アルタ群島(29)「ハンティンググラウンド・Ⅱ」
~これまでのおはなし~
遡ること九年前、俺、佐藤翔(17)は友人の岸本君と大津君が「このやろー!」「ふざけんな!」と今にも喧嘩をはじめようかという間に入り、必死に二人をなだめていた。殴り合い寸前。俺達の長きに渡るが薄っぺらい友情もこれまでか。きっかけはこうである。「一番好きなコスプレ衣装って何?(俺)」「くの一(岸本)」「バニーガール(大津)」言い終わるや否や、二人はお互いの胸倉をつかみ合い「何言ってんだオメー」「ぎるぎるぎるぎる!」と怒号渦巻く修羅の国が現出。どこかで見た展開。『何一人だけ涼しい顔してんだよ!お前はどうなんだ!佐藤!』「俺?俺は……メイドさんかな」『あーわかってねーわ。佐藤わかってねーわ』先刻までハブとマングースの如くいがみ合っていた二人が雁首並べて俺を糾弾。「心持ちがなって無い。そんなんじゃ、いざ本当にくの一を目の前にした時、狼狽錯乱すること間違いなし」「覚悟が足りん。バニーの魅力を受け入れる準備が整ってない。未来永劫ヒュー・ヘフナーにはなれねえ」『もしバニーとくの一とメイドが同時に現われたら佐藤、心臓発作で死ぬんじゃね?』俺は「そんな謎のシチュエーションが急に訪れるわけないだろ……」と呆れつつも、まあ友がガンカタで殺し合う展開にならなくて良かったなと思った。
森は奴らの領土だ。
追跡者。
的確に俺を追ってくるその気配。
「っ……!」
彼我の距離は既に数メートル。
生存本能に促され、転がるように走った。
<強走>スキル掛けっぱなしの体は軽い。
だが、生命のやり取りをしているという非日常的感覚は、容易く自由な体のコントロールを俺から奪った。
自分の息が乱れていることに、俺は気付いている。
どこだ?
どこから来る……?
朽ちた灌木の間を飛ぶように抜け、Uの字に窪んだ斜面を滑り降りる。
雨が降れば谷川に早変わりするのであろう天然の溝。
ボブスレーのソリのように駆ける。
「ゴァウ!」
刹那、咆吼と共に、その時が来る。
左後方、崖上から、突如として飢えた獣が躍りかかってきた。
【名前】紅
【種族】フォレスト・ウルフ
【性別】男
【年齢】2
【職業】戦士
【称号】カンヤム・カンニャム
【血神】バラク
【レベル】4
【HP】18/18
【MP】6/6
【PX】9
【MX】3
【スキル】<バイト2>
俺とそう大差無い体格の大狼は、しかしその俊敏さにおいて俺の遥か上をいった。
存在に気付いた次の瞬間には、剥き出しになった牙。
歯茎。
涎。
もう目と鼻の先。
火花。
俺の命を救ったのは、恐怖心だった。
本能的な恐慌。
咄嗟の判断によるものではなく、ただそう体が欲したが為に、俺は<強健>スキルを発動し、<火かき棒>を掲げていた。
鉄剣一本を挟んだところで、敵意をまき散らしながらガチガチと噛み鳴らされる凶悪な歯牙。
匂い立つ野生。
しかし<強健>スキルによって一気に上昇した膂力は、狂ったような突撃を受け止めて尚、余裕を保っていた。
狼が驚くのを感じた。
それで、走り出す。
甲高い悲鳴のようなものが聞こえ、それが己の口から飛び出していることに気付く。
我知らず、言葉ならぬ何事かを叫んでいたようである。
上顎犬歯と鍔迫り合いしているかのような格好で、獣を持ち上げたまま、崖の岩壁に突き進んでいく。
狩猟者の本能を裏切る事態に、掲げられた狼が混乱と共に暴れ始めた。
俺の口が、馬の
意志によってではなかった。
立て続けの情動がそれを強いるのである。
余裕のない切羽詰まった叫び。
しかしそれは、闘争本能と結びつき、ガソリンのように俺の全身を奮い立たせる。
黒く燃え上がる。
フォレストウルフが俺に襲いかかる際、大きく咆吼したように、今度は俺が喚き立てている。
絡み合い
大狼は飛び降りようとしたが、岩肌に肉体が叩きつけられる方が早かった。
衝撃で俺を見失い、そして、重力のまま落下しかけて、繋ぎ止められる。
何に?
剣に。
真横から、<火かき棒>が狼の体を串刺しにしている。
昆虫採集標本のように、岩壁に縫い止められたフォレスト・ウルフ。
血潮がしゅっと噴き出した。
水漏れ注意。
内臓滑落注意。
もがけども、刃の切れ味に逆らえず、自重で腹がずるずると裂けていく。
狼はぐぎぃぶぅと聞いたことも無い、屁音のような悲鳴を一つ口先からひりだし、ぶるぶると震えてあっさり死んだ。
レベルがどれだけであるとか、HPがどれだけであるとか、そんなことはまるで関係なく、柔らかなはらわたをまき散らされれば絶命するのは道理であるらしい。
「はー……」
俺は、深々と吐息を漏らす。
「はぁぁぁー……」
あー、こわかった。
◇
狩りが始まっていた。
それは突然の遭遇によるもので、はじめこそ俺達のパーティーは当初の目的通り、ウスカさんのお眼鏡に叶う腕前かどうかを披露すべく、お気楽にモンスターを討伐しようとしていたのだが、いつの間にか、事情が変わっていた。
狩る者と狩られる者。
立場が逆転していたのである。
狼は群れで狩猟をする生き物である。
今回遭遇したモンスター……フォレスト・ウルフの数は俺達よりも多く、たちまち難しい乱戦に陥ってしまっていた。
既に俺達パーティーの隊列は崩れ、個々に戦うような格好になってしまっている。
割と、ヤバめの状況。
当然、今、俺がなんとか一匹仕留めたからといって、無論それで終わりでは無い。
獰猛な影が、一つ、二つ。
草陰を割って、駆けていくのが見える。
「サトウ!」
ウスカさんの叫び声がする。
「一匹、マリーの方に行った! そっちから回り込め! 残りはこっちで引き受ける!」
考えている暇は無かった。
弾かれるように走り出す。
土を蹴り、元来た道を引き返す。
ショートカットする為、剣を頼りに、木立の間に広がる藪に突っ込むと、
「ひいいいぃ!」
マリーの悲鳴が聞こえた。
「こっち来ないでくださぁぁい!」
揺れる赤髪が見えた。
その背に迫る、狂獣の
【名前】緑
【種族】フォレスト・ウルフ
【性別】男
【年齢】2
【職業】戦士
【称号】宇治
【血神】バラク
【レベル】4
【HP】18/18
【MP】6/6
【PX】9
【MX】3
【スキル】<バイト1>
場違いな商人の少女があたふた走る度、リュックの中に詰まっているポーションの瓶がかちゃかちゃと音を立てた。
牽制しているつもりなのか、木の杖をぶんぶんと振るその姿。
こんな時に、ちょっと可愛いと思ってしまうのは、何故だろうか。
ばつんぼりんと腕ごと持って行かれたら笑えないのにね。
(間に合えっ……!)
出し惜しみしている場合ではない。
残りのMPを全て注ぎ込み、俺は再び<強健>スキルを発動する。
飛ぶよりも尚速く跳ぶ。
意志の力が結果を引き寄せる。
俺はマリーと狼の間に身を滑り込ませ、<火かき棒>は再び、狼の凶行の前に立ちはだかることに成功する。
「ゴァァウッ!」
突如現れた邪魔者に、野獣が苛立ちの雄叫びを上げた。
「おい、大丈夫か!?」
「あわわわわ……」
四つん這いで、ガクガクと震えるマリーを背後に、俺は「緑」というなんだかいつになくまともな名前の
とはいえ、俺も結構ヤバい。
HP的な理由ではなく、MP的な理由で。
<強健>スキルの効果が切れるまでに、どうにかできるだろうか?
しなければならないだろう。
さもなくば死ぬ。
二人共。
ばつんぼりんとおしまいだ。
「やあぁッ……!」
突然、真横から飛び出して来た白刃が、膠着状態を打ち破った。
裂帛の気合を乗せたカリオテの
鉄甲冑を着込んでいるとは思えない流れるような動き。
狼の胴を、ずどん、一刀両断していた。
ワオ。
なんだろう。
こういうのカリオテのキャラじゃない。
クリティカルなダイス目でも出したかな。
俺の失礼な思いは、ぎゃんっ、と狼の上げた悲鳴が上書きした。
今にも飛びかかろうかという体勢にあった狼の下半身が、刃の勢いを借りて、走行中突然外れた自動車のタイヤのように、ごろんっ、軌道を外れ、跳ね、奇妙にすっ飛んで消える。
残されたフォレスト・ウルフの上半身は二つの足だけでよたよたと二三歩進み、唐突にバランスを失い、ころりと転んだ。
瞳が光を失う。
ベロが飛び出る。
突然に数歳も老けたようになって、既に事切れていた半身が、今ようやく動くのをやめる。
不帰。
「はぁー……やったか」
「ああああ」
マリーが四つん這いのまま、「あ」を連呼した。
「ありがとうございますぅぅぅ!」
安心したのか、べそをかいていた。ぐすぐす言うてる。
失禁してないだろうな……。
「なかなかやばかったな……」
ようやく、周囲から敵意が消えたのを感じる。
フォレストウルフのレベルは俺と大差ないから、そこまでの強敵じゃない筈なんだが、場数経験が足りないということなのだろうか。
とにかくこいつら、足が早くて困るよ。
<強走>スキルつけてもまだ負ける。
動きの早い生き物は日本にいた頃から苦手だ。ゴキブリとか。
<強健>スキルを使えば、瞬間的には圧倒できるけど、スキルの効果時間が短く、すぐ切れちゃうので、<強走>スキルのように掛けっぱなしにしておくことができず、使い所が難しい。
Buff魔法戦士のことちょっと舐めてたな。
割と茨の道なのね。反省。
「ど、どうです、サトウさん。見ましたか! 私の勇姿!」
狼を仕留め、興奮した様子のカリオテがぶんぶんと濶剣を振って言った。
「いや、助かったよ。ありがとな」
「じ、実戦は何よりの教本であると師匠も言っていましたが、本当のことですね。
「ほお。本当にあるかもしれないぞ」
マジにレベル上がってんじゃね。普通に。
「だとしたら今回の旅、予想以上に私にとって大切なものと…………おや? 何かウルフが落としましたね。なんでしょうか」
「あん?」
アイテムドロップでもあったと言いたいのだろうか。
RPGじゃあるまいし、そんなもん無いだろ。
ボーパルバニーの時もなんもなかったよ。
「おおっ! す、すごいですよ。真っ二つになった狼のお腹の中から、宝石つきの指輪が出てきました!」
「……」
「食べ物と一緒に指輪を飲んでたんですね、この狼。こんなことあるんですねー!」
「ほ、本当ですか!? 見せて下さい」
女子が宝飾品に弱いのは異世界でも同じなのか、マリーが突然大復活。
カリオテの手元を覗き込んでいる。
「け、結構値打ち物なんじゃないですか? これ?」
「嬉しいボーナスですねー。実は私、割と昔から運だけはいいんですよー」
えーと。アレだ。
前にチラッとカリオテのステータス見た時、気になる文字列があったんだよな。
スキルの<トレジャーハント9>って奴。
なんか……アレだよな。
うん。アレだ。
「ま、いいや。どっと疲れたぜ」
弛緩した空気の中、俺は枯れ木に腰を下ろした。ちょっと気が抜けたね。
瞬間、それが来た。
【名前】麦
【種族】フォレスト・ウルフ
【性別】女
【年齢】4
【職業】社長秘書
【称号】六条
【血神】バラク
【レベル】14
【HP】36/36
【MP】16/16
【PX】18
【MX】8
【スキル】<バイト3><チャージ1><ハウル3>
「――!!!!!」
たんっ、と俺達の輪の中央に飛び降りたそいつは、今まで戦った連中とは明らかに格が違った。
獰猛なだけではない、屈強、精悍な生き物。
そもそもレベルが10も違う。
誰もその動きに反応できていなかった。
狼の
「へっ?」
「え?」
「うわっ……なんです!?」
話が繋がっていない。
狼がいた場所に、轢死した肉塊があり、それが顛末の全てだ。
「しゅたっ」
狼さんだったものの上に、黒ずくめの怪しいロリータが着地したよ。
「ニンニン」
狼は、凶悪極まる棍棒を用いた力任せの一撃によって、その命脈を絶たれていた。
交通事故みたいな撲殺劇。
殺ったのは、無論のこと、僕らの褐色美少女ヒロイン、おメムさんである。
おメムさんが来てくれたぞぉい!
ニンニンって何? 忍者ってこと?
格好どう見ても暗殺者だぞぉい!
「ひえっ! なんか死んでるっ! って、ええっ!? 狼まだ居たんですか!? うわー……危なかったあ」
「あ、ありがとうございます。ヲメムさん」
「ほんと、助かりましたよ、ヲメムさん。びっくりしましたねー」
「GJ、おメム」
「……(照れ)」
メムが、恥ずかしそうに頭をぽりぽり掻いていた。
仮面の下の顔、真っ赤になってそう。
◇
「サトウ。お前の相棒、すごいな」
今回、メムと共に群れの大半の相手を受け持ってくれたウスカさん。
戻って来てパーティーに合流するなり、そんなことを言った。
「森での狩猟にも随分慣れてるみたいだし、文句無しだ。あの子は既に合格だな」
カリオテや俺より先に、メムがお眼鏡に叶っていた。
「あの子になら、いつでも仕事を紹介してやるからな」
「そ、そうですか」
そらまあ、レベル22だしね。
俺やカリオテとは雲泥の差よね。
「ちなみに俺の評価は今の所どんなもんなんでしょう……?」
「思ったより筋はいい。そんなひょろっちいローブ姿の割になかなか動けてるしな。サトウは、何か過去やってたのか?」
「え」
「剣術なり、武術なり、戦う技術を学んでいたのか、ってことだよ。ネア先生のお弟子さん、って触れ込みだったが、魔法抜きで戦ってるだろ、サトウ」
と、言われても、俺の動きがどうにか見れたものになっているのは、トレーニングによるものではなく、単にスキルの力である。
つまり魔法なんだが……なんか、周囲はそう思ってないみたい。なんでだろうな。
ドーピングみたいで言葉に詰まるぜ。
しかし、なんか正直に言うと、説明が余計ややこしくなりそうだし……。
「いやまあ、そうですね……やっていたというほどのものではないですが、体幹を少々」
「タイカン……?」
「あとは、バランスボール、くらいですかね。やってたとすれば」
ケモミミメンズの顔の上に疑問符が浮かぶ。
「なんだそれ。どこの国の武術だ?」
訝しげな視線を向けてくる。
「えっ、えーと……ま、まあ、ご想像におまかせしますよ。ハハハ」
「ほぉー……」
ウスカさんの目が光った。
「俺は、リグラッドの出身でな。リムと一緒に世界の半分を旅したと自負しているが、実は、アゼルリアより西側には行ったことがないんだ」
すいません。
地名全部わかりません。
「だから他国の戦士と、戦い方には興味がある。どうだ。詳しく聞かせてくれないか」
やべえ。
なんかJAPAN国のダイエットエクササイズに興味を持たれちゃったぞ。
まずいな。絶対ボロが出るよ。
「そ、そうですね。まあその……酒を飲む機会でもあれば、お話することもあるかもしれませんね」
ていうか、戦士て。
俺は戦士じゃねえよ。
戦士じゃねえ。
大切なことなので二回戦士じゃねえよ。
魔法使いなんだよ。
その筈なんだ……。えーん。
「フッ。そうか。手の内は明かさない主義か。俺はそういうのは嫌いじゃないぞ」
いつものように髭を扱きつつ、突然遠い目をするウスカさん。
「人によっては気分を害する奴もいるかもしれねェが、むしろ、背中を預ける相手が、用心深さの欠片もない方がよっぽど腹立たしい、っつーかな……。わかるか、こういうの?」
うっ。なんか語り出した。
面倒くせえ……。
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