17. 秋晴れの雲・後篇
その日の帰り途、
寮への道のりをひとり歩きながら、礼はこの一カ月の事を思っていた。
国彦は、礼との約束を守ってあの日以降深い接触は
それでも礼が触れたいと思うその瞬間に国彦は傍にいて、ただぎゅっと抱きあっては、その体温のぬくもりでお互いの心を探った。
自分からキス以上の行為をしないと言った礼も、もうその約束自体はどうでもよくなり
ただ、確かめるみたいに鼓動を受け止めて
それをまた返す
国彦の鼓動と自分の鼓動の振動だけで繰り返した。
そうしていると
何度も快楽の中で感じていた、危うさと恐怖にも似た不安な気持ちはいくらか薄れ、ただ国彦の合わさる鼓動を感じるだけで、礼は自分が何の穢れも邪心もない少年だったあの夜に立ち戻れる気がした。
礼が寮部屋に入ると、ちょうど、訓練終わりに寮に直帰した国彦がシャワーから出てきたところだった。
「おかえり」
国彦は礼に目線をやってやわらかく笑んでから、自分のベッドに腰掛けてさらにゴシゴシと髪の毛を乱暴にタオルで擦った。
『心はずっとれーちゃんに』
ふと川瀬の言葉が蘇り、礼は胸が苦しくなった。
そうして扉の前でじっとしてうつむき動かなくなった礼に気づくと、国彦は髪を拭く手を止め視線を戻して言った。
「れえ?」
そう呼ばれて、もう
礼は俯いたそのまままっすぐ国彦に向かった。
そしてベッドに腰掛けた国彦の正面にひざをつき、ぎゅっとおなかに抱きついた。
ここ数日と様子が違う礼の背を国彦はそっと優しくなでた。
触れる瞬間ピクリと反応しただけでそれから少しの間だけ大人しくなっていた礼は
懸命に目線をあげるそぶりを見せたが、それでも目は合わせる事が出来ないまま言った。
「ごめんな」
ぽつりとこぼれたような礼の声が切なくなるほど落ち込んだ声で、国彦はそのいつもと違う礼の髪の毛を撫でながらできる限りやさしく「なにが」と尋ねた。
しばらく沈黙が続いたが、国彦の腹に顔をうずめていた礼が思い切ったように顔を上げて今度は国彦の目を見て言った。
「ずっと。ごめん」
「…うん?」
見上げた礼の瞳がさらに国彦に近づいた。その吐息が乱れていた。
「どした、れえ」
「くに、…すきだよ」
国彦が、礼はそうしたいんだとわかっていても、
以前なら迷いなくしていたキスをしないでいると、こらえ切れないように礼の方から国彦に唇を合わせた。
久しぶりにあわせた温度に、礼は腰が砕けそうになりながら、それでも自分からさらに深く国彦を欲した。
あまりの焦らされた興奮に、礼をベッドに反転させながら形勢を逆転させた国彦はたまらず荒い息でこぼした。
「なあ、れえ、そんなんされたら俺、止まんね」
そう言っても、礼は嫌なそぶりは見せない。
「禁欲…終わりか?」
「ン、……、」
「ハッキリ言ってれえ、じゃないと……ムリヤリ、襲っちまう」
「い、……」
小さくあやふやにうなずいたような礼にかすかにイラついた国彦は礼の肯定を促すために、強く抱き寄せながら耳元で「何」とわざと怒ったように言い、それから
いつもより強圧的に礼の瞳を覗き見た。
「や……ン、くにひ…」
「どっち、ちゃんと言え」
潤んだ瞳が国彦を捕らえた。
目が離せないほど弱々しく震えてるのに、まるで心臓を強く掴まれているみたいな引力で礼に引き寄せられる。
礼自身が焦れているように、誘うように国彦の名を呼んだ。
それでも国彦がこらえるので
もう我慢できなくて、礼は半分焦ったような呂律の回らぬ甘い声で子供のように言った。
「も、したい、よ。くに…するっ」
欲しがるようにぎゅっと首もとに手を回されて、クラクラするほど急速に身体の熱が沸き上がって国彦はそのまま礼の唇を屠った。
その次の瞬間、部屋のチャイムがなった。
「………」
「……」
興奮が高まったところで水をさすような、その現実的な音に
ふたりははっと数秒見つめあったが
国彦の方が今度はもう冷静になれなかった。
瞳にオロオロとした色がおびはじめた礼をよそに、国彦は礼の首もとに強く口をつける。
「………、ン、くに…だめ、ら、」
また、甘く舌ったらずに感じるのに、それと裏腹に礼は弱々しく国彦の背を叩きながら「誰か…来た、から」と力の抜けた声で必死に言った。その手を強くとって国彦はもう礼がそうできないように自由を奪い
「いい。んなのほっとけ」
そう言ってわざと礼の弱い部分を探って触れた。
「う、…や」
そうしてまた礼の甘い声に溺れるようにその身体に顔を埋めた国彦を、さっきより強い勢いのチャイムが制止した。
まさか部屋の中の状態を知るよしもない扉向こうの人間は、まるで楽しんでいるようにチャイムを連打している。
さすがに国彦もそのまま無視するわけにもいかなくなり、思いきって礼から身体を離した。
(やっと・・・一ヶ月ぶりにれえがヤる気になったつうのに!!!)
苛立ちが扉を開ける勢いを乱暴にした。
クラスメイトや、部屋を訪ねてくる知り合いの顔すべて、どの顔であろうと今の国彦の苛立ちを助長しかしない状況で
国彦は珍しく感情を露にしたままその扉向こうの人物と相対したのだが
扉を開けて威勢よく睨み付けた相手は、国彦の予想を反してまったく見知らぬ男だった。
髪の毛は明るい赤茶で背は国彦より低く、細身だが衣服の上からもそれが鍛え抜かれた、そして現在使われている体躯だとわかる。
乱暴な扉の開き方に最初こそ驚いた表情を見せたその人物は、今はすでに国彦の全身や表情を眺めてはにやにやと笑っていた。
染髪して褪せた髪の毛や、耳元のピアスやネックレス、目鼻立ちから見た目はとにかく幼く見えるが、年齢としては国彦からしたら随分上だろう。そうでないとこの堂々とした出で立ちにはならない。国彦は直感で感じた。
この余裕。この雰囲気。国彦には知人の中でこれと似た感覚を感じる人物がひとりだけあった。
あったが、そんなかすかな(嫌な)予感はうっちゃり、怒りの方が凌駕していた。
余裕尺尺で笑みをたたえる相手を、国彦は黙したまま睨み付けた。
「ごとうくにひこか?」
「ああ?」
にやつきながら聞いてきた相手に、てめえは誰だと聞く前に、後ろについてきていた礼がその状況に思わずと言った様子で声を出した。
「くに、椎野さん。KBPの…」
礼が知ってるということは、国彦の嫌な予感はある意味当たっていた。
礼が椎野と呼んだ目前の人間はどこか礼の実兄であるロミオに空気感が似ているのだ。
当然見た目は似ている点を見つけるのが厄介なほどなのだが、話す速度や表情、まとわった空気がどこか同じものを感じさせる。
微かに動揺したような国彦が礼の方に振り向くと、椎野が激しく噴きだして笑った。
「随分威勢がいいじゃねえか。あーおもしれー。」
ひとしきり笑うと椎野は大きく息を吐き一応といった体でつらつらと業務的に国彦に用件を告げた。
「本部審議により、お前を特攻訓練生に任命する。決定事項につき異論は認められんが、端的にお前自身の心持ちを聞かせろ」
例え上司とは言えど、まだ学生の部屋に突然なんの予告もなくやってきて、
ましてやこんなタイミングでそんな任命をされた国彦は半分混乱しながらも、一度湧き上がった興奮が、まだ冷め切らない中ですぐにはチャンネルが切り替わらなかった。
そんな国彦の腕をぎゅっとひっぱって礼が言った。
「くに!すげーよ」
「なに」
さっきまで、ベッドで随分色っぽい声を上げていた礼が、嘘みたいにキラキラした何の穢れもない瞳で見上げてきて国彦は微かに落ち込んだ。
それでも、別の興奮をたたえた礼がぐいぐい国彦の腕をひっぱるので、国彦も脱力しながらも礼の言葉に耳を傾けた。
「本部のスカウトだよ!!くに」
「肝も座ってる。よし、合格だついてこい。礼、こいつもらってくな」
国彦の意思を確認する間もなく、というよりも
する余地もなく、そう礼に告げたあと椎野は国彦の首にがっと勢いよく腕を回しおよそ動物でも引くようにしてぐいぐいと引っ張って歩いた。
あまりに強く引きずられるので腹立たしくなった国彦は何度かその手を振りほどこうとしたが、
その手はビクともしなかった。
扉に手をかけたまま、礼も呆然と国彦の連れ去られていく姿を見送ったが、
国彦も強い力で引きずられながらも、礼の姿が見えなくなるまで名残惜しくその自室の扉を見つめた。
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