第12話 強襲、黒き蹄

少女から放たれた煌めきが、辺り一帯を包み込むように、確かな温度で、強い脈動を持って、揺らぎ始める。それを見て深い黒髪の少年は激しい動揺を隠しきれずにいた。

 

「何……この状況で覚醒しただと?貴様のような普通の少女が……。まあいい、場所を変えるとしよう」

 

少年が指を弾くと、一瞬の内に再び周りの景色が変化する。壁に塞がれたY字路は、いつの間にか少女たちには見慣れた近くの公園に変わっていた。しかし、その見慣れた景色は、いつもとは空気が違っていた。


いつも賑やかなはずのこの場所に、人が一人も見当たらない。

 

「安心しろ。空間は隔離したままだ。公園を荒らすつもりはない」

 

そう言ってにやっと笑う少年をミイナは強く睨み付ける。ユウカは自分の前に立つミイナの袖を掴み、俯いたまま話しかける。

 

「ミ、ミイナ。私なら大丈夫だから。早く逃げて」

 

その声は震えていた。沈む六月の空と同じ、今にも泣き出しそうな、そんな風にミイナには聞こえた。

 

「いやだ。あいつなんかにユウカを渡すもんか」

 

ミイナの心にはもう迷いは欠片も残っていなかった。彼女はただ、目の前の少年を睨み付け続ける。そして、彼の背丈が自分達より大分高いことに気付く。しかしそれでも、ミイナは怯む様子も臆する様子も一切見せなかった。

 

「馬鹿なことを言う。貴様は今覚醒したばかり。そんな急ごしらえで俺を退けられると思うな」

 

少年はそう言ってミイナを睨み返す。

逢魔が時の公園、傾く夕陽、子供の声はしないのに、帰る時間を告げる童謡だけが鼓膜を揺らす。ただ地面に映るのは、物言わぬ三つの影法師。


その沈黙を破るように、少年が始めに動き出した。少年の脚が、拳が、馬の蹄のように黒く力強く変化し、ミイナを潰さんとすべく接近する。

 

「貴様にはここから出ていってもらう。くらえ、黒蹴"穴埋"ダークホース


地面を蹴り、高く飛び上がると、少年はミイナに向かってその長身による跳び蹴りを繰り出す。

 

ミイナはユウカを抱き上げ、素早く右に避ける。少年はそのままの勢いで地面に脚をめり込ませた。周囲の空気が揺れ、砂ぼこりが巻き上がる。ミイナはそれを見ながら、今の自分に驚く。

 

体が軽い。自分と同じくらいの大きさの少女を一人抱えているにも関わらず、空中からの攻撃を瞬時に避けることが出来た。その身軽さはまるで猫のようだったと、ミイナは思った。

 

「スピードは中々だな。まあ今のは元々当てるつもりはなかったがな」

「え?もしかして、当てられなくて悔しかったの?」

 

少年は自分に注意を引き付けようと煽り立てるミイナを冷ややかに睨み、脚を蹄の跡から引き抜くと、付いた砂ぼこりを払いながら言った。


「あれは生身で当たれば一撃だ。貴様のようなか弱い娘には当てん」

「偉そうにして。あんたもあたしたちとそんなに年変わらないでしょ」

 

そんな事は関係ない、実力は明らかに自分が上だと少年は言い、溜め息をつくと、再び脚に力を込める。

 

「今度こそ本当に出ていってもらうぞ」

 

ミイナを狙い、少年は再び地面を蹴り上げる。しかし今度は高く飛び上がったりはせず、地面の上を一直線に、ミイナに向かって接近する。

 

ミイナは自分に標的がずれたことを悟り、ユウカを下ろすと少年に向かって駆け出す。

 

「えっ……ミイナ駄目!待って!」

 

ユウカの必死の制止も無視し、ミイナは少年を迎え撃つように構える。

 

「自分から来るとは……馬鹿め。これで終わりだ。黒蹴"襲歩"ギャロップ

 

少年の雄々しい蹄がミイナに命中した……かに思えた、その刹那、少年は何かに脚をすくわれたかのように、体勢を崩した。 

 

ミイナはそれを見切り、間一髪のところでかわすと、少年の腹部に鋭く変化した自らの爪を突き立てた。そして、それは少年の腹から背にかけて大きな傷を刻み付けた。

 

「な、なに……!」

 

少年は激しい痛みからその場に倒れ込む。傷は尋常ではない速度で回復されていたが、それでも苦痛には変わりなかった。

 

何が起こった……?少年は荒ぶる心を押さえつけ、冷静に状況を整理しようとした。自分は確かにあの娘をとらえたはずだった。そのはずだったのに、いつの間にかバランスを失ってしまっていた。あの時、確かに脚に違和感を感じた。まるで何かに脚をすくわれた、いや、"滑らされた"ような感覚があった。

 

「どうだ!あんたはあたしたちには勝てない!大人しく諦めなさい!」

 

ミイナはそう言うと誇らしげに笑う。しかしそれが少年の逆鱗に触れた。

 

「ふざけるな……ふざけるな!貴様のようなただの娘に……」

 

少年の怒りが大気を震わす。風が強まる。木々がざわめき、誰も乗っていないブランコが揺れる。

 

「おい、誰か居るんだろう。コソコソした卑怯者め。姿を現せ!」

 

その声に応じるように、隠れていた人物の姿が……現れることはなく、まるで代わりだと言うように、少年の手足が文字通り"凍り付いた"。

 

「貴様……どこまでも隠れたままを貫くつもりか。それならせめて俺の邪魔をする理由を聞かせろ」

 

凍る手足を自ら発した熱気で溶かしながら、少年は再び問いかける。すると、今度はそれに応えるように、意外な人物が姿を現した。

 

「あーはいはい。表に出てこれないシャイな彼女の代わりに、私が君の相手をして上げるよ。ありがたく思ってね」


思わずユウカは息を飲む。

何故なら、そこにいたのは、あの日見たベレー帽の少女だったからだ。


「じゃ、始めよっか」

 

彼女が不敵な笑みを浮かべると、世界の色が蠢き出す。赤へ、青へ、緑へ、そして、全てを混ぜ合わせた混沌へ。

 

その日、少年と少女たちだけの公園では、エメラルドグリーンの夕暮れに、鈍色の烏が鳴いていた。

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