1. 二人のギャップ・前篇


「なんかさ、きょうこちゃんもうやりたくないんだって」


部員もいくらか帰って静かになった体育館に、そんな言葉が響いた。


バスケ部に所属している礼が体育館の床をモップで掃除しているところに、同じく隣で床をモップで擦っていた湯河原がおもむろに言ったのだ。


近くにいたこれまた同期の佐々が、そんな湯河原の告白に手をとめて尋ねる。

「へー…あれ?初エッチでうかれてたの先週だよな」

空を眺めて記憶を辿る佐々に、深いため息をつきながら湯河原が応えた。

「意味わかんねえ、最中とかすげえ良さそうだったのに」

「ばか、女の子はデリケートなんだよ」

「うるせえ、童貞が」



礼はなにげなく、そっとその盛り上がりから離れながら掃除を続けていたが、その背中に嫌な沈黙と視線を感じた。

「…そういや、れーちゃんのそうゆう話って聞かないけど彼女いるんだっけ?」

湯河原の妙にくぐもったような特徴ある声でそう聞かれて礼は思わず、作業の手が止まりフリーズしてしまった。

それが面白かったか、湯河原と佐々は礼の表情をのぞきこむ為わざわざ走って回り込んでくる。


「あれ?目え泳いでる!れーちゃんいるんだ彼女」

「…いねえよ」

「沈黙あやしー」

「ねえねえ、ちゃんとヤらせてくれる?彼女」


やらせる…

そんな一方的な言葉に礼は何故だか無性に腹がたっている自分自身にはたと気付いた。

女の子の気持ちがわかるなんておもわないけど、そんな言い分はひどく勝手だと感じたのだ。


「黙れよ」

「?なにおこってんのよれーちゃん」

「お前らが変なこと言うからだろ」


心がざわざわしていた。

あまりに恥ずかしくなって、またひとり掃除を再開したのに、そんなのお構いなしで湯河原の無駄に力強い腕が礼の首根っこをぎゅっと掴んで引き留めてきた。


「でもれーちゃん聞いてよ。正直こっちだって我慢してんだよ?なのにあんな鉄壁だともう、ほんと気持ちが萎えるつうか、他の子にしようかなぁて」


湯河原は特別整った顔というわけでは無いのだが、何故か彼女が途切れた事が無い。


「え?もう他のいんの?」

佐々が羨ましさも含めた勢いで湯河原に聞いた。

「うん、まぁ正直好みじゃないんだけど、俺のゆうことは聞いてくれそうなの」

「サイテーだよ二股」

「いやいや、健全な選択だろ」


二人の笑い声が、今の礼にはひどく下卑て響いた。



くにひこも

こんなことおもうのかな



そんな考えが頭によぎって、礼は強く首を横にふった。

もう掃除を終った事にして、逃げるように出口の方に振り向いたけど、そのせいで礼は誰かの胸元に鼻先をドンとぶつけてしまった。

慌てて目線を上げると、そのぶつかった相手、3年の篠原先輩と目があった。

丁度着替え終わって何か用事でもあって体育館に戻ってきたのだろうか。


「何してんのお前ら、柏原泣きそうじゃん」

篠原が体育館中に笑いを響かせている二人に言った。

もちろん半分笑いながらのじゃれたトーンに、はっと手と笑いを止めた湯河原と佐々もすぐに和らいで篠原の元に近づいてくる。

ただ礼だけ「泣いてねえ!!」と威勢よく吠えた。


「湯河原、また新しい女できたらしくて」

近寄った佐々が、さも面白いネタを提供するように篠原に言った。

もうずっと居心地悪かった礼も逃げるわけにいかなくなってしまった。

「へえ、おまえよく飽きないよね。女なんてめんどくさいだけだろ」

「や、ユキちゃんはほんと、めんどくさいこと言わないし、よくわきまえてる子なんで」

「モテ男気取りかよおまえ」

佐々が腰を折って笑った。


「俺だったらちゃんよりちゃんのがいいけどな」

「…は?」

「いやいや、れーちゃんはバスケ部皆のアイドルだから。絶対不可侵!駄目ですよ先輩」

呆然とする礼と、篠原の間に入り佐々がマネージャーめいて言った。そのふざけた様子に

「誰がアイドルだよ、殴るぞ」

と礼がすかさず噛みつく。

「でも松阪と付き合ってたじゃん」

「あれは偽装だって何回も言ってんでしょ」

「まーなんでもいいけど。桐谷に5月の合宿の係押し付けられたんだけど、柏原お前手伝ってね」

「はぁ…」

有無を言わさず押し付けられた礼を今度は湯河原が庇うように自身の後ろに押しやった。

「いやめちゃくちゃ狙う気満々じゃないすか先輩!!手え出したら駄目よ!れーちゃんは俺ら皆のアイドル!!」

「黙れ湯河原!泣くぞ!!」

礼の怒号に、佐々はその隣で肩を揺らして笑った。


「そうゆうのを俺だけ手懐けんのがイイんだろ。てめーはせいぜいもとから飼い慣らされたオンナに楽しませてもらってろよ」

「もお先輩だめなんだからね~」

佐々のボケをスルーして篠原は礼にどこか優しく「てことだから柏原、頼むな」と言うと体育館を後にした。


「いや~、篠原先輩ヤバイよね。真性つう感じ」

「なにそれ」

「れーちゃん気を付けて。篠原先輩すげー危ない先輩だから。怖いことされたら逃げて、さっさお兄ちゃんに知らせる事」

「誰が兄ちゃんだよボケ」

「あー心配。この向こうっ気の強さ」

「まぁ、マジであんまいい噂聞かねえんだよなぁあの人」

「湯河原もそう?俺もなんだよね。だかられーちゃんが心配で」

「…なんだよ」


「極まったドSだからさぁ…あの人」

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