第63話 シスターにへそピアス

 角倉彩綾(かどくら さあや)はヴァンパイアハンターである。

 なんて自己紹介をしても、きっと学校の子たちは信じてくれないだろう。

 でも、私の暮らしている少女九龍城は不思議な場所で、住んでいる少女たちは風変わりな子ばかりである。なにしろ超常的な現象に遭遇したことのある子が大半だから、ヴァンパイアハンターの存在くらい軽く信じてしまいそうだ。そのため、私は少女九龍城において自分がヴァンパイアハンターであることを隠していた。


 それはそれとして、今日は着る服がなかった。

 梅雨の長雨で洗濯物が全然乾かない。かといってパンツ一丁で過ごすのもためらわれる。あれこれ思案したのち、私は古式ゆかしい女性ヴァンパイアハンターのユニフォーム『修道服』を部屋着代わりに着用していたのだった。


 大食堂の片隅で昼食の豚キムチ丼をかきこんでいると、案の定、住人仲間たちが興味津々に話しかけてきた。


「角倉さんってシスターなんだっけ?」

「文化祭で劇でもやるの?」

「それ、コスプレエッチ用のやつ?」


 たまに貞操観念もへったくれもない質問をぶつけてくる人が現れるあたりが少女九龍城の少女九龍城たる所以である。ここでは女の子同士の濃密な関係なんて珍しくもない。まあ、私にはスルーできる範疇なので問題ない。


「彩綾さん、どうしちゃったの!?」


 豚キムチを半分ほどやっつけたあたりで、ハーフタレント顔負けの美少女がテーブルに突っ込むような勢いでやってきた。


 ふわふわの金髪にハッキリとした目鼻立ち。西洋と東洋のいいところ取りをして生まれてきた美貌の持ち主。それでいて幼さが見え隠れする親しみやすい雰囲気。コバルトブルーの瞳は海のように深く見るものの注意を引きつける。彼女こそ私の監視対象にして、16分の1ヴァンパイアの赤羽根瀬怜奈(あかばね せれな)さんである。

 赤羽根さんは16分の1しか吸血鬼の血が混ざっていないため、日光の下でも活動できる代わりにめっちゃモテるくらいしか特別な力を持っていない。しかし、先祖返りしつつある影響なのか週1ペースで血を吸わなくては生きていけないため、私は月2ペースで彼女に血を吸わせてあげているのだった。


「どうしたもこうしたも、他の服が洗濯待ちで仕方なく……」

「服くらい貸してあげたのに……いやでも、これはナイス!」


 うっとりした顔で赤羽根さんがしだれかかってくる。

 それから、豚キムチ丼を食べている私の腰に手を回してきた。


「ねえ、彩綾さんのこと吸ってもいい?」

「…………」


 私は無言で聖水入り水鉄砲を懐から取り出す。

 瞬間、赤羽根さんが驚いた猫のように飛び退いた。

 16分の1とはいえ吸血鬼である彼女には聖水がそれなりに効く。

 具体的には濡れたタオルで叩かれたくらいの痛みになる。

 私は涙目になっている赤羽根さんに向かって小声でささやいた。


「改めて念を押しておきますが……赤羽根さんの正体が周囲にばれた場合、あなたはすぐにルーマニアの吸血鬼コミュニティ送りになるんですからね? 女の子から吸血するとき以外にも、ちゃんと注意して生きてくださいよ」

「わ、分かってるってぇ……」

「本当に分かってるんだかどうか……ん?」


 不意に私のスマホに着信が入る。

 画面には『医者』と表示されていた。

 この場合の医者とは赤羽根さんの主治医にして、私とも仕事のつながりで親交のある『吸血鬼女医』である。彼女は赤羽根さんの様子を聞いてくる他、私のことを妙に気に入っているらしく、よく単なる雑談の電話をかけてくるのだった。

 私は吸血鬼女医と5分ほど通話をした。


「で、なんの電話だったの?」


 赤羽根さんはいつの間にか真向かいの席に腰掛けていた。

 私はすっかり冷めてしまった豚キムチ丼を平らげた。


「おへそにピアス入れないかってうるさいんですよ。私に似合うんじゃないかって……まあ、気になりはしますけど……」

「へそピ!?」


 雷に打たれたみたいに赤羽根さんの背筋がピンとなる。

 かと思うと湯気が立ちそうなくらい顔が赤くなった。

 そして鼻息を荒くしながら前のめりになる。


「エロい! 入れよう!」

「いや、入れませんよ……というか、なんで赤羽根さんがノリノリなんですか?」

「彩綾さんみたいに清楚な子がへそピしてるとか最高じゃん! しかも、今なんかシスターさんの格好してるし! ギャップがますますエロい!」

「は、はぁ……」


 豚キムチ丼にマヨネーズをかけて食べてる女が清楚なのだろうか?

 学校でも『帰国子女のお嬢様』みたいな扱いをされることもあるけど、私はハッキリ言って根っからの庶民派だ。

 赤羽根さんがテーブルに身を乗り出して詰め寄ってきた。


「へそピ入れようよ! ね? ね?」

「いや、怖いですし……」

「いつも血を吸われてるのにピアスが怖いの!?」

「歯が刺さるのと針が貫通するのでは全然違うじゃないですか!」


 赤羽根さんに血を吸われても無性に気持ちよくなってしまうだけで、痛みも感じなければ傷跡も残らない。こういう表現が正しいかは分からないけど、赤ちゃんにおっぱいを吸わせているようなものだ。


「ぐ、ぐぬぬ……」


 苦悶の表情を浮かべてテーブルに額をゴンとぶつけたかと思うと、赤羽根さんは何かを覚悟したかのように真剣な眼差しを私に向けてきた。


「分かった。私も一緒にピアス入れる」

「ど、ど、どういう理屈ですか!?」


 そんな「私もギター買うから一緒にバンドやろう」みたいに言われても困る。

 赤羽根さんが椅子から立ち上がり、テーブルを回って再び私に迫ってきた。

 彼女の目にはいつの間にか大粒のダイヤのような涙が浮かんでいる。

 美少女の涙は否応なしに食堂中の注目を集めてしまっていた。


「彩綾さん、私はね! 彩綾さんを寂しくさせまいと……させまいとぉ……」

「ああもう……分かりましたからっ!」


 これが嘘泣きではなく本気の涙だからたちが悪い。

 海外のヴァンパイアハンター養成所に通っていた都合上、私には幼なじみと呼べるような間柄の友達はいない。それは確かにちょっと寂しいけど、だからといって本気で心配されるほど孤独に悩まされているわけでは……。


「やってみます。やってみますよ。私もピアスには興味ないわけじゃないですから」

「ホント!?」

「ただし、ここは一つ言わせてください。私は孤独に苛まれてなんていませんし、寂しいから構ってほしいとも思っていません。今回の件は好意をありがたく受け取りますけど、やたらめったら私にまとわりつかないでください。いいですね?」

「ピアス、どんなのにしようかなぁ……可愛いの選ばなくちゃ……」


 すでに浮かれきっている赤羽根さん。

 私は今回も先が思いやられたのだった。


 ×


 あれから数日後、私たちは吸血鬼女医の経営する美容外科クリニック(表向きの仕事)でへそピアスを入れてもらった。

 最初に金属アレルギーの検査を行って、施術自体はほんの数分で終わった。局所麻酔を使っていたので針が通る痛みはなく、天井のしみを数えているうちに気づいたらチタン製のピアスがへその上側についていた。

 吸血鬼女医は私のへそぴ姿にご満悦で、かなりの早口で説明をしてくれた。


「消毒液とガーゼを渡しておくから、1日2回の消毒は忘れないでね。それから普通の医者なら2ヶ月はピアスを着けっぱなしにして皮膚の定着を待ち、共用のお風呂に浸かるのも避けるようにと言うところだけど、あなたの場合は1週間我慢するだけでいいわ」

「どうしてですか?」

「吸血鬼の唾液成分から生成した麻酔治癒薬の効果で、施術後の痛みはゼロかつ急速に皮膚も定着してくれるからね」

「それ、体に害はないんですよね!?」


 もしかして、へそピアスを入れたいというのは建前で、実は吸血鬼の唾液から作った新薬の効果を調べたかっただけだったりして……。

 とにもかくにも施術を終えて、私は待合室で赤羽根さんを待った。

 それから30分ほどして、彼女も待合室に戻ってきた。

 吸血鬼女医からはちょっと様子を見てから帰宅するように言われているので、私たちは待合室のソファに腰掛けて少し話すことにした。


「内心ちょっと怖かったけど、案外あっさり済んじゃったね」

「ええ……そっちから誘っておいて赤羽根さんも怖かったんですか?」

「ほら、やっぱり針が貫通するのって怖くない?」

「いやいや、赤羽根さんの体なら痛くもかゆくもないでしょ!?」

「痛くもかゆくもないけど、異物が体を貫通するのはヤバいって! いやホント、ピアスにはそれなりに気になってたし、周りからも似合うんじゃないかって言われてたけどさ、彩綾さんと一緒だったおかげで怖くなかったよ」


 赤羽根さんが気恥ずかしそうにはにかむ。

 私は意外に思って目をぱちくりしてしまう。


「案外、普通のことが怖いんですね」

「わ、私をなんだと思ってるの……」

「怖いもの知らずのモテモテ女ですかね」

「いやーん、モテるのはモテるけど一番は彩綾さんだから!」

「いや、今のは嫌みを言ったのであってツンデレ的なアレではないですからね?」


 あれこれ話したあと、私たちは帰宅の途についた。

 ちょっとしたトラブルに見舞われたのは帰りの電車の中である。

 二人並んでつり革につかまっていると、急におへそがムズムズとしてきた。


「うっ……」

「どうしたの、彩綾さん?」

「局所麻酔が切れてきたみたいで……」

「大丈夫? 降りて休む?」

「ホントに大丈夫です。慣れない感覚に戸惑っただけですから」


 心配そうに眉毛がハの字になっている赤羽根さん。

 私は強がりを言ってその場を誤魔化した。

 おへそに痛みはない……しかし、私はピアスの強烈な存在感に襲われていた。お腹にそっと触れているだけの圧迫感とすら呼べない服の裏地の感覚が、おへそについているピアスによって何倍にも増幅されて感じられる。それによってピアスそのものの重さや形も、指先で転がすかのようにくっきりと浮かび上がっていた。


 赤羽根さんと一緒に着けてもらったへそピアス……。

 な、なんだろう……この、赤羽根さんに触れられてるみたいな感覚は……。


 私は雑念を振り払うように首をぶんぶんと横に振った。

 赤羽根さんに触れられてるってなに!?

 自分自身にツッコミを入れる。

 ピアスの存在感にびっくりするのはまあいい。でも、そこから赤羽根さんを連想してしまうのは流石にヤバい気がする。不健全というか背徳的というか……なんだか、おへその奥の方までじりじりとしてしまう。


「とりあえず、少女九龍城に帰ったらしっかり消毒しておくといいよ。鏡を見ながらやるのが難しかったら、よかったら私が消毒しようか?」

「い、いや……一人でできるから……」


 それから電車に乗っている間どころか、少女九龍城に帰ってからすらも、私はピアスの圧倒的な存在感に悩まされ続けることになった。


 ×


 吸血鬼女子の言ったとおり、ピアスの穴は数日で皮膚が定着し、1週間経った頃にはしっかりとしたピアス穴になった。本来なら2ヶ月かかるというのだから、吸血鬼由来の麻酔治癒薬の効果は絶大である。

 せっかくピアス穴を開けたのだから、私だっておしゃれをしたい。駅ビルの雑貨屋で小さな十字架のついたピアスを見繕って、体育のない日は着けてみることにした。

 飾り気のないピアスですら存在感が凄まじかったのに、ちゃらちゃらと揺れる十字架までついたらそれはもう大変で、慣れるまでの数日間は変なタイミングで声を漏らしてしまう挙動不審な人間になっていた。とはいえ人間なんだかんだ慣れるもので、ピアス穴を開けてから2週間も経った頃には、ピアスはすっかり体の一部として馴染んでくれた。


 さて、そんなこんなで迎えた『吸血日』である。

 2週間ぶりに血を吸われることになった私は赤羽根さんの部屋を訪れた。


 ちなみに今日は彼女にどうしてもとせがまれて修道服を着てきている。修道服のシスターから血を吸いたいとか、コスプレを通り越してもはやいかがわしいお店のサービスであるが、報酬をはずむと言われてついOKしてしまった。

 うらぶれた六畳一間では赤羽根さんが正座して待ち構えていた。彼女は学校から帰ってきたときのままで、学校の制服をアメスク風に着こなしている。畳の上には報酬のじゃがりこ4種(サラダ、チーズ、じゃがバター、たらこバター)と業務用サイズのハリボーハッピーコーラ、それからいつもの小岩井ミルクとコーヒーが並べられていた。


 私は向かい合って座布団に正座した。


「報酬は揃ってますね。さっさと終わらせましょう」

「よ、よし……」


 赤羽根さんがいつになく緊張した面持ちで生唾を飲み込む。

 彼女の神妙な顔を見ていたら、こっちまで変に緊張してきた。

 すっかり慣れていたはずのへそピアスが急に存在感を増してくる。

 私のかぶっているフードを下ろして、赤羽根さんが首筋に優しく噛みついてきた。

 あぁ、いつものように私はあえがされてしまうんだろうな……。

 そんな風に半ば悟りの境地に達していた私を前代未聞の衝撃が貫いた。


「ん゛っっっ!?」


 左の首筋を噛まれた瞬間に感じた快感が、まるで避雷針に誘導されるかのようにへそピアスまで突き抜けて、そこからさらにおへその下で大爆発を起こした。

 首筋を甘噛みされるとか、おへその下をなで回されるなんてレベルじゃない。快感そのものを直接注入する管を突っ込まれて、原液を一気に流し込まれたような……人間のキャパをオーバーしているとしか思えない快楽の波が押し寄せてきたのだ。


「うっ……ぐっ……うううっ!」


 赤羽根さんの腕の中で身もだえしてしまう。

 彼女も彼女で夢中になっているのか、私のひどいありさまに気づきもしない。とっくに血も吸い終わり、唾液の効果で傷口もふさがっているというのに、いつまで経っても私の首筋を吸い続けている。


「ま、まっへ……赤羽根しゃんっ……お、おわらへへっ!」


 私はしどろもどろになりながら、赤羽根さんの体を押し返そうとする。

 しかし、頭が真っ白になりそうな快楽の波に飲み込まれて、頭も回らなければ手足にまったく力が入らない。今までの吸血で感じていた快楽なんてまるで児戯だ。私のへそピアスには快楽増幅装置でも埋め込まれているのだろうか?


 ようやく吸血……というか首筋への愛撫が終わったとき、私はぺたんこ座りの格好で腰砕けさせられていた。

 マラソンで体力を使い切ったような有様で、全身は火照って汗まみれになっており、梅雨時期なのも相まって修道服の中はびっしょりになってしまっている。修道服の首元からは自分でも分かるくらいに汗のにおいがむわりと立ち上っていた。


「……さ、彩綾さんっ!」


 目の据わっている赤羽根さんが修道服のスカートに手をかけてくる。

 私が制止の声を上げる間もなく、彼女はそれを思いっきりめくり上げた。


 黒のストッキングに包まれた両脚が露わになり、それからストッキングを止めている黒レースのガーターベルト、そして同じく黒のレースショーツが外気にさらされる。ガーターベルトは腰骨よりも低い位置、レースショーツもかなり股上の浅いものを選んでいた。

 それを目の当たりにした赤羽根さんの目が「なんでこんなにエロいの穿いてるの!?」と語っている。でも、仕方ないじゃん! あんまり股上の深い下着を穿いちゃうと、引っかかっちゃうことがあるんだから!


 赤羽根さんの荒くなった鼻息が、いよいよ露わになった私のおへそに当たった。

 近くで見すぎだよ!

 そうは思っても私に抵抗する力は残っていない。

 赤羽根さんは鼻がくっつきそうな距離で、私のおへそと十字架のピアスを食い入るように見つめている。

 次の瞬間。

 彼女の柔らかな唇がおへそにチュッと触れたかと思うと、


「んんんんんんん~~~~~~~ッ!?」


 私は体の中をかき回されたような嬌声を部屋の外まで響かせていた。

 目がチカチカする。

 キスされた瞬間はどっちが天井でどっちが床なのかも分からなかった。

 ぐったりと床に倒れた私の口からは、まるで赤ちゃんみたいによだれが垂れている。

 これまで何回も赤羽根さんに血を吸われてきたけど、ここまで感じ入ってしまうことはなかった。まさかへそピアスを着けた人たちにとっては、これくらいの快楽に浸るのが普通なのだろうか? こんなの頭がバカになってしまいかねない。


「ご、ご、ご、ごめんなさいっ! 私、どうかしてたっ!」


 少しは冷静になったらしく、赤羽根さんが深々と土下座をした。


「反省の気持ちとして……その……私のおへそにもキスしていいからっ!」


 どうしてそうなるっ!?

 私は心の中でツッコミを入れた勢いでなんとか上半身を起こした。

 目には目をキスにはキスを……とんでもないハンムラビ法典もあったものである。

 私の驚き顔も目に入らないのか、赤羽根さんがブラウスの裾をぺろっとめくった。

 彼女のおへそが露わになる。

 そこにはピンク色のハート型ジュエルをあしらったピアスが着けられていた。


 私は反射的に自分の口元を手で覆い隠す。

 赤羽根さんのおへそなんてお風呂に入るときにいくらでも見てきた。それなのにブラウスの裾をちらりとめくるだけで、そこにハート型のピアスが着いているだけで、まるで禁断の扉を開いてしまったかのようなドキドキに襲われてしまうのは何故なのだろう?


 私は吸い込まれるように赤羽根さんのおへそに口づけをしてしまう。

 そうした瞬間、


「んッ♥」


 赤羽根さんはいつになく感じ入った嬌声を漏らしながらのけぞった。

 つま先までピンとなって仰向けに倒れ、日焼けした畳に金色の髪が大きく広がる。


 部屋にはいつの間にか甘酸っぱい果実の香りが充満していた。赤羽根さんの汗ばんだ肌から立ち上っているそのにおいは吸血鬼が人間を引きつける誘蛾灯だ。私のように魅了されない訓練を積んでいないものなら、きっとイチコロに違いない。

 息を荒げている赤羽根さんの胸がリズミカルに大きく上下している。後れ毛の跳ねているうなじが汗ばんでいる。腰はキュッと締まっていている一方で、スカートから伸びた太ももはむっちりしている。この子は吸血鬼じゃなくて実はサキュバスか何か?


「こ、これでおあいこにしましょうっ!」


 私は慌てて報酬のお菓子とコーヒー牛乳をかき集める。

 それから赤羽根さんの返事も待たず、彼女の部屋を飛び出していった。


 ×


 おへそにキス事件(と私が勝手に呼んでいる)から、私たちはしばらく気まずい雰囲気になっていた。

 しかし、そんな気まずい雰囲気を引きずっていても仕方がない。私たちは『吸血するときはピアスを外す』というルールを決めた。これが狙い通りに効果覿面で、ピアスのない状態ではお互いの興奮具合をぐっと押さえることができた。こうして私たちは『不倫するときだけ結婚指輪を外す人妻』みたいになって吸血タイムを送るようになったのである。


 ちなみに私たちが二人揃ってへそピアスをつけたあと、少女九龍城はちょっとしたピアスブームになった。元からエキセントリックな住人たちばかりなだけに、こういうのにも興味がある子が割と多かったらしい。といっても大半の子は耳にピアスをつけたくらいで、いきなりへそピアスを開けた子はほとんどいなくて、今更になって「私、実はちょっと変わってる?」なんて疑問に思うようになった。


「ええ……今まで自分は変わってないって思ってたの?」

「なんで赤羽根さんが呆れてるんですか」


 とある日曜日、私と赤羽根さんはとあるアクセサリーショップを訪れていた。

 可愛いデザインで値段もお手頃という女子中高生に人気のお店だ。そろそろピアスのバリエーションを増やしたい……と二人の意見が一致したため、せっかくなのでこうして二人で見に来た次第である。赤羽根さんをしっかり監視しなくてはいけない都合上、そもそも出かけるときは一緒じゃないといけないわけだけど、たまには私だって楽しんでもいいよね?

 商品棚には多種多様なアクセサリーが並び、そのきらびやかさは本格的なジュエリーショップにも負けていない。私たちはさっきから目移りしてばかりで、店員さんたちからはきっと単なる冷やかしに思われていることだろう。


「ヴァンパイアハンターをしておいて変わってないは嘘でしょ」

「生い立ちは変わってますけど、常識はちゃんとしているつもりです」

「常識のちゃんとしてる子がおへそにキスしたりするかなぁ?」

「それ以上、話を蒸し返すようなら聖水ですよ」


 オモチャの水鉄砲を取り出して威嚇する。

 赤羽根さんは「たはは……」と苦笑いして後ずさった。


「さっきのは冗談としてさ、せっかくだからお互いのピアスを選ぶ感じにしてみない? そういうプレゼントを贈り合うの、前から憧れがあったんだよね」

「別に誕生日でもなんでもないですけど……これ以上迷っていても仕方ないですし、そうしてみましょうか」

「やった! それじゃあ、めっちゃエッチなやつにしよ!」

「いや、そんなの売ってるわけないじゃないですか……」


 赤羽根さんがウキウキの足取りで店の奥の方へ去って行く。

 懲りない彼女の背中を見ながら、私はふぅと気の抜けるため息をついた。

 へそピアスの魔性に当てられて危うく狂いかけた私たちの関係は、これからどこに向かってしまうのだろう? 再び暴走しないことを願うばかりである。

 もしも赤羽根さんが本当にエッチなデザインのピアスを選んできたりしたら、私の方からはピアスではなく犬用の首輪でもプレゼントして言い聞かせることにしよう。私たちの今の距離感、壊したくないと思う程度には気に入っているのだから……。 


(おしまい)

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