アルタ群島(16)「ネア・Ⅰ」

~これまでのおはなし~


クロ「わん!」(ご飯をください)





「ネア様だ……!」

「ネア先生が来てくれたぞ」


 少女の登場と共に、場の気配が変わった。

 騒然としていた路上に、どこか安堵感のようなものが漂っている。

 もう一安心だと。騒ぎはこれで終わりだと。


 俺がスキルを使って威嚇してもまるで意に介することのなかった連中も、一様に顔色を変えていた。


「畜生……マジか」

「くっ! い、行こうぜ」

「イテテ……くそったれ……!」


 まるで、蜘蛛の子ちらし寿司の如く、去っていくではないか。

 なんたる酢飯。

 なんたる錦糸卵。

 あれだけ我が物顔だったというのに、あっさりしたものである。

 もういない。


「ふぅ」


 柔和な嘆息が、まんぐり横たわる(←?)俺の頭上から聞こえてくる。


「なんとかなったかの」


 ……メムである。

 メムだよな?

 メムさんですよね?


 長い睫毛の奥に覗く蒼玉の瞳。

 透き通るように白い柔肌。

 あどけなく、しかし可憐で。

 奥ゆかしく、けれど無邪気に。

 相反する要素をいつも同時に漂わせている少女。


 綺麗だ、と思った。

 自分がこのアゼルガなる世界にやって来て、最初に出会ったお嬢さん。

 その凛とした立ち姿を、半ば陶然とうぜんと見上げる。


 ……自分の股の間から。


 いや、それとも別人なのだろうか。

 肌の色が違う。

 目の色が違う。

 服装は随分女の子っぽいものに変わっているし、手にはバカデカい両手杖。(山菜殺しherb killerは何処へ……?)

 頭部にはティアラにも似た華やかな装飾付きボンネットハット。

 そして何より、こんなにも流暢に喋る少女ではなかった。


 俺はその違和を見定めようと、目を細めた。


 ……自分の股の間から。


 噂の「お姉さん」だろうか?

 いや、それにしても、と思う。

 姉妹でもこんなに似るものだろうか。

 こんなにかわいい子が量産されていいものなのか。いい。


(双子とか?)


 確かにそれなら、顔の造形が同じでも納得ではある。

 だが、着ているものが盗賊風だった以前と異なり、白と青のケープジャケットと、足元の防御力に乏しいひらひらスカートになったせいで、激しいお転婆運動の結果フトモモは剥き出しとなり、それがまた意外な程にむちむちしていて、ええっ、もっと痩せっぽち発育不良児の印象があったのに、なんかこれ、エッチじゃないです?

 このアングルで見上げるの、軽犯罪じゃないです……?


 そうだ!

 ステータス見てみよう! なんか分かるかも!



【名前】メムネア・イルミンスール

【種族】???

【性別】女

【年齢】???

【職業】エルダー・エンチャンター

【称号】ヴェポ(だいぶひどい)

【血神】???

【レベル】682

【HP】???

【MP】???

【PX】???

【MX】???

【スキル】???



(――!?)


 理解を超えた情報が複数飛び出してきた。


 名前。やっぱメムじゃん。

 職業。なんか前と変わってね?

 称号。ほれみろメムじゃん。

 レベル。どうした。何があった。お父さんに話してみなさい。


(あ……)


 で、腑に落ちた。

 落ちてしまった。


 例えば、数学。

 連立方程式を解く時、俺達は一つずつ手順を追って解を求めていく。


 例えば、刑事事件。

 警視庁でもFBIでも捜査班は方々から集めた証拠を照らし合わせて、事件の全体像を描き出していく。


 例えば、ジクソーパズル。

 組み立てる時、最初に埋めるのは四方の絵柄と隣り合わせになっている場所からで、ピースは端から中央に向かって徐々に嵌っていく。


 しかし、ごくごく稀に、閃きが過程を飛び越えることがある。

 結論が最初に頭に浮かんで、そして過程は、それを裏付けるためだけに存在する瞬間がある。

 数学の解が先に現われ、事件の犯人だけが分かり、未完成ジクソーパズルの中央のピースが突然ぴたり収まる瞬間が。


(……そういうことだったのか……)


「ありがとうございます、ネア先生。本当に先生にはいつも助けていただいて」


 依然、路上にまんぐり返し状態のまま一人納得している俺をよそに、露店のお爺さんがやって来て、メムネアにぺこぺこと頭を下げていた。

 涙浮かべて喜んでるよ。


「なに。さほどのこともない。大事にならずに良かった」

「ネア先生こそ、アルタの本当の守り人です。女神レイアの化身ですじゃぁ。是非、ワシの家の四十路ニート息子の嫁に――……」


「すっ、凄いですっ……!」


 鎧から半分だけ頭を生やしたカリオテが、目の中に星をいっぱい浮かべて見つめていた。

 頬が上気して、なんか艶めかしいよ。


「あれこそ、達人の動きです。私の師匠と同等……いや、それ以上かもしれないです!」


 レベル4騎士見習い、大興奮である。

 あっ。一応、俺も君のこと助けたっちゃ助けたんだけどね。形無しよね。

 う、ううん。いいんだけどさっ。

 本当に。いいの。


「あ、あのっ。すみません! すみまっ! せんっ!」


 てててっと駆け寄ると、アイドルにサインをねだるファンの勢いでメムに声をかける。

 まだ頭半分埋まってっぞ。はよ全部出せ。


「むっ!? な、なんじゃ?」

「わ、私はアベル・カリオテと申します! 悪漢共をたちどころに鎮めたその腕前、さぞや名のある武人とお見受け致しました! お名前をどうかお聞かせ下さい!」

「え? う……。わ、わしか? 儂はその……ネアと申す者じゃが…………うっ!」


 と、スケベアングルでメムのことをじーっと見てたら、目が合った。


「お、おい、ショ…………サトウ。どこを見ておる」


 クソエロいケツだよ。


「いい加減、首を押さえつけてる物騒なものどけてくれないか。……

「お、おお。そうじゃの。うむ」


 魔術杖が取り払われるのを待って、俺はぐるり後転、ちんぐり返ると、ふぁっさーと長衣の裾たなびかせ、立ち上がった。


「あれ? サトウさんはネア様とお知り合いなのですか?」


 不思議そうにカリオテが呟く。

 いつの間にかメムネアのことが「様」づけになっとるよ。


 しかしこの質問、ふとしたことのようでなかなか要点を突いている。

 俺達は一応初対面だからな。

 さて、なんと答えたものか。


「う、うむ。実は、そもそも儂がここに来たのはそやつに用があったからでの」


 俺が迷っていると、メムネアがそんなことを言った。

 そして、もじもじチラチラこちらを見上げてくる。

 なんか可愛いぞ。


「そうなのか?」

「うむ。リムからそなたが目覚めたと伝声魔術ボイチャが届いておったのじゃ。それで、大急ぎでやって来た」


 そんな便利なものが。


「そ、それでちょっとアレじゃ。……ツラを貸せ」

「言い方な」


 いいけど。


「で、では、えーと、静かに話せる儂の行きつけの店があるから、そこへ行くとしよう」

「おっ。マジ? そこ飯食える?」

「うむ。食える食える。海飯は割といけるぞ」

「シーフードのこと海飯言う人はじめて見た……」

「あと草も旨いぞ」

「サラダのことかなあ……」


 ま、腹減ってたらからちょうどいいな。

 行こう行こう。


「まま、待って下さい!」


 がしっ、と厳つい鉄籠手ガントレットが俺とメムネア両方の腕を掴む。


「わ、私も連れて行っては貰えませんか? ネア様に相談したいことがありまして……さ、サトウさん! 言ってくれましたよね? 力になってくれるって。サトウさんからも話してくださいよう。ね? ね?」


 おっと。そういや、カリオテの用事も途中だったか。

 ていうか、お前そんなに押しの強いキャラだったっけ?


「お願いします。お二人とも、お忙しいとは思いますが、どうか私にお力をお貸し下さい」

「むう……話が見えんが、何か困りごとか? だが、そうじゃのう……ワシ、ちょっと大事な話というか、ナイショの話というか、サトウと二人だけで話したいことがあってのう。しかも結構ワシ的に重要なことなんじゃけど……」

「で、では、こうしませんか。私も実はお腹が空いておりまして、ホラ、今し方、体を動かしたではありませんか、もうすっかりぺこぺこでして、」


 お前、俺と最初に会った時なんか食って無かったっけ?


「ですから、一緒のお店に行きまして、最初は別々の席で食事を摂らせていただきますので、お二人のお話が終わり次第テーブルに呼んでいただくというのはどうでしょう? 私も町の店には詳しくないので、こちらの料理をあまり口にする機会もありませんでしたし、これでなかなか食には貪欲な方ですので、その海飯なるものをモグモグできればちょっと嬉しいかななんて思ったりも」


 こいつだんだん地が出てきたな。


「ふーむ……まあ、それならいいじゃろ。よし、着いて参れ!」


 幼女を先頭に、鉄鎧と無職が、幼女の歩幅で街を往く。



   ◇



 着いた店は木造二階建て、吹き抜けホールに趣のある、割と大きめの洋食屋だった。

 だが、店内のあちこちに並ぶ酒樽を見ると、酒場のようでもある。

 きっと、昼は料理、夜は酒、って感じの店なんだろうなと推測。

 ちなみに、店の名前は『命綱』。何故。


「それでは、私はこちらで待っていますね。お話が終わったら呼びに来て下さい。あ、そこの愉快な頭の店員さん。注文いいですか。ウミメシという奴をひとつ…………ええっ!? 無い?」


 カリオテを入り口近くの席に残して、メムネアと二人、奥まったところにある階段を昇り、二階席へと赴く。

 この時間帯はどうやら客足が凪ぐ時刻であるらしく、店のどん詰まりのそこには人の姿は他になかった。

 向かい合って腰を下ろす。


「ふぅ……やれやれ。ようやくお主とまともに話ができるのう」

「そーだな。俺も同感だよ、

「むっ……」


 眼前、青い瞳の少女の動きが止まった。

 広げかけていたメニューをぱたんと再び閉じる。


 レベル600を超えるパラメーターを持ち、先生と慕われ、無法の島にあって絶大なる存在感を発揮しているらしい女の子、ネア。

 島の誰からも忌み嫌われ、距離を置かれ、日々の孤独の中で心磨り減らし、出会ったばかりの俺の胸の上でさえ涙をこぼしてみせた、呪われた少女、メム。


 メムネアという名が示す通り、この二人は、紛れもなく同一人物なのである。


「いつ気付いたのじゃ?」

「ついさっきだな。ま、ピンときたというか、なんとなくな」


 まさかエロいプニ腿を下から覗いてる最中に気付いたとは言えないが。

 あっ。思い出したらちょっとちんちんふっくらしてきた。ヤベ。


「そうか。驚いたのう。これでも、島の者には誰一人気付かれておらなんだのじゃがの……」

「意外と、やる男だろ?」

「うむ。少々驚いた。正直、初めて会った時の印象が強烈すぎたのでな」

「……それは忘れて下さい」


 まあ、俺にしてもステータスで「メムネア」という両者に共通する名前を確認していなかったら確信はできなかったろう。

 そういう意味じゃ、島にも「もしかして」くらいなら、思ってる人はいるかもしれない。

 二人が同時に現われることは、一度も無かった筈だからな。


「だがそうなると、話はだいぶ早くなるかの……」


 思考巡らせるようにメムは頷いて。

 そして、小さく頭を下げた。


「まずは謝罪させて欲しい。そなたの命を危うく奪ってしまうところじゃった」

「いや、こうして生きてたから別にいいよ。その代わり、理由わけは聞かせてくれるんだろ? 俺が死にかけてしまった理由……」


 それは、およそ起こるはずが無かった出来事の筈だ。


「……メムが自分の呪いのことさえ知らないまま、一人で生きてる理由をさ」


 俺の問いかけに、海色の瞳が不安げに揺れた。


「うむ。そうじゃの。……やはり、儂の目に狂いは無かったようじゃ」

「ふむん?」

「儂自身のことじゃから、メムのこと、という言い方をすると少し変じゃが――……」


 そして、メムネア・イルミンスールは、異邦人に提案をする。


「そなたを、メムの為に雇いたい。どうじゃろう?」

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