11. 遠雷の光・後篇
礼は湯河原の家を後にして、そのまま学校に戻った。
時間は丁度部活が終わる頃だ。
案の定部室に向かう廊下で篠原を見つけ、考える間もなく背後から走り寄って振り向かせたところに、思いきり篠原の左頬に向けて拳を振った。
強く当たった拳のせいで、篠原はそのまま体を斜めに傾げたが痛いという感覚すらないような冷たい瞳をその長い前髪から覗かせると、礼の姿を捉えてにっと笑んだ。
「あれ見た?本当に自分が犯されてるみたいで良かっただろ」
「黙れ」
「かわいいよなあ、お前。…たった一人でこうやって俺ん事殴って、それからどうしようと思ったわけ?動画はもう拡散されてるしさ。俺ですら収拾つかないんだよ。広がるだけ広がって忘れられんの待つしかねえの。」
「湯河原と一緒に償え」
「俺が?何を。ただ後輩の溜まった鬱憤を晴らす方法教えてやっただけで、何の罪になんの。俺は店とは何の関係もないし子供に指ひとつ触れちゃいない」
「湯河原に何飲ませたんだよ」
「…なあ、そのつまんねえ質問する為に俺の目の前に来たの?お前」
呆れたような篠原の言葉に、頭に血が上るような感覚を覚えた礼は拳をまた振り上げるが、興奮して力んだ拳を今度はそれをやすやす見切られて、礼は篠原に右腕を掴まれた。
「あいつ、五嶋クンつうんだっけ?戦闘科の。あの動画見たらどうすんだろうね。意外と、イイじゃんっつって拡散してたりして。笑える」
篠原は礼の腕をつかんだまま笑った。蔑むような笑い声に礼の掴まれた腕が堪えきれずブルブルと震えた。
「それかいわくつきのお前ん事なんか嫌んなってもういらねえってなるんじゃねえ?」
「あいつの事、お前が…わかったように言うな」
睨み付けてくる礼を、篠原もさっきの笑みが嘘みたいに冷たい表情で眺めていた。
部活終わりの廊下は人通りが少なく、今はシンと静まり返っている。
掴まれていた腕を、思い切りの力で振り払うと礼は篠原を突き飛ばした。
「何なんだよ、俺に何の恨みがあって…湯河原あんな目にあわせて」
「何って、思いっきりお前の事傷つけたいからに決まってんじゃん」
おもいきり訝しい顔をした礼に、篠原は吹き出して肩を揺らして笑っている。
まともな話ができる相手ではない。
そう思った礼は、もう一発くらわせてやりたい気持ちをぐっと堪えて篠原に背を向けた。この場を今にも去ろうとしているその礼の背に、抑揚を感じられない、ごく静かな声で篠原が言った。
「五嶋もやるからな」
力のまるで入っていないような声なのに嫌な圧力を感じて、礼は足を止めた。
しかし動揺を感づかれたら負けだ。
暫く背を向けていたが礼は思い切って篠原の方を振り向いた。
「…どういう意味だよ」
「五嶋も湯河原と同じ運命って事だよ」
「そんな事できるわけない」
「いいぜ、俺の言うこと聞けないつうんならそのまま拒否ってろよ。路頭に迷うのはお前じゃない。五嶋だ。湯河原と同じにな」
「あいつに何かしたら…殺してやる」
「へえ、…殺してやるか。お前のそうゆうバカなとこ、めちゃくちゃ興奮するよ。恨みなんかあるわけないだろ。ただ心底まで傷つけて怯えさせてズタズタにして痛くて泣いてる顔が見たいだけ」
「……最低だ、」
「お前はさ、その“サイテー”な俺の事受け入れるよ。絶対」
暗示みたいな言葉が、礼の心に重くのしかかるように響いた。
そんなことあるわけないと思っていても、篠原が握ってくる腕も、寄せてくる身体も何故かさっきよりうまくかわす事が出来ない。
「離せ」
「うん?ぜんっぜん力入れてねーんだけど。口ではそう言って逃げたくないんじゃねえ?もう落ちんのお前。チョロす…ぎ」
ふと、篠原の目線が礼を離れて、礼の背後を見つめた。かと思うと、ふっと吹き出して肩を揺らしくつくつと笑いながら独り言のように呟いた。
「マジかよ。このタイミング……ウケる」
振り向こうとした礼は、その間もなくぐいと力強く背後から引っ張られて、そのまま篠原から身体が離れた。
二の腕を引いたのは国彦だった。
「…さすがに、冗談が過ぎるでしょ…先輩」
普段のふざけた時にごく近い単調なトーンで、決して強い口調ではなかったが、国彦に笑みはない。
「よー、五嶋くん。王子様みたいな登場の仕方だね。カッコ良すぎてマジ震えるわ」
「気い引きたくていじめるとか、小学生じゃねーんだから。勘弁して下さい。」
「何ソレ、嫉妬?牽制されてんの?」
「嫉妬です」
引っ張るようにして、国彦は礼の腕を掴んだまま篠原に背を向けた。
「礼………またな」
遠ざかる礼の背に向け、篠原が静かに言った。
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