アルタ群島(14)「ヴァイオレット・Ⅱ」

~これまでのおはなし~


 帰宅途中のサラリーマンでごったがえす新橋。「らっしゃい」暖簾をくぐると威勢のいい大将の声が彼を迎える。「いつものお願いね」「アイヨッ」軽妙なやり取りと共に、通い慣れた席へと腰を下ろし、アツアツのおしぼりで手を拭う。店内には焼き鳥の香ばしい匂いが溢れていて、早くも生唾が溢れるが、しかし今は何よりまず生ビールである。「オットットット」一息に飲み干したいところだが、ここは敢えて泡を舌先に遊ばせるのみにとどめる。この、一見無駄な溜めこそが、最終局面における爆発的快楽に繋がるのである。彼はカバンから愛用のタブレットを取り出すと、この時間いつもそうするように、カキョムというサイトを覗きはじめた。ふむ、更新されている。「ハハハ異世界も意外と世知辛いな」そんなことを呟きながらまた一口グビリとやってるお前誰だよ。帰れ。





「【獲得実績】? 『アゼルガに降り立つ』……?」


 俺は硬直していた。


 無論、そこに並ぶ文字の意味は理解できる。

 が、意味するものは理解できなかった。


 トロフィーシステム。

 実績システム。

 アチーブメント。


 オフゲではすっかりお馴染みになったシステムである。

 ゲーム内に複数の目標を用意することで、単調なゲームプレイに幅を持たせたり、やり込み具合を目に見える形で示すことで達成感を与えたり、その役割は様々だ。


 それ自体はいい。

 【XP】なるものを10点獲得した理由も分かった。

 【銀】ランクの実績、『死地から生還!』を達成したからだろう。


 だが、これはいよいよ――……。


「ゲームシステムっぽ、すぎるだろ……」


 そのことが俺を困惑させる。


 元々、ステータスウインドウの存在自体、気になっていた。

 おぎゃあと生まれて、メシを食って、ウンコして、成長し、セックスして、子を作り、一族の血を残して……そして、死ぬ。

 ライフサイクル。

 その骸が重なって、土となり、礎となり、世界を形作っていく。


 異世界に生まれ住む者達にとって、そこがゲームの世界ではなく、人の営みを形作る場所であればあるほど、『ステータス』などという指標は異質なものとなる。

 『トロフィー』というシステムの、ちぐはぐさは際立つ。

 イレギュラーな存在。

 超越者の目線。


 だが、自分が今いる場が、VRMMO的なゲームの中である、ということを、俺は一度否定していた。


 現実と虚構には、そのディテールにおいて、一見簡単なようで、とてつもなく大きな境界が存在する。

 ちょうど今、俺が見ている光景……カリピュアと呼ばれる港町の道路を横切って、子供達数人が笑いながら駆けていく姿……がバーチャルなものだとしたら、この子供達の外見モデリング所作モーションを作ったデザイナーは、おそらく一生その仕事だけをし続けたに違いない。

 目の前にあるのは、それだけの時間をかけなければ作り込めない代物だ。


 マトリックスやトータルリコールの世界に放り込む、等と言うのはたやすい。

 認識さえも欺く世界。

 だが、考えてみて欲しい。何百人というゲーム制作チームが二年三年かけて作ったゲームを、プレイヤーは数時間で消化する。


 もし、プレイヤーが一生かけても消化しきれないだけの奥行きと密度、強度を持った舞台を用意したければ、デザイナー達は無限に等しい時間を注ぎ込む必要がある。

 人の認識を完全な形で欺き続ける世界をVRで構築するのは、未だ夢物語だ。


 そもそも、この世界が人間サマの技術の手を離れた場として存在していることを、俺は自身の目と耳と鼻でもって、確信できる。


 降り注ぐ陽光に、自然と細まる目が。

 吹き付ける風の孕んだ湿度に、震える顔の産毛が。

 踏みしめる靴の裏側に感じる不格好な石の突起が。

 五感が、直感を裏付けしてくれる。


 だが、である。

 それゆえに、違和感は増大する。

 目の前にあるステータスウインドウのみならず、ありとあらゆるものが、オーパーツであることを主張しはじめる。


 例えば、エルフやドワーフという種族。

 彼らは神話や民間伝承に登場する妖精のような存在をベースとして、トールキンをはじめとした創作者達が考え出した亜人種だ。

 つまり、「地球人」が「想像して」デザインした存在である。


 俺が出会った、リムさんのような獣人にしてもそう。

 彼らはサブカルチャー文脈の中で、輪郭を強固にしてきた非実在種族である。

 いずれもその誕生の緒を、地球人の想像力に委ねている。

 生物の競争進化の過程で生まれた種族では、無い。


 異世界に転生したり、転移したりする事の異常さは、この際もういい。

 俺も、神を名乗る存在の手を介し、事実こうして異世界にいる。


 だが「異世界」と称される場所が、異なる時空、異なる世界であるとして、そこに「地球人が想像したままの種族」が住んでいるという確率はどの程度のものなのだろうか?

 宇宙の広がりが持つ無限性はそこまでを担保するのだろうか?

 ケイジはそこまで万能なのだろうか?

 まさかgrep検索で一発なの?


 実のところ、俺はこのアゼルガ(?)という世界に来て、住んでいる人間に日本語が通じる点をもって「糞世界」と断じたが、それはあくまで俺の美意識に由来するエゴイスティックな判断によるもので、厳密さを求めるならば、世界がテンプレ中世欧州風ファンタジーである時点で、既に色々おかしい。


「あれは……何年前だっけな」


 思考を巡らせる。


「確か前のワールドカップがあった年だから、2022年かな?」


 こうした「異世界転生系ファンタジーのグランドデザインの、地球人にとっての都合の良さ」について、今から数年前、ネット上で論争が起こったことがあった。


 当時、『人間原理』と『インテリジェント・デザイン』を下敷きに、『デザイナーズワールド』という呼称で語られることになったあの解釈は――……。


『サイトウさん』


 唐突に、思考に割って入る記憶映像があった。

 ほんの数刻前、リムさんの漏らした言葉だ。


『言い忘れていたことが一つだけ』

『あなたの記憶喪失の件と関係あるかどうかは分からないんですが、治療中、少し気になったことがありまして』

『サイトウさん、首の後ろ側に奇妙な印紋があるのは、以前からですか?』


 我知らず、首に手を伸ばした。

 指先に触れるざらついた感覚。

 瘡蓋かさぶたを思わせる、引っかかり。


『私は魔術紋には詳しくないのですが、なんでしたらメムさんのお姉さんで、島での私の魔法の師匠でもあるネア先生に見て貰うのもいいと思います。サイトウさんの印紋の意味するところも、あの人なら分かるかもしれません』


 指にかかる突起の、その更に奥。

 首の肉の、深い部分に、石のような固形物が埋まっているのを感じる。


「なんだこれ……」


 ぐりぐりと強く押すと、骨か何かと当たって、ちょっと痛い。

 当然、日本に生きる二十六歳だった頃、こんなものがあった覚えはない。


「やべえ。混乱してきたぞ」


 俺は無駄なあれこれを考えているんだろうか。

 そんなことより、飯タイムなんだろうか。

 違うと思う。

 元の世界、地球に帰りたければ、この世界と俺との関係性というのは、実はとても大切なことなのではないかと思う。


「くっそ……。ケイジと何話したっけな……忘れちまったぞ……」


 アイツとの会話。

 多分、色々とヒントを残していた筈である。

 にも関わらず、あまりにもしょうもない奴だったので、右から左へと流してしまい、正直よく覚えていない。


「だめだー……もうだめだー……わすれちゃったよー……えーんえーん……」


 思考の深海から、体が浮き上がり始めていた。

 どうやら、俺は答えに辿り着くだけの情報を未だ持ち合わせていないらしい。


 しゃーない。目の前の現実への対処に戻ろう。


「ハァ。代わりに、この【XP】とかいう奴について見てみるか」


 改めて、ステータス画面を開く。


「ん? この【XP】の10って数字、0の時と違って、またクリックできそうだな」


 アンダーバーがついている。

 迷わず押してみよう。

 せいっ。



【【XP】を割り振る先を選んで下さい】

【【PX】/【MX】】



「WOW……」


 またなんか出たぞ。

 そして、俺はもう顔をしかめているよ。


 これ要するに、能力値上昇用に割り振れるボーナスポイントだろ。

 スキルに割り振るスキルポイントの、能力値版が【XP】ってことよ。

 絶対そうだよ。


 え? じゃあいいことじゃないかって?

 なんで顔をしかめているのかって?


 【PX】と【MX】のどっちにポイントを割り振るのがいいのか、さっぱり選べないからだよ!

 ゲームでもこういう時、いつも延々悩み続けるのが俺って人間なんだよ……!

 どっちを上昇させればいいの!? どっちが正解!?


「はーん!」(←久米田康治(初期)リスペクト)


 いや、普段の俺なら迷うところじゃないよ?

 MXが精神系能力値と推測される以上、こっちに全部突っ込むのが基本よ?


 で、でも……。


 でもさあ……。


 だって……ねえ?


 嗚呼ああ……俺は弱くなってしまった。

 日和ひよっている。あからさまに日和っているよ。

 一度死にかけた経験によって、HPという数字が自分の命を支配していると実感してしまい、「【PX】を上げればHPも上がるのではないですかな?」という心の声に「しゃらくせえ! 男は黙ってMPだけ伸ばして、後は大体握り飯食ってればええんじゃい! あほんだらァ!」と、男らしく怒鳴り返すことができなくなってしまっているよ。クラスの皆が「ええのうええのう」言ってる雑誌のアイドルグラビアに対し、「けッ! こげな成長不足のメスジャリのどこがよかとよ!」と強がって硬派ぶった後、放課後チャリで隣町まで足を伸ばして、耳の遠いお爺さんが一人でやってる小さな本屋で同じ雑誌をこっそり購入するよ。


 それに、ほら。あれだよ。あれ。



【<強走1> 獲得可能条件】

 ・【PX】8

 ・【MX】8

 ・<強健5> の所持



 見てよ、これ。

 例の新スキルその1。

 今、【PX】が6で、【MX】が4じゃん?

 ってことは、【PX】を+2、【MX】を+4すればこのスキル取れるんじゃん? 多分。

 だけど、【MX】一点強化だと、一生取れないよね?


「はーーーーん!!」


 俺はどうしたらいいんだよー!

 クロー!(実家で飼ってる犬の名前) クロやーい! 俺を助けてくれよォい!



   ◇



「本当にあの人達は、島を守る者達なのでしょうか。公国では絶対に考えられません。正義の心は無いのでしょうか……」


 俺が、「奴は死ぬまで保留する」という名言そのままに悶絶していると、なんかブツブツ声が聞こえてきた。

 どこからかな? 真後ろだね。


「仕方ないです。ここは地道に聞き込みを行っていくしかないですね。ビリッ」


 俺が先刻出てきたブラックヘイズの詰所から、鎧姿の少年が歩いてくる。

 身長は160センチくらいしか無いのに、なんと板金のプレートメイルを着ていた。

 陽光を照り返し、ぴかぴか光りながらやって来る。

 正直、見るからにすごい重そう。

 兜はどこかに置いてきたのか被ってない状態だけど、頭に乗せたら重心が崩れて転ぶんじゃなかろうか。


 あ、ちなみにビリッというのは、何か手に持っている紙袋の包みを破った音です。


(なんだ? 変わった奴だな)


 というか、俺よりだいぶ若い少年だった。

 中高生って感じ。

 多分あと十年くらいしたらとんでもないイケメンに育つんだろうなーと既に想像できる、栗色髪の美少年である。瞳は黒。

 眉もキリッとしててかっこようございます。

 今のままでも、ショタ好きお姉様方が団扇うちわでドームを埋め尽くしそう。


 と、そんな風にぼんやり見てると、真っ直ぐこっちに向かってくるじゃないですか。


「あの、すみません。ムシャムシャ。そこの方」


 紙袋の中身(焼き菓子?)を貪り食いつつ、なんか言っている。


 俺か? 俺に言ってる?

 いや、俺じゃないよな。こんな騎士っぽい格好の子に面識ないし。


「いえ、きょろきょろしているあなたです。ローブ姿の魔法使いの方」

「左様。俺が魔法使いです」


 今時、見上げた少年じゃないか。

 いい心がけだぞ。坊主。


「えーと、実はですね――……」

「あ、待った。言い直しを所望。魔法を愛し、魔法に愛された空前絶後の魔法詠唱者マジックキャスター、神秘の果てを見届けんと志す知の探求者、ナレッジエクスプローラー、サトウです」


 いかんなー。

 普段からもっとちゃんと名乗り口上の練習をしておくべきだったわ。


「は、はあ……ゴクン」


 咀嚼していた何かを飲み込んだのか、思わず唾を飲み込んだのかは謎ながら、少年が喉を鳴らした。


「サトウさんですね。私はアベル。アベル・カリオテと申します。ぺこり」


 騎士っぽい格好通り、礼儀正しい少年である。

 俺を稀代の魔術師と見抜いた時点で好印象だったが、明らかにクラスのJCJKの人気を独り占めにする感じのイケメンなのに、まるで鼻につくところがないときては、こりゃ青春を遠い過去とするおっさんの好感度もぎゅんぎゅん急上昇だよ。


 雰囲気からすると、何かに困っているのかな?

 若人を助けてやるのが大人の務めだね。(むしろ俺が助けて欲しい状況であるのは、この際忘れる)


 ただ、物を食べながら話すのだけはやめた方がいいと思うけどね。


「実は、私と共に島の外から来た二人組の女性が行方不明になってしまったのです。それで手がかりを探しているのですが、島の地理に疎いこともあって、皆目かいもく見当が付かず困っています」

「……今、何と?」

「えっ? いえ、島の地理に疎く、見当がつかないと」

「そうじゃなくて、その前」

「二人組の女性です。私の同行者達が、行方不明に」

「……」


 稀代の魔術師の顔が曇る。


(ハーレムパーティーかよ……)


 まだ若かろうに、その年で女二人と島に旅行かよ。

 そりゃそれくらい当然のイケメンなのかもしれんが、なんだろうね、オッサンやる気なくなっちゃった。

 あーあ。缶ビール飲みたい。


「二人は私の雇い主で、護衛対象なのです。私はオリシュタインの者なのですが、『鍛造期間』中、冒険者として活動することを選びました。実はその最初の仕事が彼らの警護であったにも関わらず、こんなことに……」

「ほう、冒険者」


 なんか、ちょっと風向き変わったな。

 ハーレムパーティーって感じでもなさげ。

 というか、冒険者……冒険者か。

 冒険者って、金、稼げるのかな?

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