撃を受けたとしてもずいぶんと回復が早くなるかと思います。」

「研究発表ん時も思ったけど、害獣の生態に詳しいんだな」

「いえ、すみません。まだ勉強中の身で偉そうな事を…」

「なんで。ほんとに偉いんだからもっと偉ぶっていいだろ」


そう笑いながら国彦に言われて、ようやく安堵したように結城の肩から力が抜けた。

ベッド横の椅子にストンと腰かけて、そうして結城自身、自分でも珍しいなと思いながら、自分の事をぽつりぽつりと話し始めた。


「父の、影響だと思います。父は、KBPで捕獲された害獣の研究や調査に携わっています。子供の頃からその資料や検体を見る機会があって自然と興味が沸いて」

「へえ」

「今回研究生も特例で、無理に入れていただいたんです。父にどうしてもと口をきいてもらって・・・だから本当なら僕なんかが参加できる身分じゃなくて、お恥ずかしいです」


そこまで言葉にしてから結城は思い出したように、うつむいて微かに落ち込んだように沈んだ声で言った。


「そんな僕なんかの処置ですみません。他の看護兵さんの方がきっと…だけど、僕はどうしても…その……」


下を向き、暗く狭くなった視野の中に不意に国彦の手指が差し出されて、結城はびくりと体を震わせた。


「くせか?」

「え」

「そうやってうつむくの」


はっとして目線をあげた結城と、横になったまま結城の様子をうかがっていた国彦の目があった。

狼狽えていくらか頬を赤くしている結城だったが、今度はもう目をそらそうとはしなかった。


「よくわかんねーけど、助かった。ありがとう」

「そんな…」

「恥ずかしいことなんかないだろ。別に父親の力だって誰の力だって、今ここにいるのはお前自身なんだし」

「・・・・・」

「俺も俺の力だけでここにいるわけじゃない」



国彦はそう言いながら、礼の別れ際の表情や、その声を思い出していた。


『くに、けがとか気をつけて』


どれ程大変な訓練も

それに伴う痛みや苦しみも

その光の残像みたいな愛おしさで乗り越えられる気がした。




「先輩・・・」

「十分すごいじゃんお前。自分の事…もっと認めてやればいいの……に」


言いながら、途中で落ちるように国彦は眠ってしまった。

結城は、今かけられた国彦の言葉を何度も何度も頭の中で大事に反駁して暫く動きだす事ができなかった。




眠っている間、国彦は夢をみていた。

暑くて暑くて

息苦しい

逃れようとしてもその熱から抜け出せない


額にとても冷たい温度が触れたと思うと、耳元で礼の声が聞こえた

『くに』


礼は二度、国彦の額を撫でた

それがあまりの心地よさで、微かに熱が逃れる気がした。

見上げると、逆光でよくは見えないが心配そうな礼の表情が目に飛び込んだ


(ああ、れえ

なんて顔してんの

大丈夫だって)



(弱ってたのか俺

まだたった数日間離れただけなのに)


(会いたかった

すげえ好きだ

なんでここにいんの?)


(もっと傍に引き寄せたい

もっと・・・)



国彦はぼんやりと目を覚ました。

夢の中ほど体は軽くないが、額は冷たく心地よかった。

それから髪の毛に触れるやわらかな手つきに

夢と現実の間で混濁したまま

優しく撫でているその手を国彦は片腕でぐっと力任せに引き寄せた。



「!!」

「・・・・・・れぇ…」


強く引き寄せて、少し抵抗されてもいつものように抱き締めながら、もう少しで首筋に口をつけるところで


国彦はやっと違和感に気付いた。

鈍麿した未だぼんやりした視界には礼ではなく、頬を赤く染めた結城がいた。


「・・・ッ・・・、せんぱ・・・」

「……?…ぁれ……、」

「ご、ごめんなさい、ぼく。汗を、拭こうと……」

「悪い…ゆ・・・きくん」


「い、いえ、…あの」



結城の言葉を聞くか聞かないかのうちに

国彦はまた眠りに落ちていった。


ただ結城だけが、感じたことのない程の鼓動の高まりと、

胸の奥から消しても消しても沸き上がる、味わったことのない甘味のような底知れぬ感情に、一人で小さくうち震えていた。



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