アルタ群島(24)「メムネア・Ⅰ」
~これまでのおはなし~
私、ジョセフィーヌ。今時、ハンターハンターのBLにどっぷりハマってる中学生。私がいつものようにYoutubeでウサギの交尾動画を見ていると、ドンドンドンドン、階段を昇ってくる凶悪な音がしたの。まずい。義母さんだわ。何か怒ってる時の足音よ、これ。「ジョゼェェェェ!」バーン!「お前今度は何やったの!ここを開けなさい!」バーンバーンバーン!ドアをしきりに叩いてる。怖い。きっと学校から
るるるっちゃー。るるっちゃー。
るるるるる……。
森の奥から聞こえる、奇妙な動物の鳴き声で目が覚めた。
(……朝か)
以前、色々とアレな事件が起こった空き部屋のベッドの上だった。
窓から射し込む光が、異様に眩しく思える。
(今、何時ぐらいだろ)
喉が若干痛むのは、埃っぽい部屋のせいだろうか。
しかし、疲れはなかった。
意外なほど、よく眠れていた。
(多分、早く寝たからだろうな)
科学の光に照らされた日本に比べて、こちらの夜はひたすらに暗い。明かりは蝋燭がメインである。ネアに渡された「生活魔法の本」を読み込むのにも差し障りを感じるほどの光量だったので、昨日はあまり夜更かしせず早々に床についた。
昔のお百姓さんが、日の出に合わせて活動開始してた理由がよく分かるね。
早寝早起きにもなろうというものだ。
「お。綺麗になってるな」
そんな明るくなった部屋で、壁際の衣装掛けフックにぶら下がった長衣を眺めると、新品同様……とはいかないものの、昨日ついた汚れは綺麗に落ちているのが分かった。
経年劣化による傷み以外は、割とどうにかなるみたいだ。
昨夜、あの後やった唯一のことが、血まみれ長衣をなんとかすることだった。
生活の魔法。
なんとも魅惑的な響きだったが、今回俺がやったのは、児童向けライトファンタジーに出てくるような、素敵な洗濯魔法の類ではない。(正直に告白すると、そういうのがやりたかった……)
俺は立ち上がると衣装に近寄り、襟元に刺繍された奇妙な記号文字……『魔術紋』に触れる。
buff系スキルを発動する時よりも、より強く、「魔法使うぞー」「MP注ぎ込んじゃうぞー」「ドクドク行っちゃうぞー」「あ、イクッ」と魔力の流れを意識して、唱えた。
『――
魔術紋が、力を帯びる。
触れているその箇所が熱を持ち、僅かに青く輝いた。
試しにステータスを覗けば、しっかりMPが減っている。
今、俺が行ったのは、「魔法道具の手入れ」である。
「守護」。「維持」。「清潔」。
それらがこの衣服に記されている魔術紋の種類で、ここに簡易詠唱と共に魔力を与えることで、あらかじめ定められている魔法が発動するという仕組みなのだった。
汚れを落としたのも、その力によるものである。
魔法使いの長衣。
生活の魔法、とネアは言ったが、少しばかりその意味するところは想定と違っていた。
つまり、こういうことである。
実際に毎度毎度あれこれ長たらしい呪文を唱えながら日々を暮らすのは、魔法使用に縁遠い一般人はもちろん、魔法に長けた者にとっても敷居が高い。
いつの世も便利さというものを人は求めるもので、そうした状況下、アゼルガでは魔法道具がかなりポピュラーなものとして、存在しているらしいのだ。
それは、日本で言うならば、別にどうやって動くのか仕組みを知らなくても掃除機や電子レンジが使えるようなもので、魔力の用い方さえ知っていれば恩恵を受けられるという優れた設計思想の下、デザインされた道具であるらしい。
この服自体が特別製、とネアが称したのはそういう理由だったわけだ。
で、身にまとう衣服のようなものの場合、長持ちするよう「維持」の魔術紋が入っていることが多く、割と頻繁に魔力を注いでやった方が良いということなので、今も試してみた次第。
幸い、この服に備わっている魔術紋の消費MPは全て合わせても3しかないので、夜寝る前にでも使う分には屁でもない。
もっとすごい魔法道具の場合は、手入れもなかなか大変そうだけど。
「ま、RPGでも、魔法が使えない戦士だって、魔法の剣は使うしな」
魔法の半自動化。
それが、魔法技術の中で重要な地位を占めているようだ。
特に日常生活においてはその傾向が顕著になり、攻撃魔法の破壊力だとか、召喚魔法でどれだけ高位の存在を呼び出せるか、なんてことより、むしろよほど価値があるようなのである。
夢の無い話だね。
テクノロジーという言葉から、ASIMOやガンダムを想像して男の子心をワクワクさせてたら、炊飯器至上主義だった、みたいな切なさがある。
まあ、普段ファンタジーRPGというと戦闘、戦闘、また戦闘の、非日常的行為に終始する為、なかなかクローズアップされないだけで、飯食って寝てのファンタジーワールド平凡ライフを毎日送るとなると、そんなもんなのかなーと思わなくはない。
うん。攻撃魔法使いの地位、だいぶ低そうな気配がビンビンしてきましたね。
やべえぜ。
一応、生産系の職も俺は嫌いじゃなかったけどさ。
優れた道具を作る職人達が尊重される世界ってこと自体は、まあ、いいことなんじゃないって思うけどさ。
……と、いうようなことが、昨日受け取った本には、やけに簡単な物言いで書かれていた。
本には、そうした説明文と共に、魔力を魔術紋に流し込むやり方が、図解入りで載っていた。
どうやら、生活魔法の本、というより、子供向けの魔法道具手入れ読本だった模様。
しかし、本の終盤には付録として、ちょっとだけ、「それでも覚えておくと日常生活で便利な魔法」の類が書かれていたから、完全に間違いというではない。
空いた時間にでも挑戦してみようと思ってますよ。ムフフ。
◇
寝室を出てリビング兼ダイニングに入ると、そこに、銀髪の少女が居た。
椅子の上で体育座りをするという奇妙な体勢で、机に広げたノートのようなものを読んでいる。
ページをめくる、黒い指先。
昨夜寝る前に見たのと同じ服なのに、袖先から伸びる両の腕の色は異なっている。
褐色の肌。
「むにゅむにゅ……」
おかしな呟きを漏らしていた。
よほど熱心に見入っているようで、まだ俺がやって来たことには気付いていなかった。
「おはよ、メム」
「っ……!?」
がたんっ!
振り返ると同時、少女の赤い瞳が驚愕に染まる。
大きく見開かれる。
口は三角(△)。
んで、尻の下の椅子が盛大に騒ぐ。
風も無いのに長い髪が揺れて。
そして。
ぎいいいい、い、い、い…………ごちーん!
倒れた。
真後ろに。
「お、おいっ! メム!? だっ、大丈夫か!?」
「うー……うー……!」
なんか唸っていた。
すっげえ痛そう。
絶対HP減ったよ。やべえ。
慌てて助け起こそうと近寄ると、しかし、小柄な痩身はそれよりも早くぱっと跳ね起き、椅子は蹴飛ばされ、そして。
「うぇええええええぇぇ~~~~………」
涙声が、何故か俺のアゴのすぐ下……胸元から聞こえた。
「っ……!」
動悸が跳ね上がる。
少女が背負う呪いとは別のものが、俺を痺れさせる。
「ぅえええーー……、あああぁーー……」
強い慟哭。
突然の激情。
「うええぇ……ショウくん……ショウくん……」
俺の背中に回された指が、戦慄いている。
ぎゅっと、長衣の布地を引き絞っている。
小さないきものが、俺の胴にすがりつき、号泣していた。
「ううぅー……うー……うううー……!」
しゃくり上げる言葉は、たどたどしくもつれ、やがて意味を為さないものになる。
けれどぶるぶると震えるロリ子さんの体は、一個の灼熱のようで、俺は幸福と戸惑いの入り交じった
ぼんやりする。
なんだ、これ。
抱きつく少女に感じるものは、俺にとって最も距離の近い存在……家族に対するそれとは違った。
頭のイカれた実父に対するものとも、義母義妹に対するものとも、愛犬クロに対するものとも、違った。
恐らく俺達は、この世界で、まだ出会ったばかりだ。
だから今感じているものは、ただの、共感性とでも言うべき、群体生物ホモサピエンスの本能でしかない。はずだ。
「うっ、うぅっ……うぇ、うぅぅ……」
それが、何故か俺の目元を滲ませた。
不思議に息苦しくさせる。
だって、俺のために泣いてくれるロリとか、そんなんもらい泣きしてまうやん……?
「ショウぐん……ごべんね……」
すすり泣きの合間を埋める、謝罪の言葉。
「ごめんね……。ごべんなさい……」
何故謝るのだろう、と思う。
どうやって俺が助かったかの経緯は、昨日、リムさんから別れ際に軽く伝え聞いていた。
メムは、走ったのだ。
闇の中。
リムさんが、ここから近いティムルクに住んでいた。
メムの話を聞いてくれる数少ない相手。
ヴェポの娘は、俺を救う為に、真夜中、彼の家の戸を叩いた。
殺すことだけを宿命づけられた少女が、救う為、駆けた。
それが俺の命を繋いだ。
だから彼女が今、謝る必要はないと、俺は考える。
彼女は忌み子だった。
誰もが彼女を避けた。
そして、俺を殺しかけたことで、自分が何故ここまで嫌われているのか、本当の意味で理解してしまった。
それは、何をもたらすだろうか。
彼女は、どうなってしまったろうか。
ネアは昨日言った。
『なにぶん、メムがそなたのことを相当気に入っておるのでな』
『儂としても、メムが元気になってくれるのならば、それくらいは大目にみる』
『よろしく頼むぞ。サトウ』
そして、優しく、悪戯っぽい表情のまま、続けた。
『メムと、仲良くしてやってくれ』
恥ずかしそうに、はにかんで。
乙女のような面相で。
まるで裏腹に、奇矯に、囁いた。
『わしはいいんじゃ。なんせ、姿を変えれば、人の中に入っていくことができるのじゃからな』
悲しい笑顔だった。
『じゃが、メムはそうではない。ひとりぼっちでいることに、心臓をぎゅっと鷲掴みにされたまま、生きておる』
『メムの世界には、孤独しかないのじゃ』
どこまでも笑って。
『わしはいつも、わしに戻ると、息苦しくなる』
『つい先ほどまで感じていた、メムの感情の残り香に、顔を覆いたくなる』
『朝、起きて、誰もおらず、昼、生きて、誰もおらず、夜、そして、誰もおらぬ』
『その繰り返しに、足の先から体が削れて、小さくなって、消えてしまいそうに思えてくるのじゃ』
『明日が今日と同じ日じゃと、あらかじめ知っておることに、寒気がするのじゃ』
メムと同じ顔の女の子は、訴えた。
淡々のした声音。
けれどその下、見え隠れする、悲鳴。
『だが今朝は、そんなものではなかった』
『今週メムが感じていたものは、メムを殺してしまうものじゃった』
『わしはわしを取り戻して、久方ぶりに泣いたぞ』
『メムの絶望の深さに飲み込まれそうになった』
『メムがいるのは、暗い穴の底なんじゃ』
『なーんも、見えんのじゃ』
『だーれも、おらんのじゃ』
『そういう場所だったんじゃ』
『なのにその中に、突然、お主が現われた』
『理由もなく光が射した』
『きっと夢だと思い、試すような真似をして、』
『でも、お主はずっと家にいてくれて、』
『夢じゃないと分かって、喜びが溢れて、』
『生まれ直したような気持ちになって、』
『けれどそれを、メムは、自分の手で壊してしまったと――……』
『我が手でだめにしてしまったのだと――……』
『自分は、そういう存在だったのだと――……』
『だから誰にも愛されぬのだと――……』
『つらくてつらくて、』
『くるしくなって、』
『慰めてくれる親などおらぬのに、両親に駄々をこねる赤子のように、天を見上げて叫び狂い――……』
『その泣き声さえも、世界の誰一人、聞いてはおらず――……』
『目覚めた瞬間、もうダメじゃと、わしは思ったんじゃ』
途切れぬ微笑み。
ねじくれた言葉。
けれど、気を抜けば作り笑顔はすぐに崩れてしまうから、口元には精一杯力を張って。
『だから頼む、サトウ』
『
俺は幸運だ。
異世界に落ちて、最初から、自分を必要としてくれる存在と出会えたのだから。
それが、俺を一度は死地に追いやった少女だったとして、だから何だというんだ?
「ショウくん……ショウくん……」
今や遠くなった日本で、俺を生んだ存在がこの身に与えた凡庸な名を、メムは繰り返し呟く。
ループ再生ボタンが入りっぱなしになったYoutube動画のように、繰り返し。
俺はただじっと、そのままでいた。
まだしばらく、動く気にはならない。
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