第5 話 8
「ムキになんなよ。木藤の生徒さん、ひとつどうぞ」
「ありがとうございます」
真っ赤なりんごが、日差しを受けて宝石のように煌いている。
一陣、風が髪を嬲って通り過ぎて行く。もうすっかりと見慣れてしまった金の髪。風を追うように視線を向けると、人混みの向こうに一際目を引く影があった。
数メートル先の校門の前。すっと伸びた背筋に光を強く反射する黒く艶やかな髪。美しい顔に浮かぶ表情は読み取れない。
ずっと一緒に育ってきた。見間違えようがない。
「おにいちゃん」
雑音で届く訳の無い小さく呟いたその言葉に、彼は笑った。
その手には鈍く光る、抜き身の刀。
「桃子!!」
腕を引かれて、木藤が走り出す。よろめきながらも、合わせて走り出すと、同時に視界に飛び込んで来た二つの影。
「エンジ、千和!」
振り向くこともなく、二人は駆けていく。桃子は何が起こっているのか混乱するばかりで、木藤に促されるまま二人と反対のほうへ走った。
「久しぶりだね、エンジに千和。それから、留衣」
楽しげなざわめきは混乱によって静まっていく。
――なにこれ。演出?
――演劇部、とか?
校門付近から円を描くように人が離れていく中、エンジと千和。そして、桃之助の後に留衣が現れた。
千和は泣きそうなのを堪えているのか、肩を微かに震わせている。
「桃之助くん……」
「会いたかったよ、千和。元気にしていてよかった」
「剥き身の刀持って言うセリフじゃないだろ」
千和を背に庇い、エンジが対峙する。以前のような怠惰な態度はなく、まっすぐに桃之助に向き合っている。
「……お前達、当初の目的を忘れたのか。桃子を守るように僕は言ったはずだ。それがなんだ、この体たらくは」
一歩。一歩。桃之助の足は前に進む。
校門へと、近付いていく。
「鬼に懐柔されていく桃子を、黙って見ていたのか。お前達も懐柔されたのか」
桃之助の眼から、光が失われていく。底知れない闇を覗いているような、恐怖が背を粟立たせる。
「……言葉では留まってはいただけないか」
留衣が奥歯をぎりっと鳴らした。
桃之助の口からは怨嗟の声が、聞き取れないほど微かに漏れ出る。
「――許さない。この島も、桃子を唆すあの男も」
桃之助が校内へ踏み入ると同時に、三人は妨げるように攻撃を仕掛けた。
長年の付き合いから、お互いの攻撃のクセは分かっている。留衣が長身を活かして間合いに入り隙を作ると、エンジが攻撃を仕掛けて、千和が身動きを止める。コンビネーションには三人共自信がある。
正面に回った留衣から繰り出された拳を桃之助の刀が防ぐと、横からエンジが蹴りを繰り出した。大抵の相手なら、一撃をお見舞いすることができる。
しかし、桃之助は予知していたように優雅な動きで避けると、鞘を使ってエンジの肩に突きを食らわせた。
長い付き合いなのは桃之助も変わらない。多少捻った攻撃だけでは、彼に見破られてしまう。
「うぐっ」
「エンジ!」
留衣が吹き飛ばされたエンジを受け止めて、体勢を立て直そうとすると、桃之助の切っ先が眼前にあった。
「……お強くなりましたね」
「僕がただ強くなっただけではない。お前達が弱くなったんだ」
それだけではない。桃之助の気迫にやられて、動きがいつになく鈍いのを三人とも感じている。
鋼鉄の放つ鈍い光が徐々に留衣へと迫っていく。
「留衣」
エンジが庇おうと身じろぐが、留衣が腕を押さえているせいで立ち上がれないでいる。
「放せよ!留衣!」
錯乱している今の桃之助はなにをしでかすかわからない。いつものように、寸前で止まるかはわからない。初めて見る暗い暗い瞳に恐怖心を抱く。
「だめ!!」
左腕にしがみついた千和に、桃之助も動きが止まる。
千和のことを可愛がっていたのもあるだろう。表情にわずかに変化があった。
「……千和、どきなさい」
地を這うような桃之助の声に、千和の表情はみるみる青ざめる。
「や、やだ」
「どけ」
千和の体ごと、強引に腕を引き上げて、振り払う。
小柄な千和はあっけなく吹き飛ばされた。
「千和!!」
地面に叩きつけられる寸前に、包み込むようにして鬼藤が受け止めた。
「あっぶねー」
「鬼藤くん、ありがとう」
千和は腰が抜けてしまったのか、鬼藤に支えられてゆっくりと立ち上がった。
「……鬼藤、なんでここに」
「桃太郎の子孫の顔を拝みに来たに決まってんだろ。こんな時化たツラのヤツだと思わなかったな。
ただのシスコン兄貴より、桃子のほうがマシじゃねぇの」
桃之助は鬼藤を一瞥すると、冷めた目で笑った。
「それで揺さぶられるなんて思っていないだろうな」
鬼藤は鮮やかな金の眼を丸くした。
留衣へ向かっていた切っ先は、鬼藤の方へと向けられた。
「……十分揺さぶられてんじゃねぇかよ」
鬼藤は口端を上げて笑ってみせるものの、いつものような余裕は感じさせない。腰を低くして臨戦態勢に入ると、その横にエンジがふわりと降り立った。
「留衣、千和を頼む。……鬼藤、桃之助は強いぞ」
「……見りゃわかる」
いつもの軽口がないことから、お互いの余裕のなさが伝わる。
エンジと鬼藤は顔を見合わせるとぐっと肯いた。
息急き切って駆けていた桃子と木藤の二人は、校門の反対に位置する視聴覚室に辿りついた。普段ならなんてことはない距離が、校門での騒ぎを聞きつけた野次馬によってもみくちゃにされて、先へと進むのが難しい状況だった。
木藤の携帯が先ほどから鳴り続けている。職員からの緊急の連絡だろう。
行かなければならないところだが、隣で桃子が呼吸を乱して、苦しそうに喘いでいる。
両手でリンゴ飴を握りしめている姿は、迷子の幼子のようだ。
どこかに隠れていてもらうという手もあるが、一人で居るところを桃之助に見つかれば強制的に帰るはめになるだろう。……いっそ抱えて行こうか。
桃子の背を撫でてやっていると、視聴覚室の戸が開いた。
「おや、どうかなさったのですか」
甘さの中にも品を感じさせるような花の香りが鼻腔をくすぐる。
「……九鬼」
「映画鑑賞をしにきた、わけではなさそうですね」
九鬼の背後から顔を覗かせたのは、鏡花だった。
「え、どうしたの? 桃子、大丈夫?」
支えるようにして鏡花が桃子に寄り添う。木藤は胸を撫で下ろすと、二人に事情を掻い摘んで話した。
「――俺は職員室にいかなくてはいけない。桃子を頼む」
「せんせ……」
不安気に歪む桃子の表情に木藤は笑顔で返す。
「大丈夫だ」
頭を二度優しく叩くと、木藤は人の間を縫うようにして来た道を戻っていった。
「こんな事態になっちゃうなんてね」
「とりあえず、避難すべきかな」
二人が相談している最中、桃子は自分の置かれた状況に絶望していた。
――みんなに迷惑をかけて、わたしなにしてるんだろう。
ただただ、守られながら逃げていることに過去の自分が重なる。
「桃子」
俯いていた桃子の頬を包むようにして、鏡花が顔を上げさせた。
「みんな桃子を守るために動いているの、迷惑とか思ってないから」
わたしのために。
「桃子が頑張ってきたから、みんなが桃子に協力したいと思っているんだよ」
わたしが頑張ってきたと、認めてくれている人達がいる。
鏡花は持っていたバッグを肩に掛け直すと、桃子の背を押した。
「さて、行こうか」
「僕がエスコートしよう」
九鬼に差し出された手を取って、鏡花に背を押されて、桃子は歩き出した。
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