第19話 特訓
「いち、にい、さん、しい、ごお、ろく、しち、はち、……」
放課後、リョウは家の近くの雑木林でトレーニングをしていた。生まれておよそ十年の少年が持ち上げるには大きすぎる、直径1メートルほどの大岩を、少年は両手で持ち上げ、下ろしを繰り返していた。もちろん、それは少年に元々備わっていた筋力などではない。その証拠に、腕にはうっすらと竜の鱗のようなものが浮かび上がっていた。
『その戦い方はどこで覚えたのかな?それとも今思い付きで動いてる?』
『あんな竜の息吹きみたいなものまで見せてくれちゃって。あれも咄嗟に思い付いたのかな?』
少年はこのベレー帽の言葉が度々気にかかっていた。正確に言えば、気にかかっているのはこの言葉自体ではなく、この言葉の指摘するところの、少年の戦闘センスについてだ。
今という今まで、少年はこういった戦いとは無縁の人生を歩んできた。武道だって習ったことなど無いし、友達と殴り合いの喧嘩をすることだってほとんどなかった。なのに、何故、あそこまでまともに戦えているのか、自分でも不思議でならなかった。
しかし、あの直感的な動きが自らの眠っていた才能であっても、はたまた竜の力によってもたらされた力の一部だとしても、どちらにせよ、今のままではとても自分で制御しきれているとは言い難い。ならば、今少年に出来ることはただ一つ。竜の力を、自分の体をコントロール出来るように特訓するしかないのだった。
しかし、その特訓といっても、やはり体を鍛える以外は少年には特に思い付かなかった。漫画の主人公のように、ただただ重い岩を上げ下げする。
「よし……そろそろいいかな。次の特訓に移ろう」
少年は持っていた岩を宙に投げ上げると、そこに炎を纏った右ストレートを打ち付けた。岩は近くの木々にぶつかり、それらを大きく揺らす。地面に落ちたそれには黒い拳の跡が刻まれ、大きなヒビが入っていた。
「パンチの威力は上がってきたな。後は……」
少年はそこで再び、この前の戦いを思い出す。あの時放った、竜の息吹き。あれを自分の意思で使いこなすことさえできれば、黒服達に負けることはない。そう思えるほど、あの技は強力であった。
しかし、あれを練習するには流石にここではまずいようにも思えた。周りは林だし、この間の火力を再現できてしまったら、火事は避けられないだろう。でも、今後のためにもあれは習得しなければならない。一体どうすれば……。少年は考えを巡らせようとする。
「こんにちは。リョウ君。いやあ、君も中々頑張りやさんだね。こんな風にわざわざ隠れて特訓だなんて」
少年が振り返ると、案の定そこには大きな絵筆を背負い、大きなベレー帽を深く被った少女が立っていた。しかし、少年はすぐにベレー帽に背を向けた。
「何のつもりだ。僕を連れていくのか?だったらさっさとやればいい」
ベレー帽にそっぽを向いたまま、少年がそう言うと、ベレー帽は少し寂しそうに口元を歪め、溜め息を吐いて言った。
「まあまあ、そう言わないで。私は君を無理矢理連れていくようなつまらない真似はしないよ。だから安心して」
何が「だから安心して」だ、と少年は思ったが、ベレー帽が嘘を言っているようにも聞こえなかったので、不満気な口調は変えないまま、再びベレー帽の方を向いて言った。
「じゃあ何をしに来たって言うのさ。ここまでわざわざからかいに来たのか?」
「まあ、半分はそうだけど……半分は違うよ。君に協力してあげようかと思って」
それを聞くと少年は面食らったように目を見開いて、その後すぐ目を細めて聞き返した。
「協力?何を言ってるんだ?それに……それに君が僕に協力する理由なんか無いはずだ」
「それがあるから協力するんだよ。今から話すから、まああんまり怪しまずに話を聞いてくれるかな」
相手の意図が理解できない少年は、取り敢えずベレー帽の話を聞くことにした。
「じゃあはっきり言うけど、今の君じゃ使い物にならないんだよね。確かに君には強い、何者よりも強い可能性が眠っているけど、今じゃその一割も使いこなせていないんだ」
少年も分かってはいたものの、やはりそれを他人に言われることは辛かった。そして、痛かった。胸の中の、たちこめる霧に包まれた黒い塊のようなものを、迷い無く真っ直ぐに射抜かれるような、はっきりとした痛み。
そう、ベレー帽の言うとおり、少年はまだ、その"可能性"を無駄にしてしまっている。それは少年もわかっている。だからこういう風に特訓もしていた。しかし、少年からしてみれば、そもそもこの状況がありえなかった。少年の奥にあったものが、叫びにも似た言の葉となって現れる。
「じゃあどうしろって言うんだよ。僕には無理だ。今まで戦ったことなんかなかったんだ。銃だって向けられたことなんかないし、死にかけたことだってあるわけ無いじゃないか」
少年の瞳の色がぼやけていく。キャンパスに滲む水彩のように、雨降る街の景色のように。そして、それはまるで、溢れ出しそうな哀の色を湛えているようでもあった。
「泣くのは構わないさ。でも君はもう戻れないよ。全てを終わらせるまではね。次の幕を上げるには、今の幕を下ろさなくちゃいけない」
ベレー帽が俯く少年に言い放つ。しかし、今の言葉で少年はますます訳がわからなくなってしまった。この少女は、本当は何を望んでいるんだ?
「そして、そのために君のやるべきことはただ一つ。君を狙う男を討てばいい。そう、その男、能多吉一を」
少年の喉の奥にナイフを突き付けられたような、恐怖感と圧迫感、異物を飲み込んだ様な感触が同時に込み上げてきた。
「君の目的は何だ?」
「……幕を下ろすこと。ただそれだけだよ」
「本当は何が目的だ!」
やれやれ、面倒くさいなあ。君も。
そう言ってベレー帽は筆を構える。
「一人で特訓してても詰まらないよね?さあ、実践演習といこうか」
「くそっ!」
少年は素早く拳を構える。気が付くと、辺りは既に少年がよく知る雑木林ではなくなっていた。
『見せてもらうよ、君の力、その全てを』
『君は一体何者なんだ?』
二つの意志が、二つの闘志が、二つの煌めきがぶつかり合う。
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