5:欲(平澤)
平澤は女性を犯したいという気持ちを抑えられなかった。
思えば、高校を卒業して以来、女性と関わることは殆どなかった。
仕事ばかし、出会いなんて一切ない。だからって、合コンやら婚活パーティには参加する気にはなれなかった。
こういう場所は自身の地位が固まった人間が行くところであり、派遣社員でアシスタント、低給取りの平澤が参加するのはお門違いに違いない。
どのように女性を合法的、倫理に叶った犯行ができるか、無い脳で考えた。
敷布団の上、夕方が過ぎると、徐々に外は暗くなり始めていた。
その時、ある広告を思い出した。無造作にポケットを漁る。
取り出したティッシュの裏に書いてある広告には『lovely』とゴシック体のふんわりとした字で、その下には出会い系サイトと堂々と書かれている。
出会い系サイトって高らかに記入することは法律的にはどうなのかと考えながら、登録と済ませた。
それから数分後、「なんじゃこら……」と、言っても某刑事モノの真似じゃない。一気にメールボックスがいっぱいになった。
女性からのメールがたくさん届く。メールには、『私はMです。』とか『今夜、空いていませんか?』、などそれぞれの誘惑メール。しかし、そのメールのほとんどがサクラという存在であり、架空のメールなぐらい平澤の脳でも分かる話。
というか、架空じゃない相手なんか要るのか?
その中で、一つ選び返信をしたら、すぐにメールが返ってきた。
メールの内容に、平澤は下半身の興奮を抑えることはできずに、彼女に会うことにした。
千葉県よりの駅を指定されて、この場所に時間通りに到着した。
メールに書いてあった車が停車しているのに気付き、フトントガラス越しで確認を取る。
彼女はプロフィール通り歳上の女性であったが、本当にプロフィールの年齢なのか不明なほど彼女の頬には年齢を感じさせる皺がある。
だからって女性に年齢を聞くのには億劫した。そのまま車へ乗ると、彼が知らない場所へと車を走らせた。
もしかしたら、知らない男性が出てきて、フルボッコに会うのかも知れないと考えていると、人気がない駐車場へと車を止めた。
女性はガラス窓から見られないようにカバーを取り付けていくのを平澤も手伝った。時期に車内が真っ暗になると、女は淫部の下着を脱ぎ始め、言う。
「じゃあ、やりましょ?」
この女は、初対面の平澤になんの恥じらいもないのだろうか? 手をかけると軽く笑い、口元を近づけると目を瞑り接吻を交した。
いつの間にか行為が終わると、何もなかったかのように下着を身に着け、車を元の駅へと走らせた。
「駅でいい?」
と、今まで喘ぎ声をあげていた口が、冷めたように向けられる。
「はい」としか答えられず、また彼女と他愛もない話を始める。
女は「今日はありがとう」と言い終わると、車を走らせて見えなくなった。
ここまでの動作はあまりに早すぎて本当にヤッたのか、ヤッテないのかさえ覚えていないほどだったが、手には僅かに抱いた女性の匂いが染みついていることに気づくと、ヤったんだと改めて考えさせられた。
この匂いをトイレで流すと、次はいつ女性とできるのかと、頭の中が呪いに掛かったように、女を求めていた。
この日から、女性の身体が得体の知れない精神薬のように感じられるようになった。
気持ちがよかったというワケではない。気持ちよくなかったといったら嘘にはなるが、無意識に女性の身体を欲してしまう自分がいた。
その日から、地獄の日々が始まった。いや、既に始まっていたのかもしれない。
生きている限り逃れることのできないセックスという病に呑まれていった。
世界の始まり、それはいつも有触れている。そのパンドラの箱の中身に全然気づかないだけで、異性という違いを自覚した瞬間から呪いは始まっていた。
平澤の思考は獣と同じく、ただ愛を欲しがるのみだった。
サトウスタジオは昔ながらの大手の写真広告代理店であったが、かの栄光は既に敗退して、今では広告業界の亡霊としてガムのように壁にへばりついている。
平澤はこの会社に派遣社員として出向してから三年目。
いつ辞めていい覚悟だが、他へ行くのは億劫した。このスタジオに愛着がないと言ったら嘘にはなる。
ガレージにある喫煙所に行くと、先輩のカメラマン何人かが暇そうに煙草を吹かしていた。
その中に平澤も入り交じって、煙草を咥えてライターで火をつけた。
そこで適当な話を何個か重ねていると、馴染みのあるカメラマンの宮沢が嫌そうな顔をしていた。
なにやら問題があったのだろうか? 宮沢は、平澤の顔を見ると、「あ!」と指を指したあとに、口の煙草に火もつけずに彼の元へ近づいた。
仕方がないので、平澤は即座にポケットからライターを取り出し火を付けると、「すまないね。」
と、宮沢は言葉を重ねた。煙草を吹かすと、少しだけ柔ら気に顔を弛緩させた。
「何かあったんですか?」
と、輩が心配だったので声をかけた。
宮沢は、煙草を一度手元に置いて、一度チラ見した。
「ちょっとね……」
その一言で、なんとなく理由を察することはできていた。
「またですか?」
このスタジオ、というか、このファッション雑誌の撮影には悪魔的モデルが存在した。
しかし、彼女がいないと撮影は回らない。
このファッションモデルのモデルさんはかなり撮影に関して人間的なのだ。
そして、いきなり背後から熱が伝わってきた。
女性の胸がぎゅっとあたると気という気が膨れ上がって、平澤は思わず発狂しかける。その正体が誰だかは知っている。
「み~つけ!!」
耳元で上条アヤカの声が響き渡ると、恥ずかしくなって彼女の両手を外すように動いた。しかし、両脇を抑え込んだ手はなかなか外せるワケがなく、彼女の胸が尚更背中へと捻じ込まれる。
アヤカとは二年間ほどの付き合いがある。元直付きでアシスタントをしていたときが彼女と会うキッカケであった。
彼女もこの仕事を始めたばかしであったため、撮影はディレクターの意に大いに反して撮影が遅れるに遅れた。
その途中、彼女は嫌で逃げ出したこともあった。
罵声を続けたディレクターさえも、顔を青ざめさせたのを忘れられない。
撮影ができなくなって一番困るのは、彼女ではなく、制作会社側(平澤、カメラマン、ディレクター)なのだから。
「アヤカちゃん、髪形セットしていたんじゃないのか?」
笑いながらも引き摺っている宮沢の顔。それを聞いた瞬間、また、なにかをやらかしていると察することはできた。
アヤカは、容姿端麗であるが、狐仮虎威な性格は二年経った今、さらに傲慢になり続行されている。
それが彼女なりの気の持ち方なのは知っている。だが、程々にしないと、またディレクターがメランコリーモードに突入してしまう。
よく見たら、アヤカの後ろにヘアーリストさんとスタイリストさんが喫煙所の三人を眺めている。
平澤は小声で、「見られているよ」と、アヤカに伝えると、手で口元を隠しながら「見てないところでね?」と耳打ちして去った。
是非見られてないところで、ヤラセテくれるなら大いに結構と、阿呆らしくもそんな言葉が頭を過る。
彼女のモデルとは思えない大袈裟な笑顔は赤ん坊が泣き喚く笑顔以上の脅威だ。
人付き合いが苦手なわけではないが、そんな顔を見ていると、人物撮影が恐ろしく感じるのだ。
昔は直アシといって一人のカメラマンの仕事だけを手伝っていたが、晴れて平澤が直アシでなくなってから、カメラマンとしての仕事も頂けるようになって、滅多に彼女と話すことはなくなった。
それでも、先ほどのようにアヤカは平澤を見つけると、愛情表現で、自分より大きいハズの平澤を飼っている小型犬に甘えるが如く抱き着いてくる。
平澤は彼女が自身の事を好きなんじゃないかと錯覚することがある。しかし、そんなシェイクスピアのロミオとジュリエットではあるまいし、そんな話があって堪るか。
この業界では、モデルに手を出してはならないという暗黙の領海が存在する。それもあって、彼女は異性ではなくモデルでしかないのだ。
彼女が居なくなってから、平澤は、もう一本ポケットから煙草を取り出した。
「気がまいっちゃうよ」と、宮沢が頭を掻く。
同感だが、なにも言うまい。
「でも、明日は頼んだよ?」「どう意味ですか?」
「あれ?飯坂さんから聞いてないの?」「いや、ないです。」
「明日から三日間、この撮影のアシね」「オレ、他に撮影ですけど……」
「……いや、あの撮影キってもらったんだよね」「はあ?」
平澤は、営業のひとりに電話をした。
彼が言い渡されたのは、アシスタントの足りない仕事に就いてほしいということを言い渡された。
本当は、明日から自分はやっとでもらえたカメラマンとしての仕事をするハズだった。しかし、アシが足りないという理由で、カメラマンの仕事を失うのは腹立たしい。
平澤の仕事は、違う仕事のないカメラマンが請け負うことになった。
『今回は……すまなかったね』
と、電話の相手はとにかく謝った
――畜生!!
と携帯を握ることで、感情を握り殺す。
風の噂で、このスタジオは潰れかけているのは知っていた。だが、自身で取ってきた仕事がこんな形で失ってしまうのは納得がいかない。
それでアシスタントをヤレってどういうことだ?
スタジオへ戻ると、ロッカーへ使わなくなった撮影道具をしまった。
平澤自身が取ってきた仕事を今頃は別のカメラマンが撮影していると考えると胸糞悪い気分に陥った。そして、安上がりのアシスタントの仕事を従事させられる毎日。
派遣社員は法律で派遣先の社員の仕事を奪ってはならない。その言葉が頭に刺さった。
元より自分が得た仕事でもだ。
既に営業に任せた時点で平澤の負けは決定したようなもんだった。
形からすれば、平澤がコネで得た仕事だからと言っても、一度この会社の仕事のモノとなれば、それは「平澤」の成果ではなく「会社のモノ」となる。
仕事を終えると、ネットで会った女性の元へと向かった。
何人かの女性と関係を持つうちに一人の女性と長く関係を持つようになった。
背は低く、歳は二十歳前後。名前はサクラという。おそらく、偽名。
彼女は、鶯谷のホテルの前で待っていた。
夜空を見ているこの顔は、今から援助交際する女性の顔とはほど遠い未熟さがあった。
サクラは平澤の顔を見つけると、静かに会釈。
服装もそこらへんにいそうな女子大生に近い紺色のシャツにトートバック、短いジーンズのパンツに赤のスニーカー。
大体の女性は終始引きずった笑みを見せるのを知っていたが、サクラは平然とした媚びのない顔つきをしている。
「待ちました?」と平澤が聞くと、誤魔化すように一瞬だけ口を歪ませて「いいえ」と言う。
彼女と挨拶代わりのキスをしたあと、ここらで安いホテルへ向かった。
彼女は行為がうまいとは言えなかったが、若さゆえの引き締まった身体には、他の女性より興奮させる幼さがあった。
彼女は以前に行為を行った女性とは偉く違く、ホテルに入ってからもすぐに服を脱ぐことはない。
無言で黙っている彼女を服の上から抱きしめ、嫌がらないのを確認してから、首あたりに何度も甘えた。
服を脱がす行為にも反抗せずに、気づいたら行為も終わっていた。彼女はマグロという言葉がよく似合う。
それから、彼女は服を着てから、話をした。
この金額、高くありませんか?また、あってもらいますか?それは、また買ってもらえないかということだろうか?平澤は、悩みながらも同意した。
そんな、言葉を初めて聞いた。
今まで話が成立するような女性なんていなかった。正直、恐怖さえあったが、安値で女性と行為を持てるほど、頭を白くさせることはない。
そのあとも仕事の後に、上野駅の裏手で待ち合わせをしては、その足で鶯谷のホテル街へと何度か彼女と往復をした。
彼女も慣れてくると、自ら愛撫を交すようになった。
金銭上、会えない日も彼女は平澤に会った。
その分は彼女への借金という形になったが、それでも彼女への欲情が止まらない。
撮影最終日はロケでの撮影一カットだけだった。
撮影が終わると、大きな拍手が全員へ向けられ、皆の顔にほっとした笑みが零れだしていた。
明日からはまた自分の撮影へ戻れると、深いため息をついた。
もう、さすがにあんな適当な撮影はゴメンだ。
宮沢と共に機材を片づけていると、またしても隣にアヤカがいる。
既に着替えを済ませた彼女は、片づけの手伝いでもしたいのか、スタンドを畳んだスタンドバックを車へ詰める宮沢へと手渡す。
おっと、と驚く顔を見せるが、子供を扱うように「ありがとう」と冷静にアヤカに笑顔をみせた。
「今日の打ち上げにきますよね?」
と、アヤカが平澤に尋ねた。
打ち上げに以前に一度参加したことがあるが、あまりにつまらないモノだった。
それに、コネ付のような行動を会社とはいえ、他人の為にしたくはない。
だから、私は大抵このような打ち上げには参加しない。
「俺はいかないぞ?」「え? なんで?」
「明日から、また撮影なんだ」
という、根も葉もない嘘をついて、この場を凌ごうとした。
それに、今日もサクラを抱く予定があった。
「いやだよ? 行こうよ?」
と、駄々をこねる彼女を無視し続ける。
だが、アヤカは、「……じゃあ、私もいかない!」
と、まるで子供のように拗ねた。
それには、カメラマンが間に入る。今後の仕事に関わる……可能性もあるからだ。
「――待て待て。お前も行くよな? 平澤?」
宮沢のその言葉には、業界上の脅しが含まれていた。
片づけを終えると、一軒の居酒屋へと向かった。
思った通りに、参加の呑みの席は、クライアントへの接待でしかない。
ゲンナリとする気持ちを持ち上げて、先に来ていた宮沢の隣に座った。
「遅いぞ?」「すみません……」
それから、しばらく彼らの話に合わせて言葉をふるい、彼らの眠い話に耳を傾けた。
こういう席では空気を読むのに、神経を集中させなければならないのが、かなり癪だ。
大体一時間ほど経ったとき、顔を見せたし……というのもあって、席を立ち宮沢へと耳打ちをした。
「私、明日も早いんで先に失礼します。」「ん……分かった。」
と、宮沢は許可をした。
「あの……」
という声に、他の同業者一同、平澤に目を向けられた。
「お疲れ様でした。すみませんが、明日早いんでお先に失礼しますね」
様々な声が返ってくるのを、何度か会釈をしながら、この場を退場。
酒は最近慣れてきてはいたが、ああいう席の酒は、なんでそこまで不味いのか。
なんて考えながら、駅までの 高架下を歩いていると、後ろから女性が走ってくる足音が聞こえた。
アヤカは駆け寄ると、平澤の脇へと手を絡めて、顔を急接近させた。理性が引っ繰り返りそうになる。
上条アヤカは「もう我慢できない」
と、意味不明な一言を吐く。
怒りながら平澤の胸元を細い腕が何度も叩いた。
「付き合ってくれないと、もうこんな仕事しないんだからね……」
「……お前、何言ってるんだ?」
なぜか、意味不明に泣き喚くアヤカをどう止ませるか考えた。
その日、カノジョの好意は本物だったと知った。
アヤカやサクラへの言葉を考えながら、小島居の家へ行くと、彼はいなかった。
代わりにいつものデータが置いてある。どうせ、いつものアレだろうとそれを聞いてみた。そこには、メイド服の女性が写っている。
可憐な彼女はチラシを配りながら、甲高い声を町中へと響かせている。
その女性は、配りながらも、たまにカメラの主に向かって声を掛ける。この声が……とても聞き覚えのある声だから、喉を詰まらせた。彼女はそのことを知っているのだろうか……。
小島居の趣味は盗撮であるが、知り合いがこんな形で盗撮されているのは、少しばかし苛立たしい。
放っておくべきか、伝えるべきか。だが、彼にコレを見てしまったことを察しられるほうが自分の立場を危うくさせると思い、今日はそのままこの部屋を出ようと考えた。
出ようとしたときに、目の前に小島居の妹の雪乃が立っていた。
おとなしそうな目で平澤を見ているが、彼女の恐ろしさは、一番よく知っている。だから、それを誤魔化すように、そのまま部屋を退けようと思ったときだった。
「それを他に言ったら、殺すわよ?
米ならあるから。食べるなら食べなさいよ?」
それは……彼女は、この物体の正体を知っているのであろうか?
「雪乃ちゃんは……彼の趣味を知っているのか?」
「……なにって、あなたもわたしたちの家族みたいなものじゃない?
だから、彼が捕まらないようにする役目が在るのがお分かりですか?」
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