アルタ群島(37)「兆し・Ⅰ」

~これまでのおはなし~


 帰宅途中のサラリーマンでごったがえす新橋。行きつけの飲み屋で今日も一杯やっている男がいる。珍しく今夜は客が少ないみたいだな、と思っていると、静かな店内、仕切られた隣の席の会話が聞こえてくる。「ジャーマンスープレックスとドラゴンスープレックスとタイガースープレックスのどれが一番強いかだって?難しい質問だな」プロレスの話かな、と彼は思う。生憎と格闘技には全然興味が無い。「ダメージ自体は、クラッチの段階で既に羽交い締めフルネルソンになっているドラゴンが一番大きいと思うよ。他二つに比べて、首回りの稼働領域が極端に少ないから、受け身への自由度も低くて、威力を逃がしにくいんだよね。モロに後頭部打ち付けられる。考案者の藤波がアメリカ巡業中相手を壊してしまって、プロモーターの要請で禁止技になった話も有名だしね。でも受ける選手が一番危ない、となるとタイガーかな。下手に暴れると腕関節が外れてしまうから、受ける側にも技術を求める技だよ。軽量級とかならいいんだけど、重量級の中でも特に重めの選手には危なくてかけられないね。あー、でも、必殺技としての華と見栄えはジャーマンだなあ。クラッチの位置が全然違うから他二つとは高さに差があって、高身長の選手が綺麗なブリッジで使うと……」延々喋っている。何を興奮してるのやらさっぱりだな。彼は肩をすくめると、カバンから愛用のタブレットを取り出し、カキョムというサイトを覗こうとしたのだが……無い。しまった。タブレットを会社に忘れてきてしまった……。ぐびりと喉を潤す麦酒の味はいつもより苦々しく、しょんぼりとつくねを口にするお前誰だよ。帰れ。





 何年前のことだったろうか。俺は夕食後、居間でぼんやりテレビを見ていた。


 映し出されているのは、猫の映像だった。

 芸能人の飼い猫が家の屋根から滑り落ちるも、くるっと体勢を入れ替え、見事な着地を見せるというアクロバティックな姿を捉えたものだった。


「猫すごくない? あんな高いとこから落ちて平然としてるよ」


 ソファーがあるのに、何故かそこには腰掛けず、その前の床に女の子座りして見ていた義妹が言った。


「犬だとこうはいかないよね? ぎゃわん、って骨折するよね?」


 お気に入りの座布団の上に寝そべっていたクロが、ひょいと顔を上げた。

 え? 何? 呼んだ? という目で俺を見ている。


「まあ、そりゃそうかもしれないけど、」クロの奇妙に不安そうな眼差しを見て、俺は犬を擁護したくなる。「犬は犬で、別に凄いとこあるじゃん。人間だって、高いところから落ちたら猫みたいに器用に着地なんてできないし、一長一短というか、そういうもんだろ」


 クロが、なんか頷いたように見える。

 立ち上がり、ととと、と義妹の膝元へと向かった。そっち行くんかい。


「猫はなんで平気なんだろ」

「さあ。なんでだろうな。よくわからん」

「自分の身長の何倍もある高さだよね? 今のも人間に直したら、ビルの五階とか六階から落ちて平気ってことにならない?」

「まあ、なりそうだな」

「どうして無事なのかな。体重が軽いから?」

「んー……それだけじゃないだろうけど、体重もまあ関係してそうだな。バッタとかも、高いとこから落ちても平気だし」

「あー。そだね。虫もすごいね。ノミとか」

「ノミは、東京タワーや、スカイツリーのてっぺんから落ちても死なないレベルだろ。体小さいから空気抵抗で衝撃完全に吸収できるんじゃね」


 なんだっけな。終末速度terminal velocityがすごい遅いとか、そーゆーのだよ。

 なんかの小説で読んだ気がするけど、ムズい話は苦手だから忘れたぜ。


「じゃあ逆に、重いとどうなるの?」


 クロの背中を撫でながら、義妹が言った。


「そりゃ、やべーだろ」

「どうして?」

「地面に着地する部分というか、接地面積にかかる負荷が全然違うじゃん。さっきの猫が、倍の体重に太ってたらどうかって考えてみろよ」

「太らないよ」

「え?」

「あの猫は太らないよ。あんな小さくて可愛いのにどうしてそういうこと言うの?」


 なんかクソ面倒くさいこと言い出したぞ。


「じゃあ、猫じゃなくておっさんでいいよ。百五十キロのおっさんが家の二階から飛び降りて足から着地した時と、ダイエットして、半分の七十五キロにまで痩せて同じことした時との差だよ。どっちも足首や膝に着地の負荷がドンとくるだろうけど、七十五キロと、倍の百五十キロとじゃ、かかる衝撃がまるで違うだろ?」

「自重で潰れそうになるってことね。デブ最低だね」


 なんでデブを叩いたんだよ……。

 別に例え話なんだからいいだろ……。


「やっぱりデブは絶滅させなきゃダメだね。焼き払おう」


 話のメインがそっちに移ってるじゃん……。

 あと、デブへの憎しみが妙に激しいよ……。


 つか、デブだって色んなものに貢献してるんだぞ。ビッグマックの消費量とか、家系ラーメンの消費量とか。

 社会の役に立ってるんだ。凌辱エロマンガの竿役だって、デブがいなくなったら困るんだぞ。

 も少しデブに優しくなれよ。安易に叩くのはおやめなさい。


「おとーさんが見てるプロレスとかでさ、」


 え? 話飛んだな。今度は何の話。


「選手が頭から落ちたりするじゃん? 頭とか首に全体重がかかるわけだよね?」

「あれは、まあ一応、頭だけで落ちないよう上手に受け身を取るんだけどな。きっちり、そういう練習をした人達がやってることだから真似すんなよ」


 あとマット上なら、硬い地面に落ちるのとは訳が違うしね。道路の上とかだと即死しかねない。


「さっきの話からすると、同じ技を食らっても、重い人ほどダメージが多い、ってことだよね?」

「まあ、たぶんな」

「もっと重くなると、どうなるんだろうね」

「と、言うと?」

「デブが危険技を食らったらどうなる? デブ死ぬ? デブ殺せる?」


 デブへのお前の悪意はなんなんだよ……。


「さすがに必ず死ぬとは……」

「じゃあウルトラデブは? ウルデブなら死ぬ? ずぼって頭が胴体にめり込んで死ぬ? ボギィて首の骨折れて死ぬ? 脂肪で死亡する? ねえ、死ぬって言ってよ。死因はピザとコーラって言ってよ。戒名、XL院背脂過食マルゲリータ居士って言ってよ。お墓へのお供え物すらハニーローストピーナッツって言ってよう」



   ◇



 砂礫と共に、ミケランジェロは落ちていった。

 深森の怪異たる巨熊。


 その威容が、ただ足を滑らせて転んだ、おっちょこちょいの熊と変わりないものとなり果てる。


 俺との力の綱引きの中で体が反り返っていたからか、空にあって、背中を丸めるでもなく何故か奇妙に「気をつけ」をした体勢を取っていた。

 真っ直ぐぴーんと背筋を伸ばし直立不動。

 巨熊がそんなポーズをしてるだけで既に割とシュールなのだが、そのまま危険な角度で頭から後ろに落下していく。


 タイガー・スープレックスという技を、受ける人間の目線で解説すると、「背中側で両腕を組んで、そのままバク宙に挑戦し、失敗して頭から床に落ちる」、というのが近い。


 で、灰色熊も、そのように落ちた。


「うお……っ」


 大山鳴動。

 轟きに大地が揺れた。

 まるで地面が唸り声を上げているかのような激しい地響きと、それを凌する土煙。

 全てが粉塵に覆い隠されていく。


 ぎりぎりの所で離脱し、投げっぱなしでうっちゃった俺は依然、高台の際にいたが、俺の元にまで砂塵が舞い上がってくる。

 火山の噴煙のような勢いである。


 つか、地震みたいに揺れてる。

 なんか危ないぞ。足元崩れそう。

 逃げろ。


 慌てて避難すれば、案の定、高所の端は滑落し、土砂と変わった。やべえ。

 大質量の落下衝撃がもたらしたエネルギーの波。

 自分の予想を超える事態に、ちょっとびびる。

 まずいな。みんなが下敷きになってたらどうしよう……。

 メムのエロすぎるぷに尻やマリーの極上のパイオツが失われるようなことがあったら、これはたいへんなことやよ。損失なんて言葉では済まされないですよ。世界の至宝のうち二つが同時に失われることになってしまいますよ。まだ揉んだり吸ったり擦りつけたりぶっかけたりしてないのにですよ。マリーのおっぱいに「おっぱい」って呼びかけて、おっぱいが「なぁに?」と不思議そうにたわんで、俺が「ふふっ……呼んでみただけ」と微笑むという優しい時間が永遠に失われてしまうということになるよ。それってもう生きてる意味なくね? ぼくのおキャンタマも悲しみに咽び泣き、罪の意識でEDになるのは間違いないよ。我が勃起力の危機ですぞ。


 俺は立ちこめる土煙も厭わず、大急ぎで揺れる斜面を下り始める。

 ていうか、そもそもミケランジェロはどうなったんだろうか。

 今の所、暴れては無いみたいだけど。


「ん……?」


 いや待て。視界の隅になんか出とるよ。

 これは一体何なのさ。



【獲得実績】


【金】『BIG GAME HUNTER』

(実績:自身より30以上高レベルの敵を倒す)

(報酬:20XP)



 金! キャンのトロフィー!

 すごいのもらえてる。

 ていうか、レベルも上がってる。5から12にまで爆上げされてるじゃん。

 ということは……。


「うわぁ……」


 果たして、晴れゆく砂煙の中にあったのは、大地に突き刺さるミケランジェロの巨体だった。

 動きを止めた異形。

 地面を掘削でもしようかという勢いで脳天から突っ込み、しかし、首の角度は曲がってはならない方角を向いている。

 なんか、現代美術のモニュメントっぽくなって、動かない。

 犬神家かな?


「おーい! おーい!」


 俺は声を上げながら皆を探し始めた。


「メムー! マリー! カリオテー! ウスカさーん! あと、えーと……えーと……おやっさーん!」


 あーまたわかんなくなった。手のひらにマジックで名前書いとけば良かった。すーぐ記憶野から消える。影も形もまう。


「ショウくーん……!」


 と、熊神家の記念碑の向こうで、手を振っている褐色ロリータを発見。


「こっちー!」

「メム!」


 感動の再会を装ってつるぺた幼女ボディを抱き締めた挙句、どさくさ紛れにお尻をひと揉みさせてもらおうと思い俺は駆けだしたが、その傍らに他の面々が控えていることを発見し、ペースダウン。

 ウスカさんが剣を掲げていた。

 その傍らには、赤髪がばっさばさに乱れたマリーもいる。


「生きてたかー、サトウ!」

「サトウさーん! ご無事でなによりですー!」


 ま、マリーちゃん……心配してくれてたのか。嬉しい。


「いや、マリーが渡してくれてたヒールポーションのおかげだ。ありがとな」

「うう。ほんとですか。良かったです。もう絶対死んじゃったと思いましたよぉ……ぐすっ」


 涙ぐんでくれていた。

 よーし。結婚しよう。今すぐ。それしかないよ。初夜が待ちきれないよ。朝まで寝かさないからね。


「ていうか、みんなこそ平気ですか?」

「大丈夫だ。誰も死んでない、って程度の意味で、だけどな。正直、百回は死んだと思った」

「でもまだ、カリオテさんの意識が戻って無いんです。今、運ぶために甲冑を脱がせようとしてたところです」


 見れば、フルプレート姿の小さな体が、皆の輪の中央に横になっていた。


「気を失ってるんでポーション飲ませることもできなくて、回復もままならないんです。無理矢理飲ませようとしても、だばだばこぼしちゃうんで」

「なんと」


 ま、まさか、鼻からヒールポーション吹いて呼吸困難になったなんてことは……いや、特にそういうことはなさそうだな……ふう……。


 俺は何故か安堵し、皆の作業に加わる。


「血色自体は悪くないから、いずれ目を覚ますとは思うが、なにせ甲冑がこの有様だからな」

「ヤバヤバですよねえ」


 マリー掲げる左腕の籠手は、手首から先の部分しかなく、やたらと短い。

 他にも、鎧の左肩の部分が完全に無くなってしまっていたりした。

 ひしゃげた板金の姿に、加わった尋常ならざる力が一目で伺える。


「あの化け物熊の攻撃を防いでくれたんだから安い物なんだろうが……まあ、とりあえず早く街に連れ帰って、治療師に見せないとな」


 カリオテは、金属鎧の下には以前も見たことがあるチュニックを着込んでいた。

 鎧を脱ぐと、小柄な姿が目立ち、一層幼さが強調される。

 中学生くらいにしか見えないよ。


「……急ぎましょう」


 体から外されたプレートメイルのパーツは、すいすいとマリーのカートの中に収納されていった。


 なんか、ムチャだなこのカート。アイテムボックスじみた異常性能だ。

 どういう仕組みなんだろう……。


「つーか、サトウよく生きてたな。お前、ブン殴られてどっかすっ飛んで行ったろ」

「ええまあ。小旅行を満喫してきましたよ」

「……そういうレベルのやられ方じゃなかった気がするが……」

「あ、いえ。運良く木のクッションで命を救われました。日頃の行いが良かったんですかね」


 まあ、毎日続けてる日課なんてオ○ニーくらいしかないけど。


「もしかして、お前がやったのか?」

「え?」

「いや、この熊だよ。俺達がもうダメだ全滅だ、ってところで急に方向転換していったんだよな。それで、事情は分からんが今のうちに逃げようぜ、って話してたら、次は落ちてきて、で、これだ」


 見上げる先には、熊一頭丸ごと使った現代アート。


「正直、今こうして生きてるのも信じられないっつーかな……」

「あ……いえ。俺は正直ほとんど何も。わーわーぎゃーぎゃー悲鳴をあげてたら、なんか、落ちて死にました」

「そ、そうか……? じゃあ一体……」



 ――ズドォン!



 話していると、突然、空から音がする。

 羽鹿口市の花火大会を思い出すような炸裂音である。

 びりびりと空気の震える感覚。

 思わず首がすくむ。


「ま、またです。さっきから何回か聞こえてますよ、この音。一体、何の音でしょう」


 マリーが不安そうに言うと、ウスカさんが首を捻った。


「もしかして、この音と何か関係あるのか? クマ公が死んだのは」

「空から聞こえてきますね。どこから……」


 メムが頭上の一点を指さして言った。


「あそこ、なんかけむりでてる」


 メムが示す先を目で追うと、確かに雲間に影がある。

 黒煙らしき物が浮かんでいた。


「あっ! 変なのが雲から出てきましたよ!」


 雲海を割って沈降してくる船……のような、何かがあった。


「あれは……イヴァ帝国の角船ホーンド・シップだな。なんでこんなところに……」


 ウスカさんが目を細めながら囁いた。


「なんですか。ホーンド・シップって」

「ん? 空飛ぶ船だよ」


 空飛ぶ船。

 つまり飛行船。


 だが、ヒンデンブルク号でお馴染み、俺が知っている丸い飛行船の形状とは全然違っていた。


 昔の大航海時代の帆船……特にガレオン船を思わせる外観だった。

 ただ、帆の形が全然違う。

 海上を走る帆船は当然、マストは上部に伸びているが、これは、左右横側にもついていた。

 帆を扇のように、横から上まで使った半円状に張っている。

 それが、船の前の方から後ろまで、サイズを変えて、三枚見える。


 更に、船首には、ユニコーンのような巨大な角がついていた。

 なんとも勇ましい容姿である。


「ていうか、帆の色が赤いぞ。まさか、“鮮血皇女”オリアナの軍艦じゃないのか……?」

「また、けむり」


 メムが指摘すると同時に、爆発音が遅れてやって来る。


「あれ、魔法撃ちあってませんか? 何かと戦ってるように見えます」


 ウスカさんが突然、「げっ」と言った。

 声の音階が一オクターブ上がっている。


「嘘だろおい……。竜騎兵だ……!」

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