アルタ群島(17)「ネア・Ⅱ」
~これまでのおはなし~
【雇用(こよう)】
[名](スル)
1、人をやとい入れること。
2、当事者の一方が相手方のために労務に服し、これに対して相手方が報酬を支払うことを約束する契約。
【就職(しゅうしょく)】
[名](スル)
職業につくこと。新しく職を得て勤めること。
――――デジタル大辞泉(小学館)より
「……雇う、だって?」
俺は弾かれたように顔を上げた。
額に謎の光線エフェクトが走ると共に、ニュータイプ効果音が響き渡っていたかもしれない。
俺は無言のまま、襟元を正す。
背筋をピンと伸ばすと、顎を引き、そして、真っ直ぐに面接官の顔を見た。
「御社の業務内容について、お聞かせいただいてもよろしいですか?」
「ハァ?」
深く静かに混乱。
無職、
「有給は年間何日ほどありますか? 育児休暇の申請は」
「何を言っているのかさっぱりじゃが、儂がお主に頼みたいのは、我が家のことじゃな」
「家?」
「うむ……」
メムネアは言葉を濁しつつ、何故か店のメニューを再び開いた。
視線がその上を、千鳥足でなぞる。
見てはいるけど、読んでない。
「どうも、そなたには察しがついているようじゃが、メムでいる間に起こっていたことを儂は覚えておる一方、儂でいる時に見聞きしたことをメムは記憶しておらん。記憶の内容に上位、下位があるのじゃ。というか、そもそもメムは儂のことを、自分にいつもあれこれメッセージを残してくれる大事な同居人……『せんせ』であると思っておる。ただの一度も、直接会って話したことが無いにも関わらずな」
俺から目を逸らしたまま、誰に言うともなし、呟く。
「まあ儂も、途中からはわざとそうメムが思い込むようにふるまったのじゃがな。メムへのメッセージに、幻術で作った偽の映像を添えたりしてな」
「それは、何故?」
こういうのも二重人格というのだろうか?
「まあ……なんというか……」
微かに声が震えている。
「メムにとって、どうしてもそれが必要だったからじゃな」
「……」
端的な発言の向こう側に潜むものに、俺は言葉を失う。
二人が赤の他人であるならば、理解できない話ではない。
一人で生きることは、とても難しい。
誰からも距離を置かれる孤独な少女にとって、常に自分とコンタクトを取ってくれる存在というものが、どれほど心の救いになるかは想像がつく。
例え、伝言ゲームのような、メッセージを通じただけの交流であっても。
しかし、そうではない。
ネアはメム自身でもあるのだ。
そしてメムでいた時、自分がどう感じていたのかを知った上で、この歪なコンタクトを続けていたのだという。
その意味するところは……少々、残酷だ。
「儂が儂に戻れるのは、およそ一週間のうち一日だけじゃ。残りの間はずっとメムとして過ごすことになる。そして、メムでいる間、儂は本来持っている魔術師としての力をまるで発揮することができぬ。メムになると、ネアであった時の記憶が消えるだけでなく、頭の一部が常に霞がかったようになってしまって、あまり難しい事を考えられなくなってしまうのじゃ」
「何故そんなことに? ヴェポのせいなのか?」
「まあ、基本的にはそうじゃな。これが見えるか?」
メムが、己が指先を見せつけるように伸ばした。
『――中和せよ アルティナ』
ぽう、と青い発光が、卓上、メムネアの指先僅かに起こった。
そして、光の消える先、少女の指だけが、瞬時に黒く染まる。
「今も儂の体は、『
「え、そうだったのか。あれ? でも、前見た時はもっと……」
メムネアの指の色は確かに黒かったが、以前見たのよりだいぶマシな気がする。
前はそれこそ、墨をべったり塗りたくったような濃い黒色をしていた。
「うむ。この色を見れば分かるように、今はやや呪いが弱まっておるのじゃ。それ故に、儂は儂を取り戻すことができる。およそ、週に一日程度の周期じゃな」
うーん……なんだか複雑だな。
ちょっと混乱してきたぞ。
「儂にかかっている術は『
「ほう、皇帝」
「彼は、四大魔法が限界の人の身にあって、古代魔法に触れた一人として知られておるが、同時に既存の魔術を組み合わせることで、過去に無かった術法、術式、術刻を多数生みだした発明家でもある」
要するに、超スゴい魔法使いだったってことね。
「そして、本来の『
「そうなの?」
『――隠蔽せよ
ラド ラム ヒメスタイド』
囁き声と共に、メムネアの指は再び色素の薄そうな白肌に戻った。
もう、どこにも違和感は無い。
「元々、アルタ群島よりずっと西の方に行ったところにあるイズマリアという土地に、遊牧生活を送る狩猟民族がおるのじゃ。彼らは一族ごとにそれぞれ狼や鷹といった動物を使役しておるのじゃが、通常の
「特別? どんな?」
「実は『
「ほー……すごいな」
そういうの結構好きだわ。
もしドラゴンみたいな凄いファンタジー生物がこの世界にもいるなら、是非自分の血獣にしてみたいもんだ。
「その、魂を結びつける相手を、本来の“獣”ではなく、“忌まわしき者”とする術法が『ヴェサガ=ポリディウス』じゃ。ポリディウスが最初に術法を完成させた時、魂を繋ぐ相手は『発狂した上位混沌精霊』じゃった」
「……聞くからにヤバげだな」
「術法は、ポリディウスの弟子達をはじめ、力ある魔術師達によって引き継がれ、幾つかの国々で秘儀として用いられるようになった。術の根幹自体は秘匿されつつも、刑罰に用いられる『呪い』として、『ヴェポ』の名と共に広く人々に知られるものとなったのじゃ。だが、どうも長い年月を挟んで、儂の身を襲うまでの間に、術法に複数のバリエーションが生まれていたようじゃ。儂がこの術法をかけられたのはもう随分前のことじゃが、実のところ、儂の魂に巣食っておる相手が何者なのかは、未だ分かっておらぬ」
「……」
なんとなく思い出されるのは、メムとの同衾後、死にかけた時の記憶である。
まるで夢の中の出来事であったようにその光景はぼやけていたが、あの時語りかけてきた奇妙な声と、生きたまま内臓を焼かれるような、何とも言えない生理的不快感はよく覚えていた。
「呪いの症状は徐々に強まる。肉体の色にそれは顕れ出る。時間が経つと、魂の主導権が、繋がった相手に奪われていくのじゃな。そうなれば、最早子を産めぬ体となるだけに留まらず、
正直、思ってたより厄介な代物という印象である。
RPGに出てくる「のろわれたアイテム」のように、教会の「聖なるパワー」でどうにかなるような物では無さそうだ。
「それゆえ儂なりに術を解くことを目指し、我が身をずっと研究してきた。一度は突き止め、解呪儀式にも成功したと思うたが……ダメじゃった」
リバースエンジニアリング的な物に失敗した、ということだろうか?
「その失敗以来、こんな二つの人格が同居するような状態になってしまったのじゃが…………まあ、この辺りのことは今話しても詮無いことじゃ。話を戻そう」
ん? なんか、急に話を打ち切ったな。
何か言いたくないことでもあったかな?
まあ、いいけど。
「ともかく、六日から八日程度メムとして過ごした後でなければ、儂、ネアとしての人格は戻らぬ。それ故に、日々の暮らしぶりは悪化する一方での」
「暮らしぶり?」
「そなたには、この間、我が家に来てもらったであろう。どう思った?」
「あばら屋?」
「……」
「それか廃屋」
「す、少しくらい言葉を選ぶというか、建前というか、社交辞令というかじゃな……!」
ずむっ、と可愛らしく卓を叩いていた。
ロリが焦っておられる。
あの荒れた屋敷の惨状、恥ずかしくはあったんだな。
「あれを改善して欲しいって話か?」
「ま、まあ、改善とまではいかずとも良い。今より悪化せねば、まあ良い」
建物の管理維持か。
それくらいの仕事なら、この無職めにも難なくこなせそうではあるが……。
「なんであんなことになっちゃってんのさ」
「め、メムから儂に戻った時には、やらねばならぬことが山積みなのじゃ。生活費を稼ぐための仕事に、島の者達からの頼まれ事、そして無論、ヴェポを解くための研究。時間は幾らあっても足りぬ。だから当然、家のことはメムがやらねばならん」
「じゃあその、メムでいる間に、その辺の努力は?」
「ん……あー……うむ。なんというか、メムは細かいことは気にしない大雑把な性格というか、家のことについては別段誰も来ないのだからいいと思っているというか……」
確かに、そんな性格の印象だったな。
本人が井戸がブッ壊れてようと納屋の壁が半壊してようと気にしないのであれば、まあ直るわけがないな。
「客観的に見ると、子供時代の儂ってこんなじゃったかな、と思ったりするんじゃよ。メムにはメッセージと共に、一週間分の食事をどうするか、やっておくべきことは何か、あれこれ指示を伝えてはいるのだが、儂がメムとなった時にそれらを無事に完遂できるかといえば、はなはだ自信がないのう」
子供時代て。
今もお子様みたいな身長で、何を言ってるんだか。
しかし、同一人物なのに、なんとも面倒くさいことになってんな。
悲劇にも喜劇にもなり得る素材だ。
前にメムが「せんせの部屋には勝手に入ってはいけない」とか「怒られてご飯抜きになったことがある」とか言ってたが、それって自分で自分を叱ってたってことだよな? そりゃ必要な行為だったんだろうけど(部屋の魔術道具を壊さない為に、とか)、自分で自分の食う飯を取り上げるなんてのは、なんというか、すごくマゾくて、哀しいぜ……。
「それで、どうじゃろう。家の様子を見て、ついでに、め、メムの相手をちょっとでもしてやって欲しいというか、そういうのお願いできんもんじゃろうかの……」
俯きがちに、チラチラと上目遣いの目線だけをこちらに向けていた。
「まあ今の所、嫌という理由は何もないな」
「それでは……!」
「ただし! 条件があります!」
俺は今日イチのシリアスモードでメムの目を見た。
「お給金はいかほど頂けるので?」
確かに俺は、異世界転生無職である。
だがそれでも。
否、だからこそ、ブラック企業に就職する気はないっ!
「……(もごもご)」
「メムネア殿! 飴を舐めているかのように、ほっぺを舌先で膨らませていないで、答えていただきたい!」
真剣! 二十代!
「お主、行く宛無し
「はい」
「雨ざらし成る
「ええまあ」
「我が家の空いてる部屋を使ってくれていい。飯もあるものを勝手に食っていい。それが報酬じゃ」
お給金……ZERO!?
ぶぶぶ、ブラック企業だーっ! みなさーん! ようやくセリヌンティウスの元に辿り着いたメロスの肩叩いて「さっ、もう一周」って笑って告げそうな輩がここにいますよー!
「すみません。業務に不満はないんですけど、やっぱりお断りします……」
「なにぃッ! 断れる身分じゃないだろう!」
机から乗り出して吠えていた。
どんだけ下に見られてんだよ俺は……。
「はやくうちの奴隷の子になっちゃえよ!」
「何言ってんだこいつ。いや、俺には俺で、理由があるんだわ。実は今、物凄い借金があってな」
「は? 借金?」
「二週間後までにそれを返さないといけなくなってしまってるんだわ。実際、他のことやってる暇が無かったりする」
「なんじゃ。どういうことじゃ……?」
仕方なく、かいつまんで事情を説明すると、メムネアの表情は分かりやすく曇った。
「そんなことになってしまっておったのか……」
「まあ、命があっただけめっけもんだからいいけどな」
「ちっとも良くないぞ。ううむ……金貨三十五枚……。昔の儂なら楽勝じゃったが、今の体ではなかなか、ままならぬ金額よのう……」
「いや、いいよ。まだ時間あるし、自分なりにどうやって返すか考えてみるさ。いざとなれば体を売ってでも」
「ははは。冗談は顔だけにしておくのじゃ」
「えっ」
「……」
「あ、はい……」
言葉より、目で強く否定されたぞ。
そんなにダメかね。二十代異世界転生男娼は。
「だが、そういうことなら、やはりウチに来なさい」
今度は割と、きっぱり言い切るメムネア。
「どっちにしろ夜泊まる場所がまだ無いのであろう?」
「それはまあ、そうだけど」
「そなたの命を救った薬の代金なのであれば、半分は儂にも責任がある。共に今後どうするか考えようではないか」
マジか。
優しいな、こいつ。
島の連中に慕われてるのも、この性格によるものなんだろうな。
打算とかじゃなく、親切心で言ってくれてるのが感じられるよ。
「まあ、そこまで言ってくれるなら断る理由はもうないけど……でも、」
「でも、なんじゃ?」
「いいのか? こんな身の上の怪しい奴をまた家に招いたりなんかして」
「それには儂も同感だが、なにぶん、メムがそなたのことを相当気に入っておるのでな。儂としても、メムが元気になってくれるのならば、それくらいは大目にみる」
「……」
こいつ……。
自分の言ってることの意味、気付いてないのか?
「メムが」だって。
ちょっと嬉し恥ずかしだわよ。
「それと、『お主が何者なのか』、という大いなる問いについては、儂なりに推論がある」
「ギクッ。そうなの?」
「まずもって、オビ島に山賊はおらぬからな。こんな田舎の島でそのようなことをしても食いっぱぐれるが関の山じゃ。まあ、カリピュアまで来れば盗賊めいた輩はおるが」
「えっと? 何の話だ?」
山賊?
「儂に最初に言った『服を山賊に盗られた』という言い訳は、見え見えの嘘だということじゃ」
あっ……。
「従って、ナニを膨らませた全裸のお主がどこから来たのかという問題や、何故こうも世間知らずなのかという問題が浮上する。お主、びっくりするくらい本当になんも知らんからの」
「い、いや、それはだな……」
無垢なメムと同じ顔をしているのに、眼前のロリは、メムのように容易く欺ける相手ではなかったらしい。
そして、メムでいた時の記憶も持っているので、当然、俺が言った浅い嘘も逐一覚えている。
「き……記憶が無いんだよ。本当は気付いたら、山に裸で倒れてたんだ。だからその前のことは何も覚えてないんだよ。けど、そんなこと言っても信じてくれないと思って……ってアッレェェ? すっごい真顔でこっち見てるよ、この子。台詞全部言い終わってすらいないのに何一つ信じてないよこれ絶対冷たい目」
「いや、聞いてる聞いてる。最後まで言え。うん。記憶が何だって?」
「あ……だからその……割とメムに会ったのが最初の覚えてる出来事というか……」
「んー、わかった。ま、そなたがそう言うならそういうことにしておいてやろうか。公的にはそれでいいとも思うしの」
「……」
お……おっかしいなあ。他の人にはこれで通じたのに、反応が変だよ。つか、「公的には」って何? 既に妙な含みがある言われ様だよこれ。
俺、メムネアに対してだけ、なんかポカやらかしてたっけ……?
「なあ、サトウよ。そなた、儂の部屋に勝手に入り、マジックスクロールを燃やしたであろう」
「ヒエッ……!」
そ、そんなこともありました……!
「実際、あれの弁済を考えれば本来ただ働きをしてもらってもいいと思うのじゃがなー」
「す……すいません」
こればかりは平謝りである。
ていうか、まあ、そっか。バレるよな。
家に来る人間自体、全然いないんだもんな。来た奴が犯人だよ。
でも、何故急にそのことを?
「だが、あのスクロールはあれで結構特殊な品での。それについては、むしろそなたが『燃やせた』ことに儂は驚いておる。それによって、そなたに対する興味の有り様が大きく変わった」
あ、有り様?
どういう意味だろう。
「よくわからんが……それはいいことなのか?」
「うむ。おそらくは、いいことじゃ」
「そ、そか。じゃあ、いい……かな」
「ん……」
「……」
「……」
そして、沈黙。
会話の停滞。
じっと顔を観察し合う。
けれどそれは、不思議と不快ではない時間で。
未だ素性を明かしていない俺と、一度は俺の命を奪いかけた少女。
だからか、まだまだ、お互いのことを探り合いの間柄ではあった。
分かり易い言葉は無く、半ば
だがそれでも、恐らく俺のステータスは、今日から布山賊を廃業。
家事手伝いと相成ったに違いなかった。
「よろしく頼むぞ。サトウ」
そして今も、悪戯っぽい瞳が一心に俺を見ている。
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