3:真夜中に



 大学への入学が決まったとき、小島居は憧れであった都内での生活が始まった。

 そして、今年の三月、実家に残された雪乃がこちらへとやってきた。

 何日か泊めてやっても構わなかったので、泊めてはいたが、一向に彼女は実家へ帰る気配を漂わせず、彼女へそのことを問いだ。

 雪乃は今の家が嫌になって出てきたらしい。いわゆる家出だ。


 それならなぜ先に言わないんだと思ったが、雪乃にとって義理の父、母の家が窮屈なのは想像ができた。

 雪乃は父の弟の子、つまり親戚同士。雪乃の母が再婚する際に、小島居の父が彼女を預かった。両親は根は悪い人間ではないが、どういうことか小島居以外の家族に慣れることは一度もなかった。


 小島居が出ていくと知ったとき、雪乃は悲しい顔をさせたが、それ以上の我儘を言うことはなかった。

 こちらに家出してからは、笑顔でワンピースの似合う少女は、子供の無邪気さを見せて、その身体を弄ぶように小島居へと誘惑して見せた。

 それには気づかぬフリで、あたかも兄妹ということを忘れることなく彼女には接してきた。


 賃貸契約の条件もあり、雪乃の事を『春風荘』の大家に相談したところ、二人は違う部屋へ引越することで了承した。

 家賃は多少上がったが、襖のある2DK、慈悲深い大家の計らいで、敷金、礼金は無料になった。


 改めて二人の生活が始まると考えると、心が洗われる感じもしたが、それもつかの間、平澤の米騒動でいつもの変わらない日常へと一蹴された。

「どうした?」

 と、尋ねた平澤に対して、なぜここに引越したことを知っているのか、いろいろ尋ねた。


「そりゃこんなに騒いでいたら分かるだろ」

 と、いう言葉にそりゃそうだなと納得したが。――って、平澤がいないうちに引っ越し作業は終わったハズなんだけどな……。


 小学六年年の少女のプライバシーを確保できただけでもマシかもしれない。と、考えた矢先だった。

 雪乃は小島居が趣味で隠していたゴシック風のメイド服をいつの間にか着用していた。

 確実に小島居自身のプライバシーは守れていなかった。

 ある程度の裁縫を施して、この服装で転校先の小学校へ通っていた。

 

 これを身に纏った彼女は尋常ではなく理性の外中に存在する。

 初めて、保護者として叱るべきと考えたが、自身の趣味が露呈した不甲斐なさにグーの音も出す声もなかった。

 それを怠ったため、雪乃の私服は、メイド服やゴスロリファッションばかしになっていた。


 今思えば、彼女なりの兄を誘惑するための、作だったのかも知れない。

 小島居は、できるだけ趣味の時間と義妹への時間を分別して考えることにした。 雪乃が小島居にとっての性欲に成りえることは一切ない。断じていうが、義妹に手を出す気は一切ない。


 雪乃が実家の鎌倉へ帰るつもりがないと察した両親は、止む負えなく近くの小学校へと彼女を転校させた。そして、小島居へと教育の義務責任を押し付けた。

 実家から続く二人の生活は、もう二年になりそうだ。


 雪乃も今年で小学校は卒業で進路について考えなけれなならない。

 小島居自身は、放任主義にルソーの著『エミール』ではないが、雪乃が進路を話をしてくれるのを待つと、心では決めている。尋ねるとしても、小学生だし、まだ先でもいいだろう。


 母親は、電話で青山にある都立小学校へ通わせたいらしいが、それは親のエゴだと思った。

 義理の子供にそこまで金を出そうっていう親は大いに尊敬する。だが、自身で育てずに小島居に頼むのはどうだろうか? それに、小島居には遠くの高等学校へ行かされた苦い思いをしたことがある。正直、親が語る高校の違いなんて理解できないし、親が子の方向を決める図々しさにはウンザリしていた。


 小島居には体力的にも精神的にも苦しまされ、親が勝手に挨拶回りをしたせいで中学で辞めるつもりだった陸上部に否応なく入部させられた過去がある。

 彼が大学へ入学してからは、両親は口うるさく言わなくなった。

 雪乃をその二の舞にしないためにも、まずは雪乃の意見を反映させて、親へと相談したいとそう考えた。


 正直、小島居にとって、大学の哲学の講義で聞いたことを反映させるのは変な気持ちだ。

 雪乃は家に帰ると、録画していたアニメ番組を適当に流し始めた。


 そして、台所に向かうと、冷蔵庫の余りを取り出し、洗い場の鍋を取り出す。

 このアパートに来てから、彼女の料理の腕は鰻登りを通り越して、もうそのままお嫁に出してもいいぐらいだ。いや、いっそ行ってくれれば、小島居には大喜びなのかもしれない。


 小島居は雪乃がここに居るべきでないと考えている。

 それでも、小島居を選んでここへ来た理由は理解できた。だが、それはどうしようもない。子供には子供を育てられない。


 彼女をここに置いておくのは簡単だが、彼女に対して真っ当としたアイデンティティを与える自身がない。馬鹿ながらにそんなことを考えていた。


 親でも爺ちゃんでもない自分が、親戚の女の子に惚れる年齢はとうの昔に捨てられて、既に現実味のある境界の見切りはついてしまっていた。



 お粗末な米、味噌汁、御惣菜が、ボロの四角いテーブルの上へと並べられていくと、雪乃はいつもの椅子へと腰を降ろした。

 小島居も、アニメばかし注視していた目をモニター越しから器へと目をそえると、両手を合掌した。


「いただきます」

 真ん中のお惣菜は小島居が好きなニラレバー炒めだった。


 ちなみに、このアパートの住人の平澤が嫌いな食べ物はニラレバー炒めだ。

 雪乃なりの魔除けのつもりなのだろう。

 平澤は変に倹約家で、異常なまでもこの部屋へと乞食めいたお祈りを捧げていた。

 心優しいとは言えんが、世は情けという言葉に従い、彼に餌を与えることがあったが、雪乃はそれを拒んだ。その結果、彼が嫌いなレバー、野菜、刺身と言った食べ物がこの食卓にはよく並ぶ。

 彼の好き嫌いが激しいのも遺憾に感じざるのだが。

 雪乃は心優しく「食べられるものなら、食べてみてあそばせ」なんて使えない敬語を赤裸裸に並べていた。


 西洋風ゴシック衣装の彼女にはコミカルにこの言葉が当てはまった。

 小島居としても、彼の好き嫌いが治るのなら、食われるのも満更ではない。

 とくにレバーなんか鉄を効率よく摂取するにはもってこいの食材なのだから。



 そして、雪乃が寝静まる頃、今日録画したメイドのデータを纏め始めた。

 当たり前だが、義妹の前ではあんなモノは編集できない。片耳にイヤホンを付けて、チラシ配りに弁を出すチェルシーの声へ耳を傾けた。

 映像になった彼女は、ただ仕事の一貫性でチラシを配っているだけなのに妙な犯罪性を含み、小島居の心を多いに安らげた。


 だが、いきなり玄関のから物音がした。

 その物音の正体は知っていたため、舌打ちをして、編集作業に手を置く。


 一度キッチンのある部屋へ向かう。

 大男が鍋を拝見している図柄は、側から見たらどこかの大型野良猫の侵入よりタチが悪い光景であるが、平澤はそれを知ってか知らずか小島居の顔を見るとニイっと顔を歪ませた。

「今日は、お前が嫌いなニバレバだったぞ」と、小島居が忠告すると、「米だけでいいや」と、平澤は炊飯器の中を確認した。


 勝手に準備されていく食卓には卵かけご飯が並んでいた。

 冷蔵庫の卵を許したつもりはない。

 雪乃の椅子に腰かけ、ご飯茶碗に卵をグリグリと掻きまげて、得体の知れない代物と化した。


 テーブルには平澤が持ってきた安上がりの日本酒が置いてある。

 小島居は酒を奪うと、それを彼は黙認する。

 そのあと、適当に平澤の分も注いでやった。


 なにやら、平澤の顔がニヤニヤと笑っている。

 彼は酷く酒に弱く、酔うと表情で感情というモノはすぐ読み取れるほど、喜怒哀楽を出したがる。

「お前なんか、嬉しい事でもあったのか?」

「そんな人に言える事ではないがな。女性絡みとだけ言っとく」

「そうか……なら、深入りはやめよう」「どうしてだ?」

「いや、人の恋愛ほど、聞くにクダラナイ事もないぞ?」

「そんなもんか?」「そうだよ」

「と、言っても付き合いだとか、そういうのではない。男なら一度は通る道だ」

「……最低だな」


 平澤が言おうとしていること。付き合いではない付き合いの話。男なら一度は通る道。つまりは、風俗や売春といった類。

「盗撮趣味のお前には、言われたくない」

「アレは街を撮っているだけだ……決して彼女を撮っているワケではない」

「……まあ、どうせここいらのメイドばっかり撮っているんだろ? そんなことより、売春の何が悪いんだ?女の子も金を貰って、俺も欲が満たされて満足。需要と供給が成り立っているではないか?」

「そういう話、妹の前では絶対にするなよ?」


 その後、何を覚えていないほど酔っ払い、気づいたときには二人共ども小島居の部屋で団子になっていた。


 朝八時くらいか。部屋に入ってきた雪乃の音で目が覚めた。

 ガラガラと立て付けの悪い音が響き渡ると同時に目の前の男の匂いが鼻孔に触った。その後、仕方がなく朝食を食べていると、やがて平澤が起きてきた。


 あたりまえのように朝食を食べる平澤を無視して、雪乃は朝のアニメーションを見ていた。

 ニュースをみたいと言えずに、黙々と子供向けのアニメを眺めていると、「いってきま」と萎れたシャツの平澤がドアから出るところだった。


 出て行ったのを黙認していると、雪乃はアニメをチャンネルをニュース番組へと変えた。

 ニュースでは、ここ最近卒業間近の某アイドルばかし取り上げられている気がした。

 それを聞くたび世の中は平和だなと感じつつ、秋葉原のアイドル文化滅びろなんて考えてもいた。


 住人からすると、迷惑な話。興味が無いワケではないが、小島居にとってのこの街はサブカルチャーの街であり、アイドルの街と考えることに悍ましさを感じた。


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