第5話 7


 学園祭まであと二週間を切ったということもあって、ホームルームは準備に充てられるようになった。クラス内は分担して作業に当たっている。

 木藤は教師用の机に次の授業用の資料を広げながら、その様子を見渡す。

 一週間前のあの夜を境に桃之助は姿を見せていない。学業やプライベートが忙しいのか、とも考えたが、学校を休んですら連夜現れたあの執念からは違うように思う。

 ふと視界に桃子達が映る。いつもの五人が楽しそうに作業していて、凝り固まっていた思考がゆるゆるとほどけていく。

 千和には、桃之助に会ったことを桃子に言わないように口止めしておいた。今不安な思いをさせることはないだろうという判断だ。

 ――兄妹である以上、いずれこの問題に立ち向かわなくてはいけないのだろうが……。

 生徒達のざわめきが心地よい。この平和を守っていけるなら、自分は何にでも立ち向かえる。

 



 迎えた学園祭当日。

 木藤はクラスの様子を見届けると、校内の見回りに移った。

 見回りは教師で何グループかに分かれて、時間毎に割り振られている。木藤は十二時から三時の担当になっている。比較的混み合っている時間帯だ。

 窓の向こう、校庭にはOBや有志による出店が並んでいるのが見える。中には同級生も居たはずだから校内の見回りを終えたら挨拶に向かうつもりだ。

 一般開放されていることもあって、子供からお年寄りまでが催しを楽しんでいる。いつもは閑散とした校内が人で埋め尽くされることに、高校生のときに感動してから、木藤にとってこの光景を見るのは毎年の楽しみになっている。

 人混みを分けるようにして進んでいると、背中に衝撃が走った。

「先生、やっと見つけた」

 もうすっかり聞きなれた声だ。

「桃子か」

 振り向くと、桃子が頬をうっすら染めて笑っていた。急いで来たのもあるだろう。息も弾んでいる。

「最近忙しくてお話できてなかったから」

 桃子は視線を逸らしてそわそわとしながら、なにやら言葉を呟いているものの、木藤の耳には届いてこない。桃子の容姿もあって、周囲の視線が集まってくる。

「い、一緒に回りたい……です」

 ざわめきの中、やっと聞き取れた言葉に、思わず木藤は笑みを溢す。

「見回りでよければどうぞ」

 桃子は大きく肯くと、木藤の二歩後を雛鳥のようについて来る。高校生の頃は恋愛事とは縁が無かったため、学園祭を女子と歩くのは初めてということに気付く。

 振り返ると、ただ校内を練り歩いているだけなのに、桃子は満面の笑みを返してくる。

 ――俺が、学生だったら……な。

 教師になったことを悔いたことはないが、今桃子との間にあるこの二歩の差に、埋まらないほどの距離を感じる。教師と生徒。大人と子供。鬼と桃太郎の子孫。

「校舎内は一通り回ったし、校庭に出るつもりなんだが……」

「わたしも行っていいですか?」

 服の裾を遠慮がちに引かれる。その指先が微かに震えているのに気付いて、不安が伝わってくる。

「どうぞ」

 教師用の玄関と、生徒用の玄関は分かれているため、一度離れた。

 校庭に出ると、さらに賑わいが増していることに気付く。子供たちがはしゃぎながら横を通り過ぎて行く。やきそばやたこ焼きのソースの匂いが鼻腔を刺激して、腹の虫が鳴きそうになった。

「おまたせしました」

「行こうか」

 校門から玄関までの道を屋台が左右に並んでいる。

「おー、木藤頑張ってるじゃねえか」

 声をかけてきたのは、出店のテントがきつそうな、がっちりした体型の大男。細身の木藤との体格差に桃子が驚いて口をあんぐり開けている。

「ああ、久しぶりだな、鬼山。今年はりんご飴売ってるのか」

「似合わねぇだろ。お、今日はお坊ちゃんと一緒じゃないんだな……彼女?」

「生徒、だ!」

 鬼山に食って掛かる木藤が、年相応の青年のようで、桃子は初めて見る表情に心をときめかせた。

 ――いつかは、自分のことを生徒以上に想ってくれるだろうか。

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