アルタ群島(40)「兆し・Ⅳ」

~これまでのおはなし~


 遡ること九年前、俺、佐藤翔(17)は友人の岸本君が一席ぶっているのを拝聴していた。「だからね、結局初期ロメロへのリスペクトを失ったらダメなんだよ。リメイク版ドーン以降のゾンビは足速いでしょ。あれだとおもむきが無いよね。いや作品は面白いよ?でもゾンビである必要性に欠けるよね。あれじゃ普通のモンスターでいいじゃないって思うよね。サバイバル映画とゾンビ映画は別物であって欲しいわけ」めっちゃ早口で喋ってる。はー面倒くさい。つかどうしてゾンビ映画の話してんだろ。俺は今年2017年のアニメオブサイヤーを決めようと思って話題振りした筈だよ。近年のCGアニメの躍進について話したかったのに。俺の物憂い気持ちを余所に、「そういやなんでゾンビってショッピングモール好きなん?」と大津君が口を挟んだ。「はい?」「いやほら、ゾンビってすぐ、うがーうがーってスーパーに集まるじゃん。虫が光に向かって行くみたいに。……えっと、そういうの何て言うんだっけ、飛んで火に入る夏の虫……」「走光性?」「そう、それ。正のスーパーマーケット性があるじゃんゾンビは。あれは何で?」単に主人公達がスーパーに逃げ込んで、その後を追っかけてきてるだけじゃないの、と俺は思ったのだが、「ゾンビは生前、腐る前によくやってた日常的な行動を繰り返すって習性があるんだよ。だからスーパーにも行くんだよ」と、岸本君。そうなんだ。「専業主夫だったってこと?」「ちげえわ。ていうか女のゾンビもいるわ」「いや女はスーパー行かないだろ」「なんでだよ」「腐った女が行くのはスーパーじゃなくてアニメイトだろ」なんの話してんだこいつら……。創作落語でもやってんのか。君ら熊さんと八っつぁんなのか。俺はなんだかどうでもよくなって、「(ゾンビの話してたら、トゥインキー食いたくなってきたな……)」と思うのだった。





 立ちこめる霧が濃さを増す。

 いささかの熱を孕み、肌にまとわりついてくる。


 息が詰まる。

 空気が喉に絡む。


 濁った蒸気のような霧だった。


 その中を俺とメムは駆けていた。

 踏みしめる地面は、腐肉らしく一歩ごと気持ちの悪い弾力を返しつつも、ウスカさんとカリオテを抱えた俺の重さを支えきれず、足の沈みに合わせて潰れ、汚らしい汁を吐いた。


 追われている。

 悲観に。

 絶望に。

 終焉に。


「ホー……! ホー……!」


 狂った異常動物達の、およそ生前のものとは一線を画した遠吠えが響く。


 あっちもこっちもゾンビ犬。向かう先々でゾンビサファリパーク。行く手を阻む、腐肉生物。


 肉はただれ、眼球は飛び出し、びっこを引きつつ、でも嬉しそうに駆け寄ってくる狼ちゃん。

 こっちはだいぶ、嬉しくない。


「ホー……! ホー……! ホー……! ホー……!」


 先を争うように襲いかかってきていた。

 今や俺達を誰が最初にもぐもぐするのか、それだけが彼らの興味の中心であるらしい。

 およそ抗えぬ量の敵意。

 殺意の大軍。


 本来、即座に殺されていてもおかしくなかったのだが、救いは、腐肉生物たちが本当に腐っていたことで、彼らは功を焦る余り、大事なところで四肢に力を入れすぎ、自壊しては俺達を襲う機を逸していた。

 ぎりぎりのところで命を繋いでいる。


 でもこれ……絶対デッドエンドじゃんね。


 つまるところ安いホラー映画なのだと俺は考える。

 視聴者達は、キャラが死ぬのは分かって見てるのだ。その上で、死に様を楽しむことを目的としているのだ。悪趣味極まりない、死のショーなのだ。死は定まったものとしてあって、それはプロット上、避けられない運命なのだ。


 自分の身に降りかかっていることなのに、なんだか他人事のようだった。

 いつの間にやらB級ゾンビフィルムを観てる気分。

 観客サイドになっている。


 いや、C級かな。

 俯瞰で見れば完全なる駄作もいいとこ。

 無駄尺まみれだし、「うーん、何故ずっと逃げ回っているのかな。いつ被害者は死ぬんだい。制作費が無いから、走ってるシーンばっかなの?」と、イライラするに違いない。

 あるいは「でも背景は、CG感が一切ないね。化け物達の動きもリアルで素晴らしい。視覚効果部門でなら賞を取れるかもしれないね。脚本は文字通り腐ってるけど」と、したり顔の一つも浮かべたかもしれない。


 こっち命がけですけど!?

 俺も死体の仲間入りするかどうかの瀬戸際ですけど!?


「ホー……! ホー……! ホー……! ホー……!」


 飛びかかってきた鹿と蜥蜴の合成ゾンビの攻撃を間一髪避けつつ、そっと残された軸足を払ってやれば、例によってゾンビの足が、ぶりん! と勢い良くもげた。挙句、ずべん! と転倒し、ごしゃ! と頭を打ち、ぼろん! と無駄にグロテスクに脳味噌を撒き散らす。ばっちい。


 あー……もうだめだな。

 なんかどうでもよくなってくるな。

 ぼんやりしてくる。

 この感覚、覚えがあるわ。


 俺は異世界に来る前、無職だった。それは半年前に会社を辞めたからで、何故辞めたかと言えば直接的な理由は突然かかってきた例の電話によるものだが、間接的な理由は別にあった。仕事が詰まりすぎてもうどうしようもなくなった時期、つまり会社の机の下に押し込まれていた寝袋をフル活用していた頃、俺は一つ学んでいたのである。ある一定以上のストレスというものは、無いのと同じである、という事実。その時期の俺は馬車馬あるいはシベリア抑留兵の如き有様で、働くことと寝ることと飯を食うことと排泄すること以外の行動を忘れた哀れな全自動うんこ製造器だった。一人ディストピア。いたましいちびのトースター。壊れかけのレディオ会館。そうなると、徐々に心は蝕まれ、「ああ俺今最高に社畜してる」と半ば夢心地になり、なんだか身の回りのこと全てがどうでもよくなってくるのである。頭ポカンポカンになる。上司の机の上で放尿するくらい訳無いんじゃね、というブッ飛んだ状態になる。社長室の、今時珍しいマホガニーデスクの上で社長の愛人とファックしてもいいんじゃね、という許されざる状態に陥る。元キャバ嬢のコスプレイヤーだとかいうその愛人と、夜の『DiXit』(※傑作コミュニケーションボードゲーム)に及ぶくらい構わないんじゃね、という愉快な病み方をする。無論、そんなことはしなかったし、俺は品行方正模範的な社会人のまま失業手当を受ける身分となったが、しかし結局溜まった有給は消化されないままだった。おおお。夜の『カルカソンヌ』(※名作陣取りボードゲーム)に励むくらいしてやれば良かった。faraway look(遠い目)。


 そして今、割とそんな精神状態にある。すごいストレス。マッハ。マッハストレス。そんな時は思考もマッハである。マッハで死に近づいていく。多分、凄い顔してる。鬼の形相とかそういうのじゃなくて、無機質極まりない顔。喜怒哀楽のどれでもない顔。あー、腐った肉の匂いに鼻が慣れてきましたぞ。でもまあ、いいこともあるけどね。恐怖に対して感覚が鈍くなる。麻痺してるもん。本当だったらもう旧支配者の前に引きずり出された憐れな一市民と化してる所よ。SAN値残ってないよ。こんなのほほんとしていられるのはひとえに、『ホホォォッーー……ウ!』『ホーーッ!』『ホー! ホー! ホー! ホー!』ひいいこわいこわいこわい嫌だ死にたくない! 気持ち悪い! なんだよコイツ! 目の前にいる鳥頭の犬なんなんだよ! 『グモモッ! グモモッ!』とか何でそんな鳴き方してんだよ。笑ってんのかもしかして。俺のこと見て笑ってんのか。涎だらだら垂らしやがって! しかもその涎、強酸だろ地面溶けてんぞ! なんだあれか、アシッドアタックか。アシッドアタック俺にしちゃおうとか考えてんのか! 許さんぞ! そういや、数年前にドローンとアシッドアタック組み合わせたヤバい事件起きてたな。あれいつだったっけ。2020年代にもうなってたっけ? 『グモモッ! グモモモッ!』 また笑ってやがる! うぜえ! きめえしうぜえしこんなのに殺されて終わりたくないし、『グモッ!?』 バリッ! バリバリッ! あれっ。なんか、もう一回り大きな馬と蜘蛛の合成ゾンビが飛び出して来て鳥犬食べちゃったぞ。共食いかよ。今の内に逃げさせてもらおう。ソソクサァ。あー、腐った肉の匂いに朦朧としてきましたぞ。だいぶ頭おかしくなってきてるぞ俺脇汗すごい。



 ――――霧は更に、深く。



 へー。すごいの出てきたよ。牛頭の巨漢。つかミノタウロスよね。変なキメラじゃなくてちゃんとしてるじゃん。腐ってはいるけど。身長三メートルはあるな。腕組みして立ってるよ。行く手通せんぼしてる。こっちには逃げられないんだってさ。でも、後ろにも、山羊頭の巨漢がいるんだよね。こういう奴は何て言うんだっけ。バフォメットだっけ? 回れ右も無理なんだってさ。つうか、なんで全裸なの君ら。筋肉を見せつけたいの? 腐ってるのに? 「わあ……」ん? メム、どうした。「にんにんすごい……」えぇ……。「ショウくんの体くらいある」あのさあ……。規格外すぎるでしょ。こっちは小さい子もいるんだよね。そういうのやめてくれる? 服着てくれる? ビンビンに猛り狂って鎌首もたげた逸品見せつけて、一体何がしたいの君ら。そんなもん目の前に持って来られても何も生まれないよ。ドン引ケイションよ。つかこれ大蛇じゃね。おペニスじゃなくね。なーんで、お股に蛇生やしてんの。ガブリとやろうってですか。チンポに食われて死にたくねえなあ……。『う゛ぉう゛ぉ』 ドン! ズドン! うおっ。え? なにが起こった? 上から押し潰されてぺしゃんこになって死んだ? ミノとバフォが? うっそ。上に何あんのよ。霧が濃すぎてよくわかんなくなってきたよ。塔みたいな影しか見え無いよ。って、なんでこんなとこに塔があるのよ。森だろここ一応。塔じゃない? じゃああれ……えっ。あれも生き物なの? 足!? これ足!? 六本足の象みたいなのがおるよ! 逃げろー!



 ――――更に、深く。



 あー、腐った肉の匂いにアヘってきましたぞ。つか、なんか逃げても逃げても風景変わんなさすぎてどっち行けばいいのかわかんなくなってきた。真っ直ぐ走ってるのかもあやしくなってきた。霧を抜ける為に走っているのに、どんどん濃くなってるよね。気持ち悪い歌声、止まってくんねえかなあ。ずっと続いてるよね。声量すごい。ボイトレを欠かさない習慣。五感を刺激してくるものがいちいち強烈すぎなんよ。「ショウくんだいじょうぶ?」あーおれはへいきだよ。ちょっとラリってきただけ。しかしメムはなんでそんなに平然としてるのよ。すごすぎでしょ。かわいくてつよくて有能とか神でしょ。女神でしょ。結婚してえなあ。この子と優しい家庭を築きたい。一緒に『パンデミック』(※傑作協力型ボードゲーム)で遊びてえよ。あったかい日常最高。ただ、Hできないんだよね、メムたんとは。死んじゃうから。セックスレス夫婦ってうまくいかないんじゃなかったっけ。言うよねー。俺そういう決めつけ大嫌い。絶対優しくするんだ。ずっと一緒にいたいよ。だってみんなすぐいなくなっちゃうしね。みんなみんな、いなくなる。「ショウくんだいじょうぶ?」だいじょぶだってば。心配してくれてありがとう。



 ――――霧は最早、海である。



 つかれた……。つかれたよ。スキル切れた? いやそんなに長く走った気はしないけど。でもまあいいか。よくはありません。あー、腐った肉の匂いも悪くないかもしれませんぞ。よくはありません。ただ寒いのがなあ。走っても汗の一つも出やしない。メムー、メムー。「なあに、ショウくん」よかった。いた。こわいからはなれないでね。もう隣すら霧で見えないからわかんなくなるのよ。「だいじょぶだよ。そばにいるよ」たのむよ。一人にしないでくれ。ここに置いていかないでくれ。ここは寒いし怖いし暗くてちかちかしてるしだめなんだよ。手をつないでくれ。ぎゅってつかんでてくれ。ほらはやくたのむよ。あれ。なんで手つなごうとしてるんだよ俺。ウスカさんどこいった。両手にもってたウスカさんどこいった。せなかの騎士見習いどこいった。メムー、メムー、メムー、メムー、メムー、メムー、へんじ。へんじしてー。どこいった。どこ。うわあああやだあああおいてかないでって言ったじゃんかああああ! なんですぐいなくなるのぉぉ! やだー! どこいった! いいいやああああ! 死ぬ! 死ぬのおおお!? こんなところで死ねない! 死ねないよー! 俺はまだ、異世界美少女とちゅっちゅしていないんだよお! エルフ美少女に会いたい! エルフー! エルフー! おまんこしたいんだよおおおお! おまんこー! おまんこー! メムー! どこ行ったんだよー! ああああ! ひいいい! うううう! ぐぅぅ! ぐぅ! ぎぃ! ぎひぃ!



 ――――霧海のその先に現出したものは、巨大な手の中に住む眼であった。そして、燃える亡骸は俺である。




   ◇



 ばしゃっ!


 唐突に、水の弾ける音がした。

 俺は、はっとする。


 光に溢れた世界。

 草の香り。

 緑の木漏れ日の中にいる。


「え……?」


 霧は晴れていた。

 悪夢の全てが雪解け水に変わって、突然重さを得たかのように、今、周囲のあちこちで滝のような飛沫を上げている。

 下生えの上で、透明の球体となって輝きを放っている。


「何がどうなったんだ……?」


 俺は、突然思考の焦点が定まったことに驚く。

 頭の奥にまで入り込んできた霧が、溶けて消えていた。

 森の中に、立ち尽くしている。


「ショウくん。よかった。きがついた」


 ほんのすぐ隣にメムがいた。

 つい先刻は、俺を残して霧奥に消えたと思った少女。

 あれほど呼んでも届かないと感じたのに、肩がぶつかりそうなほど近くにいた。

 エキストラさんを抱えたまま、安堵した様子で、俺のことを見上げている。


「あ、ああ……」


 幻?

 幻覚を見てたのか?


 否。全てが幻であったわけではないようだ。

 辺りには焼け焦げたような跡があちこちにあって、それは今も、くすぶるように煙を上げている。

 少なくとも、何か異変はあったのだ。


 ……でも正直、なにがなにやらですぞ……。


「さ……サトウさん……」


 背中にずしりとある重み。

 背負った荷物から声がする。


「あのぉ……助けていただいている身で、こんなことを言うのはどうかと思うのですが……」


 気を失っていた筈のカリオテが目を覚ましていた。


「人前で、ああした言葉を叫ぶのはどうかと……」

「へっ……?」


 何の話?


「確かに、私も戦場帰りの方に『死が迫ると本能が刺激される』『そういう気分になる』と聞いたことはありますし、事実、今し方まで私達が命の危機に瀕していたことは理解していますが……」


 えっ……と?


「まあ、なんだ……」


 俺の腕の中、未だお姫様抱っこ状態で縮こまっている狐の獣人(おっさん)も恥ずかしそうである。

 髭を扱きながら、ぼそぼそ囁いた。


「……溜まってんなら、今度そういう店に連れて行ってやるぞ。小さな街だが、カリピュアにもその手の店が無いわけじゃない。エルフはいねえからお前の期待に沿えるかはわかんねえけどな……」

「エルフ……?」

「いや、『エルフ美少女に会いたい』とかあれこれ絶叫してたからよォ……」

「ヒィッ!」


 何が起こったのか、俺は理解した。


「ま、なんなら、俺のお気に入りの子を紹介してやってもいいしよ……」


 うおおおおおおおおおお黙れええええええええ!

 デブ専の厄介になんかなるかああああああああああああああ!(SAN値、無事0になった模様)

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