アルタ群島(4)「メム・Ⅳ」
~これまでのおはなし~
異世界に転生したら、すごくかわいい女の子(メムネア)に「変態」と罵られた上、家にお呼ばれすることになったよ。
穏やかな雨だった。
世界から音を吸って、なだらかにしてしまう、柔らかい雨。
ただでさえ
それでもう、下生えにまぎれた小枝を踏みしめる音さえしなくなる。
樹木の天井も、間を滴り落ちる雨雫までは堰き止めることができず、地面には黒々とした斑点がいくつも広がっていた。
人の手の触れぬ場所。
途中、メムと名乗る少女の「こっちが近道」の言葉に従い林道を外れてからは、一層生き物の気配に乏しい。
代わりに漂うのは、森の息づかいだ。
何年も枯れ葉ばかりが堆積してできた柔らかな土が、
緑の芳香が濃さを増す。
大地の匂いは、知見及ばぬ異世界にあっても変わらなかった。
「まだ距離あるのか?」
「もうすぐそこ」
メムネアに手を引かれ、森中を往く。
見知らぬおっさんと手を繋ぐのが、どうも楽しいらしい。
何がお気に召したのか、すっかり気に入られたようだ。
どうかしてますね。
日本だとこういうの、お金のやり取りが発生したりするんだぜ。金銭授受。
「ふへへ」
と、気持ち悪い笑いを上げたのは、しかし、何を隠そう俺ではなくメムネアさんの方である。
「ひひ」
へんたいの人かな?
こんな姿すら可愛いんだから、美少女は得だな。
俺の側から手を繋ごうとしたりなんかしたら、それだけで一発レッドカードだってのに。
しかし、ちんちんを隠すことに必死で慌てていたさっきはあまり意識しなかったものの、こうやって落ち着いて隣を歩いて、気付いたことがある。
彼女、どうも普通の美少女さんではない。
例えば、繋いでいる指である。
黒い。
どういうことかというと、うむ、そのままの意味である。
もともと顔の色なんかも日焼けしたかのような褐色で、南方系っぽい雰囲気があったりはしたのだが、腕の途中、肘から先の肌は、そんなもんではない。
鮮やかなグラデーションと共に、どんどん色が黒に近づいていく。
手首から先は黒人同然の色合いをしていて、遠目にはグローブをつけているようにも見える。
指先となると、もう墨汁をぶっかけたが如き案配である。
汚れているわけではないのは触れて分かった。地肌の色だ。
同様の特徴は髪にもあって、こちらは手ほど顕著ではないものの、銀髪がやはり先端に近づくにつれて、黒髪に変わっている。
日本人的な目線からだと、先端だけ染色失敗したように見える。
(さすがにこれは、人種的な特徴ではないのでは……)
いくら異世界でも、こんな勘違いビジュアル系コスプレみたいな外見の種族はいないだろう。
……それとも、いるんだろうか? いないよね?
じゃあ、この子ってば一体……。
「メムの顔になにかついてる?」
じっと観察していたことに気付いたか、こちらを伺う視線があった。
「あ。えーと……」どうしよう。「メムはかわいいなと思って」
「えっ」
少女が目を逸らす。
足元を見やる。
「やー。そっかー……。メムがねー……。ほーん……」
ほーん、て。
気のない返事ですね。
「……」
の、割には、繋いだ指の力がぎゅうぎゅうと。
これは、喜んでいるということなのか?
つか、ぷにぷにしててやわらかくって、心癒されるからにぎにぎしてくるのは一向構わないけど、どうにも変な子だね、この子。
正直、好きになっちゃいそう。
なった。
メムたん、好き……。
「むほほ」
だめな26歳である。
もう落ちたよ。
まるで抗う気配を見せぬまま、レジスト失敗したよ。
秒速でロリに籠絡される男。
「ほへへへへ」
と、ゆるゆるな笑いを上げて歩く二人の男女。おめーらきめーぞ。
しかし、甘やかならぬものもある。
濡れた下草を踏みしめる足音には、ずる、ずる、という不可思議な響きがくっついていて、それは俺と繋ぐのとは反対側、少女の細っこい手に握られた、彼女には大きすぎる格好の棍棒が地面を引きずる音であったりする。
野球バットを可能な限り暴虐にしたみたいな形状のそれには、山菜カレー氏(故人)を仕留めた際のものと思われる血潮がべっとりこびりついていて、ゲーマーの大半がRPGプレイ中に感じる「棍棒ってなんだよショッボ。ゴミ武器すぎんだろ剣よこせよ剣」という感覚を裏切る残忍さを醸している。
多分これは人に振り下ろしてもやっぱり同じような結果をもたらす代物で、つまり佐藤翔(特徴・鈍器で殴られると死ぬ)の平穏な過去にはまるで縁無かった道具である。
(やっぱここは、そういう世界なんだなあ)
マッドマックス上等なヒャッハーワールド。
イノシシ狩りくらいなら日本でもままあることだろうが、この先、もっと色々ヤバめな荒事との遭遇も覚悟しておいた方がいいかもしれない。
気持ちの準備ね。
それ大事。
たぶん小水漏洩より先に死んじゃうからね。覚悟完了してないと。
「ギョエーーーーッ!」
(ビクッ!)
「ギャーッギャーッギャーッギャーーーーッ……グェグェ」
言ってる傍から、聞いたこともない野生動物の鳴き声が遠くに聞こえたりする。
こええよ。
ちなみに
メムネア曰く、「後でとりにくる」だそうである。
どうもこの森、彼女からすると裏山のような場所みたいなんである。
家までもさほど距離があるわけではないらしい。
出会った当初は、強さといい、姿格好といい、ゲーム系ファンタジーにつきものの「冒険者」みたいなヤクザな稼業を生業とするロリっ子かしらなんて思わなくもなかったけど、まさかの家住み現地人。
それって、つまり「村人」だよね。
強くね?
いいけど。
というかあれよね。
当初考えてた、「人はいるのか」「言葉通じるのか」「犯罪者扱いされたりしないか」等々の危惧が、割とあっさり杞憂に終わった感じよね。
この子にならお願いすれば、服、恵んでもらえるかもしれないね。
あと、この場所についての情報なんかも聞けるかも。
「ついた」
とか言ってる傍から、到着報告。
木立を抜け、一気に開けた場所に出た。
明るくなる。
(なんか……空き地やね)
自然のまんま、手入れのされていない雑然とした草地が広がっていた。
農地でもなければ、住宅地でもない。
どこにでもありそうな、辺鄙な田舎の一景観。
膝丈の雑草生い茂る草っぱらです。
「まだ結構雨降ってるなあ」
木々の屋根を失い、降雨さざめく空間を、ぐるっと確認する。
すぐ目の前には牧場で見かけるような、腰の高さほどの木の柵があった。割とぼろくて半分朽ちている。森との境界に立てられているものなのか、真横に長く伸びていた。
その向こうには、俺の身長よりも高い石壁。
高さ3メートルくらいあるよ何だこれ。
「なあ、メム。なんか凄い頑丈そうな壁があるんだが、なにあれ」
「メムんち」
「あれが? あの壁の内側にメムの家があるのか?」
「そう」
近道という宣言通り、森を縦断して家(の裏?)に直行していたらしい。
堅牢な石垣でぐるりと囲われた空間が、彼女の家の敷地ということか。
結構すげえ壁ですけど?
(さっきみたいな生き物に襲われないように、しっかりした防壁が必要なんかな?)
まあ、日本の田舎ですら、山から人里に下りてきた動物がトラブル起こしたりしてるもんな。
クマが民家の庭に出現したり、タヌキが農地荒らしたり、アライグマが飼い犬の鎖限界の鼻先でペットフードを盗み食いしたり。
「モンスター出没注意」なファンタジー世界じゃ、こんな石壁でもなきゃやってられないだろう。
むしろ逆に、この程度で平気なのか?
ゴブリンとかオークとか、ファンタジー定番の凶悪なモンスターはおらんのかな?
この辺、どういう土地なんだろう。
思ったより平和そうな雰囲気だけど。
そして、石造りの煙突が見えるね。
壁の上側から、ちょっとだけスレート屋根らしきものが覗いてて、そのてっぺんから突きだしとるね。
高さ的にはメムネアの家は平屋なのかな?
(つーか、近くに、他の建物らしきものが一切見あたらないんだが)
草地の中、ぽつんと壁に区切られた空間が一個あるだけで、村とかそういう気配ではなかった。
どうやら完全な一軒家である。
ここは人の集落の中ではないのだろうか。
森に程近い場所に建てられた、木こり小屋的な建物とか?
それとも、隠遁者的に、人里離れた場所で暮らしてるんだろうか。
そもそも家族はいるんだろうか。
この歳格好で、一人暮らしってことはないと思うが。
……うむ。謎が多すぎるな。
「こっちから入る」
手を引かれ、壁伝いにぐるっと回ると、赤錆た鉄柵の門があって、どうやらここが入り口である。
「お邪魔します」
「どーぞいらっしゃいまーせ」
きゅきぃ!とヒヨドリが絶命したかのような甲高い門扉の開閉音の後、訪れたその場所は。
「むう……」
壁の外となんも変わらない草ぼうぼう祭り開催中の庭であった。
荒れ放題。
全然手入れされてないね。
そこに、思った通り平屋が二つ並んでいた。
ファンタジーっぽく、石と木で出来た洋風の建物である。
一つが母屋で、もう一つは納屋か何かに見える。
大きさ的にはどっちも小さめのコンビニくらいだろうか。広からず、狭からず。
しかし、これがまたボロい。
ぶっちゃけあばら屋と言っていい。
母屋の屋根はスレートが剥がれたか、板作りが剥き出しになっている部分があるし、納屋に至っては、端の一部が倒壊している。
築何年だ。
日本にあったらこれ廃屋認定間違いなしだろ。
お化け屋敷として小学生が肝試しにやって来るよ。
あんま、喜んで入りたい建物って感じじゃねえなあ……。
でも、今の俺は半ヌーディスト。
小雨で体も冷えている。
贅沢は言いっこ無しである。
褐色美少女がガチャガチャと扉の鍵を開けるのを待って、後に続くことにした。
「ただいまー」
屋内に入るなり、メムネアが奥に向かってそう声を上げた。
ふむ。誰かいるのかな?
でも鍵かかってたような。
「おかえりー」
と、メムネアが言った。
……お、おう。
「なあ。メムはこの家で、一人暮らしなのか?」
「一人じゃないよ。せんせがいるもの」
「先生?」
「うん。今は出かけてていないけど」
じゃあ二人暮らしか。
しかし、「先生」とはどういうことだろう。
「それは誰? 親とか家族、ってわけじゃないのか?」
「せんせは、せんせ。メムに、いろいろおしえてくれる」
よくわからない解答。
「どんな人なんだ? 男? 女?」
「……」
メムネアはそれには答えず、
「せんせは、週に一回くらい、かえってくる」
とだけ、言った。
「じゃあショウくん、とりあえずそこ、すわってて」
「あ、ああ」
示されるまま、背もたれつきの椅子に腰を下ろす。
玄関と呼べるスペースは特に無く、屋内はいきなり板間の部屋になっていた。
キッチンとダイニングとリビングを全部混ぜたような空間である。
床の中央に年季の入ったぼろ布が一枚、申し訳程度に敷かれていて、その上に食卓らしきテーブル(テーブルクロスもなんもない、実用一点張りの木の机)が鎮座している。
挟み込むように前後二脚据えられた椅子の一つが、俺の席である。
「メムは、ショウくんの着るものをさがしてくる」
頼むまでもなく俺の望みを汲み取ってくれたか、山菜殺し(棍棒の二つ名。命名俺)を壁に立てかけつつメムはありがたいことを言って、濡れた外套を脱ぐと、部屋の奥に二つあるドアのうち左の一方を開き、「ちょっとだけまってて」と続けてから、何故かむにゅむにゅと奇妙に語尾を濁しつつ、立て付けの悪そうな扉の向こうへと、猫のような足取りで、しゅっと消えた。
何やらごそごそしている気配が伝わってくる。
「……」
取り残された俺。
改めて室内を眺めた。
(スラムかな?)
と、思わされるような、侘しい部屋だった。
寂寥感たっぷり。
一応、調理スペースらしきものがあってダイニングキッチン風なのだが、文明に溺れた日本人目線だからだろうか、冷蔵庫も炊飯器も電子レンジも無いそこは、大事なものが色々欠けているように見えた。
日本でも見かけそうなものは、貧弱な
代わりに、陶器の類がやたら目についた。
部屋の隅には木蓋の乗った
現代日本であれば、冷蔵庫に一元化されている食材格納スペースが、あちこちに分散してるのかもしれない。
テーブルの上にも一つ、丼サイズの黒い壺があった。
蓋を開いてみる。
「……」
中には、食べ終わった手羽の骨と思しきものが、一つだけ、転がっていた。
「……」
そっと閉める。
何故か、申し訳ない気持ちにさせられていた。
「あんまり、きょろきょろしない方がいいかな……」
もごもご漏らす。
「失礼になるかもしれないしね」
しかし、そんな自重の呟きが終わる前に、視線が部屋の端で止まっていた。
メムが消えたのとは別のドアの前に、一本の杖が立てかけられているのを発見したのである。
――
一目見ただけで、俺は思った。
やけに長細い杖だった。
おそらく、180センチ近くはあった。杖というより槍や薙刀の長さである。
ハリポタに出てくるような片手でひょいひょい振り回せる代物とは異なり、両手で握らないと扱うことは難しそうな品だ。
だが、その杖が特徴的だったのは長さではない。
目を引く見事なその装飾。
正直、この部屋にあるものはどれもこれも貧乏くさい代物ばかりだったのだが、その中にあって、悪目立ちする程に豪華な意匠をしていた。
杖の表面には黒い獣の皮(?)が張られており、留め金は金細工。
それも、杖の先端から末端までを、何十もの金色の帯が念入りにぐるぐる巻きにしている。
留め金には宝石のような輝石が所々埋め込まれていて、更にその内側には、見たこともない紋様が浮かんでいた。
ルーン文字を非常に複雑にしたような謎の紋様である。
それが、虫入り琥珀のように、石の中に浮かんで存在しているのである。
「なにこれ超かっこいい」
見るだけで年甲斐もなくワクワクしてくる。
椅子から立ち上がると、近づいて観察する。
すると、留め金部分にもおびただしく紋様が刻印されていることが分かった。
これまたオシャンティー。見えにくいとこにも手抜き無し。
とにかく凝った造りである。
現代日本にあったとしても、相当高額な宝飾品になるのではないだろうか。
「むちゃすげーな。これだけで一財産なんじゃね。攻撃呪文とかジュルズバァーって飛び出したりするのかな。両手杖ってのがいいよ。大抵のクソRPGでは両手杖って片手杖以下の地位なんだよなあ。装備時の制約の多さだけならまだしも、能力ですら普通に負けてたりするからな。ゲームデザイナーのセンスゼロ。実利主義の盾+片手杖とか『今時、魔術師もVITにポイント割り振るのは基本』とか死んでくれ。男は黙って両手杖&INT極振り。不器用一点豪華主義紙装甲。テンション上がってきた。俺もジュルズバァーしたい」
興奮で泡を吹きながら、俺は病んだ視線を宝杖に送る。
と、視界に更に気になる光景が映った。
(あれ? なんだこの部屋……?)
立てかけられた杖のすぐ先、隣室に続く扉が僅かに開いている。
自分が今いる部屋とはだいぶ趣が違っていた。
赤紫の絨毯が床一面を覆い、立派な机と書棚がある。
貴族の一室のようにも見えるが、それよりは……。
「――魔法使いの部屋?」
好奇心に導かれるまま、俺はそっと足を踏み入れた。
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