第2話 ルーツ

 龍ヶ崎家は愛知県で代々続く医者の家系で、光志の祖父も医院を営んでいた。内科だけの医院だが、医者が近くにいるだけでもありがたがられる時代だった。医療以外にも祖父は地域のために骨を折ったようで、例えば成績優秀だが家が貧乏で学費が払えない子に学費を援助したり、近くに鉄道が通ると聞けば地元にも新駅を作るよう呼び掛けたりした。

 その息子、つまり光志の父は、東京の医大を出て大学病院で外科医として勤務したのち、実家に戻り祖父から医院を引き継いだ。その頃、母と結婚をし、光志が生まれた。

 父には大きな野心と、ちょっとした経営センスが備わっていたようだ。

 医院周辺の土地をコツコツと買い求め建て増しし、優秀な医者をスカウトし専門科目を増やした。内科、外科はもちろん、産婦人科など主要な診療科を設け、龍ヶ崎医院は数年で龍ヶ崎総合病院へと変貌を遂げた。

 父が総合病院の売りに目をつけたのは癌の先進医療だ。日本はバブルに入る前だったが景気は上向きで、最新の医療器具の導入に銀行からの融資や私財をも投資した父は、癌の専門医を招き入れ、難易度の高い手術を次々と成功させていった。

 光志が思い出す父との記憶は、病院と紐づいている。白で統一された病院の内装、働く医者や看護婦の姿、つんと匂う消毒のにおいも、白衣を身にまとい院長として患者に向き合い医者には激を飛ばす父も、そして時折感じる暗い死の影までも、幼少期のなつかしい想い出だ。光志にとって病院は公園であり庭だった。

 光志16歳の夏、父は次の目標である東京進出の実現にむけ動き出した。メスを置き経営に専念したのだ。メスを置くことが医者の終わりとは言わないが、体力やスキルの限界がきたわけでも、手術への情熱を失ったわけでもない外科医がメスを置くと言う事は、やはり外科医としては最も大きな決断であることは間違いないだろう。

東京ではいよいよ龍ヶ崎総合病院の着工が始まろうとしていた。


 その夏の終わり、光志が短期留学先のアメリカから帰国すると、事態は一変していた。

 東京の新病院設立の用地買収の件で、東京都知事と父の間に不透明な金銭のやり取りがあった、と新聞が報じたのだ。さらにその敷地は国の所有地であることも発覚し、内閣総理大臣から都知事に、用地買収に関して忖度があったのでは?と厚生労働省の内部からリークされた。

 “龍ヶ崎問題”と名付けられた一連の報道は、リークした厚生労働省職員の更迭により立ち消えになると思われたが、火に油を注ぐ結果となった。マスコミの餌食になった龍ヶ崎家は私生活をさらされ、病院では患者の転院が相次いだ。一家は病院を離れ、雲隠れするしかなかった。父は沖縄の別荘にしばらく隠遁し(マスコミは沖縄にまで追ってきて逃亡生活と書き立てた)、光志は母の実家に身を寄せることとなった。

 ほとぼりが冷めたのは一年が経ったころだろうか。

 実家に戻ると、龍ヶ崎総合病院は在るものの、以前の姿ではなく、老人医療とリハビリ専門の病院になり果てていた。がん手術ができる有望な医者が次々と辞めた上に、先進医療への投資は続かないと判断した経理畑出身の副院長の方針だった。病院名に龍ヶ崎の名が残ったことだけは、一家を安堵させた。

 東京進出の夢破れ、副院長に経営の実権を握られた父は、名ばかりのオーナー院長として存在する、形ある幽霊となった。

 ―光志、お前は好きな事をしろ。

医者にならずともよい、という意味だ。僕が医者になって病院を継がないと、龍ヶ崎総合病院って名前はなくなっちゃうんだよ?と言う光志に、それでもいいんだ、と父は力なく答えるのだった。

 そんな騒動を経た高2の冬、名古屋の繁華街を歩いていた時、有名なストリート・ファッション誌に声をかけられた。私服スナップを撮りたいというので快諾したら、翌月名古屋グランプリとして雑誌に写真がデカデカと載ってしまった。光志の通う学校は進学校だからファッション誌を読む生徒などいない。誰一人それに気が付かなかったが、近所の高校の生徒たちはすぐに気がついたようだ。放課後に校門で光志を出待ちする女生徒が現れはじめた。女生徒に交じって男が一人いた。それが弦人-、戸部弦人だった。


 クラクションが聞こえる。車が動き出したのだ。

 龍ヶ崎は急いで車を発進させた。-なんで戸部の事なんて思い出すんだろう。もう十年以上会っていないのに。

 事故渋滞を抜けるとあとは順調だった。赤坂の、真奈の事務所近くに車を止めた。遠藤真奈。ティーンモデルをしたのち、映画「飢え。」でサイコパスの女子高生を演じ女優デビュー。以降CMや映画、ドラマにも出演し同性からの人気は高いが、その分アンチも多く、アンチからは「エンドウマメ」とか「マメ」と呼ばれている。アンチが多いのは恋愛に奔放だからだ。人気ダンスボーカルグループの歌手や人気俳優と噂になり、真奈は全く隠そうとしなかった。事務所は否定も肯定もせず、それでは認めているも同然だ。当然ファンは気に入らない。

 そんな負のループも含め増えたSNSフォロワーは現在150万を超えようとしている。

 事務所的には龍ヶ崎が20才年上だろうと、バツイチだろうと、とにかく真奈の恋愛には口出ししないと腹を決めているようだ。もう22歳だし、恋愛をしていないと仕事もしなくなる真奈に、事務所もある意味お手上げなのだろう。

 真奈の顔は、と龍ヶ崎は考える。これは職業病だった。真奈は個性的な美人だ。輪郭は卵型、二重の目は大きくやや吊り目だが、瞳と涙袋が大きいからきつい印象ではない。鼻は小さいとは言えないが目や口とのバランスが良く、口元は大人っぽい。ルーツは沖縄だといっていたが、少しエキゾチックな印象で、なるほどと思う。

 去年、クリニックに来た真奈は、整形手術を受けるモデル本人以上に整形手術に興味があるようだった。

「龍ヶ崎先生は望めばだれにだって手術をするの?」

モデルはすでに手術室に入っていた。龍ヶ崎はほぼすべての手術を部下に任せている。この日の執刀医は末次だった。

「それが俺の仕事だからね。」

六本木の自社ビル、27階の真っ白い院長室の大きな窓からは目下東京が見渡せた。もうすぐ日が落ちる時間だ。真奈はソファに座ろうとはせず、龍ヶ崎の隣に立った。

「ねえ先生、じゃあ私はどう?先生が手術するとしたら、どこ?」

真奈の顔が龍ヶ崎に近づいた。ふたりは見つめ合った。真奈の瞳孔が開くのを龍ヶ崎は見逃さなかった。そしてしばらく凝視した後言った。

「君はそれを望んでいない」龍ヶ崎は笑う。「それもわかるんだ」

「ふーん…。じゃあ質問を変えるね。先生にとって理想の顔ってどんな顔?」

「理想の顔。そうだな、美しいと思う顔はたくさんあるよ。完璧な美、バランス。患者それぞれが持つ骨格を生かす美のベクトル。だけどそれは俺にとっての理想の顔ではなく、患者にとっての理想の顔だよな。この手でどれだけの顔を創ってきたと思う?君にはきっと想像もつかない数だよ。だけど俺が」

「俺が?」

龍ヶ崎はその先の言葉を飲み込んだ。

―俺が手を施すまでもなく、最初から完成された“俺の”理想の女がいた。

「龍ヶ崎先生?」

「あ、いや、そうだな、理想の顔は、どんな顔だろうな―」

龍ヶ崎の顔が窓ガラスに映る。景色を見ているふりをして、龍ヶ崎は何も見ていなかった。目の焦点を合わせるためだけにガラスに映る自分の顔に焦点を合わせた。

「先生は孤独なひとなのね」

真奈がつぶやいた。

彼女もまたガラスに映る自分を見ていた。

「昔同じことを言われたな」龍ヶ崎もつぶやいた。

龍ヶ崎と真奈はそれからすぐに付き合い始めた。


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