20. 悋気の種・前篇


泊まり込みの訓練が始まり2日が経った。

国彦はKBP本部施設から程近い山の中腹にいた。訓練生だけを集めた20人程のパーティで、その指揮を椎野が執りその先陣に付き歩いていた。

標高はそこまで高くない山だが、当然舗装などされていない山道はごつごつと急な傾斜で、入山してたったの数十分進むだけで体力をそがれた隊員たちの大半はぐったりとした顔つきになっていた。

その中でも、どうやら問題なく自分の後を数歩離れずについてきている国彦に、椎野はそのまま歩を進めながら言った。


、ボーッとしてんな。今野の荷物持ってやれ」


トラ。

正式には、トランジェント 

そう国彦は昨夜の内に本部からコードネームを与えられていた。

まだ耳慣れぬ部隊でのコードネームに、そう呼ばれた当人である国彦は目線をすばやく椎野に向けると、その視線に答えるように椎野が国彦のすぐ後ろを歩いている今野に目をやり首を動かした。

今野は訓練生の中では一番の古株で、来年の春にはすでに正規隊員に上がる内定も下っている、言うなれば優良訓練生だ。

パーティの前方で一番負担のかかる重機関銃を背負っていた今野は、大きな子供か、細身の女性一人分ほどの重量がある兵器をかかえながらもこれまでの訓練の成果かまったく顔色を変える事無く椎野と国彦の後をついてきていた。

そう椎野に言われ国彦はすぐに今野の方を振り向くと、その今野の肩に背負われている武具に手をかけ声をかけた。


「今野さん、持ちます」

「いいよ五嶋君、すごく重いから」


まさか、自分にとっていっそ名誉とすら言える負担をまだ訓練生にも満たない学生に担げるわけもないとおもっている今野は目を丸くして首を横に振った。

それでも椎野はいつもの飄々とした軽い口調で今野を諭した。


「いい今野、トラに持たせろ。負荷かけて歩かせたいから。変わりに悪いけど、お前ケツついて平井の武器だけもってやってくんね?」


‘平井’とは今野の同期で、特に山岳探索の苦手な同期一の落ちこぼれだった。今回も例に漏れず、パーティー後方について行くのがやっとだったのだが、その名前を聞いたとたんに、今野もそれを承知して「わかりました」と端的に答えると、その肩に担いでいた重機関銃を国彦に託した。


そんな特別待遇に、後ろに続く訓練生達はそっと目をあわせ、そして声を潜めて言葉を交わした。もちろん椎野や国彦に届かぬようにだが、波打つように不穏が波紋を広げていった。


「え、もうコードネーム貰ってんのかあの訓練生」

「うっわ、あれきついぞ。つうか、もはやいじめ?かーわいそー」

「ほっとけ、隊長のお気に入りだ。」

「つってもまだガキだ。体力だけでたいしたことねーじゃん」

「ただの話題づくりだよ。学校も金いるんだろ」




そうして歩き続けて二時間ほど経つと昼飯時になった。目的地に向かう丁度中間地点、二つ目の峠にたどり着いた頃合だった。

必死についていってはいるが、国彦も慣れぬ山岳訓練に流石に体が悲鳴を上げ始めていた。


(害獣駆除する前に俺が死ぬぞ…うえ…はきそ)


連隊は皆、木陰で並んで腰掛け、朝配られて携帯していた握り飯をむしゃむしゃと頬張っている。そこから少し離れた川岸で国彦は川の冷水に向かって頭を垂れていた。

運動量からして、腹はもちろん減っているのだが、とても食料など入れる気持ちにはなれない。

一人その冷たい川の水に手をつけ、たまに顔を拭ったりして体を癒していると、そこに近づいてくる足音があった。


「大丈夫か」

冷えたスポーツドリンクを首元に当てられ、はっとしてその方を向くと、

強い陽光でいくらか目がくらんだが、それでもわかるほどやさしく微笑んだ男の顔が国彦の目にうつった。

どうやら訓練生ではない。落ち着いた口調と物腰、そして隊服は着ているがどう見ても戦闘訓練を受けた人間の体躯ではない。ひょろりと細長い男だった。

長く白色に近い銀色の髪を後ろでひとつに束ねている。

背が高く、成長期真っ只中である国彦よりやや大きいだろうか。


「……?…あ、すみません」


身を正そうとする国彦に、その男はにこにこしたままそれを手で制した。


「いいいい、そのままで。機械整備要員の木場だ。しんどいだろ。正規隊員も嫌がるよ山岳探索は。初めてにしちゃよくついてきてるし上出来だ」

そう言うと、国彦の目前にさっと手をさし出してきた。その手をとり握手をして国彦も名乗った。

「養成高等学校の五嶋です」


ふと、国彦の横に置かれた重機関銃を目にして、木場の目の色が一瞬で変わった。驚いたように声を上げた。


「…ん?ちょっと待てもしかしてあれ全部持ってたの君か!」

「?…です」

「じゃ、最後尾で自分の武器担いでもらってたのって君じゃなくて平井?…うわあ、あいつしょうがねえなあ。まったく」


木場はそう独り言のように言った。

呆気にとられたような国彦の視界に、椎野が揚々と現れた。

木場の背後までくると、椎野はいかにも親しげに木場の肩に手をやった。


「けーいちろー♪火頂戴」


背後からの突然の声に驚きもせず、いつもの事なのか少しうんざりした顔で木場は小さくため息をついて答える。


「おい学生に無理させんな。マジで怒られるぞこれ」

「あ?トラ?いいのいいの。無茶させるって言ってあるから。こいつ学校でたら俺付きにさせるし、少々俺が太っても俺様を担いでこんぐらいの山登ってもらわんと困るしね」


椎野隊長付きうんぬんは、まったく聞いてなかったが身体の疲労が強すぎて、国彦はもうあきらめたように、おざなりに付け足した。


「…だそうです」

「あ、納得ずみなのね」

「納得するしかねえよなあ。おい知ってる?啓一郎。こいつね、ロミオの弟のこれなの」


そう言うと椎野はふざけたように親指を立てた。

国彦は木場にすすめられて口に含んだスポーツドリンクを微かに吹き出しそうになりながらも、

相変わらずどこまでが冗談でどこまでが本当の事なのかわからない椎野のいいかげんさに関しては全く不穏を感じないのが不思議だ。


「は?」


対して椎野より良識があるであろう木場は、単純に意味がわからなかったか、ほんの少し不思議そうな顔をした。


「礼て、ほらいたじゃん中西家の末子の。めちゃくちゃ可愛いの。あれがさ今こいつと同じ養成学校の二年なんだわ。俺らが年取るわけだよねー」

「あー、陽がめちゃくちゃ可愛がってた子か。よく許したな陽。あんだけ猫かわいがりしてたのに」


そう驚いて答えながら、木場は胸元からライターを取り出し椎野に手渡した。

受け取りながら椎野も答える。


「戦闘科じゃねえし、いいんじゃね?まだ細っこいチビだったけどな。こいつに辞令渡しに行ったら部屋から出てきてさ。こいつよりすげー喜んでて、まーかーわいかったわ。コロコロの子犬みたいで。なー、トラ」

「トラって、もうコードネームやったのか。他の奴ら拗れるぞ。ただでさえ進級遅れてる奴らばっか連れてきてんのに」


言ってる木場に背を向けるようにして、椎野は国彦の肩をがっと掴むと、咥えたタバコの先を国彦の目前にちらつかせて、有無を言わさずライターを握らせた。


「おいトラ火ぃつけて♡」

「いや、自分でつけられんでしょ。店じゃねんだから」


そう答えながらも、こうゆう面倒な先輩の扱いをロミオですっかりなれてしまっている国彦は、それでも丁寧にタバコの先に火をつけた。

椎野はそれを一吸いすると、慣れたように人をよけて煙を吐き出しながら木場の方に振り向き笑った。


「俺、マジでこいつのこうゆうクソ度胸あるとこ好きだわー」

「あのなあ…まぁわからんでもないけど、五嶋・・・いや、トラ。面倒な奴に好かれて悲運だったな心底同情するよ」

「やーだやだ。真面目ぶってる奴が大抵一番変態だよ」

「今変態関係ないでしょうが」


そう言ってまるで学生のように無邪気に笑いあう二人に

国彦はロミオといる時と同じような空気感を感じた。

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