10. 遠雷の光・前篇


それからの礼は、寮部屋に限って今までよりいくらか素直な気持ちを国彦に向けるようになった。

部活に出れば相変わらず篠原が礼をからかったが、

あの時と同じように自分の存在を軽んじられても、脅すような態度や言葉をかけられても、国彦との間で心の定まった礼にはさほど問題には感じられなくなった。


梅雨入りした空は雨が止んでも曇天で、湿った空気は不安定な心を揺さぶるには丁度良かったが

それでも礼と国彦の関係は変わらずにあった。


そんな、6月半ばのある日だった。

珍しく校内の掲示板に数人の生徒が集まって掲示物を眺めている。

不思議に思った礼もその群れに混ざってそれを確かめた。

掲示物もまばらで殺風景な掲示板の真ん中に、学校長の署名と、端的な文章だけが書かれたほぼ真っ白な紙が貼られている。

そこにはこう書かれていた。




校則を著しく違反した以下の生徒を、退学処分とする


普通科B 第二学年  湯河原 雅人  


以上。





「見せしめじゃん」

人の群れのどこかから声が聞こえた。


湯河原はクラスこそ違うものの礼と同じバスケ部の部員で、普段から特別素行が悪いわけでもなく、むしろ先輩後輩、教師とも明るく接することのできる人間だ。


「なんで、湯河原が…」



確かに湯河原はここ1週間ほど部活には顔を出していなかった。礼は突然突き付けられた事実を不思議に思いながらも、その人の群れを離れ一人教室に向かった。

一日の授業をこなし教室を出ようとした時、丁度扉から佐々が顔をのぞかせた。どうやら教室の中をうかがっているようだ。

情報処理科で同じくバスケ部に所属し、同学年の中でも特別湯河原と仲の良かった佐々は、礼の顔を見るなりハッと表情を変えた。


礼が佐々に話しかけようとした瞬間、佐々は何も言わぬまま礼の手を引き、足早に人通りを避けるようにして階段の陰までいくとようやくその足を止めた。


「…やばいよ、れーちゃん」


ひそめた佐々の声にいつもの茶化すような声色は無く、ほぼほぼ怯えるような口調に聞こえる。


「何」

「湯河原あいつ捕まっちゃったんだって。警察」

「はあ!?」

「今はもう実家に戻ったらしくて、一応連絡はとれてんだけどさ、れーちゃんに話したいことがあるって、これからあいつんとこ行くんだけど、れーちゃんも一緒に…」

「俺に、話したいことって」

「とにかく急いで行こう」


佐々に連れられるまま、礼は学校を出て電車に乗り込み、ほどなくして着いた湯河原の実家の最寄り駅で降りる。

初めて降りた見知らぬ街を足早に歩きながら、礼は妙な胸騒ぎがとまらなくなっていた。


閑静な住宅街の中、真新しい一軒家が湯河原の実家で、チャイムをならすと湯河原本人が二人を出迎えた。


部屋に通された二人にくつろぐよう促して、皆その場に腰かけたのを確認した途端、堪えていたように湯河原が言葉をこぼし始めた。


「ごめん、れーちゃん俺、れーちゃんに謝らねえと…」

「何が」

「先輩……いんじゃん。篠原先輩。あの人がさ、溜まってんならいいとこあるっつて、それが、やべえ店でさ、子供が身体売ってんだよ。信じらんねーくらいの子供。俺、ほんとに……あんときの自分がなんであんなことできたのか今でもわかんねえんだけど、とにかく、めちゃくちゃハイで」


混乱した口調の湯河原がそれでも、助けを求めるように、怯えるように佐々に目配せした。

佐々も、少し戸惑うような表情でそれを受けると、自分の携帯で何かを検索しているのか顔を伏せた。

そして佐々からの確認するような目配せを湯河原が受け止めると、佐々は自分の携帯を礼に渡した。


佐々の携帯の画面には、ぼかしの入った映像が流れていた。


「こんなもん、見せられんのも気持ちわりいって……わかってんだけど…」


携帯で撮ったらしい手振れの激しい映像は、それでも湯河原の顔とその写されている行為だけは、はっきりと認識できる。

その湯河原と共に動画に映る、身体の小さな茶色い髪の少年は、顔にぼかしがかかり声も加工されてはいるが、湯河原がその身体を乱暴に後ろから突いて揺らす度にあきらかに変声期前の高い声で鳴いた。


『あー……れーちゃん、マジでイイ』


吐息混じりの湯河原の言葉と少年の鳴き声の裏に、これもまた加工されてはいるが、この動画を撮影している本人だろう笑い声が、絶えず冷たく動画の振動と連動して響いていた。

その撮影者が突然画面をぐいと少年の顔の方に向けると、画面はぼかしでいっぱいになった。

モザイクの中でも、毛色の明るい髪の毛が震えるように揺れてるのがわかる。


『ほらイッてる顔みんなにみてもらえよ…柏原』


そこで映像は途切れた。

一分に満たない、たったの30秒ほどの動画だった。


「言い訳にもなんねえってわかってんだけど、合法だからってなんか飲まされてから、正直あんま記憶がないんだ。相手んこと…れーちゃんに見えてたのか、覚えてなくて…。情けなくて俺マジ、こんなわけわかんねえ状況でれーちゃんの名前出すとか…自分が信じらんねえ、れーちゃんほんと…ごめん」


動画が終わった後しばらくその画面を見つめて言葉がでなくなった礼は、見慣れたSNSのタイムライン上にその動画が投稿されている事に、その時はじめて気付いた。


「なんで…コレ、」


そう呟いて震えだした礼の手から、佐々はもう見せたくない一心でその携帯を急いでとった。

俯いて、どこか茫然と湯河原が言った。

「この動画……ネットで拡散されてる」

佐々も怯えるように言った。

「誰が見なくたってうちの奴等が見てて、規制がおっついてない…」

「写ってる茶髪の奴は、店で働いてるボーイで、うちの学校の生徒じゃないのは警察もわかってるし、れーちゃんに、嫌疑がかけられるような事は絶対ないよ。それだけは。でもうちの奴等がコレ見て、ほんとにれーちゃんだって思うやつもいるかもしれない」


そこまで言って、湯河原は自己嫌悪を深めたように顔を両手で覆った。


「警察に、篠原先輩に誘われたんだってことも、薬の事も言ったんだ。でも俺だけ」

恐怖と不安の入り交じった湯河原の声に、礼の心に堪えがたい怒りが充満した。

「篠原、あいつ……」

握りしめた拳に力が入る。

焦るように佐々が礼に言った。

「だめだよれーちゃん、こんなんどうしたらいいかわかんねーけど、篠原先輩にもう絶対近づかない方がいい。なんか、れーちゃんに対する執着おかしいんだよ。他のやつと違う」


それでも礼は、堪えられなかった。

卑劣で陰湿な行為に巻き込まれた友人と、自分の為に

篠原に一発くらわせてやるくらいの事をしないと、到底怒りがおさまる気がしなかった。






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