随筆 『弥生、過ぎ行く』

 もうそろそろ、冬が終わるのだろう。

 近所の公園では、梅の花が満開となり、桜のつぼみも、うっすらと色づき始めてきた。衣料品の店を覗いてみれば、どことなく軽い色合いの、薄手のジャケットが、すでにたくさん並んでいる。

 季節の変わり目というものは、たとえそれがどの季節であっても、なんだか物憂いものだ。春の終わりが来ると、さあこれからどんどん暑くなるぞ、と嫌になってくるし、その夏が過ぎる頃には、いよいよ今年もあと三ヶ月かと、重なり行く年齢に焦りを覚え、そして晩秋がやってきたかと思えば、瞬く間に師走が来たるのだ。

 年の瀬の、目の回りそうな忙しさをなんとか乗り越えると、やがて正月休みが訪れ、あっという間に休みが過ぎ去り、節分が来て、これまた物憂いチョコレートのお祭りがやって来て、そして、冬が終わる。またしても、桜がほころび始める。

 それは寂しいことですか、と訊ねたなら、人はなんと答えるのだろう。

 あるいは、なまじ綺麗に桜が咲くものだから、それが印象に残って、またこの季節がやってきたかと、年ごとに思い知らされるのかもしれない。そしてそういう風に考えるたび、自分はこの一年、なにをしてきたんだろうかと、否が応でも思わされるのだ。嫌なものである。

 しかし、そんな時でもなければ、自分を省みることなど、自分はしないのかもしれない。おそらくではあるが、目標もなく、まただらだらと、怠惰に一年間を過ごすのだろう。

 まあ、闇雲に焦るのはよくないのだが、だからといって全く焦らないというのも、それはそれで問題なのだ。

 だからきっと、これはこれでいいのだろう。

 そもそも、季節が変わっていくのを引き止めることなど、始めっから、できようはずもないのである。良いも悪いもあったものではない。

 そういうわけで、結局のところ冬は終わるのだから、思う存分、反省しよう。どうせまた、一ヶ月もすれば忘れてしまうのだろうけど、それはそれでかまわない。

 それもまた、始めから、どうこうできるものではないのである。

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