アルタ群島(7)「メム・Ⅶ」

~これまでのおはなし~


 異世界の便所は結構まとも。





「水汲みするか」


 メムがいなくなり、途端に薄暗さを増したように思える家の中で、俺は独りごちた。


 誰もいないのだから、もう少し家探しをしてみたいという気持ちもないではない。

 しかし、懸案の「せんせ」とやらが戻らないと知った以上、既に俺は今日の一宿一飯を幼女様にタカる気満々である。

 そういう身上である以上、いらん不興を買うのは避けたい。

 粛々と仕事に励もうではないか。


「ん?」


 ところが、視界の隅で何かが動く気配がある。

 虫か? と思い、目で追うと、同じ速度で逃げる。

 晴れた日に青空を見上げると、眼球の動きに合わせてなんか透明のミジンコみたいなのがふわふわ~っと漂ってるのが見えたりするけどあれムスカイ・ボリタンテスって言うんだよね。

 お前はムスカイ・ボリタンテスか。(←前置き説明つき例えツッコミ)


 目の端で、半透明のエクスクラメーションマーク(!)が点滅していた。


「なんだいこれは」


 意識を集中すると、例のステータス画面が飛び出した。



【名前】サトー・ショー

【種族】ハイヒューマン

【性別】男

【年齢】26

【職業】布山賊

【称号】幼女に媚びし者

【血神】なし

【レベル】1

【HP】12/12

【MP】8/8

【PX】6

【MX】4

【XP】0

【スキル】なし

【スキルポイント】65535(!)

【装備】やわらかローブ、かわのくつ、ニプレス、ペニスサック



「特に変わったようには思えないが……おや?」


 スキルポイント「65535」の隣に注目。

 ここでもエクスクラメーションマークが点滅していますね。

 これはもしや……。



【獲得可能スキル】

 <魔法抵抗・混沌1>

 <強健1>



「おほぅ。なんか出た」


 ドピュッと出ましたぞ。

 スキル獲得ですって、奥様。

 ちちちチート関連のやつじゃないのこれ。

 でも、今までダメだったものが、一体何故突然に?

 以前出ていたエラーメッセージは何だったんだ?


 わからん。

 わからんが、取らない理由が無いだろう。名前から推測するに、デメリットのあるスキルって感じでもないし。


 鼻息も荒く、例によってハイパーリンク化しているスキル名部分を押す。



【<魔法抵抗・混沌1>】

 全ての混沌系統の魔法への抵抗力を8%得る。


【<魔法抵抗・混沌1> の獲得には、スキルポイントを1消費します】

【獲得しますか? <はい・いいえ>】



 迷わず「はい」だ、コノヤロー。



【<魔法抵抗・混沌1> を獲得しました】



「……」

「えっ」

「……」

「♪パッパパーン」


 何の効果音も出なかったので、仕方なく自分で言ってみた。

 ビジュアル面でも特に何も変化なし。

 体が光ったりとか、なんかこう、演出的なものは無いらしい。


「ええ……。しょぼ……」


 がっかりである。

 やたらあっさり取れたが、こんなんでいいのかと思う。


 続けて、もう一つの<強健1>というスキルにも手を出してみる。



【<強健1>】

 術者本人の肉体を活性化させ、強化する。

 効果(PX):「PX」×「1/2」

 効果時間(秒):「MX」×「1」

 消費MP:1



 読んだ瞬間、ずっこけた。

 説明の文章から推測するに、多分だけど、これバフスペルじゃね?

 しかも他者に一切かけられないセルフbuff。

 自分の体を強くするだけのスキル。



【<強健1> の獲得には、スキルポイントを1消費します】

【獲得しますか? <はい・いいえ>】



「うあ……」


 純・魔法使い……。

 知の……しもべ……。

 脳筋の対極に位置する者……。

 ぼくの……美学……。



【<強健1> を獲得しました】



 割と死にそうな表情でスキルを取ってみたが、やはり淡々とシステムメッセージが表示されたのみ。

 あっさりしたもんですね。

 へへっ……こっちの気持ちなんか知ったこっちゃねえってですかい。クールな御仁でごぜえやすね。



【パッシブスキル】<魔法抵抗・混沌1>

【アクティブスキル】<強健1>



「おー、変わった」


 ステータス画面上の表記が変化していた。

 二つのスキルはそれぞれ性質が違うようで、パッシブとアクティブのカテゴリに分かれていた。

 普通に考えると、パッシブってのが常時効果が持続してるタイプのスキルで、アクティブってのは任意に使用することで効果を発揮するものだろう。

 <強健>の方、説明文に消費MPが出てたもんな。



【スキルポイント】65533(!)



 ていうか、スキルポイントがまるで減ってないんだが。

 二つ取って、消費量2て。クソほど余っとる。

 俺ってば本当にスキル取り放題なのでは……。


「あれ? まだビックリマークが出たままになってるな」


 数字の隣、(!)の点滅が続いている。

 んー……?



【獲得可能スキル】

 <魔法抵抗・混沌2>

 <強健2>



「ええっ。まだ取れるの?」


 名前からすると、同一スキルのレベルが上がる感じか?

 ほえー。すごい。



【<魔法抵抗・混沌2>】

 全ての混沌系統の魔法への抵抗力を16%得る。


【<魔法抵抗・混沌2> の獲得には、スキルポイントを2消費します】

【獲得しますか? <はい・いいえ>】



 あー。獲得時に必要なスキルポイントが増えてるな。

 でも微々たるものである。気にするような量じゃないわ。

 せいっ。



【<魔法抵抗・混沌2> を獲得しました】



 「♪パッパパーン」と、ヤケクソ気味に口ずさむも、なんら達成感なし。

 うむ。



【<強健2>】

 術者本人の肉体を活性化させ、強化する。

 効果(PX):「PX」×「使用スキルレベル/2」

 効果時間(秒):「MX」×「使用スキルレベル」

 消費MP:1×「使用スキルレベル」


【<強健2> の獲得には、スキルポイントを2消費します】

【獲得しますか? <はい・いいえ>】



 これも取る。

 これでどうなったよ。



【パッシブスキル】<魔法抵抗・混沌2>

【アクティブスキル】<強健2>

【スキルポイント】65529(!)



 上書きされたね。1が消えて、2だけになった。

 やっぱ、一つ上のレベルのスキルなんだろう。数字が多い程、上等ってことだ。

 って、まだ光ってるぞ、ビックリマークが。

 まだ取れるスキルがあんの?



【獲得可能スキル】

 <魔法抵抗・混沌3>

 <強健3>



 これはあれか。

 スキルの獲得条件が、「一つ下のレベルのスキルを持っていること」なのか?

 だから1を取ったら2が取れるようになって、2取ったら3取れるようになって、って感じでどんどん取れちゃうのか? 俺のスキルポイントが余ってるせいで。



【<魔法抵抗・混沌3> の獲得には、スキルポイントを3消費します】

【獲得しますか? <はい・いいえ>】



 一応、獲得に必要なスキルポイントが、どんどん上昇してはいる。

 ゲームを物差しにするのもなんだけど、よくあるRPGだと、スキルポイントってレベルが一つ上がるごとに1とか3とか5とか、微々たる数もらえる程度だよね。

 消費ポイントがこの調子で増加するなら、本当はスキルのレベル上げるのって結構大変なんじゃ……。


 だが、俺にとってはやはりゴミのような数字である。

 上位スキルが開放されるというなら、気兼ねせず、取れる限界まで全部取ってみることにしよう。



【パッシブスキル】<魔法抵抗・混沌10>

【アクティブスキル】<強健8>



 で、結局こうなった。

 獲得時に消費するスキルポイントはやはりどんどん増えて、<魔法抵抗・混沌10>の時には10ポイントを要求されたが、まあ大して気にするようなものではない。

 それぞれの能力はこんなである。



【<魔法抵抗・混沌10>】

 全ての混沌系統の魔法への抵抗力を80%得る。


【<強健8>】

 術者本人の肉体を活性化させ、強化する。

 効果(PX):「PX」×「使用スキルレベル/2」

 効果時間(秒):「MX」×「使用スキルレベル」

 消費MP:1×「使用スキルレベル」



 途中で気付いたけど、<強健>は多分、あれだ。発動する強さを選べるタイプだ。低いスキルレベルで発動すると、その分、効果が弱くなって消費MPも少ない、って感じなんだろう。


 ちなみにここまで取った残りのスキルポイントは、65444。

 まるで減ってない。


「それより問題はこれだよなあ」



【<魔法調和・混沌1> 獲得可能条件】

 ・【MX】36

 ・<魔法抵抗・混沌10> の所持


【<強健9> 獲得可能条件】

 ・【MP】9

 ・<強健8> の所持


【<強走1> 獲得可能条件】

 ・【PX】8

 ・【MX】8

 ・<強健5> の所持


【<肉体硬化1> 獲得可能条件】

 ・【MP】10

 ・【PX】14

 ・<強健8> の所持



 スキル獲得作業は打ち止めになり、ビックリマークも消えたのだが、以前目にした【獲得可能条件を満たしているスキルは、ありません】という、冷たいそっけないやるせないエラーメッセージは出なかった。

 その代わりに何やら別の文字列が表示されている。


 字面だけを見て判断するなら、「現状では取れませんけど、この条件を満たせば取れるようになりますよ」というスキル候補が表示されているように思える。

 芋づる式にそれが湧き出てきた感じ。


 なにこれ。どうなってるの?

 ハクスラ系ゲームによくあるスキルツリーが開放された、みたいなことなの?

 取得スキルを組み合わせて、ビルドを組みなさいってことなの?

 ハクスラといえば、俺が一番好きなハクスラシリーズであるボーダーランズの続編が出るまでに俺は地球に帰れるの? ボダラン2のDLC4はどうしてあんなに最高だったの? 好きすぎてキャラ変えつつ三周しちゃったんだけど。(もう十年以上前になるけどさ、2013年のマイベストゲームはあのDLCだよ!)洋ゲーから、JRPG、北米のネットカルチャー、日本のネットジャーゴン、アニメ、映画、アナログゲーム、オンゲ、オフゲ、ハイファンタジーまで幅広く知識を持ってないとネタを拾いきれなかったと思うんだけど、よくあんなマニアックなお遊びデザインがまかり通ったね。(俺? 俺は大丈夫。学生時代、授業中に先生の目を盗んで漫画読んだりスマホ弄ったりしてる奴はいっぱいいたけど、親父の本棚で発見した数十年前のゲームブック(T&Tソロアドベンチャー『ソーサラー・ソリテア』)をプレイしていたのは俺くらいだからね。キモい)


「いかん。また、思考が現実逃避をはじめてる」


 ほっとくとすぐこれである。

 確かによく分からないことが多すぎて、目を逸らしたくなるけども。


「ま、現状不明な点は全部放置だな。考えても答えが出るわけでなし」


 これ以上スキルも取れそうにないし、こうしてても仕方ない。

 メムとの約束をさっさと果たすことにしよう。



   ◇



 屋外の様子を伺うと、幸い雨足はいつの間にかかなり弱まっていた。

 傘が無くても、ほとんど気にならないレベルである。

 汲み上げた水を入れる用に、床に転がってた中くらいの壺を両手に一つずつ持って、敷地内を歩いてみる。


 やはり雑然とした空間だった。

 雑草まみれ。

 どれくらいひどいかというと、こうしている今、長衣の裾についたひっつき虫(くっつき虫、ひっつきもっつき、あばづぎ)を必死に取ってるくらい。

 草刈り前の河川敷かっつーの。

 「先生」はなかなか戻らないらしいし、それ以外の時はどうもメムが一人きりのようだし、日々の生活に追われて庭の草刈りにまで手が及ばないのかもしれないな。余裕があったら俺がやってあげようかな。


「おっ、これだな」


 そうこうするうち、離れの端に井戸を見つけた。

 さほど大きな物ではないが、個人宅の水源としては十分だろう。

 小さな屋根がついていて、先刻までの雨から水面を守っていた。


 だが、俺が知っている井戸とは少々勝手が違った。

 考えてみれば当たり前なのだが、近代的な手押しポンプの姿が無い。

 その代わり、ロープのついた桶が脇に置かれている。

 水はこれを使って汲むらしい。


 この世界じゃ、ポンプは発明されてないのかな?

 でも、水の汲み上げを楽にしてくれる滑車機構の類も無いのはどうよ。俗に言う『釣瓶つるべ』よ。


 屋根の内側、真横に渡されてる棒があるものの、桶とロープは井戸の底に向かって垂直にくだるようそこに釣られているわけではなく、単に地面に放置されている。

 超アナログ。


「いや待て。これは……元々は釣瓶式だったが、壊れたのか?」


 調べてみると、滑車がついていたらしい形跡があった。

 釣瓶が壊れてしまって、修繕されないまま桶とロープだけが今も使われているっぽい。


「……」


 視線がちらり、と別の方角に向く。

 そこには敷地内二つある建物のうち、まだ俺が足を踏み入れてない納屋(?)があるのだが、その壁の一端は石組みが崩れ、大穴が開いていた。

 あんな状態になったまま直さないで放置とか、普通ありえないと思うんだが。


 なんか、末期的だな。

 以前はもう少しまともな家だったのが、どんどん荒れてこうなった、って雰囲気が至る所から漂っている。

 訳あり物件なのかもしれない。


「まあいい。とりあえず水だ」


 物は試しと桶を井戸の底に投げ入れる。

 木の桶ではあったが、底には重石がついており、水面で浮かんでしまうことはなかった。

 しっかり沈んでいく。


「くそ。これかなり重いな」


 そりゃそうか。

 水を一杯にした桶はそれなりの重さになる上、重石までもがついている。それを腕の力だけで数メートル引き上げるのだから大変だ。

 せめて釣瓶が生きていれば、桶が傾いて水がこぼれないよう垂直に保つ方はそっちがやってくれる分、引く力だけあればいいのだが、これだと支えるのと引くのをまとめて腕だけで行わないといけないので二重に辛い。


「うお……水……こぼれる……。くっそ……」


 なんとか引き上げたが、井戸の壁面にぶつけながらになったため、中身が結構こぼれてしまっていた。

 難易度たけえ。


 持って来た二つの壺を一杯にするには、更に二回の汲み上げを必要とした。

 水で満たすと、今度はそれを、えっちらおっちら部屋にまで運ぶ。


「こりゃ重労働だわ。運動不足の無職にゃ辛いよ」


 部屋の水瓶に、持って来た井戸水を注ぎながらぼやいた。

 この水瓶、割とデカい。

 こんなのんびりした調子では、相当の回数往復しないといけないかもである。


「くっそ。安請け合いしすぎたかもな」


 今度はできるだけ大きな壺を選んで持って行く。

 いちいち行き来するのは面倒だからね。

 その代わり、一回にかかる労力は増えるけど。


「ぐおお……腕がぱんぱんになってきた」


 井戸水を引き上げようとするも、ロープを握る腕がぷるぷるする始末である。

 すると、きちんと垂直に持ち上げられなくて、桶の中の水がこぼれるという悪循環。

 つか今なんて、上げたら中身ほとんど無くなってたわ。やり直しだわ。

 試行回数は増える一方だ。

 あーもー! ニプレス剥がすよ!?(憤り)


 メムが使ってた力持ちになる指輪。

 あれの力を借りてえな。

 もうちょい楽にならんとやってらんねーぞ。


「ん? 待てよ」


 唐突に思いつく。


「さっき取ったスキル……<強健>って奴を使ってみたら楽になるんじゃね、これ」


 あれは「術者の肉体を強化する」って内容だった筈だ。

 言葉通りなら、腕の筋力も増すのでは?

 ちょっとスキル画面呼び出してみろよ。



【<強健8>】

 術者本人の肉体を活性化させ、強化する。

 効果(PX):「PX」×「使用スキルレベル/2」

 効果時間(秒):「MX」×「使用スキルレベル」

 消費MP:1×「使用スキルレベル」



「ふーむ……」


 半ば読み飛ばしていた「効果」や「効果時間」といった項目を改めて精査するうち、思い至ったことがあった。

 ステータス欄にあった【PX】【MX】という謎のパラメーターはもしかして、


【PX】……肉体の強さに関係する何らかの数値

【MX】……精神の強さに関係する何らかの数値


 なのでは。


 だとすると、<強健>は元々持っている肉体の強さ、【PX】に、ボーナス数値を足すスキル、と読み取ることができる。

 俺の【PX】は現在6点。

 だから例えば、スキルレベル1で発動すると、6点の二分の一、3点が効果時間中ボーナスポイントとして加算され、【PX】はトータル9点に上昇するという仕組みなのでは。


 おう。やっぱ完全にbuffだよこれ。


 現在使える<強健>の最大レベルは8。

 効果時間に影響する【MX】は4点。

 8レベルで発動すると、えーと、合計で【PX】は30点になるのかな? 元の五倍だね。

 それが、32秒間続く、という計算のようである。


 時間の短さが気になるが、五倍は凄いな。

 感覚的には、20kgのバーベルを持ち上げる程度の力で、100kgのバーベルを上げられるようになるってことなんじゃないの?

 破格じゃない?

 あれだけデカくて強そうだった山菜カレー氏の【PX】も楽々越えてるだろこれ。TSUYOI。

 水の汲み上げ労力も、五分の一なら楽勝でしょ。


 つか、肉体の強化、ってのがどこまで及ぶ代物なのかも気になる。

 ジャンプ力とか、足の早さとかも上がるのか?

 五倍の強度を誇るようになって、時速50キロの車に跳ねられても、10キロの車に跳ねられた程度の衝撃で済んだりする?


「もしそうだったらなかなか凄いスキルじゃん」


 まあ、MPが現状8点しかないから、一度発動すると32秒で完全におしまいだけど。


 ただ、それはいいとして、このスキルどうやって使うんだ?

 パッシブスキルは自動で発動してそうだろうからいいけど、アクティブスキルはそうじゃないよな?

 今後の為にも、アクティブスキルの使用法を学んでおきたいぞ。

 呪文とか必要なのか?

 それっぽいポーズを取って、

 <強健8>発動!!!!

 ……とかって念じればいいのか? どうすりゃいいんだよ! 教えろ!


「あれっ……?」


 いや、これ、もう既に発動してね?

 なんか急に長時間のゲームプレーによる眼精疲労が原因で生まれ、日々の腐れた生活習慣によって慢性化しつつあった肩こりが楽になった気がするよ。養命酒。ていうか、体が異常に軽いんですけど。さっきので発動しちゃった?


 試しに井戸に桶を投げ入れ、引き上げてみる。


「うおっ! めちゃ楽!」


 速攻で上がった。軽い。

 鼻歌まじりでも安定して水汲みできるよ。なにこれすごい。たのしー。

 萌えアニソン歌っちゃおうかしら。裏声で。

 いやいや、30秒くらいしか効かないんだからアホなことしてないで急いだ方がいいよ。


「はわわ。捗るでヤンス」


 ほいほいと水を壺に移せば、数秒足らずで容れ物が満たされていた。さっきの苦労が何だったのかという勢いである。

 さすが五倍。さすが五人力。

 後は運ぶだけである。

 それすらも、軽々だ。

 ペットボトルを運ぶ程度の感覚で、苦もなく運べてしまう。


「くッ……」


 俺は、唸った。


 悔しい!

 なんか、そこそこ楽しくなってきたのが悔しい!

 所詮buffなのに。

 buffなのにッ……!


「許さんぞ! ケイジ!」


 無職は、己を異世界に送り込み、愛する美学を汚した元凶に吠えた。


 いや、楽しいと言っても、あれだ。たかが強化魔法だ。俺が愛するファイアーボールやアイスランスやサンダーボルトやウインドカッターやアースジャベリンには劣る! そうとも! こんなもん所詮水汲みにしか使えない。確かに今走ってる速度は人生で一番速いだろうし、百メートル走の世界記録超えてる気さえするし、にも関わらず水は全然こぼれる気配ないし、言ってる間に部屋についたし、もう水瓶一杯になったけど、だから何だって言うんだよ。その程度で、あっ、あんたのことなんか別に好きになったりなんてしないんだからね!


 ビキッ!


「!?」


 激痛。

 突如として、全身がバラバラに引き裂かれるような感覚。


「あ、あ、あ、あ」


 buffが解けた。

 解けたら、すごい、筋肉痛。


「おおおおおお……」


 身動き取れないくらいの奴である。

 全身びきびき言うてはる。


 俺は、立ち続ける力さえも失い、地面に伏し転がる。

 地を這う無様な一匹の芋虫。

 叫んだ。


「許さんぞ! ケイジ! 貴様を許さん!」

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