第5話 9


 職員室に向かった木藤は、集まっていた教職員に説明を果たして、校門へと戻ってきた。

 野次馬を掻き分けて辿り着くと、エンジ、留衣、鬼藤が無残に転がっていた。

 手当てに当たっている生徒が、木藤の顔を不安気に見上げる。

「先生」

「遅れてすまない。他に怪我人はいないか」

「はい。でも……あの不審者が女子生徒を連れて校内に……」

 ――犬飼は、連れていかれたのか。

 いくつもあった選択肢の中から最善を取ったつもりだったが、残って戦っていたほうがよかったのかもしれない。後悔しても詮無いことだが、感情はそこまで冷静にはなれない。

 どこかで間違っていないか、過去を辿ってしまう。

「う……」

「初」

 鬼藤はゆっくりと上体を起こしながら、顔を歪めた。桃之助の得物である刀による大きな切り傷は無いものの、見える範囲でも打撲痕が目立つ。

 錯乱しているように見えたが、踏みとどまる理性は失っていないのだろう。

「珍しいな、初がここまでやられるのも」

「うるせぇな」

 いつもの軽口が返ってきて安心する。ふらつく体を支えてやると、落ち着いたのか木藤に身を委ねた。

「攻撃が、全然当たらなかった。三対一になっても、歯が立たなかった。……バケモンかよ」

 桃之助の人間離れした動きは、木藤も身を持って実感している。研ぎ澄まされた瞬発力から放たれる抜刀の速さ、舞うような身のこなし。敵対していても、思わず見惚れてしまうほどの技術。

 鬼藤やエンジのような攻撃に重点を置いている戦い方ならば、木藤のような攻撃を受け流す戦い方は相性がいい。しかし桃之助のような、攻守どちらにも対応したバランスのいい戦い方とは分が悪い。覆せるほどの圧倒的な力でもない限り勝てないだろう。

 それでも、立ち止まっている時間はない。

 桃之助の目的は桃子を連れ帰ることだ。以前桃之助に話したように、帰るかどうかは桃子の意思で決めるべきだと思っている。こんな強引な手で彼女の自由を奪うのは見過ごせない。

「すまない、ここを頼む」

 まだ力の入らない鬼藤と意識の戻らない二人を、手当てしてくれていた生徒に任せて、木藤はまた走り出した。


 鬼ヶ島高校の校舎は桃子が以前通っていた学校よりずっと小さい。そのうえ、今日は学園祭でで隠れるにしても場所が限られている。

 雑踏の中、九鬼に手を引かれるまま歩いていると、特別教室の連なる北棟に辿り着いた。こちら側は一般開放されていないため、人気はあまりない。

「着いたよ」

 九鬼くんが戸を開けると、つんと鼻につく臭いが漂ってきた。入り口には理科室と書かれている。

理科室は、木藤と桃子が出会った場所で、桃子からすると始まりの場所だ。

「先生が来ることを想定して、ここがいいと思ってね」

 木藤は教科担当だし、真っ先に覗いてくれるかもしれない。

「あとは桃子のお兄ちゃんに見つからないようにしないとね」

 鏡花はバッグから金髪のウィッグを取り出す。

「鏡花……?」

「あとは僕達に任せて」

 桃子は肯いて、二人を見送った。戸を閉じると、やりきれない思いが込み上げてくる。

 兄の行為が許せなくて、祖母と留衣の手を借りて逃げるようにしてこの島に来た。そして今も、みんなの手を煩わせながらこうして逃げて、匿ってもらっている。

 気付けば、九月の終わりに差し掛かっている。ここでの約半年の生活を思い返すと、胸が温かくなる。

 最初こそ対立もしたけれど、こうして守ろうとしてくれる、対等で心許し合える友達ができたことは桃子の自信になっている。 

 もし桃之助の妹として恐れられて、避けられても、今の自分なら耐えられるかもしれない。

 けれど、帰れば、桃之助はまた桃子を守るという名目で誰かの人生を変えてしまうかもしれない。

 ――それだけは、いやだな。

 窓に近付きカーテンを少しだけ閉める。床に座ると、リノリウムの冷たさが心地好い。

 まだ学園祭のざわめきが聞こえる。木藤先生と回っておいでよ、と忙しい時間なのに休憩をくれたクラスメイトを思い出す。……自分のクラスの出し物はどうなってしまっているだろうか。

右手に握りしめていたリンゴ飴が、とろりと溶けて手を濡らした。


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