第3話 7

「九鬼には許婚候補が三人いる」

「え?」

「マジで?」

 鏡花ちゃんも知らないなんて、よっぽど内々の話なのだろうか。

「九鬼のとこもけっこうな金持ちだから、居てもおかしくないけどさー」

「うわぁ、キモチ悪ィ。三人も許婚がいる男が桃子に言い寄ってくるなよな」

 鏡花ちゃんとエンジくんが顔を顰めた。

 わたしも同じ顔してるのかな。

「正確には、九鬼のところに嫁がせたいとという話が三件あるらしいんだが、九鬼がどの方も素敵で選べないと言っているそうだ」

 選べないのは、本当にその人達が素敵なのかもしれない。でもエンジくんの言う通り、許婚さんがいるのが事実なら、桃子ちゃんにお花をあげるのはあまり歓迎できない気もする。

 でも、なんだか、数日それどころじゃなかったせいで、九鬼くんへのふわふわした気持ちは空気の抜けた風船のようにしぼんでしまった。

「九鬼くんのことはともかく、行こうか。もうすぐ休憩ポイントだしね」

 桃子ちゃんに促されて、みんな先へと歩みを進めた。



 二度目の休憩ポイント地点を過ぎてしばらくすると、すっかり辺りは夕焼けで赤く染まってきていた。桃子ちゃんとわたしはすでに限界を超えていて、足はもう肉刺だらけだ。

 ずるずると歩くわたしたち二人を、他三人は根気よく励ましてくれる。

 鏡花ちゃんの手が無かったら、挫けてしまいそうだ。

「大丈夫かー」

 すっと横に来たシルバーのセダンの車から、木藤先生が顔を覗かせる。巡回中なのかな。

「大丈夫、です」

 汗を拭いながら、桃子ちゃんは歯を覗かせて笑った。

 木藤先生もそれに応えて笑う。

 見ていたわたしも、なんだか温かい気持ちになる。いいなぁ。

「あと二キロで宿に着くから、がんばれよ」

 そして鬼藤くんとアイコンタクトを交わして、木藤先生を乗せた車は去っていった。

「よーし、がんばるぞぉ」

「声が頑張ってねぇよ」

「鬼藤くんのツッコミがきついよぉ」

「ちょっとぉ、うちの桃子に意地悪しないで貰えませんー?」

 時折そんな風にふざけながら、夕陽がとっぷりと沈んで、満天の星がきらめき出した頃、やっと宿へとたどり着いた。

 結局わたし達が一番遅くて、早いグループは三時間も前に着いていたみたい。夕飯の前に温泉に入ったら、肉刺と筋肉痛のせいで足が痛くて桃子ちゃんと悲鳴を上げた。

 海の幸たっぷりの豪勢なお夕飯を頂くと、大部屋に布団が敷かれていた。男女は分かれているものの、隣のクラスの女子も同じ部屋で寝るみたい。

「あー疲れたぁ。ねえ、千和知ってる? ここの宿、九鬼くんのお父様が経営しているんだって」

「そうなの?」

 布団に横になると、体が重くて、どろどろと溶けていきそうになる。

 九鬼くん、かぁ。

「港のほうのホテルもらしいよ。そりゃあ、許婚の一人や……三人居ても、ね!」

 トイレから戻ってきた鏡花ちゃんが、桃子ちゃんの隣の布団に横になった。

「三人も居たらだめでしょ、重婚って犯罪な訳だし」

「九鬼くんなら、モテてもしょうがないって言いたいのー!!」

 鏡花ちゃんの冷静な突っ込みに、桃子ちゃんがべぇっと舌を出した。

「それより、千和にはもっといい男が合うでしょ。エンジくんはだめなの?」

「エンジくんはないよ」

「ないない」

「あなたたち身内に辛辣よね」

 次第に他の女子の声と鏡花ちゃんの声が聞こえなくなって、規則正しい寝息へと変わっていく。誰かの衣擦れの音と、家よりも近い波音が耳に優しくて心地よい。

 でも、うとうとと眠ろうとすると、留衣ちゃんと桃之助くんの顔が浮かんで意識を揺り起こした。

「ねえ、千和」

 桃子ちゃんの優しくっそりした声が、わたしを呼んだ。

「なあに?」

「今日も寝れない?」

 すでに部屋は消灯されていたけれど、廊下から漏れる薄明かりの中で、わたしが肯くのを桃子ちゃんは感じ取ってくれた。

「ちょっとだけ、外に出ようよ」

 しーっと唇にひとさし指を当てて、桃子ちゃんはこれから盛大ないたずらを仕掛けようとしている子供みたいに笑った。

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