第4話 不確かな記憶
「よし、それじゃあ皆、説明された手順で実験を始めてください!」
多田先生の合図で、周りの生徒達は、何事もなかったかのように実験を始めた。いや、実際、彼らにとっては何もなかった"ことになった"ようだった。リョウは辺りを見回したが、割れたアルコールランプの破片や、壁や床に付いた絵の具と弾丸の跡は一つとして残っていなかった。
「どうした?リョウ。何か気になることでもあるのか」
多田先生はリョウが落ち着きなく辺りを見ているのを心配し、声をかけた。
それを聞くと、リョウは先生に食いつくように言った。
「先生は何も覚えていないんですか」
「何を言ってるんだ、リョウ」
「だって、何もなかった筈無いのに」
リョウは胸に手を当てる。確かに傷は無い。リョウが覚えていたのは撃たれたその瞬間で。それ以降は理科室内で目覚めるまでなにも覚えてない。
「何もなかったって……そりゃ何もなかっただろ?さっきまで実験の準備をしてたし」
それは嘘だ。だってさっきまで僕は確かにあの兵隊達と戦っていた。リョウはそう言おうとした。
しかし、喉元まで来ていたその言葉は、次の瞬間、不確実なものに変わってしまった。
僕は確かに戦っていた……筈だ。
本当にそうか?やっぱりあれはただの夢だったんじゃないか?
「ほら、実験を始めるぞ」
本当に何事もなかったかのように、時計の針は進んでいく。周りの生徒達からは先程までの混乱した様子は少しも感じられなかった。
そうだ、僕がおかしいだけなんだ。
きっと夢を見ていたんだ。
そんな想いがリョウの心を満たした。
「おい、リョウ」
授業が終わるとレクがリョウに話し掛けてきた。リョウは周りの生徒と同様に平静を取り戻していた、ように振る舞っていた。
「なあ、お前も覚えてんだろ」
あんなこと夢に決まっていると、安心しきった、いや安心していたかったリョウの心はいとも簡単に砕かれた。
やっぱり、夢を見ていた筈がない。
あの悪夢のような時間は、
夢なんかじゃない。
紛れもない、現実でしかなかった。
「おい、答えろ」
「ああそうだよ僕は確かに覚えてる」
レクが言い終わらないうちに、リョウは不安と焦りを抑えきれず、震えた声を口早に吐き出した。
「怖いんだ……誰も覚えてないって言うのが」
いやそれも違う。本当は、怖いのは、あんな出来事を夢じゃないと訴える僕の本心だ。リョウはただただ自分の記憶に怯えていた。
「でも、あれはやっぱり夢じゃない。二人もそう思ったんだよね?」
いつの間にか、ダイキも目の前にいた。となるとあの出来事を覚えているのは、三人目ということになる。
「お前も覚えてたのか。てことは本当はみんなも覚えてるんじゃないのか?」
レクがそう言うと、ダイキは首を横に振る。
「駄目だよ。話しても皆気味悪がった目で見てくるだけだ。多分覚えてるのは僕たちだけ」
そんなのってありかよとレクは肩を落とす。
「どうしようもないってことか。仕方ない。今は普通に授業を受けようぜ」
とりあえずリョウ達はそうすることにせざるを得なかった。
あれだけワクワクして待ち望んでいた図工の時間が、こんなにも苦痛なものになるとは思ってもいなかった。どうして僕たち以外は誰も覚えてないんだ?そしてあの竜の力は一体……。そういえばレク達は記憶は残っていると話していたが僕の竜の力の事については何も言わなかった。もしかして、レク達もそのことは忘れてしまっているんじゃないか?結局、全部覚えてるのは僕だけなのかもしれない。そう思うと怖かった。
リョウは設計図を机に広げると、誰にも聞こえないように小さく溜め息をついた。設計図を見ても、心が踊らない。しかし、いつまでも下を向いているわけにもいかないので、リョウは手を動かし始めた。
「リョウ君、何これ?」
隣に座っていたショウリがリョウに話し掛けてきた。何ってなんだと思い、ショウリの方を見ると、丸く開かれた瞳は真っ直ぐ設計図を見つめていた。なんだ、そのことかとリョウは顔をそれに向けると、そこには、昨日描いた木工の設計図の上に、見たこともない物体の模型図が描かれていた。
「何だ?これ」
リョウがそう驚いた様子を見せると、ショウリは眉間に皺を寄せて言った。
「リョウ君が今描いてたじゃん。」
リョウが、知らぬ間に描いていたらしいそれは、細長い筒の内部に、奇妙な線の入った幾つかの球体が収められている、といったような物であった。
何でこんなものを……リョウは一つ思い当たることがあった。
そうか。あの記憶だ。僕の腕が燃え上がる前の、あの映像の中に、これが映っていた。
「リョウ君、なんか今日おかしくない?さっきも先生に何か言ってたし」
おかしいのはどっちだよと言ってしまいたかったが、きっとそれじゃ何も変わらない。
じゃあどうするべきなんだ?
このまま忘れたふりをし続けて生きるか?そうすれば今まで通り僕たちは平和な毎日を過ごすことができる筈だ。
でも、本当に、それでいいのか?
本当に、それは正しい選択か?
分からない、分からないけど。
一つの想いが少年の心中に現れる。
「はい!じゃあ明日も皆元気に登校するんだぞ!」
5・6時間目も、少年達にはひたすらに長く感じた。しかし、やっと帰りの会も終わり、クラス全員の『さようなら』で今日が終わる。
いつもの風景。そんないつもが当たり前の教室の中で、いつもを壊された少年達が佇んでいた。
「ねえ、思ったんだけどさ」
リョウが二人に向けて話し始めた。
「今、皆はあの時の事を全部忘れちゃってて、何でかは知らないけど僕たちだけがそれを覚えてる」
じゃあ、僕たちがすべき事は───。
少年達は、真っ直ぐにお互いを見つめる。そして、リョウは大きく、大きく深呼吸をして言った。
「見つけよう。夢じゃなかったって言える証拠を。僕たちが、今日起きた出来事を忘れちゃったりしないうちに」
おいおいとレクは茶化すように言う。そんなのどうやったら見つかるって言うんだ、と。しかし、そう言うレクの目はあくまで真剣だった。まるでもう覚悟を決めているかのような、そんな目をしていた。それを代弁するかのようにダイキが口を開く。
「でも、そうするしかないよね。だって、覚えてるのは、僕たちしかいないんだから」
そうだ、僕たちしかいない。
きっと運命の女神様は人選ミスをした。こんな普通の少年達にそんな使命を与えるなんて。でも、選ばれたからにはやるしかないんだ。嘘偽りないこの記憶が、その証だ。
「じゃ、よろしくな。炎の竜のスーパーヒーローさん」
「覚えてたんだ!」
少年の中で、一つの不安が消えた。
それと時を同じくして、少年達の中に、確かな覚悟が生まれた。
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