アルタ群島(36)「ハンティンググラウンド・Ⅸ」

~これまでのおはなし~


 私、ジョセフィーヌ。最近ようやく俺様受けの良さに目覚めた中学生。先日から停学になってしまっているので、私は今日もYoutubeをぼんやり眺めていた。関連動画をただだらだらと辿っていると、「私何やってるんだろう」「生きるって何なの」「あいつが全部悪い」って気になってくる。そんな時、大型トラックにドーンとはねられる熊の動画を見た。ところが、何事も無かったかのように逃走。熊、すごい。どんだけ頑丈なのかしら。とんだ化け物ね。そうだわ。これだけ頑丈なら、普通ならできないプレイの受けキャラとして生きるかもしれない。時代は熊受けね!というわけで私は「熊」「受け」「***」って検索してみたわ。インターネットの闇に出会った。嫌い。嫌い。人間の欲、大っ嫌い。





 巨躯が転がる、豪快な音がした。


「うおっ!」


 再び動けるようになった俺の前で、熊の形をした小山がひっくり返っている。

 腹の中央、俺がいた部分には、人間サイズの丸いへこみ穴がボコンと開いている。

 焼き切れたような匂いと、上がる白煙。


 たちまち下敷きになった木々が、重みに耐えかね、四方八方倒れ始めた。

 まくれあがった土が波のように飛び散る。

 怪獣映画みたいな迫力である。


 しかし、ミケランジェロの動きは鈍い。

 大きなショックを受けた様子で、非常に緩慢に手足を動かしていた。

 <剛健>で開いた穴は、せいぜいが俺の身長程度の大きさなので、貫通はしていなかったが、見た目以上に深手であるようだった。

 立ち上がるまで、若干の猶予がありそうだ。


 今のうち、とばかり、俺は急いで距離を取ろうとする。


(待て! 逃げるな!)


 脳内俺が、呼び止めた。


(追撃するんだ!)

(なんでだよ危ないよ逃げようよ)


 別の俺が反論。

 脳内で唐突に俺同士による俺会議開催。


(<肉体硬化>してるから倒木くらいは大丈夫だ! クマ公の攻撃以外でビビるな!)

(やだよこわいよ死んじゃうよ。早く離れて安全な距離からまた石投げようよ)

(落ち着けって! 今が千載一遇のチャンスだぞ)

(そうよ! こんな機会もう無いわよ!? この距離で無防備に転んでるのよ!? 今、仕留めなきゃ! 復活したら今度こそやられちゃうわよ!)

(言ってることは納得だけど、突然アンタ誰だよ)

(アタシはオカマ佐藤よ! 佐藤の中のオカマ人格!)

(……帰れよ……)

(ていうかどうやって仕留めるんだよう。方法が無いよ逃げようよ)

(もう一発<剛健>を使う。今度は攻撃モードでだ。Fatal属性つけて、さっき抉った腹の穴をもう一度狙うんだ)

(MPが切れてるわ。後先考えず<剛健4>で発動したから、7点しかMP残ってない。スキルレベル1でも発動できないわ)

(マナポーションは?)

(さっき使い切ったじゃない)

(しまった!)

(わー終わった逃げよう逃げようもう何もできなくなった)

(むぅ……。確かに、できること限られちまったな)

(そうだよ。どれだけ腕力が強くなってもできることとできないことがあるんだよ。この熊は大きすぎるんだよ。パンチ? 駄目駄目。そんなんで倒せたら世話無いよ。むしろ、石を投げてぶつける方がずっと効果があるよ。首をへし折る? 駄目駄目。太すぎて無理だよ。急所を狙いに行く? 駄目駄目。目や鼻を潰せればどうにかなるかもだけど、息の根止められるわけじゃないし、武器無しの無手むてでやるようなことでもないよ。ひとっ走りして、ウスカさんの両手剣を借りてきた方がマシ)

(あらやだ。この子、根性無い癖に計算だけは早いわ)

(ウスカさんの武器を借りてくるのはいいかもな)

(ただ、心臓まで貫くのは骨だし、直径太すぎて首を落とせる気もしないから、結局狙えるのは顔面かキ○タマくらいしかないと思うけどね)

(やあねえ……。規格外にデカい、ってそれだけで常識が通じなくなっちゃうのねえ。めちゃくちゃな存在ね、このクマ)


 脳内会議の言う通りである。

 素手で戦える相手ではない。


 この、どれだけの重量があるかも定かではない化け物を殴り殺そうと思ったら、当然、数十トンのパンチ力が必要になるだろう。

 が、それだけでいいという話でもなく、同時に、力を加える拳は巨大でなくてはならない。

 大きな「面積」が必要なのだ。

 俺の拳の面積と腕の長さで、どれだけ強い力を与えても、そのサイズ、その規模での破壊しか起こらない。このクマにとっての外皮のエリアを傷つけることしかできない。鋭い殴打は、外の肉を抉るかもしれないが、命を司る内臓には届かないのだ。


 だから今、俺の腕力が数十倍に上昇していようが、関係ない。

 直接打撃でこの化け物は倒せない。

 俺の体が「人間のサイズ」である以上、不可能。

 ならば、確かに安全圏からの投石の方がマシである。


(いや待て。一つ、思いついたぞ)

(え?)

(素手でこいつをぶっ倒す方法、一つあった)

(あらやだ。そんな方法あるの?)


 酷く荒唐無稽な絵面が脳裏をよぎる。


(ないよ。ないない。早く逃げようよ。遠くに離れよう)


 いや、と俺は否定する。


 確かに、ある。



   ◇



 昔、活躍していたアメリカのプロレスラーに、ミック・フォーリーという人がいる。「カクタス・ジャック」「マンカインド」などのキャラクターギミックも持つ有名レスラーで、既に引退した、マット界のレジェンドの一人だ。

 俺の親父はこの人の大ファンだった。


 どんな人物か。

 非常に知的で、作家活動でも知られる紳士的な物腰のレスラーである。

 脳筋族が多いプロレスラーの中では異色の人柄だ。


 だが、ファイトスタイルはそんな性格とは真逆のものだった。

 一言で表すと、キ○ガイである。

 すっごいキチ○イ。


 親父は言った。


「翔。プロレスが、他のありとあらゆる格闘技と圧倒的に異なる点が一つだけある。何か分かるか?」

「ミック・フォーリーは、その一つにおいて、最も優れたレスラーだったんだ」


 当時は分からなかったが、今なら分かる。

 プロレスが他の格闘技と全く異なるのは、「技が成立すること」が必須条件になっていることだ。


 例えばボクシングで「最強」というものを定義した場合、どういう選手になるだろうか。

 それは「攻め」においては相手を一撃で沈めるハードパンチと、それを当てるオフェンステクニックを兼ね備えていることを意味するし、「守り」においては相手の攻撃をただの一つも食らわない完璧なディフェンス技術を身につけていることを意味する。


 肉を斬らせず、骨を断つ。

 相手選手に見せ場の存在しない、一方的な戦いになること、イコール、強さだ。


 これは、他の競技においても同じだ。

 空手であろうと柔道であろうと、キックボクシングであろうと、MMAであろうとそう。

 クラヴ・マガやシステマ、サイレントキリングのような、軍隊で用いられる近接格闘術においても同様である。


 何故なら、現実は格闘ゲームとは違うからだ。

 格闘ゲームでは、体力ゲージ続く限り、負けは決まらない。

 最後の1ドットでも体力が残っているならば、逆転の目は残されている。


 しかし、現実はそう甘くはない。

 相手の攻撃を食らい体力ゲージが減れば、それは即ち自らの体が万全の状態ではなくなることを意味する。


 足にダメージを負えば、踏ん張りが利かなくなるし、ボディを打たれて苦悶しているのに、「んっ、しょーりゅーけーん!」と逆転の必殺技を繰り出すことはできない。

 手の指が折れたりしたら、もう即負けだ。


 ダメージを食らい五体満足ではなくなれば、自身の攻撃力も下がるのが現実なのである。

 優れたファイターが、しかし風邪を引いて体調が悪いが為に敗北する、などという事もザラであるように、すこやかであることは勝利への必須要素なのだ。

 従って、「相手の攻撃を受け止める」という選択肢は、格闘技において存在しない。


 プロレスという競技だけが、それを許容する。

 エンタメ要素、ショー要素の存在によって、相手の攻撃をという宿命を背負っている。


 それゆえに、プロレスにおける「最強」の定義はいささか異なる。

 「相手の攻撃をどれだけ食らっても倒れない」。

 これこそがプロレスラーの最強定義となる。


 ミック・フォーリーは「最強」のプロレスラーだった。

 ある時、彼は対戦相手のジ・アンダーテイカーというレスラーに言った。


「いいこと思いついた! お前、俺を下にブン投げろよ!」


 高さ六メートルの金網の上だった。


「い、いやだ。勘弁してくれよ。人殺しにはなりたくないよ」


 「墓堀人Undertaker」を意味するリングネームを持つ、死刑執行人キャラの男が、尻込みした。

 何故なら、ミック・フォーリーが指さしているのは、リングの中ですらなく、リングの外に据え付けられた実況席だった。


「だまれ! ガキみてえにビビってんじゃねえ! 投げろ!」

「うう……」


 そして、ミック・フォーリーは金網の上から放り投げられた。

 投げた直後、アンダーテイカーは本気で「殺してしまった」と思ったそうである。


 クレイジー・バンプ。

 「受け」の哲学。


 そのキチ○イじみた論理の存在故、プロレスには、普通であれば食らいようがない技が数々存在する。

 説得力の追求の為に用意された、危険技の数々。


 ブレーンバスター。

 バックドロップ。

 パイルドライバー。

 いずれも、対戦相手が本気で我慢すれば成立しない技ばかりだ。


 しかし威力は本物である。

 格闘技マニアの我が父は、総合格闘技の大会において、プロレス技で決着した試合の動画ばかりを集めた自選コレクションを作っていた。


 ガチ勝負においては、普通食らわないが、もしまともに食らったらヤバい。

 そういう技が、プロレスには多数存在する。



  ◇



 今、ここに一頭の熊がいる。

 とても大きなグリズリーである。


 この熊の体重が数十トン。

 俺がどれだけ強く殴っても、大して効かない相手である。

 何しろ俺の体重は六十数キロ。

 必死に体重をかけて体当たりしたとしても、小動物がぶつかるようなものでしかない。


 この熊を、倒したい。

 何とか致命的なダメージを加えたい。

 どうすればいいだろうか。


 答えは、力学が知っている。

 ポテンシャルエネルギー。


 自重を受け止めてもらう。

 熊自身の数十トンの体重で、自分を殺してもらう。


「んぐぐぐぐぐぐ……!」


 ミケランジェロの背後に回った俺の両腕が、仄かに発光していた。

 火を吹きそうなほど熱を帯びている。

 魔力によって増強された俺の二本の腕が、その持てる力を振り絞って、ミケランジェロの巨体を支配しようと努めているのである。


 俺は、熊の大きな親指を左右それぞれ脇に挟み、そして、自分の両手同士を繋いでクラッチを固めていた。

 ミケランジェロは両腕を背中に回され、左右の親指同士を紐で結ばれたような、不自由な状態にある。


 不快そうに吠えている。

 悲しげな鳴き声。

 しかし、ほどくことができない。


 手錠のように、両手の親指にめてロックしてしまう「指錠サムカフ」と呼ばれる代物があるが、それを嵌められたのと同じだ。

 親指は手の中では、力を込めるのに最も重要な指なので、不自由な体勢でロックされると驚くほど動けなくなってしまう。


 そして、【PX】198にまで増強された腕力。

 どうやら体格にこそ差はあれど、単純な力勝負だけなら俺はこの森の王(レベル43)とも張り合えるらしい。

 むしろ、力のかかる場所がミケランジェロの親指一点だけであることを思えば、灰色熊に勝ち目は無い。


 俺の背後には、高台の際があった。

 その先は斜面になっていて、下までそれなりの落差が存在する。


「んあああああ……!」


 俺の加える力は、角度を変えていく。

 ミケランジェロの親指はそのままでは折れてしまいそうになり、抵抗する巨熊の体は徐々に、反り返っていく。


 不思議な力のやり取りが起きていた。

 指を折ろうとする小さな小さな人間。

 耐える化け物じみた大きさの熊。

 力の綱引き。

 リリパットとガリバーの、力だけの鍔迫り合い。


「あああああああ!」


 灰色熊の、心の動揺が指先を伝って流れ込んでくる。

 焦燥。

 混乱。

 およそ人生の中で感じたことのないもの。


 ……恐怖。


 その緊張は、王をただの獣に変えた。

 熊は、畏れに身を震わせた。

 張り詰めた均衡に、柔らかな獣毛が逆立っている。


 その時だった。



 ――ドォォン!



 突如として、頭上から轟音がした。

 謎の爆発音。

 恐らくは数刻前、北の方角から聞こえたのと同じものであろう。

 稲妻のように辺りを鳴動させる響きだった。


 ミケランジェロは、ビクッと反応し、棒立ちになった。

 ぴんと張り詰めていたものが、一瞬、緩んでしまった。

 そして、それが全てを決めた。


 一気に俺の体が背後に反り返る。

 親指を固めたまま、ブリッジをして一息に折りにいく。


 ミケランジェロは、本能的に、両親指がちぎれるのを嫌ってしまった。

 かかる負荷を逃がすため、後ろ足は、むしろ飛んでしまった。

 「技が成立すること」を選んでしまった。

 プロレスラーでもないのに。


 「スープレックスは、クラッチさえできれば、必ず投げることができる」と、カール・ゴッチは言った。

 だから、俺は投げた。



 ――雪崩式なだれしきサム親指クラッチ、タイガー・スープレックス。



 高台の上から、今、巨体が弧を描いて、地の底目掛けて落ちていく。

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