第9話 なにげなく永遠にさよなら

 新居の準備は何やらで月日は瞬く間に過ぎ去っていった。新婚の新居は政府が学生夫婦用に安値で賃貸してくれるマンションの一室だ。


「つまりここが二人の愛の巣なわけですよ。」

「それ普通自分で言う?」

「言う言う。これから三日に一度は言う。」


 彼女は踊るように兄に抱きつく。


「いやー、これから君を独占し放題ですな。もう独占禁止法にひっかかっちゃう。参ったね、どうも。」


 兄は妻の鮮やかな黒髪を撫でそっとキスする。彼女が短く声をあげる。


「君は子供何人欲しい?」

「んー、特に何人とかは。そっちは?」

「私は十一人欲しい。それで最強の野球チームとか作ろうぜ。」

「マジかよ。というか二人余るよ。」

「それは控えだよ。控えも大事だからね。」

「無駄に用意周到だな。」

「まあ正直私も人数はあんまり気にしてないかな。私がいて、君がいて、子供がいるってだけでいいや。ねえ、ずっと一緒にいてね。世界より好きだよ。愛して――って、ひゃあっ!」


 兄は突然彼女をお姫様だっこしてベッドに運ぶ。そのまま彼女を押し倒した兄は濃厚な口づけをした。二人の間に銀の糸が垂れるくらい唾液の交換をしてから唇を離す。


「ちょ、ちょっとどうしたの急に?」

「いや……、好きだなって思って。でも子供が産まれたらこうやって二人いることもできないよなあって。」

「何その寂しがり屋。大丈夫、おっぱいは君にも飲ませてあげるから。」

「別に飲ませてくれとは言ってない。というか真っ赤な顔を隠しながら言っても照れ隠しだって丸分かりだからね。」


 彼女は顔を背けたまま兄にさわる。その皮膚の下に流れる血潮は彼女に幸福の温もりを伝えた。




 地球は丸い。どこかの世界で太陽がなくなっても、別の世界では太陽が昇っている。


 今日は用事があるのか彼氏は珍しく妹を使おうとしなかった。交際義務があるといっても、双方の同意がある場合はデートを休むことができる。


 だから煩わしい春の中、妹は少女と共に街に遊びに来ていた。ここはビルが多い。その一棟である高層ビルから飛び降り自殺を決行した死体がぐちゃぐちゃになっている。二人は他の通行人と同じように飛び散った内臓を避けて歩いた。


「ねえ、どこ行く?」

「ここじゃないどこか。」

「じゃさ、ゲーセン行こうよ。」


 少女の一言でゲームセンターに行くことにする。


 ゲームセンターは薄暗く猥雑な空気に満ちていた。そこかしこでゲームの効果音が鳴り響くので、あまり来たことのない妹はきょろきょろと辺りを見回す。


「なんかやりたいのある?」

「わかんない。よく来るの?」

「んー、たまに。私が適当に決めていい?」

「いいよ。」


 二人は手始めにシューティングゲームを選んで、画面上のゾンビをひたすら銃殺する。それでもゾンビは逃げも自殺をせず襲いかかってくる。

 ゾンビの攻撃を受け、妹の体力ゲージはみるみるうちに減っていき、最後は中ボスの巨大ゾンビに噛み殺された。画面にコンテニュー選択が表示される。


「続ける?」

「やる。」


 妹は硬貨を投入してコンテニューを選択する。結局二人がファーストステージをクリアするためには、さらに三度のコンテニューが必要だった。


 妹はその手には大きすぎるゲームの銃を元のところにしまう。それからさも今思い出したかのようにさりげなく言った。


「あのさ。うちの兄さんが結婚するんだ。」

「え! あの言動がいらっとくる人と?」

「そう。」

「めっちゃ仲良かったしね、二人でワンニャン盛ってたし。あの様子だと納得できるけどなんか悔しいね。」

「うん。」


 少女は終わったはずのシューティングゲームに硬貨を投入し、妹に銃を渡す。


「とりあえずもう一回撃ちまくろう。」


 次は一度コンテニューするだけでクリアすることができた。



「次あれにしようよ。」


 ゾンビの虐殺で一汗かいた少女が指したのはフォトプリンターだった。勝手の分からない妹は少女に任せきりで撮影をする。


 笑う二人が写されたシートが機械から吐き出される。妹はその半分を受け取った。


「本当の私はもっと可愛いんだけどね。まあ現代の科学技術じゃこれくらいが限界かな。私の可愛さの科学が追いついてほしいよ。」

「んなわけないでしょ。」


 少女の冗談に苦笑する。写真には友達だとか仲良しだとかあたりさわりない言葉が書きこまれている。たとえどちらかが死んでもこの写真は笑ったままだ。


「ねえ、二人なの?」


 次は何をやろうかと相談していると、二人組みの男に声をかけられる。


「暇なら俺達と一緒に遊ばない?」


 そのうちの茶髪の方が言う。


「嫌です。」

「別にいいけど。」


 妹と少女で正反対の答えが出る。二人は互いの顔を見合わせる。


「嫌だよ。知らない人じゃん。」

「誰だって最初は知らないよ。それに気分転換にはちょうどいいじゃない。」

「なになに。なんか嫌なことあったの?」


 もう一人の背の高い男が口を挿む。


「まあこの子が失恋みたいな感じで。」

「マジかよ。こんな可愛い子なのに。」

「別に失恋してない。」


 妹の声が尖る。


「そうやって私の感情に勝手にラベル貼るのやめて。」

「だってラベルを貼って整理しないとしかたないじゃん。純粋な感情なんてない。喜びも悲しみも怒りも愛しさも憎しみも絶対に何か他のものが混じってる。だから感情に名前をつけて受け入れなきゃ。それは別に悪いことじゃないでしょ。」

「私はそんなことしたくない。私はこのままでいい。」

「だとしても気分転換くらいしてもいいじゃん。」


 少女が眉を下げる。


「ねえ、そんなにお兄さんがいいの?」


 妹は答えない。


「生きることは諦めることだぜ。ここは試しに俺で妥協してみるのはどう? それにほら、俺達こんなのも持ってるんだぜ。」


 茶髪の男がジャケットの内ポケットから何かを取り出す。それは海よりも青い液体の入った小瓶であった。


「ねえ、それ。」


 少女はその青に見覚えがあった。


「ああ。これは今みんなに大人気のお薬さ。欲しい? もし付き合ってくれるならあげてもいいけど。」

「欲しいな。」

「決まりだ。遊んでよ。」

「私帰るね。」


 少女の返事も聞かずに妹はひとり家に帰る。


 三日後に少女は自殺した。妹が少女の死を知ったのはそれからさらに三日経った後だった。

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