アルタ群島(35)「ハンティンググラウンド・Ⅷ」

~これまでのおはなし~


 遡ること十三年前、俺、佐藤翔(13)は尾芥子おげし中学校の教室で、進路調査のプリントと向き合っていた。まだ受験まで遠い時期ということもあり、「将来なりたい職業を第三志望まで書き入れる」という、割と緩い内容のものでしかなかったが、特にやりたい事の無かった俺は書くべき職業を見つけられずにいた。隣の席から川添さんが「佐藤はなんて書いたの?」と訊いてくる。俺が答えるより早く、氏家が「『ガンダム乗り』じゃね」と言った。俺のオタク趣味はいつの間にかバレていて、近頃は手ひどい弄り方をされる。「そんなの書くわけないだろ」「あーでも前に授業中、なんかゲームの奴の操作方法こそこそ読んでたよね」「あれはただのゲーム攻略。それとこれとは別」「って白紙だわこいつ」覗き込んできた氏家がキキキと笑う。「ノーフューチャーだった」「うるさいなあ。今考えてるんだよ」「だったら、似たような、飛行機のパイロットとか書いとけばいいんじゃないの。とりあえず」「いいねー、パイロット。佐藤がジャンボの機長になって年収1000万超えたら結婚したげてもいいよ」うわうぜえ上から目線。「嫌だよ、旅客機パイロットとか。事故で絶対死ぬじゃん」と、俺が言うと、二人は顔を見合わせてから、一斉に笑い始めた。「えー。ちょっと信じられないんですけど」「佐藤、飛行機が墜落する確率知らないん?」「すみませーん。どなたかお客様の中にガンダム乗りの方はおられませんかー?」ガチで笑われている。だいぶ恥ずかしくなってきた。「な、なんだよ……落ちる確率がどんだけ低くても毎日何時間も飛んでたら、定年退職するまでに一回くらいピンチになるだろ。そしたらその一回が命取りじゃんか」「はいはい。佐藤クンは心配性だねえ」「オマエもう『勇者』とか『冒険者』とでも書いとけよ」押し黙る俺。こういう時、自分しか男がいない環境の、肩身の狭さを感じる。そして一人、思った。でも、『冒険者』だって、同じだよな。一回、二回ならいいけど、モンスターとの戦闘って、試行回数が増えれば増えるほど危険が増すわけだから、RPGの経験値稼ぎなんてのは本当は一番やっちゃいけないことなんじゃないか? 『冒険者』って、本当はその内絶対死ぬ職業じゃん。ジャンボジェット以下。よーし、次やるRPGはステルスプレイに徹しよう。モンスターと戦う方が間違ってる。好んで敵に向かって行くなんて、アホのすることだね!





 俺は、手に入れたばかりの<豪腕>スキルを発動した。

 使用レベルは10。



【MP】32→2



 MPが一気に30も下がった。ほとんど空である。


 ただ、<豪腕>スキルは持続時間が元々長めだ。

 それを最高レベルで使用した結果、二時間四十分という長編映画の上映時間並に長い効果時間を獲得することになった。(ただし、それでも神映画LotRは見れない)

 割とすごい。

 というか、随分気軽にやってるが、豪腕スキルを10にまで上げるのに必要だったスキルポイントは165。本来、レベル5のニュービーにできることではない。

 チート万歳、といったところか。(でも俺のチート、地味すぎなんだよな……)


「マナポーション多めにもらっといて良かったな。……苦いけど」


 幸い、今回はポーションで回復ができる恵まれた環境下での戦闘。

 事前準備としてbuffをかけておく分には、消費MPの高さはさほどのデメリットにはならない。

 <豪腕>の効果時間の長さとも相まって、マナポーションによる回復が余裕で間に合う。

 だから今回に限っては、むしろ、掛け得に近い。


 俺は、口の中がゴーヤ丸かじり状態に陥るのを感じつつも、MPが戻るのを待って、<強走>を10レベルで、<肉体硬化>を9レベルで次々発動した。

 効果時間の長いbuffは事前に全掛けである。


 これ、あれだな。ネトゲのボス戦前だ。

 パーティーメンバーが次々とbuffスペルをかけて、そのエフェクトで画面が埋め尽くされる、という光景。あれと一緒。

 まあ、セルフbuffしかできない俺はソロ狩り状態だけど。


「とりあえず、アレ、またやってみるか」


 最後のマナポーションを飲み干すと、俺は足元に転がる石を拾い上げた。

 硬くて丸そうな奴を選んだ。


 小さくて素早いウサギ相手だと、まとが小さすぎて現実的じゃなかったが、今度はいけるだろ。

 何しろ、見下ろす先、まとしかないような状態なんだからな。


「肩慣らしは……してる暇なさそうだな」


 ぐっと腕に力を込めると、筋肉の一つ一つ、血管の一本一本を感じた。

 魔力がそこに流れている。

 俺という肉体を住処すみかに、スキルの血流が径路を走り、超常の力を練り上げている。

 それは地の底に眠る溶岩のようにふつふつと熱を孕み、噴き出す時を静かに待っている。

 魔力が、溢れたがっていた。


 俺は、高台の際に立った。

 右腕魔力伝導の先端、五本の指に強く石を握り込む。


 <豪腕>スキルは腕力に限定するものの、補正値が高い。

 元々が18の、スキル補正が180の…………198PX相当の、腕力を発揮できる筈だ。合ってる?


 繰り返すが、俺がこの世界に来た最初のPXは6。

 198ってことは、腕力だけなら……33倍? ゴリラが泣いて謝る程度には反則的な数値だな。

 前回の投球スピード記録、大幅更新確定だわ、これ。


 が、いきなり全力で挑戦して、明後日の方角へ投げても恥ずかしい。

 最初はとりあえず投球練習も兼ねていこう。


 深呼吸。

 ゆったりとしたフォームを取る。

 全身の強張りを抜いて、ほどほどの力で。

 よいしょ、っと眼下へ投石を行う。


 ――ふ。ぼふッ!


 指先カタパルトを離れた瞬間、急加速。

 突然かき消えたように見えなくなり、代わりにパパンッと小さな音がする。


「ワオ」


 音速の壁sonic barrierを超えたのかもしれない。

 チャック・イェーガーもびっくりだね。


 当然、投げると同時に着弾していた。

 灰色の背中のど真ん中へと無事命中。


「ゴァァァァッ!」


 出し抜けに、おぞましいほどの叫喚きょうかんがある。

 離れた場所にいても、怒気が熱波のように伝わってきて、体がびくんと反応する。

 本能的に脳が「おい! 逃げろ!」と叫び出すほどの憤怒の波動。


 エキストラさんの攻撃魔法を食らってもまるで気にしたそぶりが無かったので、もしかしたら効かないかもと思ったのだが、予想外の反応を見せていた。

 あの様子では分厚い獣皮を突き破り、体の内側にまで届いているのは間違いない。

 人間に例えても、少なくともスズメバチに刺された程度の話では無さそうだ。


「よっしゃ。どんどん行くぜ」


 手応えを感じた俺は、立て続けに投石攻撃を加えることにした。

 頑丈そうな石を見繕い、片っ端からびゅんびゅん投げていく。

 設定6。出玉多めでいきますね。

 ノークレーム、ノーリターンでお願いします。


「ゴァアァァァーーーーッ!!」


 うへー。怒ってる怒ってる。

 こええええ……。


 巨体が足を踏みならす度、大地が揺れる。砂塵が舞う。

 ちょっとした人工地震発生装置である。

 足元近くの皆は大丈夫だろうか。


 でも、よく効いている。

 もしかすると、攻撃魔法に対しては何らかの抵抗を持ってる一方、こっちは純粋物理攻撃すぎて防ぎ切れてない、とかかもしれない。

 動物が火球食らってなんともないとかおかしいもんな。


 あれ? でもクマって火を恐れない動物なんだっけ……?

 よくわからん……。

 ま、「この世の大体のことはレベルを上げて物理で殴れば解決する」って偉い人も言っていたし、気にしなくていいか。

 物 理 最 強。


「おらおらー。食らえ食らえー」


 buffのいいところは、あれだな。

 攻撃呪文はいちいち詠唱を必要とするが、こっちは一度発動すれば特にそういうのいらなくなる。

 所詮は人力スリングショット。

 『月は無慈悲な夜の女王』のマスドライバー並に原始的な攻撃だ。

 コスパ厨、大歓喜。


 ミケランジェロは、三度目、四度目の着弾までは耐えていたが、五度目辺りで体の向きを変えた。

 どうやら、目の前で戦っているウスカさん達よりも、背中にどんどこ投石してくる奴の方がウザくなった模様。

 確かにそいつ、何も反撃しないのをいいことにやりたい放題だもんね。ウェーイウェーイ言うてる。


 再びの相対。

 虚ろな瞳と向かい合う。

 その奥に燃える憎悪が、まばたきもなく俺を見る。


 うう……。やっぱ圧迫感すごいわ。

 俺が狙われてると思っただけで、怖すぎる。

 さっき食らった一撃の威力が脳裏に蘇って、身震い止まんね。


 でも、これを待っていたとも言える。

 何故ならこの相手は大きすぎる。

 どれだけ背中側に小穴を開けてもこいつは倒せない。

 致命傷を与えるには、急所を狙うしかない。


 その点、顔なら文句無しだ。

 急所だらけ。弱点だらけ。

 目でも眉間でも鼻先でも喉でも、どこでもいい。

 貫かれてまともでいられる場所は無い。

 例え、豆鉄砲にであっても、だ。


「よっしゃ! 次、勝負……!」


 狙いは眉間のど真ん中。

 狭い場所だが、今の俺なら当てられる!


 俺は、腕を振りかぶる。

 鞭のように全身をしならせ。

 握りしめた丸石に威を乗せる。乗せる。乗せる。

 それはたちまち重みを増し、耐えきれぬほどに掌中暴れ始め、


「おらッ……!」


 <肉体硬化>スキルを併用していなければ、己の腕力によって破壊されていたのではというほどの負荷が指先にあった。

 だが耐えた。

 中指先端を走る電流のような感覚。

 離陸。


 いった。

 手応えがあった。

 明らかに最高速度。


 放たれた弾丸は、たちまち運動エネルギーの塊と成り、抹殺属性をつけた質量と化け、パパン! と小気味よい音を立てながら。


 ……上方、明後日の方角へと飛んで行った。


「あああああ」


 外した……。


 <豪腕>で上昇したのが腕力だけだからか、精度が低かった。

 本気で投げようとすると、極端にコントロールが定まらなくなる。

 身体能力のあらゆる要素が満遍なく上昇する<強健>は偉大だった模様。


 い、いかん……。

 力を込めることにだけ集中すればいいというものじゃないぞ。

 球威以上に制球が重要だ。


 というか、下手に狭い領域を狙うと、外れた時、パーティーメンバーに誤爆してしまうかもしれない。

 急所を狙いたいのはやまやまだが、体のど真ん中だけを狙った方が良いのかも。


「次は、はずさな――……」


 その刹那。


「……っ!?」


 体がガクン、と跳ねる。

 高速道路を走る車に乗っていて、急ブレーキを踏まれたような衝撃。

 眼前が真っ白になった。


(なんだ……!?)


 輝きが収まると、ミケランジェロの口が大きく開かれ、こちらを向いていた。

 まるで火を吹いた後の巨大戦車のように佇んでいる。


 否。発光など無かった。異変があったのは俺の視力の側である。

 あったのは音だった。

 しかしそれは、音の形をしていなかった。

 不可視の波が、俺の体を突き抜け、触れた部分全てを痺れさせている。

 咆吼を超えた大喝。


 ――野生の呼び声Call of the Wild。レベル8。

 森の王の力。


 体が動かなかった。

 麻痺している。

 見ることも、聞くことも、思考することもできる。なのに、指先を動かすことすらできなくなっている。


 なんだ? スキルか? 何をされたんだ?

 俺はどうなってる?


 俺の生物部分が、ほぼ沈黙していた。体の操作系が一瞬で殺された。

 魔力の波だけが生きていて、俺は余計に焦る。

 下手に目が見える分、恐怖がある。


 巨熊が笑った気がする。


 次の瞬間、唐突に太陽が失われた。

 陽光を遮る何か。

 人工の暗闇。


 何かが頭上を飛んでいる。

 何が?

 熊が。

 山ほどもある、灰色熊が。


 巨熊、高度跳躍。


 まるで本当は身軽だったのだと主張するように、軽々と驚くべき高さまで飛び上がっていた。

 空を覆う、もこもこ毛玉。もふもふインザスカイ。

 土塊つちくれと、幾本もの木々を伴い、一瞬で天高くある。

 小さな小さな俺に向かって、その全身を降らせてくる。


 俺は動けない。


 巨大すぎる物体が、空気を圧しながら落ちてくる。

 何トンあるのかも知れぬ体重の墜下ついかはおそらくどんな攻撃よりも馬鹿馬鹿しく、そして致命的である。

 蘇る、潰れた男の話。


 俺は動けない。


 爪に引き裂かれるわけでも、牙に噛みつかれるわけでもなく、ただ圧死する。

 想像し得る限り、最低の死に方の一つである。

 なにしろ俺にとって映画版『AKIRA』の一番のトラウマシーンは、鉄雄に押し潰されるカオリだ。


 それなのに、俺の目はまるで死の瞬間を確認しようとするかの如く、じっと見つめている。

 濃くなってゆく影を、一心不乱に観察し続けている。

 全身が麻痺しているせいで、本来なら恐怖によって顔を背けているような映像まで、しっかり視界に飛び込んでくる。


 俺は動けない。

 口も動かない。


 俺の思考だけが動く。

 だから俺は声抜きに発動する。


(――<剛健4>)


 接触。



 まるで爆炎がおれを中心に噴き出したようだったそれは球状の炎熱を以て周囲一体を捻り焼き殺し当然のように熊の肉体には巨大なあなが穿たれることになる非論理Illogicalによって支配された空間それは恐らくこの獣の人生の中で文字通り非論理Illogicalに満ちた時間であったはずで不快なる球体が腹の下で悪意を撒き散らしていることに獰猛な森の王は可愛らしくも熱い薬缶に触れた赤子のような反応を見せることになった着地したミケランジェロは激痛に目を剥きながら弾かれたようにのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る