3. 礼の憂悶・前篇
唇を離してすぐ何かにハッとしたように、国彦が階下をじっと見つめた。
礼も同じく目線をやるがそこには誰もいない。
「……くに?」
礼が心配げに呼ぶとやっと目線を戻した国彦も、どこか緊張感のある表情を崩して、困ったように笑った。
「反則だろ…れえ」
そう優しく、切ない声で言われて耳元をくすぐられると礼の方は、
また幸せで胸がぎゅっとしめつけられて、どうしたらいいかわからずいっそ不機嫌な表情で答えた。
「…きだって…言っちゃ、ダメなのかよ」
「ダメじゃない」
そう即答されて礼は心がじんわりと暖かくなった。
もう今夜こそ、国彦の求めることを欲するままに受け止めたい
そんな決意すらしたのに
その夜同じベッドで眠っても
国彦はそれ以上礼には触れなかった。
このところ以前にもまして国彦が自分に優しいことが、むしろ礼にはどこか不安な要因のひとつになりはじめていた。
翌朝早くに目が覚めて国彦の寝顔を見つめながら、礼は寝起きのかすれた声で聞こえないよう小さく呟いた。
「くに、嫌いになったら嫌だ」
「なんないよ…」
眠っていると思っていた国彦に、ふいにぎゅっと抱きよせられて一気に心臓が激しく高鳴る。
抱き寄せられた耳元に国彦の熱い吐息が当たって礼は微かに身を震わせた。
「れえ、すげー好き」
「…ン…」
「むり…すんな」
そう言うと、国彦はまた眠りのなかに戻っていった。
礼は混乱の感情の中でただ茫然とポタポタ涙をこぼした。
悩みや不安を全部ふまえた上での国彦の言葉が、ただただ嬉しかったからだった。
それから眠れなくなって、礼は一人で寮部屋を後にした。
春の朝の空気は澄んでいて、礼の心を少しずつ癒してくれる。
それになにより、他の誰でもない国彦の言葉が不安を緩和させていた。
部室にはすでに何人か生徒がいて、朝の自主練に向かう用意をしていた。
礼も着替えて体育館に向かおうとするのだが、心がうまく動かずそれに付随して体の動きも鈍くなった。
みんな先に部室を後にして、いつのまにか礼は一人部屋に残された。
特段ボーッとしていたわけではないが、礼は取り残されてはじめて、はっと慌てるように身体を動かし始めた。
あたふたと着替えているところに、がらりと扉が開く音がした。
目線をやると入り口には篠原が立っている。
「…よお、柏原」
「あ、うーす」
「元気ないじゃんどうしたの」
頭を撫でてくる篠原の手を逃れて、礼は首を降って自分の頬に軽く渇をいれた。
(だめだ。先輩にまで気づかれるなんて…きりかえてしっかりしねえと)
「そういえば先輩、昨日言ってたなんかの係って」
「あー…新歓な、めんどくせぇ、柏原適当に案出して桐谷に渡しといて」
「嫌に決まってんでしょ」
気だるく着替え始めた篠原が礼の言葉を聞いて吹き出した。
「俺お前のそうゆうとこめちゃくちゃツボなんだけど」
「何いってんすか。俺先に行きますからね」
扉に手をかけようとした瞬間、
扉と礼の身体の間に乱暴に篠原の足が割り込んできた。
「行かせなーい…」
意味のわからない行動に礼が篠原を訝しげに見上げると、篠原はまた少し吹き出しながら言った。
「あれカレシ?」
「……は?」
「黒髪の、戦闘科の奴」
ドクリと血が逆流するみたいな感覚で、礼の身体と思考が一瞬止まってしまった。
それを見逃さずに篠原は続けた。
「キスしてたよね昨日、寮の階段んとこで」
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