アルタ群島(3)「メム・Ⅲ」

~これまでのおはなし~


 異世界に転生したら、すごくかわいい女の子に会って、「変態」と罵られたよ。





 男性であれば誰もが知っているのに、女性はなかなか理解してくれないことの一つに、男性器の伸縮問題がある。


 別名、不意の勃起問題である。


 物悲しきは男性生理。性的興奮を伴っていないのに、海綿体に充血が起こることがあるという事実。

 これを、女性諸氏は言葉の上では理解していても、頭では理解していない。あるいは、頭では理解していても、皮膚感覚では理解していない。


 そして、「男って朝立ちとかってしちゃうんでしょーキャハハ」と笑ったその口で「うわこいつ勃起してんじゃんキモ」と罵ってみたりする。辛い。やめて。


 何故唐突にこんな話をするのか。


 それは、異世界転生初日という緊張状態、度重なる精神的重圧、山歩きによる身体的疲労、危険生物との遭遇に伴う生命の危機などが重なった結果、俺の男性自身が興奮とは切り離された勃起を、今まさに、このタイミングで、なにゆえにか、してしまっているからである。


「…………」


 そして、わたくしめのサイズは人並外れた馬鹿でかさを誇るものではないものの、屹立して尚、掌に収まるほど穏やかなわけでもなく、つまり成人男性としては平均的なものと言え、従って、すぐ傍から俺のことを観察している褐色系美幼女の驚きと警戒と好奇の入り交じった視線がタートルヘッドに注がれる事案が発生。


 近くで見るとますます可憐な顔立ちをしているのが目立つだけに、その長い睫毛が動揺と共にぱちぱちしているのが、いたたまれないことこの上ない。


「おにんにん、おっき、おっき」

「ちょ……ばか!」


 いや全然動揺してないよ。

 何言ってんだこいつ。


「すこすこしたいの?」


 左手の親指と人差し指で輪っかを作ると、右手の人差し指を、その輪に向かって抜き差ししていた。


「え!? ちっ、ちがうわっ! おだまれ! このクソカワビッチ!」


 クソビッチで十分の筈なのに、可愛いのは事実なのでクソカワにしてしまった己のしょうもなさよ。

 にしても、とんでもないアバズレのようである。


「きにしないでいい。裸であるくのが好きな人がいるのは、メムも知ってる」


 首肯していた。


「待て。勝手に納得するな」

「こじんの心のもんだいには、メムは立ち入らない」

「違うって。これには理由があるんだよ」


 ほらみろ。不意の勃起問題だよ。

 女はいつだって、男が助平心でイチモツを硬くすると思い込んでいる。

 こんな年端もいかない少女までもがそうなんだよ。

 そのせいで沢山の冤罪が生まれるんだよ。

 多くの男が涙で枕を濡らすことになるんだよ。

 遭遇相手がおっさんだったらこんな誤解は生まれなかったのかな。気まずい思いをするだけで済んだのかな。

 ていうか、遭遇相手がデブのおっさんだったら、即座に勃起が止んでいたのにな。

 遭遇相手がクマ系デブのおっさんだったら、内側に引っ込んでたのにな。

 遭遇相手がクマ系デブホモおっさんだったら、俺のスプリンターとしての技量が試される場面だったのにな。


 あー、遭遇相手がイノシシを撲殺する程度の美少女で良かったぁー。


「ねえ」


 少し眠そうな口調で、少女が問う。


「メムのこと、こわくないの?」

「え?」


 唐突に。

 色の違う質問。

 何が言いたいんだ……?


「……メム見て、またおにんにんおっきしてるよね?」

「し、してません!」

「すこすこ希望……?」

「いやだから、勘違いな。俺は別によこしまな思いで裸になってるわけじゃないんだよ。そういう趣味なわけじゃないし、特殊快楽追求してるわけじゃないの。誤解すんなよな」


 焦るあまり幼女ににじり寄る俺(全裸)。

 やべえ絵面だな。


「俺が裸なのは、あれだ。山賊だ。山賊に襲われたからだ。山賊って分かるか? 海賊じゃないやつだ。身ぐるみを剥がされたんだよ。スポーン!って。スポーン! シュン! シュポーン! 金目のものをまとめてシュポーン! 分かるだろ? 世の中は弱肉強食なんだよ。お前がさっき向こうでフォレストボアを狩ったみたいに、俺を山賊が狩ったんだ。ぐえー。よくあることさ。単にそれだけのこと。変態的な理由は一切」

「でも、にんにんかちこち」

「これが硬くなってるのはあれだ、反射刺激だ。話すと長くなるんだが男の機能的なことよ。分かるかなあ。まだ分かんねえかなあ。くっそー。俺だって素数を数えたいよ? 冷静になりたいさ。でも考えてもみろよ。昔は人間みんな裸で生きてたんだ。葉っぱ一枚あればいい。そういう時代があったんだよ。なのにどした? 急にどした。突然文明人面してどしたどした。服着てたらそんなに偉いんか。裸は真っ当な社会人の制服にはなり得ないんか。面接で裸は落ちるんか。俺ももう何がなんだか分からなくなってきたけど、なんでお前は初対面の俺をこんなに追い詰めるの。どうしてなの? そんなにレベル1って惰弱だじゃく? みそっかす? 温厚な俺だってキレるよ? 俺だって好きでマッパマンなわけじゃねえんだから。そりゃキレるよ。大人をからかっちゃいけないよ? ビンビンなんだからこっちは。つかズリィ。こっちだけ裸なんだもんそりゃ対等じゃねえわ。ズリィ。布でもなんでもくれよ」

「ぬの?」

「そうだよ。布だよ。布を出せ! 今すぐ! 一枚くらいあるだろ。布だ! 布だ布だ布だー!」

「……」


 嗚呼……。


 会話のデッドボールである。

 勢いとはいえ、ひどいことになった。


 これまで、数多あまたの異世界勇者がいたことであろう。驚くべき数の人々が赤紙招集によって異世界へ降り立った。

 百いれば、百通りの物語がある。

 救世を為したり、英雄になったりした者ばかりではないだろう。

 中には奴隷に身を落としたり、ひんして追い剥ぎ行為に及んだ者もいたかもしれない。


 だが、どこの世界に布切れを寄越せと陋劣ろうれつな雄叫びをあげた転生者がいるというのか。

 金銀財宝でもなければ、魔剣宝刀の類でもない。

 世界のことわりに通じた書でも、糧食でも、美女の肉体でもない。

 布である。

 トホホである。


 裸である理由の言い訳として「山賊に襲われて身ぐるみを剥がれたから」とか抜かしてたが、むしろ俺が山賊じゃないか。

 布山賊だ。

 きっとステータスも空気読んで「【職業】布山賊」になってるはずだよ怖いから見ないけど。


「……」


 無論、両手でおちんちんを隠したまま涙目で行う恫喝は、何の効果も及ぼさなかった。

 メムネアは無言のまま、頭部を覆うフードを外した。

 流水のように、長い銀髪が肩に広がる。


 俺を見上げる、その憐れみの目ったら!


「ぬのがほしいの?」


 寄せる恥の波に打ちのめされつつ、無職は言った。


「スマン。違う。勢いで言った。忘れてくれ。俺が欲しいのは布じゃない。……人の尊厳が欲しいんだ」


 なんだろう。

 ばびんばびんに逆レイプされた気がするんだが……。

 初対面の幼女に。


 本当に、情けなくって、オイラ涙が出てくるよ。

 なのに、なんだろう。

 そんな状態で、でもオイラ、なんか、気持ち良くなっちゃいそうなんだ……。


「これあげる」


 開いてはいけない扉が開きかけたのを感じた直後、メムネアが何かを俺に差し出していた。


「これは……タオル?」


 いや、なんか違うな。

 これは多分、バンダナだな。キルト地が、そんな感じ。


「使うといい」


 あれ。この幼女先輩、結構優しい……。


「あ、いや、でも俺は別に頭を隠したいわけじゃないんだが」

「うん」


 わかってる、と言わんばかりに一つ頷くと。


「すきにするといい。それいらないやつ」

「マジか……」


 おお……。

 捨てたもんじゃねえよ、異世界……。

 嬉しいねえ。

 幼女に布の祝福のあらんことを……!



【装備】かわのくつ、ニプレス、ペニスサック



「……」


 すまん。幼女よ。

 お前のバンダナ、装備したらなんか、想定と違うものになったわ。

 布面積がイマイチ足りなかった。


「えっと……ありがとな」


 それでも一応礼を言う。

 腰布とはいかなかったが、しかしこんなものですら人心地ついた気になる。

 ふんどしだけ着用した感じやね。

 恥ずいのは恥ずいけど、真っ裸とは大違いだわ。


「いい」


 いつの間にかすぐ隣にいた。

 ほんの目と鼻の先。

 匂いまで漂ってきそうな……って、お前めちゃ距離近いな。

 パーソナルスペース!


「もっかい聞くけど……メムのことこわくないの?」

「え? いや、怖くはないかな」


 かわいいし。

 小さいし。

 優しいし。

 シシ殺しだし。


「ほんと?」

「ああ」

「……はっし!」


 変なかけ声と共に、両手で俺の左手を掴んでくる。

 突然の身体的接触。

 驚く俺をよそに、ぎゅうぎゅう握りしめていた。


「……??」


 何をしてるんだ、この子……。

 上目遣いに俺のことを見つめてるが……なんか観察されてる?


「じぃー……」


 よせよ。

 俺は幼女に視姦された状態にあって、勃起してしまった変態だぜ?

 そんな目で見つめられると、血の巡りが良くなって、バンダナがはらりとほどけるぞ。


「……にげない……」


 ぽそぽそ呟く。


「よく分からんが、今更逃げたりしないぞ」

「さすりさすり」


 今度は、何故か頭を撫でられた。

 精一杯背伸びをしていらっしゃる。


「なんなんだ……」


 妙に、第三種接近遭遇が多い子だなあ。

 CLOSE ENCOUNTERS OF THE THIRD KIND。


「なまえ……」

「あん?」

「名前おしえて」


 甘えたように手を握ったまま、メムネアは言った。


「翔だ。ショウ・サトウ」

「ショウくん?」

「……」


 俺は静かに目を閉じた。


 ――年下の美少女に、くんづけで呼ばれるのって……いいな……。


 完全におっさんの感想であった。


 ――異世界……ええやんけ……。


 何故か思考は関西弁で濁ったという。(俺自身は関東圏の人間だが、親父が関西出身で、家庭内で時折触れてきたからか、稀に飛び出すことがあるのである)


「メムはね、メムだよ」

「メム」

「うん」


 こくりと頷いていた。


「よろしくな、メム」

「ん。ふふ」


 めちゃめちゃ人懐こいな、この子。

 くっそかわええ。


「あ……」


 ぽつり、ぽつり。


「うわ。降って来やがったか」


 萌豚もえぶた的感慨を押し流すような、雨粒の音。

 山頂を離れた時から雲行きが怪しかったが、いよいよ小雨が降り始めたようだ。


 ペニスサックを装備し、ニューギニアの秘境に住む民族程度にまで文明度を高めてはいたが、やはり雨は辛い。

 さてどうしたものか。


「ショウくん、こまってる?」


 俺の心細げな様子に察したか、メムネアが問うてくる。


「んー……まあ、こんな身なりだしな」


 すると、ぶんぶんと俺の手を振るメムネアさん。


「ショウくん、メムんちにくるといい」

「マジで?」

「行く宛無しでしょ?」

「言い方!」

「一文無しでしょ?」

「そうですけどなにか!」


 結局、お言葉に甘えることにした。

 向かうはこの森を抜けてすぐの所にあるという、メムネアの家である。

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