アルタ群島(2)「メム・Ⅱ」

~これまでのおはなし~


 異世界に転生したら、裸だったよ。





 ブラサトウ(ぶらぶら歩くことと、陰嚢をぶらぶらさせることのダブルミーニングだヨ)を続ける内、道は森の中へと入っていった。

 獣道のように、踏みしめられて作られたと思しき山道を往く。

 先ほどまでの岩地はどこへやら、木立はどんどん深みを増し、景観は鬱蒼とした緑の世界へと変わっていった。


「くっ……。キンタマを蚊に刺されたりしないだろうな……」


 防御力が薄いのである。

 そうでなくても、道にまではみ出ている木々の小枝が素肌に優しくないというのに。


「はー靴あって良かったー」


 慰めにもならない。

 そもそも、日の高い今はまだいいけど、夜とかになったら森の中を歩くこと自体危うい気がする。


「つか、今日中に絶対服手に入れないとヤバいよな」


 夜中も全裸でいるのは死ねるだろ。

 あと、水だ。

 飯はまだ我慢できそうだが、喉は若干渇きを感じている。


「とりあえず、山頂から見えてた例の建物に人が住んでてくれればいいんだが……」


 あそこまで徒歩でどれくらいだろうか。

 二、三時間? もうちょいかかるか?


 文明の中でぬくぬくと生きてきた貧弱な俺が、裸一貫サバイバル生活を送ることなんか不可能である。俺はベア・グリルスでもさいとうたかをでもない。誰かの助けが絶対に必要。


 となると、まずは人を見つけること。

 そこで、なんとかお願いすれば腰布の一枚くらいは恵んでくれると思いたい。


「いや、待て……人がいたとして、言葉通じるのか?」


 ケイジ(神様)は「中世ヨーロッパ風ファンタジー世界に転生させてやる」って言ってたから、住んでるのがリトルグレイ型宇宙人そっくりの異形の生命体、なんてわけのわからん展開はないはずだが、運良く無事に友好的な人型種族と出会えたとしても、日本語が通じるかといえばかなり怪しい。

 そもそも俺が、そういう杜撰な設定の適当ファンタジーが嫌いなのである。

 ファンタジーとは端的に言えば文化を創造するジャンル。そして言語は文化の中枢だ。通じないに決まってる。


「身振り手振りでどうにかならんかな」


 ならん気もするな……。

 つーか、全裸ってのがヤバいんだよなあ。

 仮に、言葉が通じる相手であったとしても、この格好では自分の身の上について説明のしようがない。「なんで服着ないまま風切って歩いてるの!」って叱責されたら、それなりに筋の通った言い訳ひねり出すには、「なんか気持ち良くて、つい」って言うしかないもんね。異世界転生変質者爆誕よね。


 それとも異世界転生とかこの世界では結構あることなのかな? 転生者が俺の他にいたりするのかな。それならワンチャンあったりしない?

 正直に話したら、信じてもらえるかな?

 でもそこで信じてもらえなかったら、結局ただのやべえ奴だよなあ……。

 悩ましいねえ。

 住人の温厚さには定評のある日本社会であっても、全裸男性の気ままな漫遊行為に対しては割と厳しいというのに、剣と魔法の世界では弁解の機会無く即座に投獄が待ってるかもしれん。


 あれか。山賊に襲われたとかでいいのか?

 それで身ぐるみ剥がされて困ってるとか言えば助けてくれないかな。


 うん。なんかそれなりに言い訳として機能してる気がする。

 いざとなったら、それでいってみよう。


 ……などと考え事をしていたせいで、気付くのが遅れた。


「プゴ」


 何かが鼻を鳴らす音。

 びくっ、と大きく身を震わせ足を止めたのは、鼻音を立てた存在ではなく、ファンタジー一年生の俺の側である。


 獣道のど真ん中に、割とでっかい四本足の生き物が立っていた。

 で、こっち見てる。

 めっちゃ。

 めっちゃ見てるって。



【名前】山菜カレー

【種族】フォレスト・ボア

【性別】男

【年齢】1

【職業】戦士

【称号】きかん坊

【血神】バラク

【レベル】2

【HP】28/28

【MP】4/4

【PX】14

【MX】2

【スキル】<チャージ1>



 モンスター……ですか?

 エンカウント……ですよね?


 異常に肥大化した牙と、牛並の巨体を除けば、割と見たまんまのイノシシがそこに立っていた。


(……でけえ……)


 たちまち押し寄せる恐怖と共に、俺のナニが一気に縮こまる。

 こちとらレベル1。

 武器はニプレス。


 猪野郎の、やる気のないMMOキャラネームみたいな名前にイラつくが、いかつい相貌と黒々とした獣毛、生え揃っている牙の凶悪さは本物だろう。HPなんて俺の倍以上。

 全くもって勝てる気がしない。


「…………」


 巨大イノシシはすぐに襲いかかっては来なかった。

 じっと俺を凝視して様子を伺っている。

 強者の余裕だろうか。

 だが、それも時間の問題という気配である。いつ地を蹴り突撃してきてもおかしくない。


 脳裏をよぎるのは、以前見た狩猟に関するテレビ番組だ。

 猪はかなり強靱な生き物で、体当たりでもされようものなら簡単に病院送り。猟銃を持っていても、至近距離で対峙するのは避けるべき相手であるらしい。

 咬まれて出血死なんて例もあり、ウリ坊達の可愛らしい外見から親しみを持たれている動物とは思えない危険度なのである。


 当然、この後俺に待っているのは内臓ぶりーん、陰茎ぶちーん、臓物どぼどぼ、脳漿ぷっしゃーの果てしなく惨たらしい終局のみである。

 もう死ぬのかよ。はじまったばっかですやん。地球に帰ることは叶わないのに、土に還るのは早いんだな。


 こんなことなら、ケイジ(神様)には「無敵の戦闘能力をくれ」と願っておくんだった。

 つかチート。チート能力はどうしたんだよ。弱すぎるだろ俺。不健全な肉体には不健全な精神が宿る。何が言いたいんだ。ていうか俺は錯乱してるのかな。嗚呼ああぼたん鍋。


 ボグン。


 恐らくはフォレスト・ボアも、眼前の俺に注意を払っていたせいで対応が遅れたのだろう。低くくぐもった打撲音が自らの頭部から聞こえてはじめて、背後から飛びかかってきた襲撃者の存在に気付いたようだった。

 無論もう遅い。

 猪(きかん坊)の全身の肉が臨界を超える恐るべき衝撃でぶるっと波打ち、順序逆転したように、遅れて今、頭蓋が陥没する。意志によってではなく肺腑のひきつれによって鼻腔からピギィと空気が漏れる中、2メートルはある巨体が倒れ、痙攣し、そして早くもそれは肉の塊だ。沈み込むように地に伏している。死んだ。


 突然現れた何者かによる、棍棒の一撃だった。

 そして、ただ一度の打擲ちょうちゃくによる生命活動の停止。

 決着まで十秒とかかっていない。


 俺はどうしていたか。

 両手で口元を覆い、息を殺して木陰に潜んでいた。

 元々、猪の突進に備えて緊張の中にあったのが幸いしたか、事が起こると我ながら驚くべき俊敏性を見せ、機に乗じて身を隠したのである。


 冷や汗だらだら。

 心臓ばくばく。

 ガクブルって奴でごぜえやす。


 先ほどまでの「イノシシ>俺」という不等号が消えても、俺の地位が向上するわけじゃない。「何か>イノシシ>俺」に変わっただけだ。

 あんな化け物を軽々屠る相手がまともなはずがない。


 一体、何が起こったんです?


「ふぅっ……」


 小さく息をつくような声がした。

 闘いの庭にふさわしからぬ、奇妙に窈窕ようちょうたる響き。

 小柄な人影が、げしげしと肉山を踏破していた。


「うあ。きちゃない」


 聞こえてきたのは、驚くべきことに日本語だった。

 設定の杜撰な糞世界。


(え……女の子?)


 現れた人物の身の丈は、せいぜい140といったところ。

 色褪せた枯れ草色のチュニックをベルト留めし、下半身にはカーゴパンツのようなダブダブのズボンを穿いている。

 首回りにはフードと短めのマントが一体化した黒い外套。


 盗賊みたいな服装ですね。


 まあそれだけならいかにもファンタジー然とした格好でございますねそいじゃあっしはこれでと森の奥へとフェードアウトするところだが、フードの奥に覗く顔が童女のそれだったことに足が止まる。


 体格に比例した童顔ではあるものの、やたら整った面立ちをしていた。

 ちらっと見ただけで分かる。クソかわいい。

 愛らしくも力強い瞳の輝きといい、目鼻立ちのバランスの良さといい、とんでもない美少女である。


 恥ずかしながら、出てきた相手が可愛すぎて逃げるのを思いとどまっていた。


 フードの隙間からこぼれる艶やかな銀髪に、褐色の肌。

 柘榴石のように赤い瞳。

 ファンタジーにしてもやりすぎだろう属性つけすぎだろうという容貌だった。


 異世界、すごい。

 いきなりこんな可愛い子に会っちゃうんだ……?

 俺が芸能事務所の人間なら即座に名刺を渡した後、「すげえ原石見つけちゃいましたYO!」と興奮気味に上司に電話してるところだよ。


 容姿において、せいぜいマイナス点をつけるとすれば、二次性徴前と思しき痩せっぽちな体つきくらいだろう。

 一体この体のどこにフォレスト・ボアの巨躯を凌する膂力りょりょくが秘められているというのか。


 ……いや、一応弁明しておくと、俺ロリコンじゃないよ。

 おっぱい好きだし。

 違うんだけど、でも、こんだけ美形だとやっぱびっくりしちゃうよね。昔、渋谷のデカい本屋でバイトしてた時、何人か芸能人が来店したことあるんだけど、こんなにオーラなかったよ。「あ、テレビで見たことある顔だ」くらいのもんだった。本物の美少女ってルックスにこんなに殺傷力あるんだな。なんか俺思考が早口になってる? 逃げなきゃいけないしね。え? なんで? なんで逃げるの? 話しかけてみたら良くない? 良くないよ。俺、裸よ? さっきから蜘蛛の巣と思しき何かが尻にへばりついててやけに痒いのに、そんな状況で全裸気にせず褐色美少女の前に躍り出て、「ほう。若いのに大した腕前だ。少女よ。そなた、名を何という?」等と出会いの場面をやり切る自信はないよ。「汚物消毒!」とか叫ばれつつ睾丸を痛打撃滅される未来しか見えないよ。いくら相手が美少女でもそれをご褒美と思えるほどレベル高くはないよ。まだ。でも目の前の子は、日本人で言えば、せいぜい小学生高学年から中学生くらいの体格でしかないから、美少女と言うより、美幼女と言った方が正しいのかもしれないな。銀髪褐色美幼女先輩だね。


(……はっ!)


 それで、戦慄する。

 加速していた思考は静止し、腋にじとりと湿り気が起こる。


 ――彼女は俺を二度殺せる……。


 ご存知の方も多いかと思うが、俺のような全裸成人男性が散歩中、一番出会ってはならないのが幼女先輩である。

 彼女達の背後に控えた組織の力は絶大で、その手にかかれば、俺達モザイクウォーカーはいとも簡単に社会的死を迎えることになるらしい。(ナニの皮を剥くよりも容易い!)


 これを一般に、事案が発生、と称する。


 無論ここは日本ではない。

 だが、社会的弱者への倫理感においては別段大差ないのではないだろうか。

 幼女相手に局部をオープンザドアするのは、多分、異世界においてもヤベエ奴のやることなのではないだろうか。クローズマイライフなのではないだろうか。ウェルカムトゥアバシリジェイル。


 きっと、あのイノシシを屠った実力があれば、俺を肉体的に殺害することなど造作もないだろう。

 だが、即死魔法「おまわりさんこのひとです」なら、尚のこと容易い。


 見た目の可憐さに反して、色濃く死の匂い漂う少女というわけである。


「あれ? さっき、ブタさんの他にもなんかいなかったっけ」


 ぎくっ!


 きょろきょろと周囲を伺っている彼女の様子に、俺は頭をかきむしりたいようなニプレスをビリッ!ビリッ!したいような焦燥に駆られる。


 畜生! 服さえ……服さえあれば、こんなことには!


 ともかく、一度離脱だ。

 逃げても根本的解決にならない気もするが、そういう問題じゃない。

 一旦この場を離れて、落ち着いて、それから善後策を講じよう。


 だが逃げられるんだろうか?

 この子、結構強そうだよ。足も相応に早そう。



【名前】メムネア・イルミンスール

【種族】???

【性別】女

【年齢】???

【職業】シャーマン(-)

【称号】ヴェポ(だいぶひどい)

【血神】???

【レベル】22(-)

【HP】???

【MP】???

【PX】???

【MX】???

【スキル】???



 無理くせえ……。


 レベル22て。

 そら、レベル2のボアが瞬殺されるわけだよ。

 多分、幼い容姿に反してかなりの手練れだよ、このメムネアちゃんとかいう子。

 オフゲのRPGでレベル20台って、そろそろ中盤戦に入ろうかって頃じゃんよ。


 ステータスが「???」だらけで全然見えないのは、あれか。俺とレベル差がありすぎるからか。

 名前とか最低限の情報以外がまるで見えん。

 弱者はそのまま情報弱者にもなるということか。


 これだからレベル制RPGって嫌いだわぁ。廃プレイヤーとの実力差がつきすぎるんだよ。

 要はステータス至上主義だよね。レベルを上げて、物理で殴ればどうにかなるって思想。

 一人の人間が、元々の二倍三倍どころか、二十倍三十倍、二百倍三百倍強くなったりするし、リアリティがないよ。HP20のキャラが成長してHP9999になったりとかどういう理屈だよ。同じ生物じゃないだろもう。ウンコだよね。

 俺はUOやMoEに採用されてたスキル制支持者だよ。やさしいせかい。生産職が生きていける世界が好きさ。


「そこにだれかいるの?」


 いかん! 現実逃避してる場合じゃない!

 こっちに来る!


「止まれッ!」


 俺の鋭い制止の言葉に、剣呑なものを感じ取ったか、褐色ロリは足を止めた。


「いいか、これは警告だ! それ以上近づいたら大変なことになるぞ!」


 俺が。


「たいへんなこと……?」

「そうだ! ひどい目に遭うって言ってんだ!」


 俺が。


「……」


 少し悲しそうな顔になるメムネア。

 うう、かわいい。


 だが、やることは可愛くなかった。

 ハの字眉のまま、再びこちらに歩み寄ってくる。その足取りに些かの躊躇ためらいも無し。


「うっ、動くな! ひいいぃっ! 来るなぁっ!」


 恐慌をきたした我が軍は既に死に体。

 将軍の命令も聞かず、兵達は我先に逃げ出そうと総崩れ。早や烏合の衆と相成りましてございます。


 そして、股間を両手で押し隠し、内股猫背の姿勢で震える無職が無事発見される。


「えっ。変態さん……?」


 絶句していた。

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