第5話 11

 木藤は目を白黒させている。

 今なら、冗談だと誤魔化すことも出来るかもしれない。けれど、桃子は目を逸らさなかった。

 目を見ることで相手の気持ちがわかるというのなら、こちらの気持ちを伝えることも出来るはずだ。

「先生にとって、わたしはみんなと同じ生徒の一人ですか?」

 先ほど桃子が決心を固めたように、木藤も一つ深呼吸をするとゆっくり首を振った。

「……俺も、好きだよ」

 振られるとばかり思っていた桃子は、思わず涙ぐんだ。

「教師だからとか、大人だからとか……感情を抑えられる理由を探してたんだ」

 木藤はいつものように桃子の頭を撫でると笑った。

「桃子が選ぶことだとわかっているが、俺は行ってほしくないって思う。叶うならば卒業まで、お前の成長を見ていたい」

「……先生」

 理科室の戸が開いた。

 誰が来たのかは、見なくてもわかる。

「お兄ちゃん」

 校門で会ったときと違う。もう、感情はざわめいていない。

「桃子、会いたかったよ」

 力強く抱き締めてきた兄に懐かしさを感じて、桃子も抱き返した。

「……帰ってきてくれないか」

 そう呟いた声が震えていて、いつもの凛とした佇まいからは想像つかない。

 まるで先ほどの桃子のように、心細さで泣きそうになっている。

「なにかあったの……?」

「卒業後、アメリカに留学することになった」

 ――留学。

 現在、桃子と桃之助が離れてるとはいえ、国内のことだ。まさか、桃之助との距離がさらに広がることになるとは思っていなかった。

 帰らない、とただ一言断るつもりだった桃子の気持ちが揺らぐ。

「……最初は、無理にでも連れて帰ろうと思っていたんだ」

 桃之助の口調が、穏やかになっていく。木藤は二人の会話に耳を澄ませながら、静かに見守っていた。

「今日、桃子を匿おうと鬼の生徒が協力をしていたよ。それも一人二人じゃなくて、何十人も。

 ……桃子は僕がいなくても、大丈夫になったんだね」

 幼い頃、桃之助は自分のことを僕と言っていた。今、桃子が触れているのは、桃之助の本心なのだろう。

 孤独感に囚われている桃之助。

 幼少時代、社交界が苦手で、いつも一人でどこかに隠れていた。

 今も決して得意ではないだろう。数多の人付き合いの中で彼が心許せるのは、桃子くらいだ。

 桃子が自由を謳歌している間に、桃之助は幾度苦痛に苛まれただろう。

 今、このように弱った彼を見放して、後悔しないでいられるだろうか。

 ――叶うならば卒業まで、お前の成長を見ていたい。

 木藤の方を振り向く。まるで、桃子が出す結論を知っていたように、木藤は頷いた。



「先生、わたし、お兄ちゃんと帰ります」



 初めは、鬼藤とは永遠に仲良くなれないと思っていた。

 思いがけずに、鏡花という大好きな友達が出来た。

 一緒に生活することで、エンジや千和、留衣とも仲良くなれた。

 木藤と同じ想いを共有できた。

 大切な人たちを見付けた。

 大切な人たちに、大切と言ってもらえた。

 それだけで、また頑張ろうと思える。

 お兄ちゃんにも、そう思えるような、大切なものを見つけられるお手伝いをしてあげたい。

 きっとそれはお兄ちゃんの支えになってくれる。


 


 

 桃之助の起こした騒動は、劇の一部ということになり、学園祭は何事もなかったかのように幕を閉じた。

 桃子は冬を待たずに東京へ戻り、木藤は自主的に騒動の責任を負って停職処分を受けることになった。

 桃子が帰ることをクラスの多くは引き留めたが、彼女の決意は揺らがなかった。その意思の強さがあったから、ここでの生活を送れたのだと思う。

 意外なことに千和と留衣は鬼ヶ島に残ることになった。

 桃子がいつ戻ってもいいように、だそうだ。

 


 こうして鬼ヶ島高校は嵐が去ったように、静けさを取り戻した。





 

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