第12話 それでも世界は回っている

 自殺志願者御用達の片道切符に大手製薬会社が関わっていたというスクープは、夏の嵐となって全国を狂乱に叩きこんだ。あらゆるマスメディアはこのことを取り上げ、供給の絶たれた片道切符は裏に裏に流れて高値で取引された。


 春からの一連の不祥事の責任を取り、社内で高い地位にあった父親は辞職に負いこまれることになった。仕事を失った父親は白い抜け殻となって一日中家にいる。


 母親は「でかい置物が増えた。」と愚痴を零す。父親がいるせいで男を呼んで自由に家でセックスができないのだ。


 歪な均衡が崩れ不協和音の鳴る家を抜け出し、妹は学校に行く。デートに行く。兄と彼女に会いに行く。手のひらの汚れたパズルピースが壊れていくことに目を背ける。


 そうしているうちに父親は電池が切れるように首を吊って自殺した。糞尿を垂れ流しぶらさがる父親の死体を見つけたのは母親だった。


「首吊りなんてちょっと古風よね。ほんと迷惑な話。」


 死体処理課に電話した母親は、近くにいた妹に対し意味のない笑みを向けた。妹は何も言わなかった。




「だからね、私転校するから。」


 空っぽの教室で妹は彼氏に端的な事情を説明する。


 父親が自殺して残ったのは妹と母親だ。兄がいなくなった家族において父親は重要な基盤として評価されていた。働いていない二人にこの家族を継続させることに利益はないとして、遺族配偶者対策課は二人をそれぞれ別の家族にあてがうことに決定した。そして今の家には新しく別の人間が寄せ集められ、彼らは家族と名づけられる。


「転校先って遠いのか?」

「うん。だからうちらも別れることになると思う。」


 交際制度により付き合っている恋人の片方が遠方に引っ越すなどした場合、当事者の反対がない限りはその交際は解消されることになる。今回の場合は解消することになるだろうと担当者から説明を受けていた。


 彼氏は妹の細い肉体を抱きしめる。突然の抱擁に妹は身動みじろぎをしたが彼氏は妹を離さない。抵抗の無意味さをすぐに悟った妹は抱擁をほどこうとするのをやめた。


「なあ、俺達このまま付き合おうぜ。」

「それ、本気で言ってんの?」

「本気だ。お前が好きだ。付き合ってくれ。」


 抱擁を緩め、彼氏はまっすぐ妹の目を見る。その瞳の輝きの強さに、妹は微かに目を伏せて黙考した。


「あんたのことは好きじゃなかった。今は嫌いじゃない。このまま付き合っていたらもしかしたら本当に好きだと思える日が来たのかもしれない。だけどごめん。離れてまであんたを好きになれることはできない。」

「……わかった。」


 彼氏は唇で弧を描き、笑みを作ろうとする。けれどその口の端はふるると震えてすぐに元に戻った。きつく目を閉じてゆっくりとうつむく彼氏は静かに涙を流す。


「ごめん。」

「ああ……、ちくしょう……。俺が本当に欲しいものはいつだって手に入らないんだ。」


 彼氏は泣き顔のまま妹にキスをする。恋人の唇を妹は受け入れた。それは塩の味がした。




 臨月になり予定日が近づくにつれ、彼女は体調を崩すことが多くなった。医師と相談した結果、当初の予定よりも早く入院して出産に備えることにする。


 産婦人科の病室やサービスは妊婦に無用なストレスがかからぬように配慮されており、兄と彼女は初めての入院に盛り上がった。


「ねえ、子供の名前は何にしようか。もう決めてたりする?」

「候補はいくつか。そっちは?」

「私もそんな感じ。妹ちゃんも考えてくれるみたいよ。名付け親になってもらう?」

「んー、でも子供の名前はやっぱり自分達でつけたい。」

「ふふ、独占欲独占欲。親馬鹿の片鱗だね。」


 彼女は兄の頬をぷにぷにとつついて笑う。ガラリと戸の開く音がする。


「でも妹ちゃんもうすぐ引っ越しちゃうんだよね。寂しくなるな。」

「そうだね。だけど退院したら会いに行けばいいさ。僕らは家族なんだし、こうして生きているんだから。」

「だね。あとはお義母さんにも挨拶しときたいな。」

「そんなことしてあの人迷惑がらないかな……」


 兄は苦笑いを浮かべる。家族を尊重することない母親が孫を見て喜ぶ様など兄には想像できなかった。


「そんなことないって。だって私がいる時は煙草控えてくれてたもん。」

「そうだっけ? あの人かなりのスモーカーだと思うけど。」

「そうだよ。色んな男を家に呼びこんでセックスしまくってさ、そりゃ確かに家族としては付き合いにくい人かもしれないけど、気遣ってくれるし悪い人じゃないよ。」

「へえ、君がそう言うならそうなのかも。僕はちっとも気づかなかったよ。駄目だなあ。」


 自分とは異なる母親の評価に兄は目を白黒させる。そんな兄の様子を見て、彼女はミルクチョコレートなキスをする。


「大丈夫。君が気づかなくても私が気づけばいいんだから。だって私達は夫婦でしょ?」


 兄の答えは濃厚な口付けだった。たっぷりと舌をからませてからようやく唇を離す。


「盛大にのろけてくれてありがとうございます。」


 途中から病室に入っていた妹が口の端をひきつらせながら問う。


「あのですね、私いたんですけど気づいてます?」

「もちろんだよ、妹ちゃん。だけど人間ってのは何があっても止まれないときってのがあるんだ。それが今なんだよ。」


 彼女は茶目っ気たっぷりなウインクを妹に返した。

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