アルタ群島(38)「兆し・Ⅱ」

~これまでのおはなし~


 遡ること七年前、俺、佐藤翔(19)は同い年で漫画が超うまい鬼才・富井君に、「新作の感想を聞かせて欲しい」と頼まれていた。「今度はガチの自信作。TSジャンルのラブコメ」と富井君の目が燃えている。俺が若干引くほど燃えている。果たしてタイトルは「ジキル先生とハイドさん」というもので、高校教師のジキル先生と、ダウナー系JKのハイドさんが繰り広げる甘く切ない恋愛物だった。しかし、名前から分かるようにこの二人が同一人物という曲者設定で、要するに二重人格の人格Aと人格Bとの恋愛物語なのである。20ページ読み切りでよく書こうと思ったなそんなの、と今なら思うが、俺はそれよりも最初の一コマ目でヒロインのハイドさんが「ねえ、ガラナ買ってきて」と言っていることに首を傾げた。俺は富井君に聞いた。「ガラナって何?」「えっ」「……え?」「え?」「……」『……えっ……?(ハモり)』富井君の迷走は続く。





「ギュァァァァーーッ!」


 猛禽を思わせる甲高い鳴き声が空を切り裂いた。


 角船ホーンド・シップと呼ばれた赤い飛行船の周囲を取り巻く、複数の飛影がある。

 全部で五つくらいだろうか。

 船に比べるとだいぶ小さいが、驚くほどに速い。


 編隊を組んで併走。

 かと思えば、突如、各個散開。

 高速で角船に突っ込んでいき、ぶつかる寸前、方向を変えて飛び去り、しかし、その度に甲板からは爆音と黒煙が上がる。


 まるでアクロバット飛行をする戦闘機のようだった。

 どうやらヒットアンドアウェイで、飛行帆船へと攻撃を繰り返しているようである。


「おいおい。なんで竜騎兵がイヴァの角船ホーンド・シップに仕掛けてんだよ……どういう状況だ……」

「『竜騎兵』って、ワイバーンに乗った兵隊さんですか?」


 ウスカさんの解説めいた呟きに、マリーが反応した。


「ああ。昔、一度だけあいつらの戦い方を見たことがある。もっとも俺が見たのはこんなに練度の高い連中じゃなかったが……」


(ワイバーンだって? 西洋型二足翼竜か……!?)


 「羽鹿口うかぐち一のファンタジー博士」(※義妹による蔑称)こと、俺も並んで目を凝らす。

 上空、微かに見てとれるシルエット。


 非常に鋭角的なフォルムだった。

 風に抗うでも、風を支配するでもなく、風と共にある事を選んだ外見。


 角も、尾も、いたく単純シンプル

 全身覆う鱗の色は青みがかった黒。

 一際巨大な翼は、ひとかきごと雲を千切りながら、飛翔物に推力を与えている。


 美しかった。

 蜥蜴とも、恐竜とも異なる、幻獣。

 遠目にも感じ取れる覇者の威風。


 幻想世界の支配者階級たる、竜の一族に連なる者が、今、俺の頭の上を飛んでいた。


(すげえ……)


 本物だ。モノホンの竜種だ。

 興奮してきたわ。

 高ぶるわ。

 滾るわ。

 漏るわ。

 漏れないよう締めるわ。


 もちろんワイバーンは、火竜などの、所謂スタンダードなドラゴンとは結構違う。

 時折「飛竜」の和名を当てられることもある通り、飛ぶことに特化した外見で、竜種の中では割合小柄な部類。

 サイズの大小がそのまま格の高さに繋がっていることの多いドラゴン達においては、正直小者扱いされることが多い。

 小さい連中は、大体知能も低くて、魔法が使えなかったりすんだよね。


 加えて、ワイバーンは足も二本しかない。前肢に当たる部分がそのまま翼になっている。

 地を這うワームなんかに顕著だけど、ドラゴンの仲間は形状が蛇や蜥蜴なんかに近ければ近いほど下等とされるのが定番なので、二足竜は四足竜より地位が低い。

 つまり、ランク的にはそんなに高くない。


 だが、それでも竜の名を冠される存在であることには違いない。

 ファンタジー界の東証一部上場企業社員なのだ。エリートなのだ。

 これに興奮せずして何とする。


(普通のドラゴンよりスゴいとこもあるしな)


 例えば、飛行能力だ。

 ワイバーンは、空を飛ぶために最適化されていて、飛行スピードにおいては竜種随一。

 強力な竜爪りゅうそうを持たない一方、翼の発達具合は圧倒的だ。


 実際、現在、頭上を矢のように駆ける姿はどうだろう。

 踊るような空戦機動マニューバで、およそこの世のものとは思えない、ねじれた飛行軌道を描いている。


 「翼を飛行中に完全に畳んだり」「片翼のみ羽ばたかせたり」することによってのみ可能になる、急制動からの直角離脱。

 『インメルマンターン』や『シャンデル』といった戦闘機のマニューバが児戯に思えるほどの、非現実的な動きを見せていた。


(あんな飛び方で、よく乗ってる人落ちないな)


 ワイバーンの背中には、鎧姿の人間が騎乗していた。

 マリーが言っていた通り、「竜騎兵」というのはつまりそういうことらしい。

 ドラゴンライダーって奴ですな。

 察するに、ワイバーンが機動担当、騎手が攻撃担当ってところだろうか。


(体を何かで固定してんのかな?)


 落ちないにしても、あんなぐるんぐるん旋回してたら、気分悪くなりそう。リアル志向のロボットVRゲーで、3D酔いに耐えかね、敵と戦うどころか、戦場に辿り着くより前に「脱出ボタン」を押して座席ごと射出された挙句、プレイヤー評価において「判定不能」を貰い、「このゲームF判定以下あったんだ」と義妹に驚愕された過去を持つ俺にはだいぶ厳しそうである。いや、違うんです。たまたまなんです。相性悪かっただけなんです。俺もドラゴン乗れます。乗りたいです。乗せてくださいよう。


「あ、あのう……イヴァ帝国って世界で一番大きな国ですよね? そこの船に攻撃してるだなんて、一体どこの竜騎兵なんですか?」

「知るかよ。俺が聞きたいくらいだ」


 ウスカさんですら困惑顔である。

 ということは、俺達の中で事情がわかる人は誰もいないってことだ。


 話す間も、閃光と爆音とが続く。

 角船側も魔法を撃ち返しているようだった。光の筋が幾本も流れている。

 動きを目で追い切ることは困難ながら、かなり激しくやりあっているのは分かった。


「ショウくん、あれ、おちてきてる?」


 メムが、俺の長衣の袖をぐいぐい引きながら聞いてくる。

 ていうか、もう人前であろうがおかまいなしに下の名前で呼ぶのな。


「言われてみると、なんか、高度下がってきてるような……」

「あぶない?」

「……かもな。ウスカさん。早めに移動しませんか」

「そうだな。西に流れてるから、落ちるにしてもこっちには来ないだろうが、万が一ってこともあるな。ズラかろう」


 ということで、急ぎ撤収準備。

 今回は俺がカリオテを背負っていくことになった。

 幸いまだ<豪腕>も<強走>も効果時間が生きているので、騎士見習いの小倅一人くらいは造作もない。スキルさえ切れなきゃ鎧姿のままでも平気だと思うよ。


 しかし俺達が準備を終え、歩き始めた時には上空の情況は急変していた。


「うわぁっ……。もうあんなところにまで下りてきてますよ!」


 空戦は高度を一気に下げていた。

 赤い帆の角船からは複数の黒煙が上がり、異変があったことが伺える。


 既に、かなり近い。竜騎兵の騎手の目視も容易な距離。

 爆発以外の音も多数聞こえている。


 その結果、行われている戦闘の詳細が見えてきた。


 竜騎兵達は片腕に大型のクロスボウのようなものをつけていた。

 船に近づくや否や、それを射出。

 船壁に刺さった矢は、数刻を置いて爆発する。

 火薬とは光り方が異なっているよう見えるが、あれもなんらかの魔法道具なのだろうか。


 角船側は、抵抗していた魔術士達がやられてしまったのか、竜騎兵の攻撃に、為すがままになっていた。

 あちこちから火の手が上がっている。

 甲板を右往左往する人影が、逼迫した情況を示していた。


 それでも浮力を保っているのだから、あの船も相当すごい。

 恐らく魔法の力で飛んでるんだろうな。


「なんか落ちそうで落ちないですね、あの船。とっても頑丈です」


 マリーも同じ事を思ったらしく感心している。


「そりゃそうだろ。イヴァ帝国の角船と言ったら、世界に名だたる飛行軍艦だぞ」


 飛行軍艦。

 なんだか格好良い響きだな。

 つか、地球にもそんなもんないよな。

 所詮、木製ではあるみたいだけど、あんな大きな空飛ぶ船を造れちゃうなんて、この世界の科学力……というか、魔法科学力? みたいなのって、結構高いのか?


「ウスカさん。あんな大きな角船って、結構あるもんなんですか?」

「まさか。世界に数隻しか無ェよ。角船は大きくなればなるほど、飛ばすのが大変になるんだ。もっと小型の奴ならともかく、あんな常識外れのデカさの船造って飛ばす馬鹿は、イヴァ帝国くらいだよ」


 イヴァ帝国。

 軍事大国なんだろうか。

 ファンタジーに限らず、大体なんか軍拡する国って「帝国」だよね。

 皇帝ってそういう生き物なのか?


「しかしわかんねえな。なんで角船側から迎撃用の空騎兵が出てないんだ? イヴァ帝国といえば、飛行軍艦と、それに乗った鷲獅子グリフォン部隊で有名だってのにやられっぱなしじゃねェか。何か理由があるのか……?」


 ふむ。空母みたいな船なのね。

 そんな奴に数体で攻撃しかける竜騎兵もすげえな。


 しかし、耐え続けたのもこれまで。

 赤くカラーリングされた帆船は、突如、一際大きな爆発を起こすと、船首を下方に向けた。

 炎が船全体に回っている。

 取り返しのつかない規模の攻撃を食らってしまったようである。


「おい! 落ちるぞ!」


 船は、轟音と共に俺達の頭上を通り過ぎ、南西側の森の中目掛けて墜落していく。

 尚も追撃する竜騎兵。

 竜尾が黒煙を撹拌する。


 今や、炎の塊となった角船。

 爆散する木片と共に、ばらばらと色々な物をこぼしていた。

 落ちる中には、船員らしき人の姿まである。

 地獄絵図である。

 途端に起こった急旋回は、なんとか不時着しようとする最後のあがきか。


 だがその瞬間、船底が破れた。

 まるで蝋が溶けるように、どろりと巨大な穴が開く。


 腹から、内臓をぶちまける。

 白煙をまとって、何かが先に地に落ちた。

 大きな帆船の、その半分ほどもあった何か。おそらくは船の荷。


 ごうん、と森を押し潰す落下音がある。


「な……なんか船から落ちましたよ……」

「しかも、結構近かったぞ。今のは」


 竜騎兵達の進路が変わった。

 燃えながら地表を目指す角船を放置して、帆船から落ちた何かへと矛先を変える。



【名前】亜鉛

【種族】ワイバーン

【性別】男

【年齢】178

【職業】竜騎兵(下担当)

【称号】百合原理主義

【血神】イグルム

【レベル】219

【HP】???

【MP】???

【PX】???

【MX】???

【スキル】???



 つーか、ワイバーンパイセン、めちゃレベルたけえじゃん。

 強いわけだわ。

 デカクマ相手に必死こいてた自分達が悲しくなってくるほどの力量差だな。

 しかも、それが何匹もいるっていうね。


 風を切り、竜騎兵達は森の向こうへ姿を消した。

 俺達の位置からでは見えなくなる。


「よし、急ごう。巻き込まれたら敵わん」


 俺達は、行軍スピードを上げた。

 誰がそうしようと言ったわけでもないのに、ほとんど皆、駆け足になっていた。

 危険な雰囲気を誰しもが感じていた。


 だがその時、音の波がある。

 ワイバーン達の向かった方角である。

 おぞましく、不吉な響動どよみがやって来る。


 それを叫び声だと理解したのは、ほとんど偶然である。

 その中に、悦びが混ざっていると感じたのは、必然である。


 暴風がやって来た。

 荒れ狂う狂飆きょうひょうに森の木々が苦しげに揺れる。


「今度は何だってんだ……!」


 叫ぶウスカさんの声はひきつっていた。


 俺は顔をしかめる。

 風には、強烈な死臭が混じっていた。

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