2:秋葉原の中央通り、いつもだった会話


 五月になると、桜が葉桜になり、陽気も気持ち夏へと近づいてきてると気づく。

 小島居は行動心理学のレポートを纏めるため、中道通りでいつものようにガードレールに腰を掛けていた。

 ここで胸ポケットに入れた改造スマートフォンで長時間録画をしている。


 ガードレールに腰かけると、バックからカバーの外れた文庫本を一冊取り出すと、それを片手に挟むように持ち、淡々と読み始めた。

 本はカモフラージュの為である。


 去年の秋ごろから繰り返しやっているうちに、いつも通る人間や、滅多に訪れない人間の区別がつくようになった。


 大体の服装や歩き方、ルックスと言ったものでこの街の馴染み度が手に取るように分かる。某リンゴマークの実業家のように、馴染のある人々はいつも同じ服装の人が多い。

 着替えているのかどうか取材はしたことはないが、やはり下着しか変えない生物なのだろう。


 何度も観察されていると、親近感を抱くものなのだろうか? 小島居に話しかけてくる人間も何人かいた。

 目の前にいるチェルシーというメイドもその一人で、いつも決まった時間、決まった曜日になるとこの中央通りで甲高い声でチラシ配りをしている。

 ロボットみたいだなと考えたら、それは誰でも当てはまることなのかもしれないが。


 チェルシーはメイド喫茶エンジェルで働くメイドの一人で、喫茶店で開かれるイベントではよくアニソンを寶かと歌っている歌うメイドであった。

 集客が少ないと、暇なのか相手にしてもらいたいのか、チェルシーは小島居の正面から見て左側へと腰を降ろす。


 彼女がなぜ左側に来るかは依然聞いたことがある。チェルシーは左耳が聞こえない。

 以前、事故か何かで左耳の鼓膜が動かなくなったと彼女は言っていた。


 小島居は特に話す内容もないが、なにか言葉を強いられた。

「君は……なんでメイドをしているんですか?」

「――ん?」

 と、可愛らしい顔が小島居へと向く。


 この通りで、チェルシーと小島居が話をするのは、日課……みたいなモノだ。

 結果的に彼女をビデオで写しといて言訳苦しいが、大学の心理学の研究でこの場所を先に使用していたのは小島居だ。

 チェルシーはその後に、ここへ滞在し始めたのは今でも覚えている。チェルシーは身体を小島居の横、ガードレールに預けて、見ないフリを続けている彼を知ってか知らぬか、高層ビルに挟まれた空へと目を写した。


 いつの日も人通りが絶えないこの道で、二人して時間を潰すように言葉を紡ぐ。

「えーと、それは、アニメが好きだからです。

 私にはアニメしか好きと言えるモノがないんです。だけど、なにをすれば好きな仕事に就けるかって考えたら、やっぱりメイドしかなかったから……かもしれません」

 チェルシーの話し方は、キャラ設定なのか、元の様態だか知らないが、実に滑らかで落ち着きのある話し方をしている。だが、アニメが好きだという話は以前もしたことがあったが、それでメイドをしてしまうのは、あまりに現実離れした思考の持ち主だと思った。


「それは、間違えてはないか?」

「ワケを……具体的に、きかせてもらっていいですか?」

「普通だったら、アニメに出てくる職業に憧れるモノで、実際にメイドという職業ってアニメが好きだからなる代物ではないだろ?」

「ああ……」

 と、チェルシーは、相槌を打つ。その話は彼女も同感のようだ。

「それはそうですよね。

 でも、何か諦めるのが癖になっちゃっているぽい。好きな仕事にはなれない事は分かっているのです。だから、アニメが好きなのかもしれません。」

 そんな話をしてから、二人の間に沈黙が訪れた。


 そして、それ以上話が続かないと思われるとチェルシーはチラシ配りを再開した。

「どうぞ、よかったらお願いします。」

 と大きくも小さくもない声が綴られては、それを受け取る人間もいれば、目も合さず受け取らない人間もいた。


 チェルシーは取ってもらえないと、困ったように親指を唇へと乗せる癖がある。

 ノルマがあるのかは聞いたことが無かったが、一時間後ぐらいにチェルシーが小島居へと声を掛ける。

「御願いします。」

 チェルチャーは上目遣いで小島居へとチラシを向けている。


 なんとなく、受け取るしかなかった。

 それを手にすると、彼女の口がら満面の笑みが零れる。

 チラシ五分の束。そうやって、最後に何枚かチラシを渡して去っていくことが多い。彼女なりの別れの挨拶なのだろうか。


「サービスしてくれる?」

 と、それには苦笑しながらも彼女へと励ましの言葉を贈る。


 その言葉に押されるように彼女は胸を抱いて言葉を返す。

「いつも、サービスしているじゃないですか?」

 その言葉には違いないやと頭を掻くしかないのだが、それから彼女は本拠地のメイド喫茶エンジェルへと歩み始めた。


 小島居は読んだふりを続けていた哲学書をバックへとしまうと、とりあえず神田明神の方角へ歩き始める。


 大学の研究名義というのは嘘ではない。平日なのにこんなにも人が多い理由を考えさせられるが、ここがこの電気街の良い点でもある。

 そして、大学のある御茶ノ水まで歩き始めた。



 こんな、生活を送っていると、俄然大学の単位に苦しむことにはなるのだが、そんなことは考えても仕方がない。

 聖橋を渡り、神保町へ向かう途中に大学があった。

 出席を取らない馬鹿教授がいる時間を見計らって、こうやって『人間の行動のアルゴリズムの調査』を称した研究をしていた。


 大学へ戻ると、出席を取る授業を聞くフリをする。

 いや、この授業は単位を落としたくないので、真面目に聞いてはいる。


 ギリシャの源流思想なんて、高校時代に多少は教鞭があると高を潜っていた。しかし、実際の講義は思っていたよりも奥が深く、とくにこの時代の思想は考えれば、考えるほど頭は拒絶したい憎たらしい思想だ。


 匙を投げたい次第だが、ノートとマーカーだけは細目に取る。

 単位習得のためのテストは、ノートの持ち込み可であるから、わからなくても兎にも角にも、ノートにだけは纏めなければならない。


 抗議が終わると、秋の空は澄んだ赤いネズミ色に変わっていた。

 適当に友人たちに挨拶を返し、行きと同じ帰路を辿る。


 神田明神正面、右側の石階段を降りた先に公園がある。

 その目の前に歩道橋、その奥に図書館がある。そこが雪乃との待ち合わせ場所だった。


 雪乃はいつも小学校の授業を出席したり、欠席したりだが、義務教育の彼女は怒られることには慣れていて、先生も既に諦めているようだった。

 メイド服を改造した私服を纏った雪乃が図書館から出てくる。

 小島居に気づくと、小走りでこちらへやってきた。


「待ったか?」と小島居。

「いいえ」と雪乃が言う。


 あの日と違う雪乃の凛とした笑顔が、小島居へ向く。

 そのまま手を繋ぐと、UDXのある駅の方へと歩いていく。

 今日は二人で夕食を買う約束をしていた。


 兄妹なのに手を繋ぐという行為は、おかしいと思われるかもしれないが、それは甘えたがりの雪乃による独断だ。。


 雲から出た太陽で、空は赤く乱反射。

 こんな電気街でも赤く染まると、幻想的で、笑顔の雪乃もどこか、一種の幻なのでは、と考えた。

 チラ見に気づいた雪乃は、一層手に力を加え、身を寄せた。


「夕食、どうしよっか?」

 と聞く雪乃に対して、寝ぼけたように小島居は、「ああ」と返す。


 永遠と続かない時間を二人で歩いていた。

 その理由は、二人の絆であって、呪い。

 その柵に、今だけは忘れていられる。それは誰かの無曇りや優しさを肌で感じているせいだと思う。そう小島居が思ったとき、苦い思考が頭へ遡ったとしても、手元の温かみに力をいれると、それが返ってくる。『大丈夫だよ』と、言われている。


 周りから見たら犯罪行為にもみえる義理の兄妹は、そんなことは気にせずに人ごみの中へ姿を暗ました。

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