6:なにかを追いかけていた

 五月下旬の某アイドルの卒業イベントの際、小島居と雪乃はUDXに入ることさえできず、仕方がなく御徒町まで赴き、そこで買い物を済ませた。

 雪乃が唖然とした顔で魚を見ながら「安い」と呟き、小島居はこんな店があったんだなと初めて知った。


 小島居は上京して以来、あまり千代田区の探索をしていなかった。東京だから物価が高いのだろうと、高を潜っていたが、そんなことがない現実が目の前に広がっていた。


 食品関係はUDXだけで事が足りてしまっていたから、滅多なことでは遠出はしないが。

 UDXも都会っぽいが、御徒町の『吉池』も、こことは違う都会とアメ横が合体したような古きも清新さもあるデザインは小島居と雪乃にフィットした。

 以降二人はこちらでの買い物も多くなったと考えると、あの大惨事も悪くなかったなと考えるほどであった。


 その後、やはり例のお姫様抱っこ事件以降、この街の雰囲気も僅かながら嫌な空気を持ち出されたような冷気が漂っていた。それでも電気街、ヲタク文化としての秋葉原は健在で、興味のない小島居にとっては住みやすいぐらいの空気ではあった。


 七月の前期テストを終えると、長い夏休みが訪れる。

 結果は気になったが、去年の夏から始めた週二回のバイトの兼ね合いと、実家へ帰る日程を考えていた。

 さすがにお盆をそのまま放り投げたら、店長はいい顔はしないだろうし。そんなことを考えていると小島居はいつものように秋葉原の中央通りの決まった場所のガードレールに寄りかかって本を読んでいた。


 今日の秋葉原はやけにコスプレしている人々が多い。チェルシーもいつも通りに、この暑い中チラシ配りをしている。そして、時期にいつものように左側へ腰かけると、小島居の言葉を待っているようだった。


「今日はやけにコスプレしている人が多いけど、何かイベントがあったのか?」

チェルシーはあぁというような顔を見せた。

「今日から、コミケ初日ですからね」

小島居もなさけなく、「ああ」と呟いてしまった。


 コミケとはビックサイトで行われる同人即売会のことで、この日はなぜか秋葉原の人口密度も増加する。

 おそらく、コミケの打ち上げや夏休みに入った学生たちが秋葉原に遊びに来るのが合併して一気に人口密度が増加するからであろうか? そういえば、去年もこの時期にコスプレイヤーが増殖したような日程があったが、ちょうど一年前のことだろう。


 小島居もコミケ事情は、夏と冬の二回行われる以外、そこまで詳しくない。

 同人即売会で買うモノなんて見当も付かない。

 一応、企業ブースで大手が限定グッツの販売やらも行ってはいるが、アニメがそこまで好きかと言われると、行くほど興味があるワケではない。そもそも、アニメが好きでグッツまで欲しいかって話になる。


「チェルシーさんは、コミケにはいかないんですか?」

「夏はとても混むので、行きませんよ」

 と、ちょっとハニかみながら、「普通は夏コミが常識なんですけど、あの暑い中はどうしても歩きたくないんですよね」

「そんなもんか」「そんなもんです」


 そして、いつもの事ながら、「小島居さん?」

 と、チェルシーはまだ時間でもないのに数枚のチラシを小島居に押し付けて、笑顔を作った。


 いつものようにチラシを受け取ると、どうやら読んでほしいのかチェルシーは小島居の顔をみたままだった。

 圧力に負けて、このチラシを読み上げる。


「創業祭エンジェル喫茶……」


 それを読み上げると、チェルシーは掌をクルっとなにか指示をだした。

 おそらく裏返せという合図だろうか?

 チラシを裏返し、そこに書かれた手書きの文章に目を向けた。


『ダンスの練習につきあってくれませんか?』

 と、書いた文の下には、指定場所と携帯の電話番号。


 チェルシーは少し落ち着かない素振をしている。

 首をちょっと傾げて、「お願いできますか?」

 と言われると小島居は断ることはできない。


「見るのはいいけど、なんもアドバイスはできないと思うよ?」

「いえいえ、近くで見てくださるだけでいいんです。

 一人だといつも怖くて、でも頼める人が小島居さんぐらいしかいなくて……」

「わかりました。

 夕食を食べてからでもよければ、行きます」



 夕食を食べると、すぐに食器を片付ける。

 偶然持ってきた高校時代の学校指定ではないミズノのジャージを引っ張り出すと、それを着た。

 玄関で靴を履いていると、後ろで雪乃がいた。

 風呂から上がった雪乃はピンクのシャツに体操服の短パンのようなラフな格好。


「どこか出かけるのですか?」

「運動不足だから、ちょっと歩いてくる」

 と小島居は答えた。


 雪乃は疑いもせずに「そうですか」

 と、テレビのリモコンを操作する。


 あいかわらず、子供が見るべきではない少年向けアニメを見ている。

 小島居より雪乃のほうがこの街に染まってしまったと考えると、なにか兄としての責任を感じた。


 それと雪乃は子供らしいが、どこか親父臭くなっている気が離れない。

 どちらかというと美少女がでてくるアニメを見ている率が高い。

 だからって、小学生でBLの虜になる姿は想像はしたくないのだが……。



 岩本町から上野公園まではそこまで遠くないが、走っても数十分は掛かる。

 中央通りに入るとずっと上野まで直進、交番手前にある公園が待ち合わせ場所だった。


 体力さえあればもっと早く着いたかもしれない。

 昔は陸上部で長距離で県大会に出るほどであったが、何年経った今、この姿はあまりにも無残。


 公園へ到着すると一人の女性が椅子に座って待っていた。

 小島居が私服のチェルシーを拝めるのはそれが初めてだ。

 小島居は「よっ!」と話しかけると、チェルシーは「うっす」と返す。まるで部活動みたいと思いながらも不忍の池へと向かっていった。


 遊具が並ぶ場所で、チェルシーは「ここでいいや」と、荷物を置き始めた。

チェルシーはスマートフォンから大音量で音楽を流し始めると、人目を気にせずにダンスの練習を始める。


 小島居はそれを眺めながら、過去を思い出していた。

 小島居がこの不忍の池へ訪れたのは二回目だった。


 去年の夏に雪乃と一緒に東京見物で立ち寄ったのが一回目だった。

 そのとき、池の真ん中に存在する弁天堂が改修工事で拝めることができなかった。


 途中購入したばかりのビデオカメラでも持ってくればよかったななんて考えていると曲が終わり、チェルシーがこちらへ寄ってくる。


「どうだった?」

 とチェルシーに聞かれたので小島居は「キレがいいね」なんて適当なことを言うと、「嘘だ」とバレた。


 彼女のダンスは、伸び伸びとしていたが、どこか軸がズレて見えた。それは、チェルシー自身もわかっていた。


 チェルシーは、

「すみません……できるだけ、目立たないようにしているんですけど、身体が傾いていませんでしたか?」

 と、なにか言訳するように早口で言った。


「……疲れているせいかと思ったけど、そういう癖なのか?」

「私、以前左耳が悪いって話しましたよね?

 それで、平衡感覚が変なんです」

「ああ」


 そのあとも、チェルシーは、なんども傾きについて、小島居に何度も尋ねた。

 少しずつ彼女は彼女なりに自身の弱点を克服しようとしていた。


 やがて、疲れたのか彼女は小島居の座るベンチの横に腰を降ろした。

 胸元をパタパタさせながら、「夜の街は涼しいね」

 と、チェルシーは前置きをして、「小島居さんはどうして、東京に来たの?」

 と、尋ねた。


「大学もあるけど、近くに有名な大学病院があるから……都合が良かったんだ」

「……小島居さんも、どこか身体が悪いんですか?」

「一応ね。でも、そこまで大したことはない」

 彼女と目が合わせられない。

「そうなんだ……」

 と、チェルシーは、話を続ける。


「小島居さんは、大学生なんだから……誰か好きな人とかできないんですか?」

 一瞬言葉に迷った。

「俺は、そういうのには程遠い生き物だからな」

「私も、今が精いっぱいで恋愛とかそういうのって考えられないタチです。

 でも、やりたいことがたくさんあっても、人間のできることって限られているじゃないですか?

 本当にやりたいことって考えると、いつも空回りして気づいたら今の自分が何できるんだろうって。

 いつだって、恋愛って感じに誰かを好きになる暇なんてなかった」


 それは、自分が誰かを好きにならない理由と似ているなと思った。

 時間に限りがある。

 だけど、彼女の場合、自身と同じ道ではなく真っ当な恋をすべきだとも考えた。

 なぜなら、人は死ぬ瞬間にすべてが決まる。そう考えていた。


「別になにもできなくていいんじゃないか?

 生きている間にできることっていうのは大体どうでもいいことで、死ぬ瞬間、どれだけ幸せかで、正直今なんかどうでもよかったりするんじゃないか……」

「でも、そんな遠くのことは……考えられないよ」

 小島居と彼女との違い。

「だったら、死ぬときに夢をが叶っていることが幸せか、ずっと傍に居てくれる誰かがいてくれることが幸せか考えてみればいいよ?」

「……ん、そんなの決めれないよ……」

 チェルシーは悩んで、苦笑い。


 でも、小島居にとっての幸せ。

 それは早く死んでしまう自身に、好きな人が悲しまないことだった。そして、できれば今傍に居る彼女も早く幸せになってもらいたい。

 そんなことを考えていた。



 そこで、一度話は途切れた。そして、チェルシーはもう一つの相談を始める。

「小島居さんにお願いがあります。

 どうか、この日のライブを見に来てくれませんか?」

 それは、今日のチラシに書かれたライブで間違えはないだろう。


「……この日なら仕事がないから大丈夫かな」

「ぜひ、お願いします」

「なにかサービスはあるんですか?」

「そうですね。そのときまでに考えときます」

「なんじゃそれ」「そういうもんです」

 上野公園の交番で、チェルシーは足を止めた。

 後ろに手を組んで振り返る小島居の顔を見上げる。

「私の家はアッチだから、今日は本当にありがとう」

 チェルシーは身軽そうに、公園方向へと走っていった。


 小島居は一人になると、暗い夜空を見上げて、息を吐いた。

 ひさしぶりにこんな遅くまで外にいたな。

 アナログの腕時計には九時を過ぎ。夜風がこんなに気持ちよく感じるとは知らなかった。

 感傷に耽りながらも、来た道をもう一度戻るため、上野から背を向けて電気街へと歩いていく。


 いつも本当は深く考えたくないこと。時間というのは人間を蝕んで、その時間が小島居にとって、まわりと比べて少ないことをチェルシーには言うことはできない。


 彼女には大したことはないといったが、病気問わず人間はいつ死ぬか分からなければ、いつ夢を諦めなきゃいけないとか、ケジメをつけるときが必ず来る。


 諦めないとしても、夢と身体の追いかけっこで、夢と病気のどちらが先に人を飲み込んでいくのか。

 小島居は半ばそのことをいつも自覚していた。自覚していたからって、今の現実を変えることはできない。

 身体の一部を無くしても、それは外見には見えないし、誰も腹の中、心にある病に気づくことはできない。

 いつも笑う大人の中身が時の経過で蝕んでいてもなんとも思わないように、人がいつ死ぬか、生きていけるかなんて運でしかなく、平等じゃない。


 日本テレビ局が死体を写すのを禁止するように、この国は死を排除して、恰も人間の死が存在しないように構築している。だから、小島居も死については想像でしかなかった。


 きっと死んだら、真っ暗で何もないのだろう。

 それがとてつもなく恐ろしく、死についての恐怖が増幅させた。


 脳裏に浮かぶ。三年前の病室で項垂れていた日々。それを繰り返すたびに小島居は『人間は生まれた時から病気』という三木清さんの『人生論ノート』の言葉が頭に繰り返す。


 そして、

「生まれてこなきゃよかった……」


 そういうと、なんとなく悔い改めて気持ちが楽になった。


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