アルタ群島(39)「兆し・Ⅲ」

~これまでのおはなし~


 私、ジョセフィーヌ。今時、新撰組BLにどっぷりハマってる中学生。ある日、停学中で暇してた私の所に、仲良しメンバーの川添っちから面白動画が回ってきた。尾芥子おげし中学は去年まで女子校で、今年から共学に変わったんだけど、クラスに一人だけ男がいる。そいつにBL漫画を読ませてみたらしい。って、苦笑いしつつもめっちゃ読んどるwやべえwアホかwでも正直分かってた。アイツなんか変態っぽいなって思ってたw割と前から。私はテンション上がって来ちゃってその男佐藤の性癖を沖田総受け大好き腐男子に改造すべく早速活動を開始!(こう見えても私のbrainwasherとしての腕前には定評がある)まずはLINEでやべえの色々送る。うへへ。って、ぎゃぎゃぎゃおーぅ!家族のLINEグループに誤爆した!ドンドンドンドン!マッハで階段を昇ってくる凶悪な音!バッシーン!逃げる間もなく義母さんの手が私の頬を打ち据える。「やっぱりお前にはあの女の血が流れているんだよ!忌まわしい売女の血がね!」





 まだ日本にいた頃、夜道を一人で歩くのが苦手だった。

 もう子供と言える年齢じゃなくなっても、そう。


 終電。

 最寄り駅から自宅までの静まりかえった道のり。

 誰が清掃しているのか、羽鹿口市の舗装されたアスファルト上にゴミは無い。革靴の触れる先、かつんかつんとハイヒールじみた硬質の足音が響く。閑散とした周囲の状況に聴覚が鋭敏になったようで、それは酷く耳障りに聞こえる。俺自身が立てている足音なのに、赤の他人のもののようだ。半歩後ろをついてくる。それとも、本当に知らぬ人間がそこに? いやまさか。でも……。


 気配。


 背後を振り返る。

 誰もいない。何もいない。

 ほっとする。

 よくあること。気のせい。


 だが同時に、こんな風に思ったりもした。


 ――どうしてんだろう。


 己の感覚と、現実にある世界とのズレ。

 齟齬。

 それを奇妙に感じる。


 何故なら、人間の本能は生存のために磨かれた種としての経験値で、「怖い」と感じるには理由があるはずで、ならば恐怖の先には俺を脅かす存在がいなければならないのではないか。それとも無菌室のように浄化が行き届いた日本の社会にあっては、この錯覚じみた感覚は、要らない物として処分されて然るべきなのだろうか。尻尾の名残なごりたるてい骨のように、いずれ失われることは決まっているものの退化が間に合っていないだけの、古めかしい遺物なのか。いらん子なのか。


 だが俺は、このアゼルガにおいては、その「錯覚と思える感覚」にこそ意識傾けた方がいいと、急速に学びつつあった。

 恐怖を、身を守るよすがとすべきであると。

 おそれを、友とぐうするべきなのだと。


 ――死にたくなければ、怖じ気づけ。


 野生の記憶。

 太古の血。

 それが今、「!!!!!!!!」と、ビックリマークを死ぬほど並べて、痛いほどに耳の中、危険を喚き立てている。

 てめー目ん玉ひんむいてよく見ろアホんだらやべえぞやべえんだぞやべestだぞ。


 森が揺れた。

 ぞうぞう

 どうどう

 ごうごう

 高波が押し寄せるように、風が吹く。

 木の葉だの小枝だの砂埃だの石つぶてだのが、無闇矢鱈と降り注ぎ、俺達の行軍の邪魔をする。

 深々と根を張ったブナの木も折れて、よじれて、回って、吹き飛びそうになっている。


 風は、汚臭を孕んでいた。

 胸をむかつかせるもの。

 思わず、顔を歪ませるもの。

 ぶつぶつ

 じゅうじゅう

 みちみち

 辺り一帯、嘔吐感を刺激してくる腐敗臭で満ちている。

 ゴミ出しの際、誤って生ゴミの入った袋を破ってしまったような気分。超最低。


 今や、俺達の周りには、夜道の一人歩きで背後に忍び寄る「気のせい」が溢れかえっていた。

 激しい風音が気配を誤魔化し、そいつらが忍び寄ることを容易にしている。


 しかし、森の中は穏やかであった筈だ。異常の兆候は無かった筈だ。

 なにしろ、ミケランジェロに恐れをなした動物達は、皆、近隣から姿を消している。残っている者はほとんどいない。


 では何故、鳥肌が立っているのか。

 びっしりと。

 俺は何も見ていないのに。

 くさむら以上の何かを確認したわけではないのに。

 濃い緑が揺れる様。

 あるのはそれだけ。

 なのに、どうして心が引きっているのか。

 歯の根本が揺れているのか。

 幽霊の、正体見たり枯れ尾花。

 では、「枯れ尾花を見ている」と自覚して、本来安心すべき時に、込み上げる恐怖とは一体?


 ――ぐぉんん。


 遠くに、地響きのような音があった。

 角船が遂に地表に激突したらしい。

 立て続け、悲惨な破砕音がやかましく起こる。

 爆発炎上中の場所目掛けて、どんどんガソリンぶっかけるような、絶え間無い破壊の響き。ばりばり、どかん、と、謂っている。

 いつの間に俺は戦争映画の中に放り込まれたんだろう、と思う。耳障りな音の波が、逼迫した感情を煽り立ててくる。


 やにわに挿入される、小さな悲鳴scream


 男のものだった。

 轟音の只中であるのに、何故か嫌にはっきりと聞こえた。

 予想以上に近い距離。

 ほんのすぐそこ。

 木立の向こう側。


 思わず振り返れば、楡の木の上、何かが空へと飛び上がるのが見えた。

 伸びるは竜尾。

 はたして、一体のワイバーンである。

 背中に、乗り手の姿は無い。

 空っぽの鞍だけがあった。


 竜種の末席に位置し、レベル200を超える強者として、角船を僅か数体で落としたその生物は、今、一目散に空を目指していた。

 恐慌状態にある。

 必死で逃げようとしていた。

 一体、何から?


 翼竜の背後、しゅるっ、と腐敗した木の蔦のようなものが幾十本も伸びた。

 速い。

 灰紫色をしたそれは、怯えるワイバーンの尾を捕え、絡みつき、呑み込んだ。

 一気に引き戻す。

 「ぎィッ」とくぐもったうめきだけを空中に残して、二足竜は即座に消えた。

 まるで蛙が舌を伸ばして、蠅を食するが如き様だった。


 咀嚼音。

 ぼりぼり、ごきゅごきゅ。ごくん。ごくん。


 今や風には、濃い血の匂いまでもが混じっている。


「……」


 木々のカーテンの向こうで、何かが蠢いていた。

 見ない方がいい事だけは、分かる。


(急げ……!)


 俺達は会話も無く、走った。

 それ以外何ができたろう。

 恐怖心がそうさせたのか、崩れた隊列の中、何故か一番危険な筈の先頭をマリーが走っていて、それがまた異常に速いのだけが、なんだか可笑しかった。


「っ……!?」


 一瞬、地面に足を取られて、つんのめる。


 なんとか転ばず踏ん張ったが、その時、俺は見た。

 地面が変色している。

 ぐずぐずと柔らかい。

 泥?

 にしては、これは……。


(違う……!)


 肉だ。腐肉。

 腐った肉の地面の上に、立っている。


 まともな大地は数メートル前。

 それも、次々腐食し、姿を変えていく。

 森が、何かに浸食されている。


 周囲の景観も色を変えていることに俺は気付いた。

 並んだ木々はゆっくりと萎れ、立ち枯れていく。

 そして腐り、悪臭を放ちはじめ、やがて、何かと渾然一体、「それ」の一部になる。


「ううううっ……!」


 突然、すぐ前を走っていたウスカさんがよろめいた。

 足取りがおぼついていない。

 苦しそうに、喉をかきむしっている。

 その隣にいたエキストラさんが、転倒する。


 澱んだ空気。


 先頭を走っていたマリーだけが、腐った地面にまだ追いつかれていなかった。

 異変を感じたか、一瞬、恐怖の面持ちと共に振り返ったが、俺が「止まるな!」と叫ぶと、踵を返して駆けていく。


「ショウくんッ……!」


 隣のメムが、怯えた声で俺の名を呼ぶ。


 既に、俺達は取り囲まれている。

 腐敗しつつある森、その全てが、今や俺達の敵なのだった。



【名前】とろけるきなこ

【種族】カースド・アバター(デーモン)

【性別】男

【年齢】???

【職業】プリンス・オブ・ザ・ピット(リトアナン)

【称号】余命180秒

【血神】ヨン=ジュアック

【レベル】1577(-)

【HP】???

【MP】???

【PX】???

【MX】???

【スキル】???



 ……なんか、わけの分からない数字が見えた。

 わけが分からないので、これはもう、見なかったことにする。


 荒れ狂っていた風は、穏やかになっていた。

 まるで台風の目の中に入ったかのよう。

 代わりに、どこからともなく、霧が出てきていた。

 悪臭だけが強まっている。


 背中に負ったカリオテの息が荒い。

 気を失ったまま、ぜいぜいと喘いでいる。


 俺も、息苦しさを感じていた。

 風邪を引いたみたいに、体が気怠い。

 だが動けないほどではない。

 ウスカさんとエキストラさんが既に地面に突っ伏しているのを思えば、不思議な話だが、理由はこの際どうでもいいだろう。


「メム。お前は無事なのか?」

「うん。へいき。でも、かめんが無くなっちゃった……」

「飛ばされたか……」


 顔をさらけ出してしまっていたが、仕方ない。

 不幸中の幸い、俺とメム以外の三人は意識が無いようだ。


「すまん、メム。エキストラさんを運べるか?」

「だいじょぶ。まほうの指輪があるから」

「よし。じゃあちょっと手伝ってくれ。カリオテを俺の背中に縛り付けとく」


 俺は着ていた長衣を脱ぐと(今回は下に服があるので全裸ではない)、それを使ってカリオテを無理矢理背中にくくりつけた。

 両手の袖と、長い裾をそれぞれ前面に回す形で結びつけていく。

 風呂敷の中に押し込んだような状態だ。


 空いた手には、ウスカさんをお姫様抱っこする。

 <豪腕>のお陰でどうにかなりそうである。


「よし、行こう」

「ん」


 俺達は再度、走り出した。

 逃げる以外の選択肢が無い相手。


 とにかく霧の外に出たかった。

 なんか、この異世界メムやマリーみたいな美少女がいっぱいいて嬉しいなあハーレムファンタジーだなあこの先ムフフな展開が待ってるよきっと、と思ってたら、本の末尾にH・P・ラヴクラフトと署名されてるのを見つけてしまった感じ。

 本当勘弁して欲しい。

 生理的に無理。


(マリーは無事に逃げ切れたかな……)


 そんなことを考えていると、嬉しくもない変化がある。


「うわっ……!」


 霧の中、ぬぼっと立っていた楡の木状の腐肉が、ずるずると形を変えた。

 腐ったまま、美しい裸の女となり、その全身に鳥の毛が生えていく。

 女面鳥身のハルピュイアとなった。

 歌い始める。

 皺枯れたBBAの声。

 身の毛のよだつ、おぞましい歌声だった。


(なんだよ、これ……!)


 今にも蛆が湧き出しそうなじゅくじゅくの地面が隆起する。

 大地から、何かが這い出してくる。


 森の獣達だった。

 が、どうも、いちいちまともではない。


 下半身が猪になっている狼。

 腕と足を取り違えている猿。

 何故か背中に骨だけの蝙蝠が融合した大蜥蜴。

 頭部を失い、這い回る巻き糞と言った方が良さそうな姿の大蛇。


 まるで合成魔獣キメラの出来損ない軍団である。

 屍術ネクロマンシーに失敗したような姿。

 そしてそのいずれもが、当然のように腐っている。


 次から次へと湧き出してくる。

 とても逃げ切れる量ではなかった。


 世界が腐るよりも早く、絶望感が押し寄せて来た。

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