晩餐会にて
緑茶
晩餐会にて
少年は晩餐会のさなかにあって、その全てに目を奪われていた。
豪奢なシャンデリア、その下で優雅に身を横たえるカーペット。
テーブルの上には贅を尽くした料理の数々がならんでいる。キラキラ輝く純白のお皿に、色とりどりの飲み物。丸々としたチキンや、新鮮そうな艶を放つ野菜。
そのどれもが、普段は目にすることの出来ないものだった。
周囲に視線を広げれば、そこには様々な服装に身を包んだ来賓客が居る。皆上品な仕草で語り合い、誰も悲嘆に顔を染めている者は居ない。部屋の奥ではピアニストが陽気なBGMを流し、人々はそれに合わせて歌ったり踊ったりしている。
少年の両親もそこに居た。母親はいつもよりずっと綺麗に、父親はいつもよりずっと逞しく見えた。少年は、目を輝かせていた。
「いいこと。ここであなたは、多くを学ぶのよ」
会が開かれる前に母親が言っていた言葉を思い出す。なるほどそうだ、こんな世界があったのか、と思った。何もかもが知らないことだらけで、少年は自分の身体がある場所が、とてつもなく広く感じて――なんだか途方もないところに来てしまったように感じていた。
しかしそれは喜びであって、恐怖などではなかった。
耳をすませば、人々の会話が聞こえてくる。
「……わたしの事業が、このたびさらなる成果を上げまして――」
「まぁ、それは素晴らしい――私のところでは、娘が――」
「ここにいれば、何もかもが平和であるようですね。これからもずっとここに――」
少年はそれらの声を聞いていた。何を言っているのかはまったく分からなかったが、ただひとつ理解が出来ることと言えば、ここには幸せのすべてがあるということだった。
暖かな食事、にこやかな人々。庭に出ればきれいな草や木があるし、花だって一面に咲いている。お客の子供達と遊ぶことだって出来る。少年にとって、今日この時こそが世界そのものだった。だからこそ少年は――幸せの夢の中で、包まれていたのだった。
少年は、食事に飽きてぶらぶらした挙句、窓の外を見てみる気になった。きっと満天の星空が自分を迎え入れてくれるのだろうと思ったからである。
だから歩いていって、窓のところに行った。
窓の外を見ると、向かい側に小さな家があるのが確認できた。その存在に今まで気づかなかったのを少年は不思議がった。ずっとそこに、あったはずなのに。何故今日になって、やっと見ることが出来たのだろう。
それはひび割れた壁の、本当に小さな家だった。少年の家から道を隔てた場所にぽつりと立っていた。少年が目を凝らすと、窓のところに明かりがついていて、中が見えるようになっていた。
……その時少年は、何故か嫌な予感をおぼえた。
今、それを見るのをやめておくべきだ、という声が聞こえた気がした。
しかし時既に遅く、少年はその窓の向こうを見た。見てしまったのである。
薄暗い部屋の中で、一人の痩せた女性がベッドの上に横たわっている。彼女は薄ぼんやりとした視線で、天井を眺めている。そこに気力はない。シーツの上に所在なく置かれた手は見るも無残なほどに細く、骨さえ見えそうだった。女性は殺風景なその空間の只中に居た。
間もなくドアがガタガタときしみながら開くと、小さな女の子がやってきて、痩せた女性のもとに駆け寄る。女の子は何かの言葉を女性にかけた。すると女性はその子の頭を撫でようとした――。
その時彼女は血を吐いて、シーツの上を真っ赤に染め上げた。
女の子は何かを叫びながら女性に近寄る。彼女は何度も何度も咳き込んで、その度に身体がベッドの上で跳ねた。
どたどたと音がしたと思うと、狭く薄暗い部屋の中に眼鏡を掛けた男性と中年の看護婦が入ってきて、苦しみもがく女性の体を抑えつけた。そのまま看護婦に何か指示を出して、女性に何か治療のようなものを始める。それが何であるかはわからない。傍らでは女の子が泣き続ける。
暫くの間男性は女性に対して何かを行って、何かを語り続けていた。だがそれが功を奏することはなかった。
女性はもう一度大きく咳き込むと、赤黒い塊のようなものを吐いた。するとその身体から力が抜けて、糸が切れたようにベッドに倒れた。そこからはもう動かなくなった。男性が首を振って、看護婦が口元を手で抑えた――女の子は、動かない女性を抱きしめて、泣き叫んだ。その声は、少年には聞こえなかった。
全ては、窓の向こう側にあるものだった。しかし情景だけがそこにあって、一切の音が聞こえてこなかった。まるで人形劇のように、窓枠の中で全てが起きて、そして終わっていた。
少年はぶるぶると震えながら振り返った。
すると世界に音が戻ったようだった。
音楽が流れて、人々は抱擁しあい、幸せなときを噛み締めている。
少年は目を見開いて、その場でうずくまる。自分の中に何かが起きて、それが一気に表出されたようだった。
あぁ――今ここでは、皆生きている。
でも、あそこでは、あの場所では――。
心配した両親が駆け寄ってきて、青ざめた顔のまま涙を流す少年の肩を揺さぶり何事かを聞いてきたが、既に少年にその声は一切聞こえていなかった。
誰も――誰も知らない。
あの場所で何が起きて、何が終わったのかを。誰も理解することはないのだ。
何か、とてつもなく悲しくなって、少年は泣き続けた。
周囲の人間は、何が何やら分からぬという様子で、ずっと困惑していた――。
晩餐会にて 緑茶 @wangd1
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます