アルタ群島(8)「メム・Ⅷ」

~これまでのおはなし~


 buffは肉体の限界以上の動きを可能にしてくれるが、効果が切れた後のケアまではしてくれない。





 俺は横たわっていた。

 炎天下、アスファルトの上に転がる羽目になった哀れなミミズ。

 それが今の俺である。

 うつぶせに倒れたまま、身じろぎすることさえもできないでいる。

 恐らく、生まれてこの方まともに使ったことのない特殊な部分の筋肉までもが酷使され、悲鳴を上げていた。

 どこもかしこも痙攣している。

 右手の指を動かしたら、左足の筋肉が引き攣るような、異常な状況。


「……」


 俺は眼球だけを動かして、ステータス画面を眺めた。

 正確にはそこに映った、「【MP】0」の文字を。


(MPって自然回復すんのか……?)


 思えば、マジックキャスターを志す者でありながら、この世界の「仕様」を知らないまま、MPを使い切ってしまったのは迂闊だった。

 もし簡単に回復しないのであれば、困ったことになる。



【HP】11/12

【MP】0/8



 MPどころか、HPまで減ってて笑える。

 激しすぎる筋肉痛でダメージ受けてますやん。

 <強健>の説明書きにはマイナス補正の説明なんか無かったですけどぉー!?(逆ギレ)

 って、いたた!

 体ちょっと動かしちゃった! いたたたた!

 響くよ! 全身に!

 アイデデデデデ。イデデ。イデ。

 おあー。ダメだこれ。

 お尻の肉までこむら返りみたいになってるよ。

 イデデデデ。

 つか、あの人思い出した。

 コピィロフ。知ってる?

 あのね、俺が生まれた頃の話だけど、コピィロフってロシア人の格闘家がいたんよ。サンボ出身の関節技のスペシャリスト。三分しかスタミナが持たないというお茶目な弱点さえなければ天下取ってた可能性もあるって人なんだけど(PRIDE全盛期にミルコ、ヒョードルと並んで三強とされたノゲイラって選手がいるんだけど、彼とコピィロフが繰り広げた名勝負は伝説なんよ)、このコピィロフさん、自分が関節決められると「アイデデデデデ」ってデカい声で言うの。そのウソ丸出しな痛がり方が格闘技マニアの親父のツボだったらしく、子供の頃、何故かその場面だけビデオで見せられたんよねえ。面白くって真似したら親父に大受けしたんで、小学校で友達にも披露したけど、誰一人通じなかったなあ。当たり前よね。

 って、いてててて。アーイデデデデデデ。



【MP】1/8



(おっ……!?)


 回復した。

 どうやら、時間が経てば戻るものらしい。

 これは僥倖。

 1点回復するのに、五分から十分くらいか?

 俺のレベルが低いせいでMP回復が遅いのか、誰でもこれくらいの速度なのかは分からないが、ひとまず安心。


 むしろ筋肉痛の方が戻らん。

 冗談抜きに何もできんぞ。コピィロフとか言ってる場合か。

 しかもこんな汚い床の上に寝転がるとか、どうよ。

 ほっぺたに砂のツブツブを感じるよ。

 メムネアさんが帰ってきたらまた呆れられるよ。

 舌打ちされる。

 侮蔑の眼差しと共に、「なんでこんなのつれてきちゃったかな」「すてよ」「ペニスは死ななきゃなおらない」とか呟かれちゃう。

 やめて! 捨てないで! 靴なら舐めるから!


 あー。なんで俺はこうなんだ。スキルを利用するアイデア自体は悪くなかったのに。

 すぐ調子に乗って墓穴を掘るよね。というか墓穴レベルじゃなくてもっとデカい古墳か何かよね。古墳を盛るよね。前方後円墳を盛る。

 自己嫌悪だわー。

 ほんと俺ってダメな奴。二十歳ハタチ過ぎてもまるで成長していない。ろくなもんじゃないよ。幼稚園時代、カーチャンが庭に植えたサルビアの蜜をスナック感覚で吸い過ぎて枯らしちゃったことあるし。そういう奴なんよ。特に授業で習ったわけでも勉強したわけでもないのに、いつの間にか「姦」とか「孕」って漢字読めるようになっちゃってたしね。救えないよ。Akinatorアキネーターで「絶対わからんムチャむずいの連想したろ」、と思ったら二問目にして「それはドスケベゲームのヒロイン?」とか特定されたし。もうだめだ。なにもかもだめだ。思考が支離滅裂だ。異世界に放逐されるのもわけないよ。いらん子だったのよ。至極当然の成り行きよ。



【MP】3/8



 おぞましきネガティブ思考を巡らせているうち、3点までMPが回復していた。

 せめて横になるなら布団の上がいい、と俺は考える。

 メムには悪いが、ベッドを拝借したい。

 そして、泥のように眠りたい。

 あるいは、泥海に漂うムツゴロウのように眠りたい。

 あっしは貝になりたい。

 正直疲れました、今日は。

 ひとやすみさせてください。


 ――<強健3>、発動。


 回復したばかりのMPを全て投げ捨てた瞬間、筋肉痛がスッと引いた。

 痛みが消失している。

 肉体が、通常の2.5倍の強度に変化していた。

 立ち上がる。

 しかし、動ける時間は僅か十二秒。

 砂埃を払う時間も惜しい。


 俺は迷うことなく、例の魔法使いの部屋に繋がるものとは別の扉に向かう。

 トイレを借りに行った際、途中の部屋に大きめのベッドがあることを確認していた。


「ごめん。借りるな」


 大股で部屋に入ると、一直線にベッドへと向かい、身を預ける。

 メムネアのものにしては、少し大きすぎるサイズの木のベッド。

 ぎいぎいと不満そうに軋み音を立てたが、俺の身長でも問題なく収まった。


(妙に埃っぽいな)


 シーツだけが敷かれていて、上掛けは何も乗っていなかったが、俺はもう気にしなかった。

 仰向けに横になる。


 やがて、スキルの効果時間が切れる不快な感覚。

 抗いがたい苦痛の時間が舞い戻る。

 アイデデデデデ。デデデデデ。

 腕、足、肩、腰。

 首の裏、脇腹、尻。

 ねじ切れそう。


 俺は、早々に意識のスイッチをオフにした。



   ◇



 闇。

 まどろみ。


「……のこっててくれた」


 かすれ声。


「ほんとに、いなくならなかった」


 ひそやかに。

 おそるおそる、何かが俺の体に触れる。

 未だ全身を縛る痛みが、浅い眠りの中、ぴりぴりとした痺れで衣擦れを自己主張する。


 時刻不明。

 雨の音はもう無い。

 月明かりだけが室内を朧気おぼろげに照らしていた。

 現実の闇と、意識の闇がむつみ合う頃合い。

 夜のおり


「メムんとこに、いてくれた」


 もぞもぞとそれは俺の腹の上を這って。

 銀髪が首筋をくすぐる。

 鼻声だった。


「ショウくん、ありがとぉ」


 そうして、少女の額が、俺の胸元にあった。

 しがみつく、か細い指先が震えている。

 まるで不用心に腕を回してくる。


「すきになるね……」


 何を言っているのか。

 何の抱擁なのか。

 成長不足の痩身そうしんが、それでも尚、己は女であるのだと、そのなめらかな肌のみにて主張し、俺は未だ醒めやらぬ意識の内側で狼狽する。


「だいすきになるからね……」


 ハーレムアニメのやれやれ系主人公が嫌いだ。

 何もしていないのに、モテモテになるから。

 しんでくださいよう。

 モニターの前でコーラをラッパ飲みしながら佐藤翔は苛ついていたのだ。


 それなのに、この人懐こい少女の身の上にある、およそ伺い知れぬ理由が、深夜の密着揺蕩ようとうを生んでいる。

 俺は彼女が家を出て行ってから、ただ勝手に騒いで勝手に不貞寝を決め込んでいただけだ。

 いたずらに時を浪費していただけ。

 それなのに、それが少女に何かを承認させたのだと知る。

 彼女にとっては、俺が未だこの家に残っているだけのことが、なんらかの賭けの対象であったのだと察する。


 ちゅっ。


 頬に当たる感触の艶やかさに、意識が焦点を結んだ。


「……」


 口を開きかけて、何かを言いかけて、やめた。


 彼女が目を閉じて、眠る気配を見せていたから?

 声をかけてはいけないような雰囲気があったから?

 うんまあそれもあるけど。

 あのね。アゴの筋肉、ったことある?

 俺はある。


「ショウくん、メムんこと、すこすこしていいよ……」


 えっ。


「…………」


 えっ。えっ。

 いや、それは。

 えっ。

 受精。

 えっ。


「……だから、どこにもいかないで……」


 サックス。

 シックス。スックス。ソックス。

 やわらかいやわらかいやかわらいやらかわい。

 このこ、やらかわい。

 たてすじ。


「メムんこと、おいてかないで……」


 メムはなんか囁いていたが、俺は既に「わいせつな行為」と「みだらな行為」の違いを実証することばかり考えていた。

 条例vs俺。

 俺vsキツマン。

 すこすこ希望。


「ね……」


 NAKADASHISMナカダシズム

 あ。

 ヤバい。

 あ、あ。

 サックが……ペニスサックの結び目が……。ゴルディアスの結び目が……。


「………………………………(ビキッ!)」


 アアァァァイデデデデデデ!!!!


 股間部前方が隆起したはずみで、尻の筋肉が左右ダブルでるという、およそ信じがたい出来事が発生。

 肉体の神秘である。


 しかも、メム(レベル22)が予想以上にがっちりホールドしていることもあり、筋肉の痙攣に抗うことができない。尻筋しりきん、ぎゅんぎゅん張るがまま。

 メムのミニマムなからだは、正直、軽い。

 それでも二十代中盤メンズが腕力かいなぢからだけで押しのけることができないのはこれは低レベルと運動不足と筋肉痛のせいというよりはきっと俺もこの体温から離れたくないと思っているからで、素肌を通じて心臓の音がする。


 とくん、とくん……。


「(……すぅ……)」


 とくん、とくん……。


「(……すぅ、すぅ……)」


 愛らしくも、ささやかな鼻息。

 メムは、俺の胸に頭を乗せたまま、寝入ってしまったようだった。


 ……馬鹿な。

 俺の股間の46センチ砲が完全に目を覚まし、とんでもない急角度でロリぷにの弱点を今まさに付け狙っているというのに、ねやに沈んだのですか?

 がっつんがっつんキャンタマの中で生産されているこの昂ぶりはどうなるのですか。すこすこさせてくれないのですか。

 あ。失敬。

 46センチ砲とは、少々、誇張が過ぎたようです。つまらぬ見栄を張りました。


「……って、おい」


 まぶた閉じたままの彼女から、音もなく滴ってきたものが、俺の肌を濡らす。


「泣いてんじゃんかよ……」


 眠りながら落涙している。


(この子、どういう過去があったんだよ、ほんと)


 胸が締め付けられそうになる。

 しょうがないよね。可愛い子の涙に、男は弱い。


 ぎぎぎぎ……。(←弾けそうな筋肉に抗う音)


 そっとメムのまなじりを拭う。

 これで少しは、彼女の眠りが穏やかになればいいと思う。

 美少女の涙はあざといなあと思いはしても、抗えるかどうかはまた別の話だ。

 こんなものを見せられたら、嫌でも紳士にさせられてしまう。

 まあでも、おちんちんはオギンオギンだから、説得力はないのですが。


 ――分かったよ。


 少女の鼻先に口づけた。


 ――一緒にいるよ。


 濃厚な鼻水の味がした。


 しょっぱ。

 じゅるじゅるじゃねえか。

 ハナタレ女め。ぺろぺろ。ちゅっちゅっ。


 ――こんな宿無し風来坊で良ければ、隣にいてやる。


 どうせ元の世界に帰る手立てはまだ見つかっていない。

 行く宛無しだ。

 求められるなら、応えてやりたくなる。

 未だ謎多き「せんせ」への恐怖心くらいは、抑え込んでやるさ。


「……フッ」


 だからその代わり、俺の全自動性欲処理施設になってくれ。

 精液便所に。精液便所になってくれ!

 筋肉痛治ったらヘックスしてくれ。斜め移動。

 治ったらソックス。靴下。

 メックス。

 メムさんとメックス。ただれたインモラルなメックスに耽りたいよう。


 ――その瞬間、俺は、ケイジがしでかした悪辣な行いの全てをゆるしていたという。


 もうロリコンでもいいよね。

 邪な思いと共に、再びの静寂。



   ◇



(え?)


 俺の喉を、内側から伸びた鉤爪が縦に、引き裂いていく。


(なんだ。これ)


 開いた穴から内臓目掛けて、熱く灼けた石をどんどん放り込まれる。

 石炭を機関車にくべるように無造作に。

 当然はらわたは煮える。燃え上がる。


 ちゅるちゅるちゅるちゅる。

 ちゅるちゅるちゅるちゅる。



【HP】3/12



 あぶられたゴムホースが縮むようにして、俺の内臓はたちまち焦土と化す。

 ハツの焼けるいい匂い。

 おなかがすきました。



【HP】2/12



(夢?)


 ――「…………!」


 引きつった顔で、メムが叫んでいる。

 鬼胎きたい

 恐慌。

 表情は年相応の童女の絶望に染められていて、一つの形をしていない。

 複雑怪奇に苦悶している。


 ――「ショウくん……! ショウくん……!」


 顔中くしゃくしゃにして、メムは泣いていた。

 俺にすがって、俺の名を呼んで。


 ――「やだあ……! 死んじゃやだあ……!」


 悪寒。

 苦痛。

 嘔吐。

 血塊。


 おぞましいものが俺の中に入り込んでいる。

 寒気が「ヒヒヒ」と笑いながら俺の血管の中を突き進む。


 あのね。瞳孔が開くの、自覚したことある?

 俺はある。


 ――「あぁァーーッ! やあああァーーッ!」


 がつん、と左側頭部から不快な音がするがこれは床に俺の頭が打ち据えられた際に発したものだ。

 いたくないからだいじょうぶ。

 何一つ感じないもの。



【HP】1/12



 ――恐怖の名を唱えよ。

 ――それこそが死である。


 ――貴様ら小狡き者達とても、本能の内側に刻印されたしるしから逃れることは叶わぬ。


 ――貴様らは、天を燃やし、星を支配し、万物の霊長を謳うが、それでも尚ただちっぽけな種火を恐れる心緒しんしょを克服することはできぬ。

 ――闇夜の晩に沸き上がる腐爛ふらんなる怯えに、打ち勝つことはできぬ。


 ――貴様らは猿の器に、知性に見える何かが、滑り込んだだけの塵芥である。

 ――灰は灰に。塵は塵に。

 ――定められた通り、細き道を往け。


 一体何が起こったのか、その脈絡を理解できぬほどに突然、俺は死に掌握されていた。

 異世界に転生する時の、何倍も強く。

 過去実際に起こった死よりも尚、強い、死。



   ◇



「どうだマリー。見覚えはあるか?」

「うーん……違う、と思います」

「そうか。最近見かけた『怪しい奴』筆頭なんだがなコイツ」

「こんなに小柄じゃなかったですよ。もっとこう、いかにも強そー、っていうか」

「ふーむ……。じゃ、コイツは関係ないか。やっぱこないだの船で来た連中かな」

「ていうか、この人見て下さいよ。ダニーロさんを相手になんてできそうにないです。鼻息ひとつで殺されちゃいそうです。ふー、って。ふー、って」

「ま、確かに弱そうだが、そこまで言ってやるなよ……」

「ほら。二の腕なんてぷにぷにもいいとこですよ。つまむとこんなに伸びちゃうんです。筋肉はどこへ?」

「やめてやれって……」

「きっとこの人、東リンドかどこかの出ですよ。ほら、あの辺は昔からの風習で、女が外へと狩猟に出向いて、男が逆に家庭を守るって言うじゃないですか。そういう、家事くらいしかしたことない人の手ですよこれ。剣も弓も握ったことない軟弱ハンドです。ヨジュアランドは黒髪の人間が結構いるって話ですし――……」

「やめてやれってのに。ていうかよ、そもそも本当に人間だったのか?」

「それは……うーん……正直分かんないですけど、街の中にモンスターが入り込んでたらもっと大騒ぎになってるんじゃないかと…………あれっ?」

「ん? 何か思い出したか?」

「いえ、違います。なんか、気がついたみたいですよ」

「気がついた?」

「はい。この人、目、覚めたみたいです」

「なにぃ」


(……どこだ、ここ)


 目の前に、赤髪の美少女(と、ハゲたおっさん)がいた。

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