第5話 10

 桃子を探して歩き回っている桃之助は、南棟二階の廊下ゆらゆらと幽鬼のように歩いていた。刀は腰に納めて、今は千和をお姫様抱っこしている。

 女子の黄色い声があちこちで聞こえるが、桃之助は気にならないのか振り向きもしない。

 千和のその優れた嗅覚で桃子の居場所を探るつもりだったが、千和は一向に口を開いてくれない。

 桃之助にとって、桃子への依存心とはまた違い、千和のことを可愛く思っている。無理矢理聞き出そうという気持ちにはとてもなれなかった。

「千和」

「いくら桃之助くんの頼みでもやだ」

「ふぅ……私も嫌われたものだな」

 廊下の端、人気の少ない所でそっと千和を下ろす。

「桃之助くん……?」

「ここでいいよ。怖い思いをさせてすまなかった」

 その草臥れた様子に、三人と対峙していたときの覇気はない。

 余裕そうに見えたけれど、あの三人相手はそれなりに堪えているのだろう。

 千和は桃子を守りたいという決心が揺れてしまいそうになって、唇を噛んだ。

「なんで、なんで今桃子ちゃんを連れ帰そうって思っているの?」

「……私にも理由が出来たんだよ。千和」

 ――桃之助くんの理由。

 一瞬金色が視界に入って、ぎょっとする。しかし、桃子の香りはしない。

「……これは、やられたな」

 いつもは色とりどりの髪に、桃子と同じ金色の長髪が見えるだけで三人はいる。さすがにルーズソックスまでは履いていないが、背格好も変わらない。

 いつもなら、そのくらいで桃子を見間違ったりはしないだろう。東京の人混みですら桃子を一目で見つけるくらい桃子に精通している。

 ただ今回、学園祭で人も多く、桃之助も疲弊している。目眩まし程度にはなっているようだ。



 リンゴ飴を食べ終えた頃、窓をコツコツとノックされた。桃子は恐る恐るカーテンの端から覗き見る。

 ボサボサの黒髪から覗く、金色の瞳がすぐそこにあって、桃子は息を呑んだ。

「……木藤先生」

 窓を開けると、長身を生かしてそこから入ってきた。

「先に見付けられてよかった」

 頭を撫でられると、張っていた気持ちが緩んで涙が浮かんでくる。桃子は顔を隠すように、木藤の胸に顔を埋める。

 木藤は肩にそっと手を置いた。このまま抱き締めて慰めたいけれど、今は話をしなければならない。

 体を離すと、俯き加減の桃子の顔を覗き込む。

「……先生」

「桃子はこの島に来たことを、今も少しでも後悔していないと言えるか」

「それは」

 桃子は口を噤んだ。

 それが、答えだと木藤は察した。

「逃げることは悪いことではないが、少しでもお前の中に後悔があるのなら、今からでも立ち向かうべきなんじゃないか?」

「……今から?」

「そう、今から。過去だから終わったこととは限らない。まだやれることはあるはずだ。

 それに、桃子、お前は強いよ。桃太郎の子孫というだけで、この島で敵視されてたのに、今はお前は輪の中心にいる。

 それはお前が勝ち取った信用だ。これ以上勇気の要ることなんて、人生でそうないぞ」

 木藤の言葉が、慈雨のように優しく降り注いでくる。

 ――今なら、何でもできる気がする。

「お前の兄はなんでこんな強引な手段に出たんだろうな」

「え?」

「あんな聡明な人物なんだ。他にやりようがあるんじゃないかと思って」

 桃子も首を傾げる。桃之助の意図が読めないのはいつものことだけれど、桃子に対してはいつも無理強いなどしなかった。

「相手の気持ちを知りたいときは、ちゃんと相手の目を見て話すことだ」

 ――相手の気持ちを知りたいとき。

 桃子は目を瞑り、深呼吸をした。

 木藤の言う通り、このまま逃げていても、きっと後悔が募るだけだろう。

 桃之助との間にある蟠りと向き合うことに対して、恐怖心はもうない。

 そして、もう一人。相手の気持ちを知りたいと思う人がいる。

 目を開けると、いつも優しく見つめてくれる淡く輝く金色の瞳が映る。

「……わたし、木藤先生のことが好きです」



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