16. 秋晴れの雲・前篇

礼と国彦が身体をあわせるのをやめて一か月が過ぎた。

夏の盛りが過ぎたとは言えど、9月の半ばはまだ蒸し暑い日々が続いている。


国彦は4階にある教室の窓の桟に腕をおき首をもたげ、俯くようにして外を眺めながら、うだうだと吹き込む秋の風を受けていた。

「何見てんの国彦」

クラスメイトの瑞樹がその隣に同じように並んで国彦の目線の先をのぞき見た。

そこにはベンチに座って漫画雑誌を読んでいる見慣れた姿がある。


「れーちゃんじゃん?早く声かけろよ」

身をのりだし声をかけようとする瑞樹の口を、国彦がふさいだ。


「邪魔すんな」

「いやっストーカー?きもちわり」

「うるせ」

「そういえば、れーちゃんとこ試験終わったの」

「終わった」

「そしたら晴れて触り放題じゃんよかったね」

「……んー…」

「いや、元気なさすぎだろ、くにひこ」

「……」

「よしよし。慰めてやるよ」


訳あって、二人の関係を知る事になった瑞樹は、国彦のあまりの無気力な返答と様子が不憫で

国彦の頭を子供にするように大袈裟な動作で二度撫でた。


「…すげえいい…」

「だろ、俺が落ち込むとゆみちゃんがやってくれんの」

「・・・俺"れーちゃん"がいい」

「わがまま言うな」

瑞樹としては当然からかってやった事だったが、存外国彦が気持ち良さそうだったので、今度はやさしく二度その額を撫でた。


「この際お前でいいや・・・」

「ばかか。俺が嫌じゃい」

「俺だってヤだ」


そう2人で笑っていると、教室入り口で日直の号令がかかった。訓練の開始と集合を告げる号令だ。

その大声が窓から漏れて、礼がぱっと教室を見上げたのでやっと国彦と礼は目があった。


教室が一気に騒々しくなる中、国彦はひとりそのまま礼を見た。

礼も、やや呆然と見上げていた。

国彦はそっと左手で手を振り笑むと、礼もそれに応えて振り返した。


すこし名残惜しいように、国彦は窓を離れた。




ベンチに腰掛けて漫画雑誌を眺めていた礼は、漫画を膝に置いたまま、国彦の姿がみえなくなって教室から喧騒が逃れてもしばらくぼんやりその窓を眺めていた。



そうしていると、後ろから急に視界を遮られた。


「だーれだっ」

背後で嬉しそうに響く少年の声に聞き覚えがあり、礼は半分あきれたように答えた。

「かわせ」

「せーかい♡そんなれーちゃんにご褒美」


声の主である川瀬はそう言うと、両手を礼の眼前からとっぱらい困惑する礼のほほに唇を寄せ

…たが、礼に豪快に拒まれた。


「やめろバカか」

「ちえーけちー」


そう言いながら頬を膨らませると、川瀬は当たり前のように礼の隣にとすりと腰掛けて礼の顔をじっと見つめてくる。

「意味わかんねえ。…隣座んな。」

「れーちゃん、ごめんね」

「何が」

「俺いじわるな事言ったから」

「おぼえてない」

「うそだ、俺が女の子みたいって言ったの怒ってるんでしょ」

「…違う」

「俺だって違うよ。きっと、ばーかって笑ってくれると思ったんだ」


しばらく礼は沈黙した。

そんな事わかっているし、そもそもいつもならそうして冗談で流せていたはずだった。

別に川瀬に悪意があっての言葉だなんて思ってもいなかった。

川瀬の冗談を拾って傷ついたのはほかならぬ礼自身だったが、

それでもそんな感情の一切を言葉にすることができない。

その沈黙を、存外、空気をよむ事に長けている川瀬が静かに破った。


「俺こんなだから友達とかいないし、別にいなくていいやって思ってたけど、れーちゃんに嫌われるのはイヤだ。ほんとに反省してる。ヤな事いってごめんなさい。友達になりたかっただけなんだ」

「わかってるし、別に、かわせに怒ってるわけじゃ…ただ」


そうして思案するようにじっとしていた礼の手のひらに、川瀬の手のひらが突然ぎゅっと重なった。

「怒ってないの?」

川瀬があざといくらいしおらしい表情で礼を見上げて言う。

礼は慌ててその手を振り払った。


「お・・・前な、友達つうのはこうゆうのしねんだよ!」

「え?俺わかんない。ともだちってどうゆうことするの?れーちゃん♡おしえて♡♡」

そう言うと川瀬はその華奢な外見からは想像しえない力強さで礼の頬を無理やり引き寄せてくる。

必死に抵抗する礼は、しばらくそうしていて、はっとした。

川瀬が礼を引き寄せながら、いつの間にか見たことないほど真剣な色を瞳に浮かべていたからだった。

それを感じて、礼は抵抗をやめた。


「……かわせ?」

「ね、俺の事気持ち悪いって思う?」


礼は言葉に詰まった。

川瀬が尋ねているような意味で川瀬を気持ち悪いと思ったことは一度もなかった。

それでも嫌悪感があったのは事実で、それ故に表情も複雑な面持ちになった。それを感じ取ったのか川瀬はそっと優しく礼からその手を離した。


「俺みたいになるなんて言ってごめんね。あんなの嘘だよ。当たり前だよね、れーちゃんは俺とは全然違う」

「何で、そんな事言うんだよ…」

川瀬の瞳がどこか悲しくて、礼は心配になってそう尋ねた。

それに応えるようににこりと微笑むと川瀬は礼から視線を離して正面を向き、少しそのまま俯いた。

「まだれーちゃんとくにひこさんがくっつく前さ、俺色々あって、れーちゃんにも迷惑かけちゃったけど。あの時俺本気でくにひこさんが全部で、生まれて初めて恋愛してるんだっておもえてたんだ。自分以外の誰かの為に何かしてあげたいなんてこれまで思った事なかったから」


秋の風が吹き込んだ。もう、礼は読んでいた漫画雑誌を傍らに置いて、じっと川瀬の声に耳を傾けていた。


「でもね、俺に優しくしてくれてる間もくにひこさんはずっとれーちゃんの事本命だったんだよ。あの時の俺はそんなに好きなら、さっさとヤっちゃえばいいのにってやきもきして腹立つくらい。やっとれーちゃんの事諦められたんだって思えた時もあったけどやっぱり心はずっとれーちゃんにあってさ。けど俺はそれでもよかったんだ。抱きしめてくれるなられーちゃんのかわりでもいいって思ってた。」


どくんと礼の身体の中心で、心臓が拍動していた。

どんな感情からかわからないが、何故か無性に涙がこみあげてそれを必死に堪えた。

川瀬が少しの沈黙の後で続けた。


「くにひこさんへの気持ちなんてとっくに手放して納得してたはずなのに、本音はどっかで二人に波風立てたかったんだと思う。でも最近れーちゃんとくにひこさん屋上で見なくなって気付いたんだ。俺くにひこさんもそうだけど、れーちゃんを悲しませたくない。そんな為に言ったわけじゃない。仲直りしてほしいってほんとに心底思ってるんだ」

「別に喧嘩…してるわけじゃ」

「じゃ、なおさら、くにひこさんといちゃいちゃやめたらイヤだよ。俺、屋上で2人見た時は今度こそ絶対邪魔しないからっ」

「……あのな」


言った後でいつもの太陽みたいに明るい笑顔で川瀬が笑った。

それにつられて礼も頬笑みながら、ふと自分の心に残った小さな毒のようなものに触れて小さくつぶやいた。



(俺は…なんて貪欲なんだろう…)


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