12. 雨降る夜

国彦と礼が学校を出ると、すっかり日の落ちた空から雨粒が落ち始めていた。


校門を抜け、篠原と対峙していた時からずっと掴んでいた礼の腕からそっと手を離すと、国彦は礼の方を振り向かず歩き出した。

国彦の沈黙が怖くて、礼も言葉を発することができない。俯いたままただその背を追いかけるだけだ。


国彦は

名前も知らないその男の

礼に触れるその指先が、自分に気付き見定めたその目が、

挑発するような言葉が、笑みが、まとわりつくようなどろどろとした欲望と憎悪にも似た妬みの感情そのもので

それが頭に引っかかり、何度も繰り返しその場面を思い出していた。

礼のおびえて嫌がる背中がこわばり、それを相手が掴み耳元に唇を寄せて、冗談にしては行き過ぎた距離感で…

思い出すだけでも、苛立ちが一瞬じりっと音を立てるぐらいの熱で体を駆け巡るようだ。

何を話していたかわからない。

ただ、触発されて起き上がった怒りがあふれそうで、冷静に礼の表情を見れる自信がなかった。


ポツリと大粒の雨が国彦の頬に落ちた。

はっとするような感覚にいくらか冷静になった国彦は、ようやく礼の方に振り向いた。礼は、少し俯いたまま国彦の後ろをついてきていたが、国彦が振り向いたのを感じてそっと目線を上げた。


「あの先輩、いつもあんな感じか?」


礼は国彦の言葉にどう答えていいかわからず目を伏せた。それが国彦の心をまた微かにじりじりとさせる。国彦は目線を礼からそらした。


「くに…あのな、」


礼が思い切って動画の事を話そうとしたとき背後から大きな笑い声が近づき、礼は慌てて口を噤んだ。

自分たちと同じ制服を着た生徒が二人国彦と礼を早足に追い越していく。


「マジ?……エッグいな~」

「普段はそんな感じしないのに、ヤバいよな」


まさか必ずしも自分の事を、あの動画の事を言っているわけではないとわかっていても、

呆然とその言葉を反駁して礼は一瞬目の前が真っ暗になった。

国彦が2、3歩進んだ距離のところで気付き振り向くと

どこか視点の定まらないまま立ち止まった礼は何度呼び掛けても茫然と立ち尽くしたまま反応がない。


ざっと急に雨脚が強まり、周りを行く人々は早足になったり、傘を持たない者は慌ててかけ出した。

ただ立ち止まった礼と、国彦だけが痛いほど激しい雨に打たれていた。


「急ごう」


雨の急な勢いに、国彦がほぼ乱暴に礼の腕を掴み走り出そうとしたその時

礼はその手を反射的に強く振り払ってしまった。

自分の行動にハッとした表情の礼を、国彦が驚いた顔で眺めた。


「くに、ごめん…」

「……」

「…ごめん」



「なんで泣くの」



そう問われて、礼は初めて自分が泣いている事に気付いた。

雨で濡れた頬は涙の跡を消していたが、瞳から次々に熱く押し寄せては零れる。

そんな、言葉も出ない礼の手首を、今度は触れるだけで包んで、国彦はそのままゆっくりと歩き始めた。


雨の音がはげしく、行き交う足並みもどこか慌ただしいのに

一度離れた手を引いて前を進む国彦の背だけが、動じず静かに見える。


「くに」

「ん」

「こんな…俺、もう嫌じゃないか?」


国彦は足を止めて振り向いた。


「意味、わかんねえ」

「自分でも…わかんね…んだけど」

「じゃあ何でそんな事言うんだよ」



国彦の語気から怒りの感情が感じられて、押し出されるように礼が小さく呟いた。


「こえー…から」


「何」

国彦はそう問うと、ほんの少し礼の身を自分に寄せて自分の身体も傾げた。

うろたえるみたいに揺れる礼の瞳が国彦を見つめる。

その髪の毛も、肩先も雨に濡れていた。



「怖いよ…国彦、」


助けを求めるように弱弱しく言った礼に、

とたん、国彦は優しく慮ってやる余裕がなくなってしまった。

礼の震える手を強く握ると雨の街を勢いよく駆け出した。

雨のしぶきが強く頬を打つ。


今すぐ抱き締めたい


その想いだけが国彦の身体を動かしていた。




寮部屋にたどり着いて扉を閉めた途端、堪えきれず国彦はその扉に礼を押し付けてその唇を自分のそれで塞いだ。


深く入り込んでその体内の熱を感じても、礼は抵抗せず、ただ国彦の乱暴な愛撫を殆ど耐えるように受け止めている。

噛みつくようにほふられながら、礼は何度か苦しげに荒く息を吐き出した。


独占欲と嫉妬と、さっき刺激されたばかりの埋もれていた嗜虐心が国彦の中に渦巻いていたが、

それでもまだ

傷つけたくない。

その思いが何かの護符のように国彦の行動を強く戒めていた。


国彦は微かに戻った理性で礼の顔を見た。


「何が怖いの、…俺が怖いか?」

「違…」


扉と自分の狭間で、礼が微かにそれでも懸命に首を横に降って言う。

いとおしくて、それでも優しくしてやる余裕のない国彦は礼をまた強く抱き込むと、礼の耳裏に自分の唇を押し付けた。礼の身体が弾む。国彦は耳元で続けた。


「じゃあ何」

「だめ、や、もう俺、ヘンになる…」


重なった胸の奥で熱く鼓動が伝わって震えた。

礼は、くったりと国彦に身体を預けもたれたまま、その怖さのごく根源にたどり着いた。



「…好きに、なりすぎてる」



産まれもった自分のかたちすらあやふやになるほどに

身体の最奥で熱を欲していた。


疲弊と興奮と恐怖と不安と

そして礼自身すら気づかない、どこか微かな期待が礼の声を掠れさせた。





吐息交じりの、もう艶すら感じるその上ずった声に、完全に理性を失った国彦は

自らの昂りを礼のそれに衣服越しで無理やり押し当てた。

礼が小さく息を吐いておびえる様に見上げたが、国彦は止まれなかった。

そのまま乱暴に礼の制服スラックスと下着を剥ぐと、直接重ね合わせて手で掴み下から腰を強く2、3度打ち付けた。

「ンぅ、……ア、…ぁ」


揺らされて、礼の髪からポタポタと水滴が落ちてくる。

必死に堪えたとこから思わず漏れ出たような、聞いたことのない礼のその声があまりに甘くて、国彦の劣情を誘った。

もっと鳴かせたくなる。


遠く窓の外から打ち付ける雨音が微かに聞こえてくるぐらいで、部屋の中は酷く静かだった。それだけに二人の吐息と鼓動と、些細な音がやけに大きく耳に響いてくる。




その夜、はじめて

国彦は幼いころからずっと欲していた礼と身体と心を繋げた。

あまりにも長い間渇望していた事が現実となった。


そのはずだった。

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